18. 大きいことに価値がある
血の気が引いたのが自分でわかる。だが口の内側をかんで気を静めた。
————崇貴卿なら策略は得意だろう
それから横目でちら、とカーライト卿を見る。この人だって本当のことを言ってるとは限らないし、本当だったとしてもその真意はわからない。
————もしかしてこの状態も俺に合わせただけで、本当は尻好きかもしれないし
呑まれるな。自分に言い聞かせる。
「No.3には言いましたか」
「いえ、彼は危険すぎます。面白半分にどちらか、いや両方をかき回しますでしょう」
「俺に関わることがバレたら殺されるかもしれませんよ」
「地獄を守るために死ぬなら本望です」
変な言い方ですね、と彼はまたやわらかく微笑んだが眼鏡の奥の知性的な目は測るように俺を見ている。
「受けるとは言いません。だけど教えてください。俺に何をさせるつもりですか」
「まずはあちらにつかないでほしい。彼女たちは天国都市に逆らおうとしています」
カレンに聞いたけれど都市間の軍事力や科学力の差がありすぎて、ほとんど夢みたいな話だ。
「俺一人がついても状況は変わらない。事実、あちらはビルに乗り換えましたよ」
ゲームでもするみたいな表情を作ると、相手も同じような顔をする。
「そう思っているのは彼女だけかもしれませよ」
開かれたカードは少ない。互いに様子を窺ってはったりを聞かせるしかない。
「あなたは東区の......クレイトン卿と組んでいますね」
「よくおわかりですね」
彼はあっさりと認めた。
「確かに彼との仲は悪くない。まあ互いに思うことは違うのでしょうが」
誰と誰がつながっているなんてややこしくてよくわからない。シェリルとカレンは対立しそうだし、性別だってそれほど意識しない方がいい。とにかくアンチ天国と、内心はともかく天国に逆らいたくない派がいることだけ把握しとけばいいだろう。
俺は相手の提案を拒否もせず肯定もしなかった。彼も一息に呑み込むほどの決め手を持たないためか、比較的友好的な顔合わせであることに満足しているようだった。
黙ってそれぞれ女優の乳を楽しみながら相手の指向性を気にしている。宙に浮かんだホログラムは、画面の映像と違って男優の姿が消してあり、本来なら見えないはずの全身が隙なく公開されている。こういう部分は地獄都市の技術も割に高いと思う。
映画の終わり際、最大アップの四つの胸が目の前で惜しみなく震えるのを見ていると、カーライト卿は両手をくぼませて何かをやわやわともみしだくモーションを見せながら、おごそかに会談につきあったことに対して礼を述べた。
俺もうなずいて、全く同じ動きを見せていた手を止めて相手に差し出した。
「何も約束はできませんが、また」
「ええ。また見に......じゃない、会いましょう」
敵意を見せずに握手をして別れた。
映画館を出た頃には日がだいぶ傾いていた。薄曇りだったがそれでも光が目に眩しい。二、三度まばたきして辺りを見回す。雑多な店が多い通りでゆっくりと歩み去るカーライト卿の背が見える。人気のない小路に入り込み、建物の壁にたたずんだ。数十分そうしてからもとの通りに戻った。
————実際、俺に何ができる
各地区のボスと顔は会わせたーーいや、西区のビルの父親には会ってないけど。それだけだ。都市法もあるし何かできるわけじゃない。
仲介者として期待しているのか。たとえばビジネスまでは禁じられていないわけだからそれを取り持つとか。顔つなぎにしかならないと思うけれど。むしろ双十字教の人がやればいいじゃないか。それも禁止なのか。
「......都市法違反よ、シロウ」
艶のある美声が響いた。無意識に口走った問いへの答らしい。俺は撃たれたように引きつり、それから見覚えのある胸に目をやった。そこは今日は黒の厚地に包まれている。神父がよく着用しているカソックだ。
「やあ......グレイス」
「久しぶりにね、シロウ」
プラチナブロンドが薄い陽光を受けて硬質な光を弾く。底を見せない煙るような色合いのブルーグレーの瞳。紅い口元はやわらかな笑みをたたえている。俺も口の端を歪めて皮肉った。
「......奇遇だね」
「世の中に偶然なんてめったにないわ」
「それでは上手な監視に乾杯しようか。どこの店にする? イエヤスは? それともパラダイス?」
彼女は笑みの形を崩さず指を弾いた。すぐに壮麗なレイキューシャが現れ、俺たちはそれに乗り込んだ。
助手の少年、トビーはいなかった。広い車内は運転手以外は俺たちだけで、彼女はカソックを脱ぎ胸の開いた紅のドレス姿になると、自分で中の冷蔵庫からシャンパンを取り出し、フリュートグラスを満たした。
「君の瞳に」
「神と地獄都市に」
互いに目を見ながらわずかにグラスを掲げ、すぐに口元に運んだ。今まで飲んだものと違ってうまかった。
「......いつから俺は監視されていた?」
切り出すと彼女は「最初にこの都市に来て三ヶ月ぐらいかしらね」と答えた。
う、と息を呑んだ。せいぜい中央点に行った時だと思っていた。彼女は表情を出さずにグラスに唇をあてている。
「............なぜだ」
「ジョーカーを手に入れたくて」
口紅の色は以前と変わりなく鮮やかだ。質の良いものらしくグラスにはつかない。水滴をつけたグラスは防弾ガラスから差し込む光を受けて繊細なカットを輝かせている。
「No.3か?」
彼女は笑みを深めた。真似しようとして口元が引きつったが質問を続けた。
「彼はやっかいだ。誰もが手に入れたがるが、誰も手を出せない」
エド・タン以外は。だけど彼女は口角を下げなかった。
「予測通りの行動なんて、彼が一番嫌うことじゃなくて。私は彼に接触して協力関係を築いたわ」
「どうせ、すぐに裏切る」
「と、みんなが思ってることを当然彼は知っているわ」
ひねくれた男だ。しばらくは予想を覆して遊ぶ気かもしれない。
「じゃあ俺はお役御免だ。監視体制から外してくれ」
「もちろん。おわびに安全な所へ送るわ」
「いや、いい。下ろしてくれ」
彼女は優しく目を細めると、ふるりと巨乳を震わせた。思わず見とれると首に異物感が与えられた。
スタンプ型の注射器だ。そう思った瞬間体の力が抜けた。
「悪いわね」意識がブラックアウトする瞬間、グレイスの声が聞こえた。
「......No.3の条件なのよ」
後の方の言葉は本当にそう言ったのか定かではなかった。
「あたっ、あたりましたよっ! 初めてです!!」
「端っこをかすめただけだ。あたったなんて言えたもんじゃない」
小躍りしているハートレイ卿を尻目に、ほぼ無傷のペーパーターゲットを睨む。動きもしない的を近距離から撃ってなぜこうなるんだ。
「もしかしたら私はガンマンの素質があるのではないでしょうか」
「絶対ないから落ち着いてくれ」
銃を振り回すなと説教しつつため息を押し殺す。この地下の射撃場は今は彼の貸し切りで人っ子一人いない。前に指導していた修道士は予想もしない弾筋を描いた銃弾で尻に穴をあけられて休んでいる。
ハートレイは以前よりだいぶ鍛えられているがまだかなりひょろい。おどおどした感じも抜けていない。
俺が今いるのは双十字教の男子修道院だが、何区にあるのかはわからない。周りは畑と果樹園が広がっているが敷地の壁の外は荒れた岩場だ。人里離れた辺境の地にある。女子修道院とはあり方が違うし過去のそれとも違う。
それでも神に祈りを捧げる敬虔な人々の生活の場であることは変わらないが、崇貴卿になる人の潔斎の場、もとい訓練の場でもある。
気を失ったままこの場に連れ込まれた。目が覚める前にグレイスは去っていた。
伝言によると玉は連れて行ったらしい。そのことは感謝した方がいいかもしれないが、いきなり拉致されて妙な所へ閉じ込められたのは相当に不愉快だ。修道院の人たちは不親切ではないがいつまでここに置かれるのかは答えてくれない。
「ここは歩いて逃げられるようなのんきな場所ではありません」
修道士にそう宣言されてがっくり来た。見知った顔のハートレイがいたのも別に慰めにもならない。しかもあまりの銃の下手さに口を出したせいで教官役を押し付けられて迷惑している。
「人を撃つ気はありませんが、上達すると嬉しいですね」
目を輝かせた彼に俺は渋い顔を向けた。
「撃つ気ないの?」
「もちろんです」
「じゃあ、そんな小さな銃を持たない方がいい」
そりゃあたりどころが悪けりゃどんな銃だって命を奪うけれど、デリンジャーは隠し玉としての利用に向いた玩具だ。
「これでしたら相手に与える危険が減るでしょうし」
「撃つ気あるじゃん」
あ、と口を開ける彼に近寄って肩を叩いた。
「あなたのような人はかえって大きな銃の方がいい。うっかりあたったらマズいと思わせるほどの。デリンジャーなんかかまえたって鼻で笑って近寄りますよ。ただでさえ迫力ないんだから」
「しかし」
「それにあなたはけっこう手が大きいし背も高い。もっと鍛えりゃそれなりになりますよ」
「そうでしょうか」
ハートレイは澄んだブルーの瞳をうつむけた。静かにしていると割合端正な顔立ちだ。俺は力説した。
「もちろんです」
ちょうど様子を見に西側にある階段から下りてきた中年の修道士に声をかけた。
「デザートイーグルあるでしょう? ハートレイ卿のために出してやってください」
黙って見返した彼に「崇貴卿なんだからその資格はあるでしょう」とたたみかけると「しかし......尻に穴が開くだけじゃすみませんからね」と肩をすくめた。
「この人の場合銃身が短いと安定しないんですよ。俺が責任もって面倒を見ますから」
「あることはあるけれど持ち主はいるんですよ......どうせ大して撃てないのなら、趣味的なものはどうですか」
ちょっと待つように言うとブラザーはまた階段を上がり、すぐに銀色の銃を抱えて下りてきた。
「これはどうです?」
それはとても銃身が長く特徴的な銃だった。大型ではあるが最大級なわけでもない。ただ、妙な魅力があった。
「見たことないけど、なんですこれ?」
「44オートマグといいます。ごく初期のマグナム銃の一つですね」
その名は覚えがあった。昔、俺の銃の先生が語ってくれた豆知識だ。
「......って、えらく扱いづらいんじゃないんですか。確かあだ名は”オートジャム”」
やたらに動作不良を起こすらしい。装発数は七発だが七発目を入れるとマガジンを傷めるとか、えらくわがままなお嬢さんだ。
「亡くなった先代の修道院長が、当時の女子修道院長に懇願して譲り受けた趣味の品です。その人が精魂込めた一品ものなのでカスタマイズ済みですよ」
まあ地獄にある銃のほとんどがフェイクだ。しかもメジャーなものしか作られていないから、これを知ってるヤツなんかほとんどいないしハッタリはきくだろう。
「これを私に?」
ハートレイが上気した顔で銃を受け取っている。いくら暴力沙汰を嫌う彼でもデカい銃は単純に心を弾ませるらしい。
「ええ。どうぞ」
受け取った後重さに驚いたりしていたが、試し撃ちを始めたら初発で的にあてた。
「やった! 神と精霊と仏の加護です!」
大喜びしているハートレイに視線を向けたブラザーは、ほんの少し笑うとまた階段を上がって行った。もともと反動の上がりが大きいので彼の癖とうまく相殺したのかもしれない。俺は惜しみなく賞賛を与え、射撃の喜びを植え付けることに貢献した。