30. 魔法使いはあきらめない
激しい暴力描写があるので耐性がない方は退避してください。
次回分でとばしてもなんとなくわかる程度に説明は入れます。
ボブ・サンの表情はわからない。濃い色のサングラスのせいで目の色だって見えもしない。なぜ息子の、まあ友人の不利益を図るのか尋ねる気もない。
————そりゃ組織の利益のためだろう
だががっかりした。俺は無意識に、伝説的な存在である会ったこともないこの男に多少の憧憬を持っていたらしい。生身で対抗勢力をぶっつぶすほどの漢。家族愛に厚く、立場を狙う幹部でさえ平気で側に置く懐の広い男に。
俺の内心の動揺にかまわず彼は運転手を呼びこっちの頭に銃を突きつけさせた。もちろん素直な俺は両手をあげて恭順を示した。
拘束されていた男は先程横たえられていた壁際のソファーに座り、優雅に足なんか組んでいる。ニヤニヤと俺を見ていたが視線をボブ・サンに移して顎をしゃくった。
大男はうながされるままに彼の足下にうずくまった。
「............なめろ」
そいつにはちゃんと学習機構は備わっているようで、マウントの取り方は把握していた。だが相手は伝説のボスボブ・サンだ。しかも部下である運転手の目の前だ。どうするのか。
ボブ・サンはためらいもなく突き出された足先をなめた。なんの感情も出さなかった。逆に男の方が微妙な表情を見せた。
————上位者の方でもあれはやだな
なにせ拘束衣の下はTシャツパンツだ。当然足は素足だ。いくら立場を示す必要があるからってオヤジに足なめられるのはないわー。俺は何があろうとマウンティングにあの形式は採用しないことにする。ボブ・サンだってやだろうしなめられてる方だって、あ、しまったと思っただろうけど自分で言い出したことだから中断はできなかったんだろう。双方共にとほほな気分で言わばwin-winの反対。両方が負けたようなもんだ。
こちらも表情は出さないように心がけていたが、やはりにじみ出るモノがあったらしい。急にこっちをにらみつけると足をずらして大男から離し、俺に向かって「脱げ!」と叫んだ。
運転手が見てはならぬモノを見たように銃は動かさないまま顔をそらした。俺も、え、コイツ同性愛者かナルシストなの? とぎょっとした。
彼は顔を真っ赤にして激昂し「服をよこせ!」と叫んだ。なんだ、そっちかサイズはたぶん同じだしなとちょっとほっとしたができれば脱ぎたくない。とりあえず上着だけ脱いで渡し「ヒトの下半身が密着したモノはやめた方がいいと思う」と私見を述べてみた。
相手は一瞬躊躇したがすぐに「脱げ! それと殴れ!」と強要し、運転手は銃で殴ってきた。かなり手加減してくれたようだがそれでも充分に痛い。
「銃も取り上げろ!」
脇につけたホルスターごと無理に引っ張ろうとしたから「出します」と提案してみたのに聞きもせずにむしり取ろうとし、強化された合皮だから外せずに結局中身だけ取られた。運転手はそれを男に渡した。
「へえ。グロックの18Cか。生意気に」
彼はちょっともてあそび自分の横に置いた。そしてボブ・サンに目を向けて「俺の武器は?」と尋ねた。
「これだけだ。ステアーは双十字教の金庫の中だ」
と言って自分の上着の中からホルスターと、グロックと差して変わらないサイズの白銀の銃を取り出した。俺は血の気が引くのを感じた。
ちっ、と彼は舌打ちをし、上を脱いでホルスターを脇につけその中に光線銃を入れまた上着を着た。その後俺から奪ったボトムと靴を身につけた。
さっきの視線が効いたのかシャツまで脱げとは言われなかったが、下半身は黒のボクサーパンツだけという間抜けな姿で心の底からなさけない。せめてマントを着てくればよかったが仕事だと思ったのでそれすらない。無意識に裾を引っ張りながら逃げる隙をうかがっている。だがコイツはともかく史上最強のボスと名高いボブ・サンにそんなモノがあるわけがない。
男はふんぞり返って彼に命じた。
「............殺せ」
ボブ・サンはそれには従わなかった。渋いバリトンで「首肯できない」と応えた。
「なんだって?」
「その普通都市民は双十字教に庇護されている。更にいくつか疑問点がある。痛めつけるぐらいはやるが殺害は請け合えない」
男は腹を立てたようだが不気味な迫力を見せつける巨漢に怒鳴りつける勇気は持たなかったようだ。すぐににやり、と口元を歪める。
「俺が殺すのはいいんだろう?」
「かまわないが、見守ることはできない。この場を離れさせてほしい」
「いいぜ。だがその前にコイツの右腕を折れ」
今度は飛び退る間も与えてくれなかった。彼はぐいと俺のシャツをつかんで引き寄せると、一瞬のためらいもなくもう片手で俺の右腕を後ろに跳ね上げるようにして折った。
自分の声とは思えないほどの絶叫が自分の耳に響く。右腕はあり得ない方向に曲がっている。
「いい声だ。最高だぜ」
「それではこれで」
ボブ・サンは一礼すると運転手を連れて出て行った。俺は身をよじりつつ苦しんだ。
「もっと鳴けよ。今以上の声でな」
俺の銃をつかむのが視界の端に見えた。全力で相手に飛びつくが避けられる。足は傷ついていないのに痛みで動きが鈍っている。彼は俺の靴で倒れた俺の腹を蹴り上げた。
「鳴かないなら踊れよ」
衝撃が右肩を襲う。なんの異常もなく俺の銃は彼に使われる。
銃声より骨の砕ける音の方がこたえた。だが貫通はしている。
「あーあ。利き腕がお釈迦だな。可哀想に」
にやにや笑いながら右肩を踏みつける。痛みが荒れ狂った獣のように襲いかかる。
「耐えられなくなったら殺してやるからもう少しつきあえよ。ああ、銃じゃ死ぬのが早すぎてつまんねえな」
彼はグロックを持ったまま俺から離れて別室の方へ向かった。この隙にと必死に立ち上がろうとするが腕が辛すぎてバランスが取れない。それでもなんとか立って走ろうとしたが嫌がらせのようなタイミングで男が戻ってきた。
「必死だねえ」
ひょいと片手で突きとばされる。あまりの痛みで吐き気がしてきた。だが意識は失いたくない。これは単なる電気信号だ。そう自分に言い聞かせる。
男はグロックを左に持ち替えていた。右には包丁を握っている。
「似てると言われるのもイヤなので判別つきやすくしとこうや。右目と左目とどっちがいい?」
何度か接触しているがコイツも利き腕は右だ。意識的に隠している様子はなかった。だから今、銃の精密性は無いに等しい。
振りかざされる包丁をかいくぐって左手の掌底で自分のグロックを弾き飛ばす。反動を生かした包丁が戻ってくるが頬をわずかに裂かれただけで目は無事だ。ばっ、と動いて銃をドア側に蹴り自分もそちらに飛ぶ。
妙に熱く感じられる血が滴るが、銃は取り返した。相手に向けて左手でトリガーを引く。が、弾は出ない。
普段なら握った瞬間重さでわかる。だが今は冷静さを欠いているらしい。弾倉が空なのに気づかなかった。いやがらせだ。
「ははっ、利き腕いかれて銃弾もなくどうするつもり......」
相手が御託を並べてる暇にドアから飛び出た。追ってくる一瞬の間に大きな杉の木の下に止めたヒャッハー号にたどり着く。
「片手で乗れるか?」
シート斜め下に取り付けたマガジンポーチからロングマガジンを取り出して片手で装填する。先生から叩き込まれた技だ。やり終えて振り返ると敵は杉林の中だ。
圧倒的に不利だ。レイガンはこの程度の木などものともしない。だがこっちの銃弾は貫通しない。それでも悩んでる暇はない。フルオートで撃ちまくった。
「おまえ、やる気あんのか?」
悪い癖が出た。殺すつもりでやってるのに一発もあたってない。ロングマガジンに詰めた五十発のほとんどを使ったのにだ。仕方がないから胸を張った。
「おまえと違って崇高な心の持ち主だからめったにあたらないんだ!」
「......そこ、自慢するとこか?」
「ああ。たまにしか人を殺さないですむ」
「俺を殺しかけたくせに」
彼はせせら笑い、白銀に輝く銃を使った。
衝撃が全身に走った。光線を受けた俺の右腕はひじ下から一瞬のうちに切り離され、ゴトリと音を立てて地に転がった。血は出ない。切断面は焼きついている。
アドレナリンの沸騰で体中がシャンパンのように泡立っている。さっきからの状態のせいかかえって痛みを感じない。地に身を投げて転がりつつ下がった。
————まだ左腕がある
仕留められなくてもあいつに傷跡一つだけでも残してやる。残り少ない銃弾を全て使って連射した。
相手は木の密集した位置にいた。あたらない。左撃ちだって人じゃなきゃ得意なのに。
「宿をなくした野良犬が無意味にがんばるな。だが、もう希望はないぜ。転げ回って苦しめ!」
レイガンは左腕を焼き、今度は二の腕からばっさりいかれた。
終わった。絶望とともに激痛が体中を灼いた。それでも意識は手放したくなくて、転げ回って叫んでいるとそいつが近くに寄ってきた。
「なあ、生かしといてやるよ。俺に従って従順に生きればな」
顔の真横に足が置かれる。
「それなめて、生かしてくださいご主人さまって言ってみな」
心臓を吐き出しそうなほど動悸がひどい。全身がなくて痛みだけがあるみたいだ。だけど俺はつばを吐いた。
「......言うかっ!」
「汚したのおまえの靴だぜ。俺は全然かまわない。パンツとシャツで死ぬんだな。地獄でな」
男は高く嗤った。笑い転げた。だから人の気配に気がつかなかった。
「うぎゃああああああああああーーーーーっ」
腕を失った男は俺よりも派手な声で鳴いた。地面に倒れて痙攣した。だが無情な第二波があり、もう片腕もゴロリと落ちた。
木の葉をゆっくりと踏んで、聞き慣れた足音が近づいてくる。
白銀の銃をかまえたひどく綺麗な顔の男は黒髪だった。
彼は自分の撃ったヤツに視線さえ向けずにまっすぐに俺の元へ来て抱き起こした。
いつも冷静な瞳がわずかに潤んでいる。
「......大丈夫か、ジロウ」
見ればわかるだろう全く大丈夫じゃない。
俺は震えながら彼を見つめ、どうにか呟いた。
「......イチロウ兄さん」
そして意識を手放した。