29. ロハスなアジトは不似合いだ
玉はちょこんと正座して隣のベッドに腰掛けた俺の話を聞いた。
「なぜゾンビの血を避けたのじゃ。ゾンビ化するからではないのか」
「アレはナノマシーンで動かしてるだけだ。絶対に洗浄も滅菌もしてないから感染症の危険があったんだ」
ほう、と彼女はうなずいた。
「して、捕らえたニセモノは?」
「組員につけてるものを全部引っぱがされた上で最低限の尊厳を守る程度の衣服、ぶっちゃけTシャツとパンツの上から拘束服を着せられ、厳重に見張られて牢の中」
「尋問は?」
「ボブ・サンが直接するんだろ。あいつの武器だって幹部が二人、互いを監視しながらチェックしてた。そのうち引き渡すんだろうけど」
「天国都市に連絡は?」
「まだだ。明日の尋問の後だと思う。生きたまま人道的に保護してあるから文句は言えないだろう」
誇り高い天国市民がこんな目にあって自死を選ばないように拘束服でくるんだ。そう主張するはずだ。玉は考え深げに目を細めて俺の顔を見た。
「双十字教は?」
「さあ。打ち合わせして組織に同調するんじゃないかな。カーライト卿は帰ったけど」
帰る前に俺の所へ来て「そう言えばNo.3に頼まれてました」と割と大きな包みを渡してくれた。こんなものを忘れるなんてどれだけアレに夢中だったんだと突っ込みを入れたかった。
なんだろうと開けてみるとグロック用のロングマガジンだった。
————罠か?
使うといい所で壊れるとか。それにこれをどうやって手に入れた。作らせたのか密輸したのか。普通都市も天国都市も武器の密輸には厳しいから前者の可能性が高いか。だがあのNo.3のことだ、輸入だってきっと不可能じゃない。銃自体はあいつの邸にいたんだから気を抜いてる間に見られたのかもしれない。
探りを入れようと夜だけどかまわず教皇庁の電話を借りてアイツの邸に連絡したが本人は留守だった。使用人に礼だけ伝えてもらうことにした。
「まあおまえが無事でよかった」
「ありがとう。でも毎度のことだけど危険手当でないんだよね」
珍しい玉からのねぎらいにちょっと和んだがすぐにベッドに体を投げ出す。さすがに疲れた。シャワーは明日の朝にしてとりあえず寝ることにした。隣からも横になる気配がし、すぐにくうくうと寝息が聞こえた。
地獄で湯船につかれたのは、中央点のホテルとNo.3の邸だけだ。それも後者の俺の部屋のは長く使われていなかったからお湯が出ず、修理が終わるまでマリーさんが自室の風呂を提供してくれた。No.3自身はシャワーのみですましているようだった。
裕福な人や身綺麗にする必要のある崇貴卿なんかは別としてそもそも風呂のある家が少ない。いやシャワーがあるのだって割に贅沢らしく、ここだって私室にはないから共同のシャワールームを利用する。ビニールで仕切られたブースが十ほどあるが地獄市民は教皇庁勤務でも入浴に固執しないのか、全部埋まることは稀だ。ましてこんな早朝には誰もいない。
水気を滴らせながらドアを開くと、着衣したままのコーラスのお姉ちゃん三人組が口々に叫んだ。
「セクハラよーーーーっ」
「見せつけられたわーー!」
「大した品じゃなかったわーーーー!」
バスタオルに飛びついて「どっちがセクハラだ!」と抗議すると「女性用が壊れたから朝まで待ったのにひどい」と文句を付けられた。俺は悪くない。
「すぐ着るからいったん出てくれ」
「今更いいわよ。続けて」
反論するのも面倒になりタオルを巻いたままで着用する。日常的な行為なのに見られていると妙に恥ずかしい。
「一昨日も入ってたでしょ。潔癖性?」
「あら、普通都市出身だからでしょ。毎日入るんじゃない?」
「お湯のシャワー珍しいんでしょ。光化学シャワーで汚れを分解するんですってね」
俺は答えずスピードを上げて服を着た。彼女たちは面白そうにそれを眺め、自分たちは脱ごうともしなかた。しみったれてる。
「いろいろこことは違うのね」
「キャンディーだって赤なんでしょ、普通都市では」
「天国都市ではもっと違うわよね。捕まった人はご飯食べたのかしら。口に合わないわよね」
無視して服を着替えると、早足で更衣室を出た。かしゃり、と錠の落ちる音がした。
いつものようにホルスターに銃を入れ黒スーツの上着をはおって法王庁の事務室へ行き、打ち合わせをしようとすると「いや君、今日は別の仕事が入ってるからそっちに行ってくれ」と言われた。なんだろうと事務官の顔を見返すと「天国市民の尋問だ。組織の幹部がやるから君はオブザーバーとして参加してほしい」と頼まれた。俺はつい、渋い顔を向けた。
「できれば拒否させてほしいのですが」
「業務命令だと思ってくれ。うちの人間に取ってはごくあたりまえのやり方でも、後で訴えられかねない。ぜひ普通市民である君に参加してもらいたい」
お情けで働かせてもらっている俺は断れない。仕方なくうなずいた。’
教皇庁か組織の事務所で尋問するのかと思ったら違った。山岳地帯に一般人の来ない組織専用のアジトがあるそうだ。以前ヒャッハーの通った道から少し外れた所らしい。
「え、乗せてってくださいよ」
「乗り切れん。ついて来い」
組織の幹部は例のニコラスという男だった。筋肉ムキムキの大男で、四十は越えていると思う。頭部に神の恩寵がなく、サングラスをかけているせいで強面の度が増している。
しょうがないのでヒャッハーの形見のバイクを引っ張り出した。メンテしたので轟音はおさまっている。名前はヒャッハー号にした。
ニコラスは地味な黒のセダンに拘束着の男を押し込むと、その両脇に組員を乗せ自分は助手席に乗った。
運転手が発進したので後を追った。途中までは以前と同じ道だから気楽だった。種類のわからない針葉樹が増えてきた所で南区とは別方向に曲がった。
アジトは丈夫そうな丸太で造ったログハウスだった。なんか自然になじんでて組織の雰囲気に合わないエコな感じがする。
捕われの男は抱え上げられ、壁際のソファーに乗っけられた。クッションを使って上半身を高くし、拘束着のファスナーを下ろして顔だけ出した。と言っても目にはシェード口にはギャグボールがかましてある。なまじ似たような顔形なので不愉快だ。
「口だけ外せ」
置かれた木製の椅子に足を広げて座ったニコラスの命に従って二人の組員が動く。運転手は外の車で待機している。
「ザケんなこの野郎ッ、天国市民を拘束してただでいられると思うなよッ」
ニコラスが嘲った。
「さぞや高貴な天使のような人だと思ったのに」
「虫けらが天使に声をかけてもらうだけでありがたいと思え!」
拘束され視界を妨げられているのにそいつは強気だった。本気で前に座るこの男を蔑んでいる。ニコラスがモラルの低い職業に就いているせいではなく地獄市民だからだろう。だがこのおっさんは顔色も変えない。よそ区者からの侮蔑には慣れているのかもしれない。
「ほう。それではありがたい言葉をもっといただかせてもらうか。まず名前は」
ぷい、と横を向いて答えない。ニコラスは表情を曇らせさえしなかった。
「そうか。では名前はいい。どこから来た」
「............」
また無言だ。ニコラスは立ち上がり、いきなり椅子をつかんで派手な音を立てて床に打ちつけ破壊した。視覚を奪われたままの男は思わず身をすくめ、芋虫のような姿のまま逃げようとした。が、もちろん動けない。
「お育ちの良い坊ちゃんは人道的に扱ってもらうつもりらしいがここは地獄だ。こっちのルールでいかせてもらう」
「俺に傷を付けたら天国都市が黙っちゃいないぜ」
「知ったことか!!」
バシッ、と音を立て椅子の一部で床を殴る。とたんに相手の態度に怯えが出てきた。
「何区から来た」
「............第九天国区」
「なぜ来た」
答えずうつむいた男をニコラスはまた抱え上げさせて自分の前の床にうつぶせに置いた。ほこりを吸い込んだらしくゲホゲホやっていたが、それが治まるやいなやぐい、と足先を突きつけた。
「なめろ」
俺はかつての疑問が氷解した。なんと靴なめは地獄の慣習というよりマウントポジションをとるためにやる行為だったようだ。ビルは地獄のエリートだからそんなたしなみがあったらしい。
「俺は天国市......」
「なめろ、クソバカ野郎ッ!」
ニコラスは暴力的な声で脅すとそいつの顔先によく磨かれた靴を更に押しつける。男は必死に顔を背けようとするが、ニコラスが椅子の一部で耳元近くの床を叩いただけで観念した。おずおずと舌先を出してその靴をなめる。にっ、とニコラスの口元が緩んだ。すかさず写真が撮られる。
「いい子だ。顔を上げろ」
もう彼はこっちの思うがままだ。心は折れたが体に傷をつけずにすんだ。俺の出番は回って来ない。バカ呼ばわりされてたけど、やるじゃんニコラス。
「名前を言え」
「............俺は」
重い音を立てて木製の扉が開いた。俺たちは驚いて運転手といっしょに入ってきた人物を眺めた。大きい。ニコラスも相当な巨漢だがこの人は灰色熊ぐらいありそうに見える。茶色の髪は後ろに撫で付けられ瞳はサングラスに隠されている。
「ボス............」
「ご苦労だったな、ニコラス」
響きのいいバリトンが空気を震わす。見た目の印象と違って知的で落ち着いた声だ。この大男がボブ・サンらしい。
彼に会うのは初めてだ。以前就職の礼を言おうと面会を申し込んだが断られた。そんなことより仕事に専念しろとメッセージはもらった。了解。ありがとうございました。とシンプルな返答をメッセンジャーに渡した。
「いえ大したことでは......」
「吐いたのか?」
「第九区から来たようです。他のこともすぐに吐くでしょう」
「そうか。よくやった」
ボブ・サンはうなずき自然な感じにニコラスに近寄ると、ひょいと片手で彼の首を締め上げた。
目を見張ったニコラスがとっさに両手でそれを離そうとするがかまわず、そのまま巨漢を宙に浮かせた。
ニコラスの部下たちはとっさに銃に手をやったが、ボスに一睨みされて素直に両手をあげた。
「......東区で息子を狙ったな」
「ぐ......な、なぜいまごろ......っ」
彼は答えず締めつけを強めた。ニコラスは青筋を立て、顔中を赤くし、そのうち泡を吹き出し失禁した。その間両手はあがくように相手の腕をつかんでいたが、やがてがくりと投げ出された。
俺は動けなかった。ドア側にいるこの野獣の傍をすり抜けるなんて無理だし、銃で撃たれた死体にはだいぶ慣れてきたが、絞め殺されるのを見るのは初めてだ。まるで映像を眺めるように口を開けて見ていた。なんか現実感がなかった。組員もそうなのか呆然と見守っている。
ボブ・サンは息の絶えたニコラスを床に落とすと、大きなS&W500を取り出して念のためか頭部を撃った。
「......ふん」
わずかに息を漏らすと、ニコラスの死顔を見下ろしたままするっと腕を上げ、なめらかにニコラスの部下を射殺した。運転手は手の者だったらしく無表情に後ろに立っている。
「遅すぎる!」
捕らえられていた男はわめき、同時に俺に気づいた。彼の顔に血の気が昇る。
「そいつをつかまえろ!」
とっさに後ろに飛んだが巨大なボブ・サンは腕も長く動きも素早かった。がっ、と俺の右腕をつかみすい、と引きすぐに離した。バランスを崩した俺は床に倒れ込んだ。それを足先で軽くひっくり返される。ベチャリと這いつくばった俺に、たった今まで同じ立場だった男はニヤリと笑った。
「......形勢逆転だな」
唇の片端が得意げにつり上がる。それを見たくなくて必死に顔を背けた。