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3. 夜の眠りが浅すぎる

 彼女の微笑みで胸が痛む。同時に甘苦い感情が生まれそうになる。薔薇の香りのせいだ。たぶん。今更すがりついていい相手じゃない。だけど見ない間に身についた大人の魅力で息が苦しい。

 固まったように彼女と目を合わせていると邸の方から人影が近づいて来た。他とは違う優雅なシルエット。兄だ。


「主役が場を離れすぎだ」


 にこっと親しみやすい笑顔を向けると、そのまま視線を彼女に変えた。


「やあケイト。先月ぶりだね」

「この間の事案はお世話になりました。助言は大いに役立ちました」


 堅苦しく頭を下げようとする彼女を兄が止めた。


「仕事のことはよそう。今日は弟のためにありがとう」

「どういたしまして。私がジロウに会いたかったので」


 胸に何か温かいものが滴る。嫌われていないってだけで泣きたくなる。


「それは嬉しい。ゆっくりしていってくれ」

「いえ、すぐに戻らなければならないので。でも、会えてよかったよジロウ」


 こちらに向き直って夜空の色の瞳で見つめた。


「元気でいてくれ」

「............」


 礼を返せずにただ目を潤ませた俺に彼女はすっと腕を伸ばした。握手だと気づく前に俺の手を取り、そっと握るとすぐに離した。


「それじゃ。ミスターもまた」


 しっかりとした背を向けてそのまま歩き去った。振り向いたりはしなかった。


「いい子だね。肩甲骨も美しい」


 兄がその背を見送る。「ああ」と答えて遠くなった彼女を見つめると、彼がやわらかな声で尋ねた。


「真面目で有能で理想的だ。家柄もいい。うちの家にほしい」

「DNA的に?」


 尋ねるとちょっと苦笑した。


「それ的にも。僕は彼女に好意を持っているが、おまえがあの子といっしょになりたいというなら譲れる。今ならね」


 殴られたような衝撃が体を震わせる。俺がつきあった子の8.5割近くが兄に気を移したが、彼は弟の彼女を奪うような人じゃなかった。むしろ俺関係だと知ると誤解を招かないように気をつけてくれた。


「追いかけろよ。間に合いそうだ」


 噴水の近くを歩いていてまだ邸には入っていない。ケイト、と大声で呼びかけて走っていけば腕の中へ包み込める。

 一瞬考えてしまった。だがそれは未練だ。もしくはあの楽しかった時間への郷愁(ノスタルジー)だ。


「いや。一生俺の特別な女性ではあるけどね」

「そうか。今週は待つけどその先はないよ」


 平気そうにうなずいた。そうするしかなかった。この第九区でも兄ほど条件のいい相手はいない。どんなに胸がうずいても、彼女が幸せになる好機(チャンス)を摘むことはできない。


「............わかってる」

「じゃ、戻ろう。ジロウの言ってたタコヤキというものを調理器(クッカー)に再現させた。食べるだろう」

「ああ」


 期待して戻ったが、銀のコンポートに上品にのっかったピンチョス風のそれは記憶していたほどおいしくはなかった。



 パーティを契機にごく普通の若き天国市民の生活に戻る。社交にいそしみ、市民全員に開放されている大学で自由に好きな講座をセレクトして学び、アートを鑑賞し音楽を楽しむ。五感全てを楽しませる5S映画を部屋で見たりスポーツをしたりする。

 離れていた一年なんて小さな単位だ。俺はあっさりもとの生活に戻った。ただ、欠かさなかった銃の訓練は休んだままだ。


「どう?」

「んー、フツー」

「いやちょっとだけ違くね?」


 練習を重ねた後ピアノの音を聴いてもらったが大して変わりはないようだった。少し重い気がするという意見もあった。連弾は全て断った。

 友人の誘いにはなるべく応じたがなんだかいつも違和感がつきまとった。だがそれを感じさせないように気をつかうだけの常識はあった。他のみんなと同じように穏やかな笑みを浮かべてマナーを守り、礼を欠かさないように努力した。



 眠りは浅く毎夜ベッドは誘眠剤を噴き出していた。アンジーの夢も毎日見て、しかも時たまケイトも現れるという節操のなさだ。日によっては森の子どもたちが、そして顔がおぼろでわからないだけど確かに俺が殺した相手が枕元に立っていた。

 セラピーには通ったが本当のことを話すことはなかった。PTSDに強い系らしかったがまさか天国市民相手のそれが殺人の後遺症について得意としているわけもないし。それに俺は後悔はしていない。子どもたちはともかく他の死人はうざいだけだ。


————あっちじゃ見なかったのにな


 霊も観光に来ているのかもしれなかった。おれはうらめしそうなそいつらに肩をすくめ、無視して薬の力を借りて眠った。


ーーーーアンジー


 緑色の瞳がこちらを見つめる。握りしめた手は温かい。


「......私は人ではありません」


 記憶の中の彼女が言う。その時の俺はどう反論したっけ? そうだ、でも君の手は温かいって言ったんだ。


「そう調整しているからです。エコモードにすれば体温はありません」


 実際に温度を消してみせた。気温程度になった手はそれでもやわらかくて心地よかった。僕はそう言い、握ったまま離さなかった。彼女は主人である母が呼ぶまでそのままにしていてくれた。


 天国都市にも人間に酷似したアンドロイドはいなかった。昔の戦争でなかなかエグい使われ方をしたらしいことが一つと、そもそもその技術が失われてしまったことが原因だ。素材自体も足りないのかもしれない。なにせ今地球に大陸は一つしかない。その上遠洋ではかつての戦争の残骸なのか、大陸近辺を離れるとオートモードで攻撃される。宇宙も同じだ。


 知っている限り彼女は唯一の人型だった。そのことを知った時に慎重に口止めされた。守らなければアンジーはいなくなってしまうと聞いて絶対にしゃべらないと決意した。彼女は母付きのメイドとしてうちにいてその事情は伏せられていた。


 ローティーンになった頃、そもそもなぜ彼女がうちにいるのか尋ねた。母は「本邸の地下室にいたのよ」と明るく答えた。祖父が首長であった頃のことだ。


「事情があって一時的に運び込まれてたらしいけど。その時私、婚約解消されてもう一生恋愛も結婚もできずに死ぬって思っていた時だったから、綺麗で大きなお人形さんを見て、よし、死ぬ前に一度くらいキスしてみようと思って実行したの」


 結果人型は動き出し、自分の主人を母に決めた。


「お父さまが真っ青になったから聞いてみたら、解体しようとした研究所を山ごと吹っ飛ばした危険物だったのよ。それもスリープモードのまま。秘密裏に運び込まれたその日にかましちゃったのね、すぐよそに移すはずだったのに」


 アンジーは母と離れることを拒否した。それ以外は彼女にとても従順だった。母も彼女を気に入った。祖父がどうにか事を運んで人として扱われることになった。


 その後母は不治の病をいったんは抑えることに成功し、一度破談になったヤマモト家の分家であるタナカ家の父と婚姻した。もちろんアンジーも連れて行った。兄が生まれ俺が生まれても彼女は忠実に仕え続けた。


 兄が生まれて一年後、彼のクローンが作られることになったのは母の病に起因する。もともとそれは祖母のもので、その一族に何代かに一人ほど発症することある珍しい病気だった。この大陸のルーツとも言える先祖を持つ最上の名家の祖父は、周囲の反対にも負けず彼女を娶った。だが運悪く一人娘にまでその兆候が出た。

 父は絶大な力を誇る祖父に禁制のクローンを作製することを要求した。病気の可能性も考えて次の子の分も作りたいと告げた。祖父はそれを拒否できなかった。

 兄のクローンはサブロウ、その後の俺のクローンはシロウと名づけられ普通都市に預けられた。


 拘束室にいる彼を一度覗きにいった。パネルに映し出された彼はすでに本物と変わりなく見える腕と足をつけていた。部屋は快適に整えられ何一つ不自由はさせていなかった。だが彼は虚ろな視線を宙にさまよわせていた。

 その後邸から移動させられた。どこに連れて行ったか俺は知らない。



 失踪前と変わらない生活が少しずつ俺を蝕んでいく。俺はその日常を続け、薬で眠り、アンジーを思った。

 ある日ふと耐えられなくなり、射撃場に向かった。尋ねると俺のグロック18Cは保管されていた。ていねいに分解清掃してまる一日銃を撃った。


 その日初めて誘眠剤なしで眠った。




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