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1. ヴェニーズワルツが踊れない

 水の中で揺れているような、そんな感覚だった。だけど覚えがある。やわらかく温かい。ひどく懐かしい。

 目を閉じたまま意識と無意識の挟間を漂っていたが、まぶたにあたる光で目覚めた。


 華やかな房飾りのついたタッセルでとめられた、金糸をふんだんに織り込んでいる緑のカーテンが、豪奢なドレープを見せて開かれている。上掛けも同じ生地だ。でもその下の白いカーテンは繊細な模様を浮き上がらせているが、光だけ通して外は見えない。


 覚えがあるはずだ。一年前まで使っていた寝室だ。やわらかく温かいのは可変性素材のベッドだ。

 上部を動かして体を起こし視線を巡らすと、ベッド下のラグに横になっていた黒いチャウチャウが立ち上がり、前肢をそこにかけて心配そうに俺を見た。


「ただいま、ポチ」


 ワンと応える彼の頭を撫でる。最初に姿を変えてからはポチはずっとこの姿だ。

 昔もらった時は小さな子犬で幼い俺のよい遊び相手だった。子犬のままのポチといっしょに一年を過ごし、それから父親に「大きくならないの?」と尋ねた。


 次の日子犬は巨大なチャウチャウに変わり、絶句した俺の代わりに母さんが「なんてことをするんです!」と彼に抗議した。


人工知能(A.I.)は変えていない」

「あたりまえです! あなたは子どもの情操教育をなんだと思っているのですか。ボディは徐々に変えていくものなんです!」


 彼女の珍しい剣幕に父はやはり珍しく素直に「すまん」と謝り、俺に「もう少し小さくしてやろう」と言ってくれたが首を横に振った。

 それ以来ポチは変わらない。シーズンごとに犬種やサイズを変える人もいるが、うちのポチはずっとチャウチャウのままだ。


「カーテンを開けてくれ」


 命じると彼は特有の波長の声で鳴き、白のカーテンが全て開いた。

 窓の向こうは真昼の光が満ちあふれ、ヤマモト=タナカ邸の壮麗な庭園が変わりなく広がる。

 大海原や大自然にすることも映画のワンシーンにすることもできるけれど、寝室もここも同じでよかった。なんとなくほっとする。隣の自分用リビングはともかく庭や寝室は変えたくない。


「もういい。閉めて」


 自分の声での開閉もできるけど、ポチにやってもらう方が好きだ。素直に従ったポチの頭をもう一度撫で、それからその手を目の前に持って来た。


 なんの違和感もない。せいぜい人外区や地獄に入ってからついた傷が完全に消えているぐらいだ。あの時、同じ顔の男に焼き落とされた痕は全く残っていない。



 軽いノックの音がした。「どうぞ」と答えると兄さんが入ってきた。ベッドは生体反応や各種データを家のメディカルセンターに送るから、そろそろだとは思っていた。


「気分は?」

「悪くはないよ」

「手の調子は? 動かしてみて」


 指を細かく動かしてみる。精密射撃さえ問題なくできそうだ。


「大丈夫」

「............無茶する」


 兄さんはちょっと泣きそうな顔をして俺の手を握りすぐに離した。


「培養も接続も完璧だったとは思うけど二度とさせたくない。でも、生きててよかった」


 四つ年上の兄さんは何事も優れていて泣いたり焦ったりするさまを見せたことがなかった。母親の葬儀さえ進行や接待に専念していて泣かなかった。今も泣いてるわけじゃないけど、こんな顔するなんて予想外だ。


「探しに来てくれてありがとう」

「いや、こっちこそごめん。あの男の言うことを鵜呑みにしていた」


 天国市民は普通都市でさえ不潔でせせこましいと訪れることを嫌う。ましてや地獄など近寄るわけもない。


「それと双十字教の不手際だよ。あっちからは連絡があったのに、地獄教皇なんて下に見てるからメッセージを事務官が放置していた」 


 派遣された天国市民に酷似した人物がうちにいると報告があったらしい。


「あいつは......シロウ・ヤマモト・バークレイはどういう扱い?」


 つい先日まで自分のモノにしていた名前を出すと、彼は珍しく憎悪をあらわにした。


「記憶喪失のおまえってことにしていた。だけどあまりに違いすぎるので、なるべく人に会わせないように天国市民初の地獄管理官として派遣した」


 イチロウ兄さんは少し口元を歪めたまま続ける。


「最初は仕方がない。死にかけていたし天国都市にしかほぼ流通してない絹の服を着ていたから、こっちの捜査員も勘違いした。だけど意識を取り戻すや否や、ずうずうしくおまえの名を名乗った。あたりまえだけどすぐバレたよ。そしたら今度は涙ながらに、気がついたらおまえが殺されていたが天国市民が殺されることを阻止できなかったことを知られたくはなかったと......」


 自分のクローンがいることを知ったのは一昨年、まだ母が生きている頃だ。もちろん法律違反だ。倫理的にもアウトだ。でもその時はただへえ、と思っただけだった。

 その後母が死んでいろいろ煮詰まった俺は、密かにグロックとマントを用意して普通都市に住むそいつに会いにいった。

 彼は驚いたがなにせほぼ自分だ。意気投合し、酒を飲み互いに酔った。そう思っていたがシロウはちっとも酔っていなかった。


 服を取り替えよう、って言葉も面白いと思ってやってみた。銃もマントもテーブルに置いたまま着替えて、どっちがどっちだかわからないねと笑いかけた。そこを撃たれた。


 普通都市民もハンドガンの携帯は許されている。彼の所有は32口径のワルサーPPKだった。

 7、65㎜の銃弾を何発もかっくらった。だが彼は一般市民で、特に訓練されてはいなかった。俺は倒れるふりで自分の銃をつかみ、相手の腹を撃ち抜いた。


 幼少時俺は暴漢に襲われたことがあった。その時はいっしょにいた彼女のおかげ助かったが、その際の状況を検証した父親は指向性武器の終焉を予測し、俺と兄さんそれぞれに時代遅れの火器の訓練を受けさせた。

 だけど俺は実際に人を撃つことはほとんどなかったので、急所を正確には撃ち抜けなかった。

 それでもしばらくすればヤツが死ぬことはわかっていた。


————まあ俺もなんだけど


 あたり所は悪くはなかったが数が多い。シロウに連れ込まれた場所はシーズンオフの自然地区の貸別荘で人気がない。天国都市のモバイルは全て捨ててきていた。誰にも気づかれずに自分のクローンと死ぬんだと思った。

 そのとき別荘のドアがカチャリと開いた。ちょうどそこで意識がブラックアウトした。


「うさんくさいとは思ったが、たまたま通りすがったマタギに彼女がその近辺で目撃されている。人ぐらいある包みを抱えて人外区に向かったと......」


 普通都市十一区は十六人外区の東隣だ。ここの都市法ではもちろん死体を人外区で処理することは禁止されているが、絶対にないとは言いがたい。


「......アンジー?」

「赤毛で緑の瞳の背の高い美女。そのタイプが他に都合良く現れるとは思えない。アンジーはわが家に恨みを抱いていておまえを撃ち、更に人外区で確実に殺そうとしたと判断した」 


 胸が痛い。光線銃(レイガン)で腕を焼き落とされた時よりも痛い。彼女が無感情ではなく俺の家に、俺に恨みを抱いていたと考えると全身焼かれる方がマシに思えてしまう。


「撃ったのはシロウだ。彼女じゃない」

「その時点では確証はなかったが、マタギは信用できる男だと思えた。それと、顔を隠したおまえが友好的にあの男と語り合っている姿はロードの監視映像で残ってたし。それに僕は......おまえに死んでほしくなかった。共に育ったおまえがいないのなら、DNAの同じあいつがその代わりになると思った。大間違いだったけど」


 兄さんはくしゃっと俺の髪をかき回した。


「結局は氏より育ちだ。DNAが同じだって普通都市なんかで育った人間は信用に価しないし人柄が悪すぎる。あんな下品な男を家に入れたことを後悔したよ」


 半年ほど基礎を叩き込み礼儀作法を仕込みセラピストに心理を整えさせたが、普通都市民は生まれついての天国市民にはなれなかった。


「ピアノさえ弾けないんだよ。あちらの学校で何教えてるんだろう。しょうがないから一曲だけ練習させてそれだけはどうにかなったけど。チェロもフルートもバイオリンもダメ。ヴェニーズワルツも踊れないし当然フォックストロットなんて無理。普通市民上がりならみんなも納得するだろうけどおまえの代わりはできなかった。記憶喪失ってことにして差し障りのない相手にだけ会わせてみたけど、みんな首を傾げていたよ」


 兄さんは手を離すと自分の髪を優雅にかきあげた。カラーリングしたあの男ととは違う艶やかな黒髪。


「おまえが生きていて本当に嬉しいよ、ジロウ」


 そう言われてもなんだかわだかまりがどこかに残る。それを見ないフリして別のことを語った。


「南区のNo.3はたぶん......」

「捜査官に聞いた。普通都市一区にいるはずのサブロウだろうね」


 兄のクローンだ。顔はそっくりだけど性格は似ても似つかない。俺の生まれる前から三番目の位置を与えられた男。


「一般家庭に入れたシロウと違ってあの都市の区長の息子にしたらしいのに。義務というものを知らないよあちらの人は」


 兄さんは肩をすくめ、もう一度俺に笑いかけた。


「記憶が戻ったことは一部に通知したから明日には見舞客が来る。来週にはお祝いのパーティを開こう。父さんもあいさつ程度はするさ」


 とっさに顔を背けると、少し寂しそうな顔で俺をなだめた。


「そんな顔は見せないけど母さんが死んで心底めいっていたんだ。許せないだろうけれど逃げるのはやめてくれ。おまえがいなくなって一番傷ついたのは彼なんだよ」


 そんなことがあるわけがない。俺はいくつも言葉を呑み込みうつむいた。兄は「夕食は七時半だ。僕は今から仕事に戻るけどなんとか帰るよ」と言って俺の額をピン、と弾いた。


「それまで好きに過ごしとけ。昼酒をたしなんでも今日は止めない」

「酒庫空にするかも」

「参加したいから帰るまで待っとけよ」


 けして量を過ごさない兄は珍しく軽口を叩いた。ちょっとほっとした気分で、ついでに思い出したことを聞いた。


「そういやシロウはどうしてる?」


 兄はまた口元を歪めた。


「人豚......いやそれはあんまりだね。人犬がいるよ、拘束室に。もちろん今は”人道的に”痛みは感じさせていないし、おまえの意識が戻ったから義手も義足も用意する。上等のやつをね」


 彼は穏やかに微笑むと片手をあげて部屋から出て行った。



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