21. 立ち止まることは許されない
北区で増産した収穫物はささやかな買い取り金を支払われていったん組織の手に入るが、一部を除いて直接市場や加工場に運びこまれる。
「投機の対象になったりはしないの?」
「なんだ、それ......えー、そうなん。地獄じゃ無理だわ。こっちの教皇さまの懇願で、今は食料がすげー不足したら、あっちの双十字教を通して送ってくれるもん。合成品とか余ったモンだけどよ。それに価格は組織が決めてる。成り立たんわ」
ジムが肩をすくめた。地獄都市は何かとよそと違う。麻薬だってその区のボスの考えによって扱いが違う。
「うちじゃあ組織運営で開放されてるとこがあるけど作法が厳しいんだわ。全身を清めて、欲望を捨て去るジョヤの鐘をついて、二礼二拍手三三七拍子。その後やっと許可がでてキメたあと、時間が来たら”アワモリ”ってダンス踊って終了だ」
「”アワモリ”って?」
「なんか南方の酒のことらしいぞ。『人生わずか五十年、ペテン師のうちを較べれば』とか妙な歌詞だ。一度やったけどあんな面倒くせえの、二度とやらん」
「中毒性は?」
「モチロンあるが、大昔のよりずっと低い。裏で回そうにも組織に逆らうのもヤバいし、第一面倒でも安い方がいいじゃん」
クスリ自体は大半東区から来るらしい。
「辺境のコロニーなんかで作ってるらしい。東区はそこ以外禁止。こっちと違って誰でもやれるわけじゃないってさ」
寺の近辺にそんなのがあるって聞いたことがある。
「輸入物なら高くなりそうだが」
「素材は大体こっちだし。それに双十字教が間とってるんだわ」
ちょっと目が点になる。ジムの話によると通常のビジネスは互いに別の”顔”を用意して行うが、麻薬関係はそれがきかない。かといって組同士が直接取引すれば都市法違反になる。だから彼らの出番となる。
「なんだかなー」
「ま、よそから来たヤツにはびっくりだわな。どうだ、一発キメてみるか? 神に祝福されたヤツがやれるなんてめったにねえだろ」
「面倒そうだから遠慮する」
ジムは笑ってばんばんと俺の肩を叩いた。
各地区のボスにきいたら、昔のマフィアがうらやましいと言うかもしれない。大昔のそいつらはただ利益の追求にいそしめばよく、それを購入してダメになるヤツのことなど考えなくてよかった。今の彼らは全てを牛耳ってるからこそ、市民の数をなるべく減らさずに効率的に儲けることを考えなかればならない。麻薬で治安が今以上に悪化したり、ちゃんと働ける人間が堕落したら損するのは組織だ。
「どんなとこでもそれなりの秩序は生まれてくるもんじゃ」
玉はあまり気にしていない。長く生きる間にいろんなことを見すぎたんだろう。だけど食欲はそれなりにあるらしくてカツオブシを楽しみにしている。廊下に聞き慣れない足音が響くとそわそわと居室のドアを少し開ける。今もそこに人の気配がするので覗いたが、残念ながら関係なさそうだ。
「出過ぎた真似をしすぎだ。俺の下でしかねえことをちゃんと理解しろ」
顔に真一文字の傷跡の走る茶髪の男が、自分より背が高く強面の黒髪男に凄んでいた。どちらも三十代後半ぽい。確か茶髪がNo.2でブラウ、黒髪がNo.3でクロウって名だったと思う。仲がひどく悪い。
黒髪はニヤニヤと茶髪を煽った。
「なあに、すぐに逆になる。そのときショックを受けないように気をつかってやってるのさ」
ブラウは血相を変えて詰め寄った。が、クロウは唇を歪めて見下ろした。
「ご自慢の向こう傷で上がったようなもんだろ。勢いだけでキープできるような安い位置じゃねえぜ」
「はあ? 口だけ回して柄以上の地位にいるオマエにだけは言われたくねえわ。あちこち媚びてすり寄って、今度はどうする。マリアに線香でも捧げるか」
「てめえにエラそうな顔させてるぐらいならその方がマシだな。てめえと違ってマリアは性格は素直だ」
マリアって誰だろ。確か以前いたお団子女がそんなだったと思うが確実に死んだし。修道女でも来たんだろうか。すり寄りたくなるほどだから美人だろうな。性格も素直なのか。色白で清楚な二十歳すぎぐらいの子だといいなあ。
俺が想像力を駆使しつつドアを押さえていると、もう一つ足音が響いてきた。これは誰のかすぐにわかる。シェリーだ。だがこいつらは興奮して気づかないようだった。
「上等だ! レンコンぐらいに穴だらけにしてやるぜ!」
「てめえじゃしょせんその程度よ。俺ならてめえをシャワーヘッドにしてやれるぜ」
互いに腰の辺りに手をやろうとした時、シェリーの声が甘く響いた。
「......やめてほしいある」
小柄な彼女がガタイのいい彼らを上目遣いで見つめる。色気控えめ、妹成分アップで小動物のような愛らしさが際立つ。
二人とも動きを止めた。シェリーは不安そうな感じで微笑んだ。
「どちらが欠けてもここは回せないある。自重してほしいある」
「でも姐御、こいつが突っかかってきて...」
「違う姉さん、ちょっかいかけてきたのはあっちだ!」
また言い争うかと思ったが、瞳を潤ませたシェリーの魅力に抵抗できず、二人ともしぶしぶ矛先を収めた。
彼女は可憐な笑顔で「二人とも信頼してるある」と言い残してその場を去った。にやけながら見送っていた二人は、われに返ってまたにらみ合った。
「姐御がああ言うから銃はかんべんしてやるが、てめえはとことん気に入らねえ」
「同じだ......おう、ちょうどいい、アレで決着つけよう」
なんだろうと思って二人の目線をたどると、シェリーの猫がゆっくりと近づいてきた。
先に動いたのは言い出したクロウの方だった。ポケットから何か取り出すと身をかがめて猫を呼んだ。
「猫ちゃーん、おいしいモノありまちゅよー、こっちおいでー」
ブラウが彼を睨みつけた。
「汚ねえ。用意してやがったな!」
「備えあればユウレイなし。準備のないヤツは死んでユウレイになるのさ、ざまあ」
クロウが高笑いして何か小さくて茶色の合成食品を出した。
「ビーフジャーキーでちゅよー」
長毛種の猫はそれに鼻を近づけてにおいをかいでいたが、やがてぷいと顔を背けた。
「へ、オマエのエサなんか食うかよ。オマエは賢いニャー。おいでー」
猫はブラウをちらと見ると一瞬考え、でもやっぱり近寄らずにゆっくりと歩き去った。クロウが憎々しげに「てめえなんか嫌いだってさ」と鼻を鳴らした。
二人が何かといがみ合いながら去った後、今度はハートレイが現れた。彼はまっすぐに俺たちの部屋の前に現れてノックした。
「カツオブシを預かってきました」
玉が転びそうな勢いで戸を開けた。
「おおっ! ちゃんと本物じゃ」
むき出しのカツオブシが三本彼の手に握られている。玉は小躍りしながら受け取った。
「これで出汁が取りホーダイじゃ」
俺は彼に尋ねた。
「民間人から預かったのか?」
「ええ、そうです。作ったという人から受け取りました」
「もう帰ったかの? 礼を言いたい」
玉がハートレイを見上げると、彼はニコニコしながら「作った人は帰りましたけど、関係者が一人残ってますよ」と告げた。
「関係者?」
「販売関係の交渉をするとか。この食べ物は私も初めて見ましたが、固くて長持ちしそうですね。エスニック食の多い東区にも売れるのではないでしょう......?!」
突然、他の部屋から銃声が響いた。しかもパン、パンではなく軽快な連続音だった。俺は飛び出し、音の方に駆けた。
怒声が響き、中背の男が走って行く。組員はその男を追い後ろから撃っている。何発か当たったが男は倒れる気配も見せない。
「化け物だ!」
「アンデッドだ!」
「足止めしろ! クルスももってこい!」
露出した部分には当たっていない。ということは防弾スーツだ。地獄市民には珍しくとも、魔法なんかであるわけがない。
俺もグロックを抜いてかまえたが、正直また外すと思う。
その時だった。組の男が悲痛な叫び声を上げた。
「姐御の敵っ!!」
ぎょっとして腕が無意識のように動いた。
一瞬後後頭部を撃ち抜かれた男がつんのめるように倒れて行くのを、まるで人ごとのように眺めていた。
「............魔法使い」
度肝を抜かれた男たちがあり得ざる者を見るような目を向けてくるのに気づいてわれに返った。同時に今までいた部屋から、ハートレイが飛び出して走って行くのも見えた。慌てて後を追う。
「シェリーーーーっ!!」
血相を変えたハートレイが彼女の客間に飛び込む。俺も続いた。
上質な絹の段通の繊細な模様が赤く染まっている。蜂の巣になった男の死体と、かばわれたせいでまだ多少息のあるシェリーだ。
「姐さんっ、すぐに医者が来ますっ」
「大丈夫です! 絶対助かるッ!」
部屋の端には存在するはずのないモノが落ちている。ショットガンだ。ウィンチェスターM1887。大昔の銃のレプリカだ。どんなに古くても散弾銃が地獄にあるわけがない。
「シェリーっ、シェリーーっ!!」
俺の横でハートレイが叫ぶ。飛びつきたいのを必死に耐えているようだ。
声に反応したかのようにシェリーがわずかに動いた。目蓋が揺れて微かに開いた。
「姐御っ、無理しちゃダメだっ」
組員の叫びが聞こえないかのように目を見開き、俺とハートレイの方を見るとゆるゆると腕を上げて俺たちを指差した。
「!」
組員たちが驚いて俺たちを見る。と、同時にシェリーは力尽き、腕がだらりと落ちた。
「シェリーーっ!!」
ハートレイは着ているカソックが血に染まるのもかまわず飛びついてその手を取った。シェリーは何も言わない。言えない。ただわずかに息を吐き出している。
やがて医者がたどり着き、ハートレイを残して俺たちは部屋から出された。
「クソっ、なんでこんなっ」
組員たちは下がらせて待機させた。人が減った途端にブラウが廊下の壁を殴った。クロウが荒んだまなざしを彼に向けた。
「てめえが......やったんじゃねえだろうな」
ブラウがクロウに飛びかかって思いっきり殴りつけた。
「ざけんじゃねエ! 血の一滴まで姐さんに捧げつくしてるわ!」
そのまま殴り合いになりそうだったので俺は止めた。
「よせ」
えらく低い声が出た。二人は手を止めてこちらを見た。俺は自分の表情が凍りついているのを感じた。
「......事情を説明してくれ」
クロウが先に口を開いた。
カツオブシの製作者はすぐに帰ったが、代理人が残ったので交渉になった。粗方まとまったところでシェリーが現れ即決した。代理人はサインをすると、特上のカツオブシの見分け方を教えると言って箱に手を突っ込み、このやたらに長い銃を取り出して撃った。
「並の銃ならガードがかばえばどうにかなった! だがアレは魔法みたいに弾が連続で出た」
「しかもそいつを撃っても死なねえんだ!」
「ボディチェックはしたのか?」
「モチロン。だがその箱は別に届いたし、中身は訳の分からん食い物だったから......」
底の方は見なかったらしい。二人は暗い顔でうつむいた。
「作った人に尋問は?」
「今、人をやっている」
俺はクロウの顔を見た。あまり好感の持てるタイプではないが憔悴しきった表情に嘘はなさそうだ。視線を外さずに尋ねた。
「......大人しくブラウの下につけるか?」
くっ、と彼は息を呑み、イライラと指を二、三度ひらめかせるとようやく答えた。
「......姐御が回復するまでなら」
あの状態ならこの都市じゃ、まず助からない。俺は今度はブラウに目をやった。向こう傷まで紅潮させている。
「おまえはこいつの下につけるか?」
「冗談じゃねエ!」
即答だ。そのまま何か言おうとしたが、俺が睨むと黙った。クロウの方が口を開いた。
「なあ、アンタ。一時的でいいからここのボスやらないか。さっき姐御もアンタを指差したし」
ブラウもうなずいた。
「姉さんの敵も取ってくれた。アンタなら魔法も使えるし、組員も納得する」
俺は答えなかった。ただ「都市法係を呼んでくれ」と言っただけだ。二人はけげんな顔をしたが、すぐに手配してくれた。
医者は中で必死に動いているらしいが、まだ出て来ない。廊下に立ったままの俺たちの前に、貧相なメガネの都市法係がやって来た。小声で耳打ちすると驚いた顔で持っていた書籍のページを繰り、該当箇所を見つけて俺に見せた。
「確かに。ほら、ここにあります。他都市の人間なら兼任できるんです!」
「わかった」
俺はうなずき、何事かと耳をそばだてる二人に目をやって凄んだ。
「おい、おまえたちは俺に従ってくれるんだよな」
「「ああ」」
「よし。ならどうにかしてやる。不満はあるだろうが言うことをきけ」
ブラウとクロウがうなずく。俺が言いつのろうとした時、扉が開き医者が戸口に立って真っ青な顔で首を横に振った。二人がそいつを突きとばして中に飛び込んだ。
綺麗な死に顔だった。もともと美人だったが、今はその造形のよさが際立ち透きとおるようだった。簡易式の診療台の上で静かに横たわっていた。少し離れて看護士が二人、見守るように立っていた。
「姐さんっ!!」「姐御っ!!」
二人が同時にすがりつき、見栄もてらいもなく男泣きに泣いた。秘跡を与えていたハートレイもシェリーの傍らで泣いている。その手は彼女の手をしっかりとつかんでいた。
俺は泣けない。唯一の部外者だからその暇にコトを進めなければならない。少し間を置いて時間を与えようとしたが、クロウの方が急に激昂して銃をかまえ、呪いの言葉を吐きながらぶるぶる震えている医者にそれを向けた。
「野郎ッ! 姐御を殺しやがって!!」
「よせ!!」
俺は大声でそれを止め前に立ちはだかった。
「こいつはこの辺りじゃ貴重な医者なんだろう。シェリーはどんな性格だった? とことん合理主義だったよな。確かに彼女を救えなかったけれど、この貴重な技術職を感情に任せて殺すような女だったか!」
クロウはそれでも銃を下げることはできなかった。涙を滴らせ、指を震わせながらも銃口をこちらに向けている。俺はなるべく平坦な声で言った。
「............下げろ」
クロウはしばらく葛藤し、それでもようやく銃を下ろした。俺は片手で彼の肩を軽く叩いた。
「エラかった。姐御はたぶんどこかで見ている」
あまり性格のよくない男がうっ、と喉を詰まらせ、それから前より大声をあげて泣いた。俺はそれを見ずハートレイに近寄った。彼はシェリーの手を離し双十字を切った。
「あなたには大役がある」
「ええ。立派な葬儀を営みます」
俺はハートレイの澄んだブルーの瞳を見た。潤んではいるが奥にあるのはいつもと同じまともな色だ。だから選択は変えなかった。
「いえ、それだけじゃない。あなたには北区のボスをやってもらいます」
その場にいた全員が、時が止まったかのように声をなくした。