10. 面会予約は取るべきだ
レストランの客たちは振り向きもせずに食事を続けている。まるで、俺たちが存在などしていないように。
だけどそんなわけがない。最初から仕込まれていたんだろう。
川で会った時以降連絡を取った様子はなかった。たぶん用意を整えてから石を投げたんだろう。
「高齢処女って大好きなんだよねー」
「やだっ!」
驚きで声も出せなかったルークが叫んだ。
「高齢でもないっ! まだ十六!」
「この街じゃ十分に高齢だ。初めてとしてはね」
ざっ、と片手でシャツを引くとボタンが全て弾けとんだ。
「しょ、処女じゃないっ! 一万回くらいやってる!」
ルークが明らかな嘘を叫ぶがNo.3は気にしなかった。
「じゃあ一回くらい増えてもいいよね」
「いやだっ!」
ついに彼女は泣き出した。
「あいつじゃなきゃイヤだ! 初めてだってその後だって!」
No.3はまるで気にせず口笛を吹きながらシャツの下の白い下着を裂いた。片手に握った銃は一ミリもずれない。
「............兄さん」
俺の口から、彼には使ったことがない言葉が漏れた。
「その娘だけは、やめてくれ」
なぶっていた片手が止まった。
彼は横目でちら、と俺を眺めるとまたすぐに彼女のデニムを脱がし始めた。
形のいい脚が露出する。すかさずひざで押さえつけられる。
「兄さん! ......お願いだ」
声が妙にかすれた。
No.3は再び手を止めこちらを見つめた。
だいぶたってから彼はうんざりとした声を出した。
「............弟ってのは勝手なもんだねえ」
銃を下ろすとひょいとテーブルからおり、俺に近づいて肩を軽く叩いた。それだけでよろける。
「二度と聞かない。相手がおまえの女でもな」
そう言うと、片手を振って出て行った。
力が抜けてテーブルに手をついた。ウェイターが音もなく近づいて来て「別室をご用意致しました」と告げた。グルであるこいつらの言葉を拒否したかったが黙ってうなずき、マントを脱いでルークに着せかけて連れて行った。
店の客は何事もなかったかのように食事を続けていた。
個室には服まで用意してあった。着ていたデニムと同じようなものと素敵なドレスの二種だ。彼女はデニムに飛びついた。
「見るなよ! 絶対見るなよ!」
そう叫びながら後ろを向いて凄い勢いで着替え始めたがマントを脱ぎながら動いたため、きゅんと上がった可愛いヒップがちょっとだけ見えた。
俺は背を向けてそこにあった椅子の一つに座った。
気づくと体が小刻みに震えていた。
あいつが急に気まぐれを起こさなければ、俺は一生彼に顔向けできなかった。
「ひゃあ、マジヤバかった。えらい目にあった」
着替えの終わった彼女が俺に笑いかける。
「ありがとうシロウ......って涙ふけよ」
彼女がハンカチを投げてくれる。受け取って顔を拭いた。気づいてなかった。
「いやあ泣き落としで解決する男って初めて見たよ」
「............誰のせいだと」
「悪かった。ホントごめん」
「いいよ。シェリルが無事でよかった」
「うん、本当に............えええ!」
彼女はグレイの目を大きく見開いた。
「............いつから気づいてた?」
「ついさっき」
ちょっと苦笑する。俺は本当にバカだ。
「最初から名乗ってくれてたのにな」
「..................」
彼女はルーク・ソラドと名乗った。下の方に注目するべきだった。
それは音階と一致する。だがシがない。だからそれを加えるべきだ。
上の名にもたすとシルーク、つまりシルクになり、最初に聞いていた彼女の芸名となる。
「髪の色が黒じゃなかったから気づかなかった」
「染めてんだよ、もちろん」
「瞳の色と同じだ」
アホか、って顔をされた。
「目の色に合わせて染めたに決まってんじゃん」
「......ですよねー」
自分の鈍さにがっかりする。シェリルは隣の椅子に座った。
「ビルに会えよ」
「うん............でも、もうちょっとだけ待ってほしいんだ」
「どうして? 充分だろう。あいつがどれだけ君のことが好きかわかったはずだ。たとえ無神経なことをしたとしても、もう許してやってくれ」
「うん、わかってる。修道院でずっと声聞いてた。嬉しかったよ」
はにかむような表情を浮かべた彼女はとても綺麗だった。
「今どうしてる?」
「双十字の人たちといっしょ。あー、女性ね」
「玉は?」
「あの子面白いね。なんか島国の文化を継承しろって物語を話してくれたよ」
「どんなの」
「えーと、バンブーハンター・オキナって人がトレジャーハントしてモンスターの美少女を育てる話とか、イケメンがハレム作るけどntrされて凹む話とか」
ワビ・サビだな。
「でも見ておきたいものがあるからって、ここ来てからは別行動だ」
「彼女は一人?」
「付き添いがいたけどまかれたって。まああの子特別な感じだから大丈夫とは思うけどね」
なんとか回収したいけれど、どこにいるかもわからない。彼女たちのもとへ戻るのか、東区へけろっと帰ってくるのかもわからない。
「いる間に赤毛で緑の目の女性に会わなかった?」
「話は聞いたけどおいらは見てない」
この娘は見つけたのに、自分の会いたい相手には会えない。
「しつこいようだけどビルに会ってやった方がいい。好きな人に会えないって相当きつい」
「うん......でも、おいらあいつにふさわしくないんだ」
伏せたまつげが露を宿す。襲われそうになった後も消えなかった明るい雰囲気が曇り、しっとりと女らしい影を含む。
「あいつは育ちもバリバリいいおぼっちゃまだし、小学校卒のエリートで、頭もよくって分数のかけ算も出来るんだぞ!」
「............知ってる」
「なのにちっとも威張らなくて、かっこよくて、優しくて、それにあの美貌! 教皇さまの間近に暮らすだけあって本当は天使が人に化けてんじゃないだろか」
俺は彼女を見つめた。
「確認するけど君の恋人はビル・サンダースで間違いないよね」
「いきなりフルネームで言わないで。胸がドキドキして壊れちゃいそうだ」
彼女は腕を交差させて自分の体を抱きしめた。
「そりゃ、シロウの兄ちゃんも性格はヤバいけど顔はなかなかだったけど、あいつと較べたら太陽と泥亀、バラの花とペンペン草、至高のシェフが腕によりをかけて作った最高級ヤキソバと冷蔵庫の片隅で忘れ去られて三日たって仕方がないからとりあえずお茶をかけてみたがやっぱりカサカサだったライスボールだよっ」
ほどいた腕を振り回している。
「......ヤキソバ、食べたことあるんだ」
「店に来たお客さんがごちそうしてくれた......ってそこじゃない、ビルの非人間的なまでの美しさが問題なんだ!」
「はあ」
「あんな恐ろしいまでに美しい人が本当においらを好きでいてくれるのか、いやおいらだってけっこう悪くはないんじゃね、ってうぬぼれてたけれど彼はもう、次元が違う! 夜空に輝く月よりも美しい彼が本当においらなんかでいいのかって悩んでたら、サム・ライの下っ端があいつがおいらを身請けしたって教えてくれて、やっぱただの慈善事業なんだなーと」
女の子の思考形態はよくわからない。
「あいつはここまで追いかけて来て今でも君を捜しているんだぞ。慈善事業であるわけがない」
「うん......やっぱうぬぼれてもいいかなあ」
ちょっと爆発してもらいたい気にもなるが仕方がないので肯定した。修道院長が「恋は盲目」って言ってた意味がやっと分かった。
「とにかく会った方がいい」
「うん。心の準備して双十字の人に断ってからそうする。ありがとね、シロウ」
彼女はそう言いながら立ち上がって俺に笑いかけるとするりと出て行った。居場所は教えてくれなかった。
川沿いの店を出て歩いていると後ろから車の音がした。やり過ごそうと道の端に寄るとその車が真横に止まった。なんだろうと目をやると中から飛び出て来た男たちにいきなり銃を突きつけられた。
「ボスの用事?」
「まさか」
人相のよくない大柄な男が凄みをきかせる。
「カレンとこの人?」
「いや」
「双十字教関連?」
「違う。とにかく来い」
「地獄の人はアポイントメントという概念を導入した方がいい」
ごん、と頭を殴られた。
「わけのわからねえこと言ってんじゃねえ!」
「まだ殴るな。とりあえず口をふさいどけ」
さるぐつわをかまされた。
連れて行かれたのは大きな邸だった。
「くつろいでくれ」
なめらかな動きをする電動車いすに座った男が言った。薄い茶色の丸眼鏡をかけた五十すぎに見える男で髪は白い。神経質な感じに見える。
「くつろげません」
白い床に白い壁、ソファーも白で座り心地は割といい。前に置かれたテーブルには銀色のバケットにワインが冷やされ、バタピーやスルメなどの上品なつまみが用意されている。
が、部屋の真ん中にある鉄格子が彼との間を隔てている。
「それに、兄はこの状況を快くは思わないはずです」
とりあえずNo.3を使って威嚇する。男はにこりともせずに答えた。
「彼は今、十七区から出ている」
え、あの後すぐ出かけたんだろうか。急がしい男だ。
「どこへ?」
「行き先は知らない。時たま消えるようだな」
彼の動きを捕捉しようなどと思ったことはないけど、ありそうな話だ。
「遊びにでも行くんでしょう。それより離してくれませんか」
男はふっと口元を緩めた。
「残念ながら今のところご希望には添えない。酒でも飲んでそこで過ごしてくれたまえ」
「あなたは誰なんですか」
彼は答えなかった。薄い笑いを浮かべたままなめらかに部屋を去って行った。