6. 出かける準備が遅すぎる
繊細な図案の絨毯の上の紫檀の椅子が音もなく引かれる。座ろうとするとウェイターがほどよく押してくれた。
料理を運ぶのは黒い衣装に白いフリルのエプロンの女の子だ。凝ったデザインのヘッドドレスには猫耳がついている。伝統的なメイド服だ。
視線の流れに気づいて祖父は穏やかに微笑んだ。彼女が下がってから教えてくれた。
「四代目にあたる地獄市民だ。とてもよく仕えてくれる」
絨毯は地獄都市である第十二地区の名産品だ。組織の所有する建物の中で、少女たちが細い指先で織り上げていくらしい。
「そこから普通都市第十五区をへて天国都市第十四区に渡り独占販売される。まあほとんどはうちか四区がカモにされるわけだが」
人道的な介入でやめさせたら、その少女たちは間違いなく世界最古の職業に就くことになる。天国都市で働ける数は決まっていて、過去に参入した人々が子を持つことにより、年々その数は減っている。
「こんなシステムを作ったのはご先祖なのですか」
「そうだろうね。だが初代は管理しやすいように区分けをしただけではないかな」
代が替わるうちにこの形が定着していったのだろう。
初代の子孫は観光用には使っていなかったここ九区と十四区、それと四区に別れて住んだらしい。この三つが天国都市となった。中でも九区は初代の邸があった地だと教えてもらった。
「それでも元は、上下の差はなかったそうだよ」
「人工の大陸なのに人外区は当初からあったのですか」
「ああ。人間に汚染されない余白としての土地なのかな。十六区は奇怪な生物の住む森林、八区は砂漠、三区と十三区は有毒生物の多い湿地帯だが、どれもが意識的に用意されている。その証拠に、言い聞かされたわけでもなかろうに、人外区は他に広がらない」
男子修道院のある第八区は周囲を高い壁で囲まれてはいるが、中央のような強い風が端の方で吹いたら、きっと砂が他区に流れる。だけど壁の上に空気の流れを作ってエアカーテンとしているここ九区以外の隣接地からもそれほど砂の害は聞かない。
「有毒生物も範囲外に出ることはないらしい」
「ニョロちゃん......ああ十六区の生物のことですが、あれも地区外には出ないようです」
「意識的に設置されたのだろうね」
天国都市は三つとも人外地区に隣り合っている。何かことがあった際は開拓して使用するためなのかもしれない。
「なんにしろ今はその手段も失われた。修道院以外は人外区は当時のままだ」
「比較的マシな八区だけでも変えようとはしなかったのですか」
祖父はゆっくりと首を振った。
「いや。ここのお隣だが地獄都市にも隣接している。開拓したらあちらの人が押し寄せてくるかもしれない」
それでも可能性だけは考慮して、修道院に許可を与えたらしい。
「あそこの西側にはオアシスがあったからね」
今では改良したナツメヤシなども栽培しているそうだ。
「薬草などにも詳しかったです」
「宗教家のお家芸だね。うまいリキュールも密造しているだろうよ」
ビールは飲ませてもらったがそちらは気づかなかった。惜しいことをした。
「地獄の文化もなかなか面白そうだ。話してくれるかな」
料理を運んで来た猫耳メイドたちを下がらせ自動配膳に変えて、見聞きしたことを祖父に語った。
「子どもの遊びも、一切道具を使わないものがたくさんありました。たとえば『サロメ、サロメ』などはごく一般的な遊びで......」
サロメ役の子が目をふさいでしゃがみ込み、残りの子がそれを囲む。そのまま「サーロメ、サロメ」と歌いながら廻り、最後に「後ろの預言者だあれ?」で止まり、しゃがんだ子が真後ろの子の名をあてる。外れたらまた繰り返し、あたったらその子と交代する。時によってはサロメ役の子が踊ったり、ヨカナーンの首を切るまねごとをする。
「なかなか創意工夫に満ちているのだな」
「ええ。元気で賢い......」
それがほんとは過去形であることに気づいて口をつぐんだ。祖父が心配そうに俺を見た。頭を一つ振ってそれをのけ、いきなり核心に突っ込んだ。
「......アンジーは初代が連れて来たのですね」
今の地球にとっては未来にも等しい過去の外宇宙から。
祖父は眉間にしわを寄せた。アンジーの記憶は直接母の記憶に結びつく。苦痛を与えることはわかっていた。
彼は白いものが混じる眉を片方、わずかに上げた。
「記録はないがそう思うのが自然だ。海に仕掛けた迎撃システムを見てもわかるように、彼は他者に対する警戒心が強かったのだろう。しかし、赤毛の美女を側に置いていたとの話は聞いたことがない。どこか重要な場所やものの守りにあてていたのかもしれない」
「彼女はどうして地獄からこちらに連れてこられたのですか?」
「食料増産の依頼の代償として運ばれた。十七地区に一番近い天国都市はうちだし、何より双十字教皇庁があるからね。もちろん今の代ではなく二代ほど前だが」
「地獄の双十字教には本当に記録は残っていないのですか」
「なかった。再発見後は写真やホログラムを取っていたし文書も作っていたが、引き渡しの際に全て受け取った」
地獄民には不要なオーパーツだ。だが天国都市は得々と彼女を引き取り、自然保護区内の立ち入り禁止区にある研究所で調べようとした。
その結果、研究所と山一つ吹っ飛んだ。もっとも彼女はスリープモードのままだったので、最初のうちは過去の超技術を独占しようとした九区に対して、他天国都市からの攻撃だと思われていたらしい。入り込んだスパイを警戒して祖父宅に運び込まれたのだそうだ。
破壊のされ方が現代科学と違う、と報告された時にはすでにアンジーは母の僕として目覚めていた。
「もちろん危険だし離そうとしたのだが、受け入れてくれなくてね」
秘密裏に運んでいたことが功を奏し、事件は偶然発見された過去の兵器を調査して起こったと発表された。しばらくマスコミが騒いだがアンジーの件は隠し通すことができた。まさか首長の愛娘の新人メイドが原因だとはさすがに考えなかったらしい。
「その後彼女については調べたんですか?」
「あの子に拒否されたよ。アンジーも自身を完全に把握していないようだった。必要な時に必要なことができる、とだけは言っていたが」
研究所を破壊した方法も本人は説明できなかった。母は自分が死んでもアンジーを拘束したり研究したりしないことを約束させた。
「約束などなくてもうかつに扱うには危険すぎるが」
「......他の主人を迎えさせようとは思わなかったのですか」
内心俺もちょっと考えた。だが彼女に強要はできなかったし、ほんとは僕じゃなくて恋人になってほしかった。
祖父は漆塗りの柄を持つワイングラスを傾けて赤ワインを口に運んだ。それを飲み干すと俺に答えた。
「いいや。アンジーは言っていた。あの子を主認めたからそうしたんだと。彼女以外に主人を持つ気はないと」
他の相手がキスしたとしても目は覚まさなかった、いやキスなどさせなかったかもしれない。ならなぜ葬儀の次の夜に父の元へ行ったのか。どうしてそのまま留まらずにうちを、いや天国を出て行ったのか。彼女の行動は俺には読めない。
それ以上祖父に何も聞けなくなって、黙ってナイフを動かした。食事は調理器ではなく人の手でこしらえてあってひどくおいしいはずだが、砂をかむように味気なく感じた。
祖父との食事の翌日、俺は先生の墓参りに行った。場所は天国都市のはずれのビルの一つで、小部屋に入ってIDを照合させてパスワードを打つと祭壇が床から自動的に上がってくる。本来他都市民は葬られないが、俺の依頼で特例措置として認められた。
白木造りの祭壇に銃と写真が飾られている。ホログラムや華美を嫌った先生のために選んだ簡素なものだ。俺は双十字を切り、彼に話しかけた。
「おかげで生き延びました」
一番信用した大人はこの人だった気がする。先生はただ銃の教師だったが、幼かった俺はそれ以上のモノを受け取った気がした。
銃を習い始めて七年後、自然地区の山の中のうちの別荘で先生は自分を撃つように言った。
「これが最後の試験だよ」
「............撃てません」
彼はちょっと面白そうな顔をした。
「最初からの条件に入っている。それに予測していたより長く生きさせてもらった。もうこの辺でいい」
俺は絶対拒否の構えだった。先生はココアをいれてくれ、自分はメタルの上に黒革を張ったスキットルからウィスキーを一口飲んだ。俺はココアに手をつけなかった。
「僕は先生にもっと長生きしてもらいたいんです!」
勢い込んで叫ぶとさっきと変わらない顔で「だが私は一度死んでいるんだよ」と告げた。
「え?」
「正確には死にかけただが、自分で首を吊った時点で死んだも同然だ」
「どういうことなんですか」
「......私はもともと普通都市民で警官だった」
彼は微笑を消して真面目に俺に語りかけた。
先生は区内の射撃大会で何度も優勝する凄腕の警官だった。だが地獄市民の女性に恋をし、受け入れられて普通都市を捨てた。だが彼女は何度も他の男を家へ引き込んだ。
「かつてしていた彼女の仕事のことは許した。辛かったが、過去は変えようもないし地獄で女性が生き抜いていくためには仕方がないことだったと思う」
銃の腕前の優れた彼は地獄でもすぐに職にありつけた。経済的には不自由はさせていなかった。
「それでも彼女はやめなかったよ。愛していると言ったその舌の根も乾かぬうちに平気で裏切る。私は耐えられなくなり彼女を撃った」
彼女の死体とともに数日を過ごし、それからおもむろに首を吊った。
「不思議なものだね。あれほど銃に頼って生きて来たのに自分の死を預けようとは思わなかった」
銃ですら本当の相棒に選ばない自分が女に愛されるわけはないと妙な納得をして輪っかに首を通したそうだ。
「が、気づいたら天国都市の一室にいたよ。死ぬ前から見張っていたのかな。交渉人は快適な暮らしと大金と引き換えに子どもに銃を教える仕事を示し、全てがどうでもよかった私はそれを引き受けた」
最後に死なせてくれるなら、と条件を付けた。交渉人は大喜びでそれを了承した。
「君に銃を教える仕事は楽しかった。ゾンビのような私だが、意外にこの七年は充実していたよ。だが、医療行為を拒否しているうちに患った。治療する気はない。ちゃんと死なせてくれ」
「嫌です」
俺は拒んだ。先生は落ち着いた声で続けた。
「君は射撃の名手だが、このままでは人は撃てない。そして私はもう長くは生きられない。終わらせてほしい」
彼は優しく俺をうながした。本気なのはわかった。それでも断ると兄の名を出した。
「彼には別の教官がついたが、この度最終テストに合格した。将来の区を背負って立つものとして逃げなかったよ」
ぎり、と奥歯をかんでしまった。しばらく気を落ち着けてから答えた。
「それでも僕はお断りします」
先生は銃を自分にあてた。その日はニューナンブM60だ。リボルバーのフォルムが妙に生々しく見える。
「君が撃たなかったら無駄死にする」
彼の瞳に濁りはなかった。たぶんそれは本当で、残り少ない命を弟子のために使うのなら本望だと思っているのだろう。
それでも俺は銃を出さなかった。
「先生は僕の一番大事な先生です。自殺しようが爆死しようが変わりません。でも、できれば穏やかで尊厳ある最期を迎えてほしい。それが僕の望みです」
先生は無表情に俺を見ると肩の力を抜いた。そしてトリガーから指を離した。
「............わがままな弟子だ」
そのまま顎先を動かして座るようにうながした。俺はソファーに崩れるように座り込んだ。先生は手前の一人掛けの方に腰を下ろした。
しばらく荒い息を吐いていると、落ち着いた声が聞こえた。
「天国市民は銃を撃つ強さを持たないという話だったが、君は充分に強い」
それが本気なのか慰めなのかはわからなかった。俺は殺害の代わりに先生の最期を看取ることを提案した。先生はうなずき、後にこの話は父の元に上げられて了承された。
「でも、兄がこの最終テストに合格したってのは嘘ですね」
息が落ち着いてから彼に笑いかけた。先生は表情を変えずに応えた。
「なぜだね」
「兄は確かに必要があったらできると思います。だけどだからこそ試す必要もないし、将来議員になるわけだからそんなリスクは取らないでしょう」
俺自身は昔の事件もあるからバレたとしてもなんとか弁護もできるだろうけど。
先生はにやっと笑った。
「正解だ」
安らかに世を去った最期の瞬間より、あの時の笑顔が心に残る。だから祭壇に飾られた銃はその時持っていたニューナンブM60だ。
もう一度双十字を切り、祭壇を下ろすスイッチを押した。
運命というものは急に間合いを詰めてくる。準備はまだ充分とはいえなかった。
墓参りから帰ってケイトに連絡を入れた。だがそれは通じなかった。忙しそうだったから、と心をなだめていると兄から音声のみの通信があった。彼はひどく焦っているようだった。
「どうしたの?」
尋ねると彼は一瞬黙り、それから普段とは違うかすれた声を絞り出した。
「ケイトが地獄に行った」
驚いて尋ねると今度は冷静に説明を始めた。
「地獄管理官だ。彼女はかってにその職を受けて十七区に向かった」
兄は彼女の上司ではない。更に父の公的な秘書だが区の公務員ではない。地獄管理官を企画して実行させたのは彼だが正式な任命権があるわけではない。働きかければ大抵は通るが、まず区庁を通さなければならない。
「なぜだよ」
俺は尋ね、兄は「わからない」と答えた。
掌に乗せた砂みたいだ。誰も彼も指の間からすり抜けていく。
すぐに帰ると兄は告げた。俺はうなずき、モバイルを縮めてポケットの中に押し込んだ。




