9. ディナーの値段は高すぎる
囲まれていた。ガードの一人は殺され、もう一人は裏切り者だった。
「......いっしょに来てもらうぞ、坊ちゃん」
がっしりとした体格の中年の男がニヤニヤしながら近づいてくる。逃げようとするが裏切ったガードが銃を握った方と逆の手で肩を押さえつけている。足がふるえ、目尻が濡れていくのを感じた。
男たちは無理やり別の車に引きずって行こうとした。その時だった。
パン、と軽い音がした瞬間重なるように鈍い音が響き、目の前の男の額から何かが飛び出てきて頭上を越えた。同時に額から赤いものが噴き出てくる。
男はゆっくりと倒れかかり、ガードがとっさに手を離してそれを支えた。
身が軽くなった瞬間、弾の飛んできた方向に走り出した。ガードは慌てて追おうとしたらしいが、すぐに人の倒れる音がした。撃たれたんだと思う。
後で知ったことだが、敵は禁じられた技術を使いこの空間にはゆらぎが出ていた。だからこそ味方は全滅した。その時そこでは旧世代の銃しか通用しなかった。しかし、こちら側にそんな過去の遺物を持ってるものなどいなかったはずだ。
離れて囲んでいた敵は標的であるこちらを確保しようと走り出したが、急所を撃ち抜かれて倒れていく。もちろん向かっていくヤツらもいたけれど弾を撃つ以前にしとめられていく。
それでも人数の多さをたてにそいつらは先にぼくを捕まえた。彼らは叫んだ。
「動くな! 指一本動かせばこいつの......」
最後まで言わせてはもらえなかった。その男も死体に変わった。
また人が倒れ始め、気づけば公園は戦場のように死体だらけだった。
ゆっくりと彼女が近寄ってくる。大型の銃を握っていた。
「......おケガはありませんか」
感情を見せない彼女の緑の瞳に、心配の翳りを見つけたような気がした。
「おおーい、そろそろ起きちゃどうかなあ?」
間近で聞いた男の声に飛び上がった。ベッドサイドでNo.3が俺を見下ろしている。
「バイトやめたからっていつまでも寝てちゃダメでしょ」
おまえにだけは言われたくない。そう思いつつ身を起こす。それにバイトはやめたんじゃない、やめさせられたんだ。
「............」
「ほら、さっさと顔洗って朝メシ食べる。ゲイツ君はもうでたよん。教会付近をもう一度聞き込むってさ」
較べるとちょっとめいりそうになる。慌てて飛び起きるとNo.3はさっさと歩き出す。
「これから出るけど、ちゃんと食べろよ」とまるで兄のようなことを言って部屋を出て行った。
何となくしゃくに触って逆らいたくなったが、抜くと腹が空きそうなので朝食室で軽く食べた。
昨日、出勤前にいきなり宣言された。
「仕事は今日までね。話通しとくから」
逆らえるはずもなかった。俺は黙ってうなずき、職場に行って頭を下げた。
「あら、いなくなっちゃうの? 残念だわ」
ちょうど遊びに来たおばさま実業家に告げると少し顔を曇らせた。
「店も気に入ってるのに」
アンディがナンバー1になった店はなんだか明るくなった。他のホストたちも過去を忘れたように働いている。
「ぜひ今後も来てください。それと、できれば次は彼を指名してください」
その場にいた尻蹴り先輩に目を向ける。彼は驚いてグラスを取り落とし、彼女は顔をしかめた。
「うーん、いま一つかな」
俺はこぶしを握って力説した。
「確かにあまりめの出てる人じゃないけど首にもなってないでしょう。本当にヤバい時にはけっこうがんばるんです。それに、以前店中が割れてアンディ側が圧倒的に不利だった時、この人最後まで裏切らなかったんですよ」
彼女は黙っている。更に推した。
「最初からレベル99も楽しいけど、1からじっくり育て上げるのも面白いですよ」
「おい、1ってなんだよ。レベル15ぐらいはあるだろ」
抗議する彼を無視しておばさまはしばらく考え、それからにっこり笑った。
「よし。鍛えてあげるから覚悟しなさい」
俺は深々と頭を下げた。
閉店の時間になって園と聞いた客を送り出すと、先輩がこちらに歩み寄って来た。
「......いろいろ、悪かったな」
「おかげでけっこう学びました」
「ファビアン先輩も中央点のクラブに配置されたし、まあ、おまえもがんばれ」
「先輩も」
アンディにもあいさつして店を出た。
あのときは真っ暗だった空は今は嫌になるほど明るく輝いている。なんか気分的には夜空の方が似合ってるんだが、明るい日差しの中をとぼとぼ歩いた。
彼女をたどる筋さえなく玉の居場所だってヒントもなく、しょうがないからとりあえずエド・タンのもとへ礼を言いにいった。彼は眼鏡をかけて読書中だった。なぜか経済学の本だ。
「お忙しいところをすみません」
「いや、かまわんよ。酒でも呑むかね」
断るとコーヒーをだしてくれた。礼を述べたあと本について聞くと、ちょっとはにかんだような顔をした。
「いやあ、学力がないので一行一行にすごい時間がかかるんだがね、辞書を引きながら必死に読んでいると少しずつわかるところが出てくる」
趣味なんだろうかと思ったら、そのまま恥ずかしそうに続けた。
「もしNo.3が気まぐれに消えたとしたらすぐ反乱が起きるからね、なんとか生き延びる手段も考えておかないと」
「はあ」
「今後は普通都市からの資本導入も増えるだろうし。だけど真っ当な金融関係はどうせあっちの人が独占するだろう」
「そう思います」
「なんとかこっちの特性をいかして資金洗浄の会社を作れないかと模索中だ。この本も普通都市から取り寄せたんだ」
意外に考えるんだこの人。思わず尊敬の眼差しを注いだら、少し得意そうに胸を張った。
「会社の名前ももう決めている。ラスカルだ」
「......はあ」
「企業ロゴをアライグマのマークにしたらわかりやすくていいだろうな」
わかりにくい方がいいんじゃないだろうか。でもエド・タンは嬉しそうに希望を語った。
アンジーの情報も玉のもなかったので引き上げようとしたら、中年男が報告のために入って来た。
「カレン・アンダーソンの行方は依然として知れません」
「そうか。引き続き調べてくれたまえ」
見るといっしょに人間の尊厳を失った同志だった。彼も俺に気づき大げさにあいさつした。
「No.3の弟さまにまたお会いできるとは光栄の次第で......」
「俺は組織の者じゃないんでもっと気軽に話してください。ボスの読書を邪魔するのもなんなんで場所を移しましょう」
もう一度礼を言って外に出た。
ボスの館に”組員ふれあいコーナー”と書かれた一角があり、セルフだけどコーヒーが飲める。
中年男は俺の分のコーヒーを捧げ持つようにして渡した。さっきと較べると雲泥の差だが、まあないよりマシだ。カフェ風のテーブルと椅子もあったのでその一つに座った。
聞いてみると以前あった薄金髪はカレンの元婚約者らしい。
「ちょっとばかり仕事ができるからと前ボスにつけこみましてな」
「あなたの部下だったんですか」
「最初はそうだったのに逆になりおって......」
ギギギ、と音がしそうに唇を噛み締めると俺の前であることに気づいて急に表情を緩めた。
「今はまた私の下ですがな」
薄パツキンはアラン、この中年はノートンという。彼は政変後は民間に逃げていたが、その間稼いだ金とともに今の地位に就いたそうだ。しきりにNo.3との取り持ちを頼んで来たが俺は少し眉を寄せた。
「彼とは可能な限り接触しない方がいい。死ぬ確率が高くなる」
ノートンが無意識に失った自分の耳に手をあてる。
「でも口添えが必要なときはなるべく手伝おうと思います。だけど俺が何言ったって、聞かないときは聞きませんよ」
了承した彼に玉を見かけたら知らせてくれるように頼んだ。受けてくれたが「ボスが探していないのなら、人外区に行ったのじゃないですかな」と言われた。
そうかもしれない。だが俺はあそこにはまだ近寄れない。行きたくない。礼だけ述べて席を立った。
彼女のことは聞かなかった。いっしょに見苦しいさまを示したから割と親近感はあるんだけど、アンジーのことを道化た人には聞きたくなかった。
探すあてもなく教会に行って工事を眺めた。ビルはいなかった。
祈ることさえ出来ずに動き回る人々の持つ工具に弾かれた光に目を細めた。
「なんか暗くない?」
弾むような声がしたので振り返るとルークが立っていた。
「めいることが多くてね」
「おいらもだよ」
そう思えないほど明るく笑うと、ばしんと肩を叩かれた。
「せっかく教会に来たのに燃えちゃってるし。他にも悩むことばっかだ」
「美形の彼氏は慰めてくれないの」
「今はあいつのことでも悩んでるしねー」
今度はちょっと苦い顔をしてちょっと考え、また輝く表情を見せた。
「シロウ、今ヒマ? 遊びに行こうよ」
「え、どこに」
ホストクラブはしまってるしカジノもなさそうだ。
「この近くに川あるんだ。葉っぱで舟作って流そうよ」
そんな健全な遊びは小学生の頃だってしたことがない。だけど彼女は俺の腕をつかんだ。
「行こう。どうせ悩んだって解決なんてしないし」
笹舟というものを作って二人で流した。作り方を知らなかった俺が感心したら「こんなのうちの区じゃ誰でも知ってる」と呆れられた。だから「どこの区?」と尋ねたら「ないしょだよ、べー」と舌を出された。
風はないけれど川の流れは速い。鳥の声がどこからか聞こえて来て、少しだけ気分が軽くなった。護岸整備のしていない川端に座って石も投げてみた。ぼちゃん、と落ちるのが何となく楽しくていくつも投げてたら、自分のじゃない石が水面を三段跳びしてぼちゃんと沈んだ。
振り返らなくてもわかる。あいつだ。ルークが歓声を上げた。
「すげえや。ねえ、どうやってやるの?」
「うーん、角度とスピードかなあ」
そう答えてNo.3が上から下りてくる。俺はルークの手をつかみ駆け出そうとした。が、彼の動きは速かった。
「照れなくてもいいのに」
そう言って、アンディよりも見事な微笑みを浮かべた。
幹部クラスか地獄の数少ない金持ちの利用するレストランだ。有無を言わさず連れてこられた。
「うわっ、すっげー。床がチェスみたいだ」
白と黒の格子柄の床は一見大理石に見えるが踏んでみると合成の素材であることがわかる。
「シロウ顔恐いよ。せっかくお兄ちゃんが誘ってくれたのに」
今でも隙をうかがっているが、もちろんこいつにそんなものはない。
「............兄じゃない」
「まーたまた。けっこう似てるよ口元とかさー。お兄ちゃんの方がちょっと上だからすねる気持ちもわかるけど」
輝くような笑いを見せる。
「ま、どっちにしろうちの彼氏ほどじゃないけどね」
食前酒の注文を聞かれて彼女が口ごもったので代わりに頼む。こいつの前でジュースの注文は出来ない。撃たれる。
「キール・ロワイヤルとアンペリアルを」
「俺はブラントンをロックで」
ルールにこだわらずバーボンを頼んだNo.3は「彼氏いるんだ」と彼女を見つめた。ルークはバタバタと手を振った。
「いるんだからそんな目で見るなよ。ドキっとする」
「ごめん。あんまり可愛いから」
彼は紳士的に微笑んで運ばれて来たグラスをいったん自分がとって彼女に渡した。
「......君の瞳にカンパイ」
そう言ってもギャグにならない。ルークが顔を赤くする。
ウェイターが席の用意ができたと告げに来た。
個室はとらない、と彼は約束した。その言葉に嘘はなく、広いホールの真ん中の席に案内された。ここなら食べる間くらいは安全だろう。
「うひゃー! ナプキンが布だ!」
ルークが歓声を上げている。服はデニムのままだが彼といっしょだからか注意さえされない。
いくつかの皿の後スープが運ばれた。
「オマール海老のビスクでございます」
口に運ぶと味が違う。まずくはないけど。
「ホントはもっとフツーのザリガニだよん。でもここじゃそう呼ばれてんの」
表情に疑問が浮かんだのか説明された。
「すごくうまい」
彼女は幸せそうだ。
周囲を見渡すと広めの窓の外は川だ。椅子でたたき割って飛び出せるか。
客は高年齢のカップルが多い。それぞれドレスアップしているがこちらを見ようともせずに食事をしている。
気は抜かなかったが特に隙もなくデザートにたどり着いた。合成のチョコを塗ったスパゲッティほどの細さのグリッシーニ(ビスケットぽい堅さの細焼きパン)が、米の粉をよく練ったものに包まれたアイスクリームにさしてある。
「すげえ、冷たいのにやわらかい。ライス関係って冷えるとフツー固くなるのに」
「普通都市からの輸入品だからねー。向こうじゃ珍しくもないんだけど」
「技術の差ありすぎ。横のはなんだろ」
小さな円錐形の菓子が添えてある。コーンミールで作ってあるのか。俺もこれは知らない。
No.3はそれを取るとひょい、と指にはめた。
「これも普通都市の一般的な菓子だ。こうやって指にはめるのがお作法」
「へえ、そうなんだ。あ、なんか楽しい」
さっそく彼女は全部指にはめ、しばらく眺めてから口に入れた。
コーヒーを飲み終わると彼は優しくルークに話しかけた。
「満足した?」
「うん、ありがとう。すごくおいしかった」
「それはよかった。じゃあ、やろうか」
テーブルの上のものをなぎ払うとルークは一瞬でその上に横にされた。それも片手でだ。もう片方の手は銃をつかみぴたりと俺の額に向ける。
「やめろ!」
「好物を前に聞くはずないでしょ」
「やめてくれおにい......」
「兄じゃないんだろ。その手はもうきかないよ」
冷たい声で言うと舌なめずりをしそうな目でルークを眺め回しひょいとテーブルの上に上がり込んでひざで彼女を押さえた。
「ルークは処女だね」
照準は一切揺るがなかった。銃口が地獄の穴のように俺をまっすぐに狙っていた。