5. 過去の遺産は貴重品
近代以外のほとんどの過去は”失われた時代”として扱われる。部分的に大学などで教えている時代もあるが連続した流れとしては講義されない。
生まれた時からそうだったから、みんなそのことを普通に受け入れている。父や兄はもう少しは知っているのかもしれないけど、それほど多くはないと思う。
デジタルデータは全て失われた。それも嘘ではないらしい。それが意図的なものなのか、不自由系観光地のせいでもともと少なかったわけだから仕方がなかったのかそれすらもわからない。
ただ、わずかに残された過去の写真などは大事にされ今でも残されている。ナスカの地上絵やグランドキャニオン、サハラ砂漠やアルプス山脈。そのせいでよく知られているものもあり、大陸の一部に再現されているものもある。
なくしたとされていても、人は時々過去を恋しがる。だから過去の遺産は高く評価される。
「民間に流れた遺物は、あまりまとまりがないね」
「サルベージされたものは復元士の腕次第だな。だが性質上、絵画となると受け継いだもの以外めったにないな」
「いやいや代が替わったときに流れるものはそれなりにある。まあそこで分散されてまとまりがなくなるわけだが」
父や兄の代わりに出席したパーティはわりと年齢層が高く、まわりくどくヤマモト=タナカ家を持ち上げようとする。
「それなのに、そのままの形で残されたヤマモトコレクションは天国都市のみならず世界の宝だ」
本音と追従の混じった賞賛にほどよく応えながら、予知能力を持つ奇妙な兄弟とその対立者らしい簡易な軍服のような衣装を着た青年の絵を鑑賞する。
「ええ、これは当時最上級のポップカルチャーとして存在していたのは確かですね。しかし普通都市以下でも絵画は多少の流通はあるようです。もちろん復元されたものでしょうが」
「どうせたいしたものではなかろう。ご子息の前で言うのもなんだが、見たまえ、この造形のすばらしさを。これは特に人気の高かった第三部のものだそうだな。まさに芸術だ」
頼まれてアートを貸し出したので欠席するわけにはいかないが、気疲れする。作品のすばらしさは重々承知だが、もちろん自宅で眺める方がいい。
微笑は絶やさないがシャンパンの減りが早い。グラスをまた傾けた時に友人の顔に気づいて片手をあげた。すぐに彼が寄って来て周りに如才なくあいさつする。それから二人で部屋の隅に離れた。
「君のおばさん宅だったね、ここ。さっきあいさつしたよ」
「そーそ。うちの本家よ。貸してくれてありがとな。おかげで面目が立つ」
「こちらの、スープパスタに乗せるパテのシリーズもすばらしいじゃないか。ニンジャだし」
「家宝だからな。だけどあれしかないし。ヤマモト=タナカ家はいろいろあってうらやましいよ」
バンバンと肩を叩いてくるのを止めながらもう一度貸した絵に目を向けると、それに背を向けた薄紫のドレスの少女が目に入った。
「誰、あれ?」
「おばさんとこの末っ子だ。紹介しようか? 大人しいいい子さ」
「いや、いい」
天国市民としてごく普通の身なりで、ごく普通の容姿だ。何が気になったのか自分でもわからない。しいて言えば、強張った表情でいたことか。
コイツの親戚の娘ならこの程度のパーティには慣れているはずだ。なぜあんなに顔色が悪いのだろう。
その色合いからふと過去を思い出して尋ねた。
「以前ゾンビジムに来たあの子はここの子か?」
「ジム? ああ、あったねー、なつい。そうだ、ここの子......ってかもう一人前の使用人だ」
「今は?」
「心を入れ替えてよく働いてるよ。親が親だからでかくなってなー......ん?」
巨大なパノラマガラスの外の庭の人影が妙な動きをしている。ちゃんとスーツを着ているがかがみ込んで何かいじっている。
「おじさん......?」
急にそこから破裂音が響き炎が吹き上がった。みな騒然として窓辺に駆け寄った。一般的な地獄市民とは反対の動きだ。確かに強化ガラスはある程度の粘性もあるので割れにくい。
爆発は建物を破壊するほどではなかった。だが、人体を損傷させる程度には激しかった。
「きゃあーーーーっ!」
女性の叫び声が響く。とっさに向けた目を瞬時に外して先程の彼女を捜す。その子はうちの絵を外して走り去ろうとする所だった。
声を出そうとして呑み込み、慌ててその子を追う。ヤマモト=タナカ家の所有物を盗むなんて、オフィシャルな自殺だ。
女の子だからすぐ追いつくかと思ったら、邸に慣れてなくてなかなかたどり着けない。見失ってしまった。
かってに部屋を開けまくるのもはばかられて、舌打ちして元の部屋に戻った。友人に案内させるつもりだ。
会場は騒然としたままだ。外はそのままを見せられないほどひどいらしく、窓のガラスはリアルの庭の代わりに大海原の映像に切り替わっている。この後セラピーが大繁盛しそうだ。
「こんな日に自殺するなんて信じられないよ」
友人が小声で囁く。それよりも小さい声で状況を説明した。彼は絵のあった所を振り返り、げっ、と更に顔を青くした。
この都市は意外と盗難には弱い。一応、使用人の心を刺激しないことがマナーとなっているが、邸内では誰もが気を抜く。街全体が強固に守られている代わりに、一般家庭の警備システムはわりと緩い。ここはかなりの名家だからそれなりに備えてあったのだろうが、何十年もの間一度もトラブルがなければそりゃ手抜かりも出る。
「さっきの子の部屋に案内してほしい」
「わかった。こっちだ」
その子の部屋は空っぽだった。こんなことがあったからさすがに玄関や裏口は出入りできないだろうと言ったら、非常時に使える出口があると引っ張っていかれた。
緊急避難室に、使用人は知らされていない出口があるそうだ。彼の生体認証でドアを開けると、部屋の奥にいた若い男女がびくり、とこちらを見た。
「マーガレット! おじさんが死んだというのに何をしているんだ」
少女が目を見開いた。
「なんのこと?」
「さっき、自分で起こした爆発でおじさんは亡くなった」
彼女がガタガタ震え出す。横の背の高い男がニヤリと笑った。
「この子は危なくない程度の爆発が起こるって聞いてただけだよ」
「......ってことはおまえが自殺をそそのかしたのか」
「自殺じゃねえよ」
男は充分に大人に見えるがまだ十八ぐらいなのだろう。天国市民と違って他都市民は早く年を取る。
「身内をゾンビにされた気分はどうだ? なかなかイカしてるだろ」
「おまえっ」
激昂する友人をよそに俺は浮かんだ疑問を男にぶつけた。
「今朝はあんたはパーティの支度に忙しかっただろうから殺したのは昨夜か。人目がある時間帯には無理だったろう。深夜だとしたらベッドの生体反応はどうごまかした?」
「あいつが自分でダミー仕掛けてたさ。女の元へ行くために。いい女が待ってますって言やあカンタンに乗ってくれたぜ」
少女が口元を抑えたままずるずるとしゃがみ込んだ。まずい。急いでセラピーに送り込まなきゃならない。
「すぐに自首しろ。どうせ逃げられない」
「いや、これがあるからな」
彼は絵の包みをちらりと見せた。
「こいつはここんちがあのヤマモト=タナカ家から借りたもんだ。人の命より価値があるぜ。破くと言ったら逃がしてくれるさ」
「それはどうかな」
友人がニヤリと笑った。俺は青ざめた。
「こいつはヤマモト=タナカ家の人間だ。許可を出してくれればアートを破棄してもおまえを捕まえられる」
男の眇めた目が俺を見下ろす。危険人物になんでそんなことを言うんだ。しょせん彼は天国都市のおぼっちゃんで危険を映画かゲームのようにしか理解していない。慌てて口をはさんだ。
「いや、絵は大事だから逃げてくれ。俺は追わない。足手まといだろうから嬢ちゃんは置いていってくれ」
「何言ってんだよ! こいつ人殺しだぞ!」
「逃げてくださいお願いします。十七区まで逃げれば東区のボスがそれ、買ってくれると思う」
「気が変わった。コイツ殺ってから逃げるわ」
丸太のような腕が伸ばされる。友人は急にすくみあがって動けなくなった。
「よせ!」
叫んだが並の長さじゃない腕はもう彼の首にかかっている。俺は脇に仕込んだホルスターから銃を抜いて彼に向けた。
「撃つぞ!!」
「サバゲー用か? SPはともかく天国市民が銃なんか持つか」
「本物だ! 離さないと撃つ」
「へっ」
男は頸椎に力を加えようとした。俺は彼の腕に突きあてて撃った。
幼少時から天国都市で暮らしているこいつが痛みに強いとは思わなかった。彼は絶叫しながら転がり回り、ようやく立ち上がると俺に飛びかかろうとした。
その足を撃った。
「ひ、ひ、ひ......」
「すぐに人を呼べ。君、大丈......」
少女は火がついたように泣き出し俺の手を払った。
もう片手でグロックをかまえたままだ。だけど警備の人が来るまでこれはしまえない。
ようやく現れるまで、時が止まったような気分だった。
その後友人は俺にそのことを問いただすことはなかった。特に冷たくなることもなかった。ただ、連弾の誘いをかけることもなくなった。
連絡を受けて兄はいったん自宅に帰って来た。父は無理だったようだ。故人の葬式には出るそうだ。
兄はスーツも脱がずに俺の私室のリビングを訪れた。シャンパンを勧めたが断られた。
「絵は無事だ」
「確認した。そんな危険なパーティに行かせて悪かった」
「誰もこんなこと思いもしないよ。あの男はどうなる?」
天国市民を殺した地獄市民がどう扱われるか知らない。でも、俺を殺そうとした普通市民が手足を灼き切られたことは知っている。
彼は口元を優雅に歪めた。
「記憶を消して地獄都市に戻すだけだよ。そもそも殺したことにはなっていない。自殺幇助ということにした。ゾンビ化されたことも伏せた。天国市民がそんな馬鹿げたものになるはずもない。それでも他に報告せず貴重な命を失わせた罪は償わなければならない」
子どもの頃から天国都市で暮らしていた男が生き残れるわけがない。それはある意味死刑より残酷かもしれない。だけど俺はかばおうとは思わなかった。
「まったく、この忙しい時に。いや、一瞬でも帰れてよかったか」
「なにかあった?」
「ああ。アイツの代わりに派遣された地獄管理官が殺された。やっかいなことに第四区の天国都市民だ。それも副官として同行していた第十四区の天国市民も殺された。更にうちの捜査官もだ。人命は何よりも大事だということで地獄管理官自体を廃止しようとしたのだが、他の天国都市が憤ってみせて話が通らない。うちがもう一度それを引き受けるべきだと主張しているんだ。どうせあちらも不要な人材を送り込んだだろうに」
「平等に死ねと?」
「そうは言ってないけどそれに近いね。長期に生き延びて地獄を把握できるのならそれでもいいらしいが」
彼は俺の目をまっすぐに見た。
「行こうなんて考えるなよ」
行くとしたらもっと情報を集めてからがいい。首を横に振った。
「いや。シャンパンがまずいんだ」
兄はほっとしたようだった。
「どうしてもというときはもう一度あいつを派遣する」
「ジロウが二人いるのはまずくない?」
「整形でもして経歴を変えるさ」
気軽に言って片目をつぶった。それに微笑み返すことはできなかった。
本物とされるドン・ペリニョンを口に含む。なぜだか味がしなかった。