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4.女の涙にゃご用心

 このままでは貞操の危機だ。いやそれは大いに歓迎すべき事態のような気もするが、自分で決めたルールを破りたくはない。


 心の中のスクリーンに冷たい緑色の瞳が大写しになる。


 別に、俺が他の相手と寝たとしても彼女は気にも留めないだろう。

 そんなことはわかっている。あの凍りつく瞳に感情など無縁だ。

 それでも、決めたことは守りたかった。そんなことをしても何一ついいことなんかないことはわかっていたが。



「モーニン! 朝食よぉ」


 胸の大きな美女サバイバーが現れた。

 彼女はタタミの上に足が折りたためる丸いテーブル、ちゃぶ台を広げると(ビーンズ)の発酵食品の多い食事を乗せて勧めてくれた。


「昨夜、チナミが来たでしょう」

「はあ」


 あの長身黒髪の美女の名に違いない。


「断ったんだって?」

「はあ」

「叱られてたわよぉ。減るもんじゃないし協力してあげれば?」


 食事の味がわからなくなる。


「そのこと自体はやぶさかではないとしても、子を産むとかなんか無茶を言われたので」

「そうね、ボスも言ってたわ。何としても例の島国の血の濃い子供を手に入れたいって」


 ぞっとした。イヤすぎる。


「チナミさんもその島国の血を引いているんだろうか」


 彼女の顔立ちはくっきりとしていて俺には似ていない。


「少しだけね。ボスが苦労して捜したのよ。本物かどうかはわかんないけど」


 ブルネットの美女はしげしげと俺を見つめる。


「涼しげで悪くない顔立ちだけどあの子と同系統とは思えないわ」


 それからもっと近寄って秋波を送る。


「ねえ、あたしじゃダメ? あたしもその国の血が入ってるのかもしれないのよ」


 ブラウンの丸い瞳も高い鼻梁もサムと同系列の人種で、そう思わせる要素はない。


「名前よ。タエコっていうのよ」

「たまたまじゃないの」

「ファミリーネームもそれっぽいのよ。もっとも親なんて見たこともないから本当のことはわっかんないけどねー」


 サム・ライはその島国の血を伝える人間を集めているらしい。


「俺なんかと付き合っても失望するだけだよ」

「あら、別に付き合うつもりはないわよ。子供が欲しいだけで」


 身も蓋もないことをはっきりと言われる。


「あなたと子ができたらあたしも奥勤めできるかもしれないじゃない」


 美女に口説かれてありがたいのかもしれないが夢も希望もない。


「なんかなあ。俺の子供ってだけでその子に負債を負わせるような気分になるので遠慮する」


 ちょっと淋しそうな彼女の表情を見て慌てて付け加える。


「タエコさんは充分に魅力的だけど」

「あなたもそう思う? あたしっていい女よねぇ」


 思いっきり肯定された。とてもポジティブな人だ。



 サム・ライに会わせるか尋ねた美女の情報を教えてくれと頼んだら、部屋で取り調べをした護衛の男が来た。


「生かしてもらってるだけでありがてーのになに図々しいこと言ってやがる」

「目的があるのに拘束されて、しかも種馬として生きろとされてもあまり喜べませんよ」


 そいつは俺を上から下までじろじろと眺めた。そのあげくにちっ、と舌打ちをした。


「これだから育ちのいいやつは。いいか、生きてる、食える、楽な労働。どんだけ恵まれていると思ってる」

「いつ気が変わって放り出されるかわからないし。下手すりゃ殺されるかも」

「それが贅沢だって言ってる。昨日と今日生きてて、飯も食えたんだろ。幸せの極致じゃねえか」


 互いに相手がわかりにくい。


「有り金ぐらい置いていくからとにかく離してもらえませんか」

「やかましい!」


 腹の辺りを殴られた。座りこんで唸っていると怒鳴られる。


「女は逃げるし、取引はパアだし、忙しい時に面倒を増やすな!」


 こいつがあまり慎重な性質でないことはよくわかった。

 男は次に脇腹を蹴っ飛ばしてきた。


「ぶっ殺すこともできねぇ! うぜえっ」


 種馬に手を出すなと言われているんだろう。


 命の危険がないのなら、多少は殴られておく。いちいち逆らってネチネチ恨まれてるのもイヤだ。

 護衛の男は顔をよけて何発か殴り「人に言うなよ!」と言い捨てて去った。


 床に倒れて痛みに唸っていると人の気配がした。チナミが無言で見下ろしている。

 しばらく眺めた後、くるりと踵を返して部屋を出て行った。


「どうぞ」


 戻ってきた彼女は体を起こすのを手伝ってくれた。そして水の入ったコップと錠剤を手渡した。


「痛み止めです」


 呑み込むと気分的なものが加わってすぐに痛みが薄らぐ気がする。

 俺の様子が落ち着くとチナミは立ち去ろうとした。


「………チナミさん」


 声をかけると立ち止まってふり返る。黒い瞳にはやはり感情は見えない。


「ありがとう」


 返礼らしく微かに首を動かした。



 夕食後、見張られていないのをいいことに、こっそり部屋を抜け出す。連日セッタイ攻撃を受ければ陥落してしまいそうで怖い。


 廊下は靴のまま動ける。床も普通の素材だ。タタミの部屋の前はマットが敷かれそこで靴を脱ぐことになっている。

 タエコの話によると「奥」にあたる北棟は玄関で靴を脱いでスリッパに履き替え、更に各部屋に入る前にはそれも脱がなければならないそうだ。


 つつつっと滑るように走って人の気配を感じ、とっさに身をかがめて廊下に飾られた大理石の花台の影に隠れる。体ははみ出しているがこちらに見向きもせずに一室に駆けこんでいく。


 全員が入ったのを見計らい、細く開いたままの扉から中を覗う。

 タタミは敷かれていない。何の飾りもない部屋だ。床は廊下と同じで、窓はあるが壁は白いだけだ。


「やはり女は見つかりませんぜ」


 中央にサム・ライがいる。


「先方がだいぶ執着していたのだがな。仕方がない。別の女を添えて試してみよう。候補をあげろ」


 男たちが名前をあげていく。知らない名ばかりだ。サムは頷かない。


「………チナミ」

「あれは使用目的がある」

「しかし、以前セッタイに使った時は気に入ってたようです。三日ほど離しませんでしたし」

「例の男は拒否したようですから丁度いいでしょう」


 サム・ライは少し考えた後に命じた。


「連れてこい!」


 とっさにその場からかけて花台の影に戻る。わずかなタイムラグで男が飛び出していき、すぐに長身黒髪の美女を連れて戻ってきた。

 覗くと、男たちの前で着物を脱がされ、遠慮のない視線で見測られている。

 それでもまったくの無表情だ。


 昨夜は焦ってて気づかなかったが、胸は割と小ぶりだ。腰もすんなりと細い。肢は長いけれど、彼女と体形的には似ていない。別種の魅力はある。


「少女を欲しがった男だ。この程度で満足するだろう」

「いたぶるのが趣味らしいから弱々しい方がそそるのかもしれねえですぜ」


 チナミの表情は変わらない。と、思ったがわずかに眼元が潤んでいる。ガン見していると涙が眼尻にたまり、すうーっと尾を引いた。


「あの………」


 無意識のうちに部屋に入ってしまった。

 全員がふり向き、ばっと男たちに取り囲まれる。念のために両手を上げておいた。


「何だね、シロウ。我々は忙しいのだがね」


 サム・ライが冷たい視線を向けてくる。俺は怯まずに続けた。


「何かの取引だと思うのですが、その、彼女を使わないわけにはいきませんか」

「おお、やはり気に入ってくれたかね。さっそく子作りを………」

「それはお断りさせてください」


 言いながら床に落ちたキモノを拾って彼女にばさり、と掛ける。

 男たちが少し鼻白んだがサム・ライが無言だったため不満は言い立てなかった。


 サム・ライは迫力のある目で俺を眺め、それから唇の端を上げた。


「いいだろう。ただし、この取引を成立させることができるならばだ」


 そしてたくさんの人の命を握ってきた男特有の冷然として凄味のある表情を顔に浮かべた。


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