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4. 心の壁は必要か

「彼女は地獄から来たの」


 母にアンジーのことを尋ねたのはジュニアハイに上がったばかりの頃か。生まれた時から存在しているので幼いときは何も疑問に思わなかったし、ある程度大きくなってからは身近な者の過去を聞くことにためらいがあった。

 天国市民に仕える人たちは特例措置の地獄民が多かったから、経歴を聞くことはあまり上品なことではないと思われていたし。

 それでも気になっていろんな時に尋ねた。


「地獄のどこから?」

「元々はわからないけど十七区から。身につけていたアクセサリは二つだけ。双十字クルスとデザートイーグル。交渉に当たったのは当時の地獄教皇。関わった人は全て死んでいて、南区の教会の地下安置所に放置されていたって話なの。あちらのことだから文献の一つも残ってはいないし、その教会も徹底的に調べさせたそうだけど謎のままだったみたい」


 地獄市民の平均寿命は短い。モラルも緩いから買収にはあっさりとのるが、話すことが真実だとは限らない。監視カメラはどんなにていねいに擬態させようがぶちこわされるし、気まぐれに壁を撃って盗聴器にヒットさせる動物的な勘の持ち主も多数いる。


「虫カメラさえ全て駆除されたって話を聞いた時はうちの都市府も怒るを通り越して感心したって聞いたわ。カメラって知ってたわけじゃなくて、なんかこの虫気にくわないって理由で全滅させたんですって」


 捜査員を潜り込ませてもほとんどが使命を全うできないってことは後に知った。短命に終わる場合が多いらしい。よそからできる物理系の計測ぐらいしか確かなものはない。

 普通都市はかなり把握されている。主要なロードはカメラがあるし捜査員もかなりの数がいる。もっとも普段はその膨大なデータはただ記憶されているだけで検索されない限り意味はない。家出した時俺は他の二つの天国都市に向かったようにフェイクを仕掛けたし、本物シロウにまぎれてしばらくは気づかれないだろうと推測した。


「クルスはともかくよく銃なんて持たせたままにしたね」

「取り上げるのがかわいそうで私が主張したの。過去の記憶もなくそれだけが持ち物だったし。あの頃私、すぐ死ぬ予定だったからお父さまは拒否できなかったのよね。結果的にあなたの命を救うことになってよかったわ」


 幼かった俺はアンジーといた時に暴漢、たぶん父の政治的な対立者の手の者に襲われたことがある。それは彼女の手によって全て排除された。俺と兄が小火器を学ばされるきっかけになった事件だ。


「その銃の弾はどうしたの? .50AE弾なんて地獄にしかないんじゃ?」

「地獄でもめったにないと思うわ。もちろんガンスミスに作らせたの」


 母はお人形にドレスや靴をそろえるみたいにその弾を用意していた。金があるってすばらしい。


「......いつか地獄に帰ってしまう気がして、それは絶対にイヤだけどもしそうなってもなるべくあの子が危険な目にあわないようにと思って」


 定期的に弾を与え、必要ないと言われても射撃訓練を続けさせた。


「これだけ医療技術が発達しているのに私はすぐに死ぬ予定だった。みんなが同情して泣いたりしたけどそれがたまらなく辛かったわ。でもアンジーはそんなことないの。冷静に『お望みならあなたの死亡時に自爆いたしますが』って。なんだか笑っちゃったわ」


 二十代のままの姿の彼女は懐かしそうに微笑んだ。


「もちろん私はそれを望まないってはっきり言ったわ。私が死んだらあなたは好きにしていいけれど、自分を損なうことだけはやめてほしいって。まっすぐにこちらを見て『承知いたしましたご主人さま』って言ってくれたから信じてるけど」


 その時かなりショックだった。母が自分の死を覚悟していたこともそうだが、それ以上にアンジーがうちから、いや俺から離れる可能性があることが。


「もし彼女がどこかに行くとしたらきっと地獄だと思うわ。それも十七区。賭けてもいいわよ」


 彼女は断言して片目をつぶった。その時の表情は今も鮮やかに残っている。

 俺はその時の母の言葉を強く信じた。アンジーは彼女のものだった。主従関係でしかないけれど他を寄せ付けない絆があった。

 だけど今になって心が揺らぐ。確かに十七区を訪れたようだ。だけどそこに留まる必要があるだろうか。


————わからないよ、君のことは


 胸の奥が疼き続ける。失った子どもたちを悼むことより、不確かな君を追いかけることを選んでしまうほど強く俺を支配する。


————だけど君は俺を殺したかったのか


 普通都市で死にかけた俺をわざわざ人外区に捨てに行くなんて。どうせなら君の手でとどめを刺してくれればよかったのに。


 好きだ、と何度訴えても受け入れてはくれなかった。彼女は母の(しもべ)で俺のものではない。主人の係累の執着は始末に困る不快な事象にすぎないのだろう。


 憎まれていると知っても、それでも俺の心はぴたりと彼女の方を向いて離れない。快適な環境、快適な暮らし。その全てを捨ててもまた探しに行きたい。


————君はどこからきてどこへ行くのか


 彼女自身も知らなかったとしたら。アンジーはそのことを知りたいだろうか。


『私に感情はありません』


 以前彼女はそう言った。だけど俺はいつだって、彼女の行動にその前提となる強い意志を感じていた。


 幼い俺の目の前で繰り広げられた銃撃戦。俺の命を守るために選択された戦闘。たくさんの襲撃者を排除するための合理的手段として選んだ殺人。


————出て行ったのも彼女の意思だ


 俺の家族といたくないから。俺といたくないから。

 よそう。会ってそうだとはっきり言われるまでは保留する。

 君に会いたい。その瞳の中にあるものが憎しみだとするなら、それは君の感情だ。


 地獄で君を探しながら同時に会うことを恐れていた。他人を見る目で見られたのならその場で凍りついて一生溶けないんじゃないかと思った。

 だけど今はっきりと言える。憎まれていたとしてもそれでも会いたい。


 気がつくとポチを抱きしめていた。彼は空気を読んで一声も出さない。慌てて離して頭を撫でた。



 天国都市はきちんと守られていて、一般人で銃を持つ人は少ない。俺の幼少の頃の事件の後武器に対する禁忌感は強まった。その当事者の俺はおかげで訓練させられたのに皮肉なことだ。

 今は当時より更に都市は守られ、犯罪はかなり少ない。

 ただ、自殺は割に多い。地獄市民からするとわけがわからないだろうけれど、生活の不安がなくても人は死ぬ。


「もちろん表面的に差別する人はいないが内心での区別はあるのが普通だ。メンタルクリニックの方向性を変えてある程度抑えることはできるけれど、そうすると自殺率は上がるし都市の防衛機能は下がる。本末転倒だ」

「都市防衛?」

「そう。心の壁が最大のガードだよ。それを捨てたら、相手を信じると言って水着姿で地獄に立つ女の子みたいなものさ」

「う、うーん」


 実際に地獄を見て来た俺は否定することはできない。だけど認めるのもなんだかイヤだ。

 その感慨を述べると兄は「ジロウはそれでいいよ」と笑って言った。


「だけど僕としてはさっさと九区に忠誠を誓って手伝ってほしいな」

「ちょっと自信ない」

「そのための教育は受けるから大丈夫だ」

「洗脳されるんだ」

「完全否定はできないな」


 穏やかな微笑を浮かべたまま彼は続けた。


「意見のすり合わせはあるよ確かに。だけど公僕として働くからにはあたりまえじゃないか」

「うげえ」


 なさけない顔をした俺に兄は「さっさとモラトリアム期を抜けろよ」と軽く言って朝食室を出た。

 まっぴらゴメンだ。全力でそこに留まっていたい。


 ただ、しっかりと足場を固めて行く彼を見ていると不安は感じる。


————ケイトのこと、くどいたんだろうか


 そして彼女の反応は。ちくり。そんな資格はないのに胸の奥に針が刺さった。



 区境いの護りは固いのに、中では武器を嫌悪する傾向は他の天国都市にも広がっている。もともと仲の悪い三都市だが互いをライバル視しているためか、この手の思想はすぐに取り入れられる。 


 この三都市の競争は軍事的な脅威にはなり得ない。互いに相手を下げるため水面下の嫌がらせは続けているが、それぞれ人道的にも文化的にも優れていることをアピールしなきゃならないし、制空権を掌握することができないからだ。


 ぶっちゃけ過去の情報はほとんど失われている。つい先日ヤマモト=タナカ家の人間として兄から教えてもらった話だが、人類はいったんは宇宙に旅立ったらしい。地球は過去の共通遺産として少数の研究者を残して保存された。


 しかし人の本性ってのはどこ行ったって大して変わりないのか、なんか戦争になり、その一端で地球は滅ぼされた。


 もっとも小惑星をぶつけたりとか、完全に壊さなかったのは母星に対する愛なのかなんなのか。方法として水量を極端に増やして、陸地の全てを海に沈めるという手段がとられたそうだ。反対したエコ団体とか、地球に暮らしていた研究者とかが身をもって守ろうとして多数溺死したらしい。今ほど人権的な時代じゃなかったんだと思う。


 かくして大陸は全て失われた。が、時が経つと事情も変わってくるらしい。人類発生の地をただの観光資源とみなす男が出てきた。うちのご先祖だ。


 資産家だった彼はその頃辺境の外れ星だった地球に目をつけた。しかし大陸は全て水の中だ。彼は当時の技術を駆使して、過去の大陸の一つの上に大陸を作った。


 天国都市にも自然保護区はあって、そこにわずかながらに存在する認可された宿は大人気だ。「灯りがランプだった」「ボクの行った所はローソクだった」「大殿油だったわ」と照明さえ話題になり、「ドアが手を使わなきゃ開かない」「モバイルが固定サイズで変化しない」......小学生(プライマリースクール)のときは特に盛り上がった。


 中でも一番尊敬されたのは、特別イベント『不自由を楽しむ展』に参加したやつで「ボットントイレを使った」との報告に学校中が沸いた。その後みんなは敬意を込めて『ボットン』と彼にあだ名をつけた。


 まあ言うなりゃ祖先もその線を狙って、レトロな過去の地球文化をぎゅぎゅっと縮小した場所を作りたかったわけだ。

 そのために宇宙に持ち出された地球の品を闇雲に集めて持ちこんだ一方、当時の近代文化は医療技術を除いてなるべく入れないようにした。一応状況が変わっても安心できるように、地球周りの迎撃システムは充実させた。その頃の最新の軍事衛星は自己修復機能と学習機能を備えていた。


 そのシステムは海にも応用された。深海には過去の遺物がたくさん残されているはずなので、それを他者に奪われないために一定以上の海域を離れると襲撃するように仕掛けた。


 祖先のもくろみは成功した。金があって酔狂な人々によって地球は人気の観光地となった。人類のルーツを尋ね、古い地球文化を楽しむ。それは正確な再現とは言いがたいものだったが、それでも過去を模倣したものだった。


 そのうち状況は慌ただしく変わった。宇宙にはまた戦乱が訪れ、辺境を尋ねる人もいなくなった。通信は途絶え、この惑星は誰からも忘れられたかのようだった。初代の祖先はこの地から離れないまま亡くなった。迎撃システムは強固に働き、一定以上の上空を飛ぶものを撃墜するようになった。



「ああ大体は聞いている。興味深い歴史だな」

「そんな危険なシステムは止めるわけにはいかないの?」

「直系の子孫である君たちでさえ知らないのに他が知るわけがない」


 ケイトのことを気にしていたら向こうからランチに誘ってくれた。


「外宇宙が現在どうなっているのかわからないのなら稼働させておくべきだね」

「海のだけでも止められればいいけど」

「おかげで自然が守られる。それが簡単にできる世代に託せばいい」


 席に着いたときから少し顔色が悪く感じた。俺はまっすぐ彼女を見て体調が悪くないか尋ねた。


「いや別に。メディカルシステムのデータはいつもどうりだ」

「忙しすぎるんじゃない?」

「これからはそうなると思う。でも今は大丈夫」


 兄のことは聞けずに別れた。彼女はまた別れ際にそっと手を差し出した。今度は先にそれをつかんで握った。彼女はわずかにうつむいたがすぐに顔を上げて「さよなら」と言った。



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