22. 暫定一位は毛むくじゃら
沈黙に覆われた部屋は妙に広く感じた。そう言えば放置されていた散弾銃やカツオブシの箱はどこかに片づけてあり消毒液のにおいが強く漂う。
「はあ?」「ありえん!!」
ブラウとクロウが同時に叫んだ。俺は片手を振って二人を黙らせると、看護師を帰して医者を俺の部屋に行かせた。
「中にいる女の子に事情を話しておいてください。安全だと思うからそこにいてください」
初老の医者は礼を言いながら小走りに去っていった。
客間には遺体と俺たちだけだ。あ、いや都市法係はいるが目だたぬ場所で小さくなっている。ハートレイがつぐんでいた口を開こうとして唇をぶるぶると震わせた。
「わ、私にできるわけないじゃないですか」
「そうだよ、アンタやれよ」
「マリアにゃ荷が重すぎだろ」
ブラウの言葉に驚いた。マリアってのはハートレイのことか。しかし声の調子に敬意など微塵もない。ただ単に揶揄だ。男性原理の強いここの風俗にあてはまらないことへのからかいだ。
クロウがちらっとブラウに目をやると、さすがにちょっとばつが悪そうに口を閉ざした。ハートレイは気づかずにえんえんと自分の意気地がないことの説明を続けている。俺はそれをさえぎった。
「あなたが受けなきゃこの区は戦いで荒れることになる。組員は戦い、人々は巻き込まれ、収穫物は奪われる」
「そんな。ブラウさんとクロウさんがよく話し合えばきっとわかりあえます」
「ああ? なわけあるか」
「なめんじゃねエ、こいつとは何があってもわかりあわん!!」
二人がいきり立ちハートレイは「ひい」と身をすくめた。その様子を見て彼らは苦い顔をした。
「こんなヤツがアタマ張れるか?」
「こいつがボスなら俺だってやれるってかえって荒れるわ」
ブラウがイライラとした指先をスーツの隠しに入れて煙草を取り出し火をつけた。クロウもそれにならう。俺は彼らが煙を吸い込むのをしばらく待った。小卓をずらして灰皿を二人の前に置く。
「あんたらはNo.2と3だ。今北区で一番力がある。違うか?」
「否定はできねエな」
「こいつはともかく俺はな」
また険悪になりそうなとこに割って入った。時間が惜しい。
「そのおまえたちが争えば残りのヤツらはどっちにつくか右行ったり左行ったり。で、決めたと思えば裏切って抜けがけ。そうこうするうちあんたらが疲れたと見て打って出るヤツらも現れる。そいつらを叩いたり、その隙に動く相手を抑えたり、想像するだに大変だ」
二人がげんなりとした顔をした。地獄の人間は基本的に直情型で先のことを考えないが、明確に提示されたありそうな予想図にさすがに引きつってる。そこに攻めこんだ。
「回避するための道は一つだ」
「「?」」
「お飾りでいいから上になんか権威を担ぐんだ。双十字教の崇貴卿。これ以上ないほどのビッグネームだ」
二人がそろってハートレイを見る。彼は両手を小刻みに振りながら「わ、私には無理ですっ」と叫んだ。ブラウが眉をひそめた。
「おい、こんななさけないヤツがボスってのはねえよ」
「そ、そ、そうですよ」
「だからいいんじゃないか」
俺は詰め寄る。
「そこそこ納得のいく男を上につけてみろよ。あっという間にトンビに油あげさらわれるぞ」
「油あげってなんだよ」
「フライドポテトのことだと思う。たぶん。って、そこじゃない。いいか、どんなに野心のなさそうなヤツ選んだって組織にいる時点でその気がないとは言えんだろ。その点ハートレイは邪心のかけらもないぞ。力を手にしておまえらを排除、なんて考えもしない」
二人は少し考え込んだがクロウの方が疑問を口にした。
「って、崇貴卿がボスやれるのかよ」
「地獄出身のヤツはダメだ。だが普通都市及び天国都市出身者は兼任できる」
俺は指をパチン、と鳴らし部屋の隅で小さくなっていた都市法係を呼んだ。彼は急いで走ってきて書籍の該当箇所を見せた。
「あいつらはいざという時双十字教を使って支配する気があったんだろ。だからこんな条項をわざわざ入れたんだ。ほら見ろ、一般的なボスと違って崇貴卿としてなら他地区に行くことも交渉することも可能だ。よそよりすっげえ有利になるぜ」
彼らは互いの目をちらりと見た。あと少しだ。
が、ハートレイが必死になった。
「いくらお飾りでも私なんかが上についたらみんなやる気がおきませんよ!」
「変わればいい......あなたが」
ぎょっとしている彼にぐいと近寄る。
「性格変えろなんて無茶なことは言わない。表面だけ取りつくろえばそれでいい」
「しかし......」
「シェリーが築き上げたこの都市を壊したいのか?」
ハートレイは言葉につまり、息を呑むとその場にしゃがみ込んでしまった。片手で顔を覆いもう片手はだらりと投げ出している。黒のカソックは血の汚れを見せていないが地味だ。まだ紅い衣装は着慣れないらしく普段はこの格好だ。
彼の様子を見ていたブラウとクロウは不安が増したらしく互いに測るような目に変わった。このままではせっかくの俺の弁舌がムダになる。どう推そうかと考えていると、カタンと音がした。
扉には狭くて小さい猫用ドアがついている。そこからこの区の身分暫定一位の高貴な猫が入ってきた。
「ニャンコちゃん......」
「あのな、オマエのご主人さまは......」
猫はまたしゃくり上げた二人には目もくれず、診察台の上のシェリーにさえ気を向けず、まっすぐにしゃがみ込んでいるハートレイの元に近寄っていった。
「............」
猫は投げ出されたハートレイの手をなめた。驚いた彼が顔を上げると、にゃあーーんと甘い声をあげて体をすり寄せた。
ブラウとクロウは驚愕した。シェリー以外には誰にも懐かなかった孤高の猫が自らハートレイに甘えている。
「シェリーのにおいがするんじゃねエか?」
「いや、見ろ。なめてるのはさっき握っていたのと逆の手だ」
二人はごくりと喉を鳴らした。
「......彼がボスになるのは運命だ」
俺がつぶやくと彼らもうなずいた。
「認めるぜ。こいつが北区のボスだ」
「協力する。姐さんは、どちらが欠けても回せないと言っていた」
「そうか。よし、ここでそれを誓え。破ったヤツはフィンガーカットだ」
俺は最もレベルの高い契約を口にした。書類さえ越えるほどの約束だ。三人で小指を差し出しあい絡ませた。
「嘘ついたら」「サウザンドニードル」「のーます」
契りの言葉を述べあい指を離した。
二人が通知と諸事のため部屋を去ってもハートレイは猫を抱えて呆然としていた。俺は彼を立たせた。
「あなたからの承諾をまだ聞いていない。どうなんですか」
かってに決めててひどい話だが、俺は答えを要求した。彼は猫を放し、シェリーの遺体に近寄るとその死顔を切なげに見つめた。それから俺の方を見て尋ねた。
「......許してくれますか」
「え」
「私がどんなに罪にまみれても、あなたは許してくれますか」
自分自身に問うような静かな声で、本当は俺に答えを求めているわけではなさそうだった。たとえここで否定しても、苦く笑ってボス役を受けると思えた。それでも俺は肯定した。
「モチロン。あなたの罪は全て俺の罪です」
案のじょう彼は苦笑した。
「いえ、その必要はありません。自分の罪は自分で背負います」
そう言ってかれは視線をシェリーに戻すと体を傾けて唇を重ねた。
顔を離すと手の甲で口をぬぐいながら「これが私の最初の罪。誰にもあげませんよ」と微笑みながら言い、涙をこぼした。
また人が行き来し始めたので部屋に戻った。青ざめたままの医者がいたので「もう大丈夫です」と安心させて帰した。彼は何度も頭を下げながら玄関に走って行った。
玉はお吸い物なるスープを飲んでいたが、顔を上げて「お帰り」と言ってくれた。その声の変わりなさに、なんだか泣きたいぐらいほっとしてテーブル前に座った。
「事情は聞いた。その後どうなった」
「ハートレイがボスに決まった」
話しているうちに彼女はスープボウルの中身を空にした。口元をタオルでぬぐいながら「ハートレイが猫に選ばれた理由はわかるかの」と俺に聞いた。
「ああ。カツオブシだ」
それは魚の加工品だそうだ。彼はむき出しのカツオブシを手づかみでここに運んできた。
「合成の肉製品には飛びつかなかったから魚好きなんだろうと思った」
玉は「当たりじゃろうな」とからからと笑った。それから真顔になって「あの繊細な男には酷な話ではあるがな」とつぶやき、更に「まあなんとかするじゃろ」と楽観的予想を述べた。
押しつけた俺はひどい男だ。だが謝らない。北区にとって最善の選択だと信じる。
彼女は今度はにやりと笑い「おぬしも悪じゃのお」と優しく言った。俺はなんだか誉められたような気がして少し落ち着いた。
壮麗な葬式だった。俺も今度は本当にオルガン係として参加した。
実生活ではあれだけビビリのハートレイが、澱みも見せずに式を進行させ永遠の祝福を与えなめらかに聖句を述べた。緋色の崇貴卿服は簡素な教会を華やかに彩り、葬式の格を充分に上げた。
彼は生前のシェリーについて語り、興味本位で押し掛けた市民の目から本気の涙を引き出した。
「彼女は素晴らしい人でした。みなさんの生活を豊かにし普通都市にさえ負けない都市にしようと力の限りを尽くしていました。その事実をほとんどの人は知らない。彼女は理解されることを望まなかったから。私利私欲でさえ拒むことはなかった。それが全ての人の底に眠ることを理解して、他のみんなと同じ一介の罪人としてそこに立ち、欲望を堕落したものとしてではなく満たすべく正当な欲求として考え、具体的な生活の向上を目指したのです」
彼らが言葉の全てを理解したとは思えないが、生前の彼女が目指したことはなんとなくわかったらしい。徐々にすすり上げる声が増えてきた。
「人は必ず世を去ります。それは神の決めたことで誰にも変えられません。ですが志半ばで天に召されたシェリー・チャンの死はあまりに早すぎたと私自身も残念でなりません」
幹部連中は全て滂沱の涙だ。だがハートレイは泣いていない。背負わされた責任があまりに重いのだ。淡々と言葉を綴り彼女の栄誉を称える。
「われわれは彼女のために、彼女が目指した生活の不安のない都市を実現するために何ができるでしょうか。それぞれの暮らしの中で最善を尽くすべきです。私もシェリーの信念を受け継ぎ、この北区のために身命を尽くすことを決意しました。本日、この場この時において彼女の全てを引き継いで崇貴卿職と兼任で組織の頂点に立つことをみなさんを証人として宣言致します」
さすがに市民がざわつく。組員も下っ端は知らなかったらしく動揺している。すかさず涙をぬぐったブラウとクロウが聖壇に上がって補佐した。
彼らはシェリーをたたえ、崇貴卿という高貴な立場のハートレイがボスを引き継いでくれたことを感謝し、自分たちが彼に従うことを誓った。仕込んだサクラが盛大に拍手する。人々もと惑いながらそれに追従した。
俺はすかさずオルガンを弾いた。荘厳でありながら明るい曲を。この区の前途が明るいものとなることを祈りながら。
「ハートレイ卿!」「猊下万歳!」「崇貴卿さまーっ」
人々が様々な声をかける。一人の男が絶叫した。
「われらがボス、ハートレイ卿!」
すぐに後に続く声が響く。ハートレイは片手を上げてそれに答えながら、表情は硬く強張っていた。
ブラウとクロウが順々に彼の前にひざまずき印章の刻まれた彼の指輪に口づける。人々の歓声は更に大きくなった。俺は黙ってオルガンを弾き続けた。