28. 乳より尊いモノはなし
「どうも、プリンでーす」
「メロンでーす」
教会前の広場で、教皇庁の男性はみなとろけそうな顔で彼女たちに見とれている。新作アクション映画のヒロイン役を二人が勤めるのでその撮影だ。
二人はセクシーなライダースーツで、大きく豊かでグレートでゴージャスな胸の途中までジッパーを下ろしていて、とんでもなく魅力的だ。だけど教皇さまの態度はいつもと変わらず、温かい笑顔で二人を迎えた。
「かいらしいお二人さんと映画に神のお恵みがありますように」
「「ありがとうございまーす」」
彼女たちは礼を言って、教皇に青々としたブロッコリーをプレゼントした。美女に囲まれた教皇はそれを持って写真を撮った。彼は映画にもちょっと出ることになっている。
「実に......実にすばらしいですね」
聞き覚えのある声が横から響いたので視線を向けると、最近見たばかりの顔だった。
「アナタ仕事はどうしたんです?」
「市井の人々の日常を観察することも大事な仕事なのです」
「じゃあ私服なのはなぜですか」
「崇貴卿としてではなく一人の男として......あ、いえ、もちろん民間女性の心理を知りたいだけですよ」
カーライト卿がもごもごとつけ加えた。呆れたが乳仲間なので批判することは避けた。
一般職員は仕事に戻ったが、俺は教皇さまに付き添ってなければならないのでここに残っている。いやーお役目だから仕方ないんだって。
「だからアナタはいつまでいるんです」
「教皇さまに危険がないか気を配ることももちろん崇貴卿のお仕事です」
彼はキリっと音をたてそうな顔つきで答えたが、視線はずっと同じ所を向いている。
「はい、次はシーン171です。スタンバってください。あ、ビルさんはその次の172からですので待ってください」
助監督が仕切ってる中、ビルの名が呼ばれてびっくりした。派手に錠を打った黒皮のジャケットを着て、いつも通り黄髪を逆立てている。
ぽかんと口を開けているとビルがすました顔でこっちに歩いてきた。カーライト卿がつかみかかりそうな勢いで身を寄せた。
「な、な、なぜアナタが映画に出るんです!」
「ん? ロケ引き受けりゃボスの身内はたいてい出してくれるぞ。スポンサーでもあるし」
卿がほとんど泣きそうな顔で尋ねる。
「ま、まさかプリンちゃんとメロンちゃんと同じシーンじゃないでしょうね」
「あ、あのグラマーのことか? 教会で二人の乳もんで主人公にのされるシーンがあんだけど、頼んで尻に変えてもらったわ」
「「もったいないっ」」
俺も半泣きで詰め寄った。
「あの胸の良さがわからないとは男として何かが欠落してるっ」
「そうですよ。世の中に乳よりも尊いものがあると思っているのですかっ」
「そんなこと言ってアンタら彼女たちの尻見たことあんのか? すげえいいぞ」
「聖職者であるこの私が、そのような所に目をやるわけがないでしょう。下ネタはやめてください!」
「って、おっぱいはいいのかよ」
「おっぱいは下じゃありませんっ」
カーライト卿は胸を張って宣言した。ビルは両手を開いて肩をすくめた。
現場が教会内に移ったので俺たちも移動する。教皇さまは白い法衣から黒のカソックに着替えた。普通の神父の役をやることになっている。
「はい、いいですよ。どうぞ、監督」
「む。3、2、1......アクション!」
穏やかに神父と語り合う美女二人のもとへならず者のビルがやって来てじゃまをする。神父は止めようとするが突きとばされ、彼女たちは尻を撫でられる。そこへ駆けつけた主人公が一発でならず者をのす。
「カット! 休憩にしよう。教皇さま、本当にありがとうございました。それと君、あービル・サンダース君もすまなかったね」
「いいってコトよ。役得あったしな」
ビルは豪快に笑い飛ばし、教皇に謝った後プリンちゃんたちに近づいた。
「お姉ちゃんたちも役とはいえ悪かったな」
二人はちょっと驚いた顔をし、直後になぜか目を潤ませた。なんだか悪い予感がした。
プリンちゃんがすっと手を伸ばしビルの腕をつかんだ。
「ううん、ちっとも。気にしてくれてありがとう」
メロンちゃんがもう片手を握った。
「そんな風に言ってくれたの、アナタが初めてだわ」
プリンちゃんが魅惑の曲線がわずかに触れる位置まで近づく。
「ねえ......いっしょに休憩に行かない?」
メロンちゃんが握った手をゆっくりと自分の胸まで持ち上げる。
「アナタとなら長めに休憩してもいいわ」
「お待ちなさいっ!」
ついに耐えきれなくなったカーライト卿が走り寄って割って入った。
「もっと自分を大事にしなきゃいけません。あなた方は己の価値を過小評価しすぎている!」
二人は首を傾げた。
「誰? あなた」
「申し遅れました。わたくし、こういう者です」
彼はメイシを差し出した。二人がそれぞれ受け取る。
「えー、崇貴卿げいかなの」
「そうです。南区を担当しています」
「そのげいかがなんのご用?」
卿はびしっとビルを指差した。
「確かに彼はボブ・サンの息子ですが、それだけで狙うのは間違っている! もっと人柄を見極めなければいけません。美しくなおかつ才能豊かなあなた方にふさわしいのは、どんな時でも支える覚悟のある大人の男、職業も他者から敬意を持たれる、そんな男ではないでしょうか!」
微妙に二人の目が冷えた。まだ熱弁をふるっているカーライト卿をさえぎった。
「あのね、げいか。あたしたち別にこの人がボスの息子だから誘ったわけじゃないのよ」
「そんな風に思われるの、悲しいな」
口元は穏やかに微笑の形を作っているが、瞳の底にわずかな険がある。ナイトクラブの女の子たちなら完全に消して読ませない影だ。
卿が言葉を続けられず目を白黒させていると教皇さまが「あんさんらがあんまりチャーミングやさかい取り乱してはるだけやで」と割って入り彼に「事務室に行って南区の予算確認してや」と追い払った。そして俺に「ちょっと様子見とって」と耳打ちして着替えに行ってしまった。
プリンちゃんはまた、すんなりとした腕を伸ばしてビルの肩に触れた。とろけるような瞳で彼を見て、その指先を頬に移動させる。が、彼はその手に優しく自分の手を添え、そっとずらした。
寂しそうな顔になる彼女を押しのけてメロンちゃんがストレートにその手を取って自分の胸にのせた。
ビルはちょっと苦笑して手を離したが愛想は見せた。
「二人ともいい胸だな」
「じゃあ......」「ねえ......」
「悪ィが俺の女二人が西区をアピールする仕事だからって大人しく待ってる。どんなにアンタらが美人でも、話に乗るわけにはいかねえな」
振り向くと物陰から、シェリルとカレンがそーっと二人で覗いている。いつもの強気な態度とは違って不安そうに見えた。
プリンちゃんとメロンちゃんの目は完全なハート形になった。
「誠実なのね......」
「素敵。みんなまずあたしたちの胸を食い入るように見るのにアナタはそんなことしなかったから紳士だなあって思ったけど、それどころかプリンスだわ」
こいつ、ただ尻が好きなだけなんです。あなた方が後ろを向いてる時はガン見してます。胸にそれほど執着がないだけなんです。
俺の心の叫びは彼女たちには届かない。二人はうっとりと「もしカノジョの席が空いたら連絡してくれる? 駆けつけるわ」「絶対よ」とか言ってウィンクした。ビルは鼻の下も伸ばさずに「期待するなよ」と渋く答えた。
プリンちゃんたちはキスを投げて休憩に行ってしまった。シェリルとカレンがおずおずとビルに近づく。
「おまえら以外に振り向きゃしねえよ」
こっちの二人まで目を潤ませている。見てられなくなって部屋を出た。ビルのくせに生意気だっ。
日は暮れて辺りは暗くなったが撮影は再開された。俺は教皇さまの夕食の毒味をすませると次の人にバトンタッチして、教会の裏の墓場に見学に行った。
そこは表の広場と違って、ちょっとした林に囲まれて昼でさえしめやかな雰囲気が漂う。ましてや今はピンポイントに派手なライトで照らされているが不気味なカンジだ。
プリンちゃんたちは墓石の前で何やら演技をしている。見ているとタタミ三枚分ほど離れた墓の下から青白い手が現れた。
「......ホラーテイストとは凝ってますね」
振り向かずにカーライト卿に答えた。
「まだ帰ってなかったんですか」
「いや、教皇庁の仕事があったので」
「カーーーーット! なんだそれは!」
監督が怒り顔で撮影を止める。指差しているのは墓から伸びる手だ。演技に熱中していて気づいていなかったプリンちゃんたちが絶叫した。
「誰だよ、ドッキリ仕掛けたの」
スタッフの一人が愚痴る。みんなも何事かと見つめていると、墓の中から死後一週間ぐらいの腐乱死体が出てきた。
「おい、臭いぞ。ここまで凝ることはないだろ」
助監督が死体に笑いかけると、それは緩慢に腕を寄せぐいぐいと締め始めた。
「「きゃーーーーっ!!」」
近くにいた人たちは悲鳴を上げ、慌てて逃げようとした。が、墓から伸びてきたいくつもの手によってそれは妨げられた。
「なんで火葬じゃないんですかっ」
カーライト卿にくってかかると「教会に多大な功績のあった方......ぶっちゃけ寄付が特に多い人は土葬でここに葬られるんです。大変な栄誉なんですよっ」と答えられた。そのまま卿は「プリンちゃん、メロンちゃん、今助けますっ!」と絶叫してPPKを取り出したので慌てて止めた。
「撃つなっ! 血を浴びるとエラいことになるっ」
周りにも聞こえるように叫んだ。スタッフがうめいた。
「血を浴びるとゾンビ化するんだな!」
「「い、いやあーーーーっ」」
「私、聖水を取ってきますっ」
「教皇さまを近寄らせるなっ」
教会に向かって走って行く卿の背中にわめいた。
「わかりましたっ」どうにか聞こえたらしい。
俺も動く。林の中に飛び込んで手探りで枯れ枝を探し、小脇に抱えてすぐに戻る。
「なるべく触るなっ、足で蹴れ! 血を流させるなよっ」
「うわっ、うわっ、うわーーーーっ」
一人が後ろから襲いかかられ、首筋を思いっきり噛まれた。そのままがくりとうなだれて倒れた。
「バーバラっ! 許してくれっ! 殺すつもりはなかった!」
うん悪くたまたま知り合いのゾンビにあったらしいヤツが叫びつつ慈悲を乞い、無情にも絞め殺された。
俺は長い枝でゾンビを突きとばしつつプリンちゃんたちの下に急ぐ。彼女たちは大きな石碑の上によじ上って震えている。
「いやっ、ゾンビになっちゃう!」
「大丈夫! ならない!」
励まして棒を渡す。
「オートモードだから動きは鈍い。これで思いきり突くんだ」
「おいっ、無事かっ」
ようやく組員がやって来たが三人ほどだ。ゾンビは二十体ほどいる。
ーーーー最近死んだにしちゃ多すぎないか
いくら地獄でも高額納税者みたいな人はそうそうは死なないだろう。
「撃つなよっ! 血を浴びるな! 棒とか椅子とか持って来て触らずに埋めろ!」
「みなさん! もう大丈夫ですっ、教皇さまに祝福された聖水です!」
やばい、もう戻って来た。卿には離れててほしかったのに。
「カーライト卿っ! 聖水は効かないっ!」
「そんなわけはありません! ほらっ............あれ?」
ざんぶりと聖水をかぶったゾンビが襲いかかってくる。ダメか、と思った瞬間、彼は見事なバック転で後ろに逃げた。
————こいつも教皇位狙ってるな
たぶん毎日練習してるんだろう。
「危ないから下がっててくださいっ!」
「......余裕だね」
宙から声が響いた。あいつの声だ。きっと睨み返すと「ほら、そこ」と指差された。
「おまえが救えず目の前で死んだ哀れな男たちだ」
ばっ、と目を向けると赤毛や緑毛やシマシマの髪を逆立てたヒャッハーたちのゾンビがよろめきつつこちらに迫ってくる。腐りかけた男たちが虚ろな目をして俺を目指している。この間山で死んだヤツらだ。
「かわいそうだねー。ピンピンしていたのにおまえに関わったばっかりに」
俺とコイツの相似に気づいたせいで死んだシマシマが何か言いたそうに口を開けて緩慢に手を伸ばしてくる。
思いっきり棒を伸ばしてそいつのひざ下を突きとばした。そのゾンビは骨が砕けたせいで立ち上がれない。ムダな動きを繰り返している。
「人の罪を引き受けるほどお人好しじゃないので」
棒と逆の左手でグロックを抜いてためらいなく男を撃つが、予想していたらしくかなりの上空に上がっている。舌打ちする間もなく右手でゾンビを突いた。
「ふーん、薄情なんだね。ま、いいけど」
彼はまたステアーAUGを選んでいた。わざとらしくゆっくりそれを取り出して俺に向ける。もちろんこっちも撃つが、慣れた感じでロケットベルトを扱い空中を自由に動いて当てさせない。
「すぐに弾がつきるね」
リロードの隙を与えないつもりだ。こちらはゾンビとも闘わなきゃならない。
「そっくりさん!」
近い所でカーライト卿の声が響いた。いつの間にか移動していたらしい。
予想して身構えた。
「ほらっ!!」
卿が勢いよく両手でプリンちゃんとメロンちゃんの胸を剥いた。とたんに男が急速で降下した。
————今だ!
敵のベルトの左側のノズルを全て撃った。高速移動ターゲットを狙う超精密射撃。俺だって普段ならあたるかどうか怪しいとこだが、当てなきゃあの胸が蹂躙される!
「うわあーーーーっ」
ゾンビのまっただ中に落ちた男は慌てて何かを操作してそいつらの動きを止めた。
「....手を挙げろ」
後頭部に銃を押しつけうなるように言うと、男は黙って従った。
「やりましたね! あなたにそっくりだから好みも同じだと思ったんですよ」
カーライト卿が嬉々とした声を上げるが無視して、銃を握る手に力を込めた。