13. 風俗業には遠すぎる
「よお。元気そうだな」
「おぬしもな。色艶よくよう肥えておる」
「ほっとけ。こら筋肉だ」
No.3の邸の食堂で、ビルが玉の小さな手をほんのちょっと握った。
「何してたんだ? こいつ心配してたぞ」
「うむ。少々ものを考えておった」
「東区の枢機卿にさらわれたんじゃなかったのか。そう聞いたぜ」
「否定はできぬが一応礼は示された。東区のボスは妻が弱みで狙われている今、これ以上弱点を増やしたくないと説得された」
予想どうりキモノの中に隠されて連れ出されたそうだ。俺も文句を言った。
「せめてひとこと言ってからにしてくれ」
「時間がなくての」
にっ、と彼女は笑った。反則だ。可愛らしい。
俺は首を一つ二つ振って問題点を整理しようとした。
「えーと、ルーシーが狙われているって誰に?」
「一つは双十字教だ。もう一つは...まだ確証がないから言えぬ」
「え、玉は双十字の人といっしょにいたんじゃなかった?」
「その通りじゃ。まああの宗教は一枚板ではないが、われが行くことを条件にしばらくコトの進行を止めてくれることになった」
整理しようと考えて気づいたことがある。
「彼らは、君が普通の五歳児ではないことを知っているのか」
彼女はあっさりとうなずいた。
「単なる天才ではないと思うておるな。だがなんであるのかは知ってはおらぬ。われはファンタジックな存在ゆえ想像の範囲外じゃ」
「え、玉はエルフかなんかなのか?」
ビルが驚いてこっちを見る。
「いや。エルフじゃない」
「魔族か?」
そういいながら彼女の背中を見る。羽かなんか生えてないか気にしたんだろう。
かっかっかっと彼女は笑った。
「むしろ魔王じゃ。第六天魔王と名のろうかの」
「それ二番せんじだからダメ」
「煎じと言えば茶があるかの。長く飲んでおらん」
使用人を呼んで緑茶をもらった。
自室に戻ると彼女は用意してもらったサイドベッドの上にちょこんと座った。
「話してみよ」
「......まだ話したくない」
「逃げてるだけじゃな。われはあの場を見て来た。気は感じておる。全て話せ」
何年かたって都合のいい思い出に書き換えてしまうより、辛いまま吐き出してしまう方がいいのかもしれない。俺も自分のベッドに乗って彼女に向かった。
大ケガをしていた俺は何者かによって十六人外区に連れ込まれた。最低限の手当をされて放置された。
木の根元に倒れていた俺を助けてくれたのは子どもたちだった。細めの丸太を組み立てて作った隙間だらけの貧相な小屋の枯れ草のベッドに俺を寝かせて、交代で抱きしめて暖めてくれた。
高熱が出てうなされた。俺はひたすら彼女の名を呼び意識はおぼろだった。
熱が下がり気がつくと、裸の子どもが三人もしがみついていた。
「............?」
「起きたの、お兄ちゃん」
「死ぬかと思ったけどがんばったね」
「アンジーって彼女?」
びっくりして口もきけなかった。笑いながら彼らはボロボロの服をまとい、奥の方に知らせに行った。
「さっさと出て行けよ」
シンと呼ばれる十二くらいの男の子が毒づく。彼は最初に食べさせてくれた木の実のスープを吐き出したことを根に持っている。エグみがあって当時の俺には食えたモンじゃなかった。だが、空腹に耐えかねてどうにか慣れた。
金目のものは全て取られた。銃だって持って行かれた。だけど命を救われた。
「お肉買って来たよーー!」
小屋の中に火を焚く場所があるけれど、焼き肉は外だ。
「ありがとね、お兄ちゃん」
「お金持ちなんだねー。俺たちしばらく困んないや」
「.........いっきに使わない方がいいよ」
「うん。でもだいぶもつよ」
彼らですら貨幣経済と完全に無縁なわけじゃなかった。塩や服や刃物などどうしても必要なものがある。地域の商人が境まで来て声をかけることもあるし、年長の者が地獄都市まで買いに行くこともある。足下を見られてボラレたり、脅されて全部取られることもよくある。
「ひどいもんだよ」
愚痴りながらも木の枝で作った扇に似たもので火種を煽る。俺も何度か試してみたけど燃えなかった。
「焼けたよー」
ちゃんと俺にも分配される。以前なら食えたモンじゃなかった安手の合成肉だが、タンパク質に飢えていたのでありがたかった。
がつがつ食べていると小屋で見かけない子どもが一人現れた。
「分けてよ」
シンがにらんだ。
「五百ペリカンだ。負けない」
「え、高すぎるよ」
「おまえら前そんだけとったろ」
ペリカンは地獄の貨幣単位だ。この下にペリカッパって単位があり百ペリカッパが一ペリカンだ。五百ペリカンは五万円ほどだ。
え、こいつらそんなに金持ってるのと驚いたら違った。その子がしぶしぶ古びたビニール袋を差し出すと、受け取った子どもたちが一生懸命数え始めた。どんぐりだ。
「よし。ほら」
あらかじめ小分けしてた肉を渡すと礼も言わずに去っていった。
入れ替わりにもう一人現れた。
「シン、肉分けて。三百ペリカン持って来た」
「いいぜ、ほら」
今度は数えもせずに渡している。
歩いていける距離には小屋が三つあってそれぞれ子どもが住んでいる。俺のいた小屋には七人だ。
充分に肉を食った彼らはドングリを手に取った。
「五百の方は取っておいて三百の方はみんなで分けよう」
俺を抜かしてそれぞれの前においていく。不思議に思って突っ込んだ。
「一人四十二個であまり六個だろ」
みんなきょとんとしたまま分け続けたけれど、分けていた女の子が驚いた声を出した。
「本当に六個余ったわ!」
みんなは急いで自分の分を数えて更に驚愕した。
「四十二個だ!」「なぜわかったの!」「魔法使いだ!」
こっちも驚いた。
「......割り算って知ってる?」
「知らない。足し算と引き算は知ってるけど、そんなヤツ?」
「前いた子が教えてくれた」
まず九九を説明してやるべきかもしれなかった。
最低限と思った傷の手当は的確だったらしく、痛みはあまり感じない。小屋の外で、もう腕もだいぶ動かせるなと試していると九歳の女の子、ベスがやって来た。
「行ってほしくないけどそろそろ行かないとニョロちゃんが来るよ」
「今まで来なかったんだからもう少しは大丈夫じゃないかな」
少女は首を横に振った。
「ケガの後しばらくはほっておいてくれるけどもうそろそろ危ない時期だと思う」
悲しそうな顔でつけ加える。
「年齢シール貼ってもらってない子はね、自分のほんとの年わからないの。だからまだ十五じゃないって思ってた子がね、ある日いきなりぱくっと食べられちゃったりするの。用心して早めに出た方がいいわ」
五歳分までシールがあり、残り四つはマジックで書いてあった。
俺は彼女の手を握った。少し彼女が赤くなる。
「じゃあこのマントはおいていくよ。温かいだろ」
「いいよ! お金も銃もとっちゃったし」
「それは正当な対価だ。みんなで使って。だけどあの銃は......」
続けられなかった。凄い勢いでニョロちゃんが這いずって来たからだ。ベスが悲鳴をあげる。無意識に腰に手をやるがそこにグロックはない。
急すぎて恐怖もパニックもなかった。あぜんとサンドワーム型巨大生物を眺めるとそいつは口をぱっくりと開いた。
たぶん立ったまま気絶していた。気がつくとベスが俺にしがみついたままわんわん鳴いていた。
「くえないほど悪い病気じゃないのか、こいつ」
シンが憎々しげに俺を見る。十一歳の気の強い女の子リタが反論した。
「病気の人は先に食べるじゃない」
命に関わるような病気にかかっているヤツは必ず食べられるらしい。
「偶然かもしれない。すぐ行った方がいい」
「お兄ちゃん行っちゃうの?」
最年少の六歳のミゲルがマントの端をつかんだ。
「......なるべく外に行かないからもう少しいてもいいかな」
まだ五の段までしか教えていない。
「............かってにしろ」
シンがぺっ、とつばを吐き外に出て行った。
正直寒いし食事はひどいし自分がなぜあんな選択をしたのか今もわからない。金も銃も渡していたけどなんだか彼らに何も返してない気がしたからか。
でも現実はシビアなもんで食い扶持を減らしただけかもしれない。まあ当分は困らないぐらいの金ではあったが。
俺を救ったヤツがどうして金を奪わなかったのかもわからない。
みんなが寝静まった頃帰って来たリタに気づいた。
「お帰り。どこへ......」
マント代わりのぼろ布を脱ぎかけていたリタが急に手首を隠そうとした。俺はその手をつかみ赤黒い痣を見た。びっくりして彼女の袖をめくり上げるとくさび状の紐の痕があった。
「......はなしてよ」
「どうしたんだよ、これ」
「静かに。みんなが起きるわ」
彼女はぼろ布を脱いで石造りの火焚き場の前に座った。そこは一日中小さな火がちょろちょろと燃えている。屋根には地獄都市の崩壊した家からとって来た煙突がつけてある。
俺はその横にたったままだった。
「あと一年しかできない稼ぎよ。地獄都市の子でも十二以下に手を出せば殺されるけどさ、森の子どもたちならばれなきゃゆるいのよ」
「金は当分」
「あんた、バカァ? なくなったあとどうすんのよ。つてをなくしちゃったらもう稼げない。キチンと行っといた方がいいのよ!」
憤る彼女を見ているうちに涙が出そうになった。そんなコトから逃げてここにいるはずなのに結局は逃げられない。
「......かわいそうに」
彼女は激昂した。
「かわいそうなんて言わないでよ! あたしは仕事をしているだけよ!」
少女の怒りが胸に痛い。つい口にした自分の無神経さもイヤだ。
「寝るわ! おやすみっ」
怒鳴るように言うと女の子たちの集まるもう一つのベッドに潜り込んだ。
可能な限り手伝いはしたがお荷物だったのも事実だ。子どもたちの得意な作業は上手くできないし力だってそれほどあるわけじゃない。たまに外に出ると錆びきった弾倉を踏んづけ、やれやれと投げ捨てて帰ってみんなをあきれさせたりした。
「つまり、幸運を投げ捨てたってわけね」
「?」
「弾倉ってね、弾込めすればまた使えるんだよ」
「知ってる。でも錆びてたし」
「磨いて売るの。あんたほんと育ちいいよね」
彼女たちはだいたいの場所を聞いて拾いにいったが、既に別のグループに拾われていたらしくもうなかった。
一挙一動にケチを付けるシンに散々にバカにされた。
算数は全員は学ばなかった。でもそれでいい。俺はドングリを使って説明し九九を覚えさせた。ミゲルが一番に覚えた。
「魔法、教えて!」
「順々にね」
確かに彼は算数に向いていて、すぐに割り算までマスターした。
「これでドングリ、カンタンにわけれる」
「そうだね」
それは形だけのゆるい貨幣になっていた。お金持ち気分で楽しいからと単位はペリカンだ。
「よそのグループのモノ買えるし、賭けでも使える」
「賭けなんてするの?」
「うん。楽しいよ。カードも一組あるし、オカポッポがどこに生えるか賭けたり鳥を誰が捕まえるかとか普通のことドングリ賭けるの」
野鳥はこの区に多く、たまに上手く捕まえるとおかずになる。めったにないけどたまに卵も手に入る。
「でも算数も楽しい。もっと教えて」
砂が水を吸い込むように彼は知識をほしがった。
熱心に教えているうちによその小屋の子まで聞きにくるようになった。シンが怒ってドングリを要求したので止めると、じゃあ出て行けと言われた。
まだ去りたくはなかった。ミゲルは分数の計算もマスターして四則組み合わせの計算に入っている。この子の力ならじきに連立方程式にたどり着きそうだった。
他の子たちが反対してくれ、俺は夜だけニョロちゃんの使ってない巣穴に泊まることになった。
そこは風が強くて特に寒い夜、三つの小屋のみんなが抱き合って眠る所だ。そんなとき小屋はすきま風もひどいし危ないから火も消さなきゃならない。そこは一人でも凍死しないですむほど温かいがべたつくし妙なにおいがするのでいつもは使われていなかった。
その頃外に出てもニョロちゃんに襲われなかった。と言うより出会わなかったから食料探しにぶらついた。彼らの分を減らすことになるのに、シン以外はみんな場所やコツを教えてくれた。
「でも、月のない夜は気をつけてね」
ベスが小声で忠告してくれた。
「なぜ?」
「言えないの。でも気をつけて」
彼女は大きな瞳をじっと俺に向けた。
一人の夜は寂しいより恐い。ちょっとした物音で震え上がる。だから、入り口に貼った枯れ草のカーテンが不意に開かれた時は飛び上がりかけた。実際は天井が低いので座っていたからびくついただけだが。
「ねえ、今夜も一人?」
よその小屋のメンバーの女子で十三歳。胸も腰もこの粗末な食事内容からしたら信じられないほど育っている。
「慰めてあげるわ」
「けっこう。間に合ってる」
「そんなこと言ってるけどしたいんでしょ」
婉然と彼女は微笑んだ。他の子と違って定期的に入浴しているらしく小綺麗だ。
「あたし上手いのよ。十二を超えてからもお客はあるの。地獄でも暮らせるけどみんなが取り合うからめんどくさくって」
彼女は俺の耳たぶに息を吹きかけ、首筋に手を回した。そのまま体をすりつけてくる。
「......ほら。反応してるじゃない」
正直痛いほどだったが俺は断言した。
「これは誤作動だ」
心の裡で必死に逃げ場を探す。彼女は更に強く抱きつく。
「ねえ、楽しみましょう。ただでしてあげるから」
彼女の声も体も生々しい魅力があって、顔立ちもかなりよかった。
甘い匂いがした。肌もすべすべで弾力があった。
「つきとばせないでしょう。そうよね、あなた男だしね」
「つきとばせない」
俺は答えた。
「だけど男だからじゃない。大人だからだ」
彼女は不思議そうに俺を見た。
俺は自分からぎゅっと彼女を抱きしめ、耳元で囁いた。
「君がここから出て行かないのは面倒だからじゃない。小屋の仲間が家族だからだ」
びくっと彼女はふるえ、俺から手を離そうとしたがそのまま抱きしめた。
「出て行って地獄で稼いでも君なら食っていける。組織にショバ代払ったって小屋のみんなを食わせるよりかは余裕もあるはずだ。だけど十五近くなるまでここにいることを決めたんだろ。いい子だ」
「あたしは地獄じゃあばずれで有名なのよ」
「ここでは違う。君のグループのお姉さんだ」
そっと彼女の髪を撫でる。
「だけど時たま疲れて泣きたくなるんだろ。無性に誰かに甘えたくてしょうがないはずだ。だけど仲間には甘えられない。だから来たんだろ。その上ただで甘えるわけにはいかないって代償まで用意して。いらないよ。俺は大人だから」
誤作動はどうにか落ち着いていた。俺は念のため心の中で般若心境を唱えて更に萎えさせてから、もっとぎゅうっと抱きしめた。
彼女は抵抗しなかった。さっきと全然別のあどけない顔で俺に体を預けていた。
ようやく離れた時彼女は涙をこぼしながら笑っていた。
「............ありがと」
「どういたしまして」
「大人って、お兄さんいくつ? 十七ぐらい?」
「二十二、いやもう誕生日来たかな、二十三」
「えーっ、サバイバーなの? 見えないわ」
「サバイバーって?」
呆れて彼女は説明してくれた。それからちょっと考えて俺の手を取った。
「やっぱり払うわ」
「いらないよ」
「ううん。気持ちがすっきりしないからちょっとだけ。はい、これ」
彼女はドングリを十個渡してくれた。
「十ペリカン。安くてごめん」
「いいよ、ありがと。もらっとく」
「また今度十ペリカンで抱きしめてくれる?」
「ただでもいいよ」
「だめだめ。すっきりしないもの。またね」
来た時の艶っぽさの欠片もなく元気に巣穴を出て行った。
「ねえ、私も抱きしめて。はい、十ペリカン」
「あたしあとでいい。十ペリカン持って来たよ」
なんだか噂が広がって、ドングリもって巣穴を訪れる子が増えた。初めは女の子だけだったがそのうち男の子も出てきた。
たぶん最初の子はにおいでばれて白状してしまったんだろう。気づいたもとの小屋の子に責められたが、彼らからはドングリを取らずに抱きしめることで話がついた。
「お父さんみたいに抱きしめて」
「ボクのお兄ちゃんみたいにね」
ドングリ払った子は注文までつけてくる。俺は風俗業のようなことをしながら、その実風俗から一番離れていたような気がする。金(?)をもらって抱きしめるが、抱きしめてる間はその子の理想の家族のつもりになった。
うちの小屋の子たちもドングリは持ってこないが抱きしめてもらいたがった。シンとリタをのぞいてほとんど全員抱きしめた。
「......居心地は悪くなかったわけじゃな」
「何もなかったらずっといたかもしれない」
「なにかあったわけか」
「............」
枯れ草のベッドとは段違いの普通都市から輸入したらしいベッドの上で、俺は宙を見据えた。もちろんそこにはなにもない。だけど封印した記憶を呼び覚ますために、遠く離れたどこかを見つめた。