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8. バイトはやっぱり大変だ

 夜が遅いので辛かったけれど早めに起きた。身じまいをさっさとすませてメイシを持って外に出た。

 最期の一日だからムダかもしれない。それでも知ったからには努力したい。


「午前中なんか回っても意味ねえけどよ、ファストフードとかバス停とか回ったな」


 先輩に言われたような所を回ってみる。初めはなかなか声が出なかった。おどおどしながら成人女性を狙って話しかけてみると露骨に避けられた。こわばった笑顔を浮かべると無視された。

 どうにか口上を述べメイシを差し出すとはたき落とされた。「あら、そのうちにね」と受け取ってくれたのに振り向くと道ばたに捨ててる所だった。


 配ろうとしたわけではなかったが見かけて絡んできたのは街娼だった。

 店にくる子たちは遊ぼうという気があった。それにそこに来れるだけの財力のある稼ぎのいい子たちだ。だけどもっと底辺の子たちは世をすね男を恨みマイナスエネルギーに満ちあふれていた。そんな彼女たちが唯一見下すことが出来るのがこの職種だ。未成年を相手にする気はなかったがしつこかった。

 やじられバカにされコケにされ、ついには財布を狙われた。それを死守するとニヤニヤと取引を持ちかける。


「ねえ、あたしを買ってくれよー。それなら考えてあげるからさー」


 もちろん彼女にそんなつもりはない。それはわかっている。


「ねえったら、おにいさん」


 じっと彼女を見つめた。いらついた表情を浮かべ始めた彼女はなぜだか急に赤くなった。

 そこで微笑んだ。


「取引はしない」

 その子は黙ったままこちらを見ている。


「でも、遊びたい気分になったら悪くない店だ。俺から酒は勧めないけど、合成じゃないジュースはあるよ。値段はけっこう高いけど」


 もう一度微笑むと黙り込んだ。彼女を置いて場所を移動した。


 胸が痛んだ。化粧を取り去ると一三か四ぐらいだろうと思う。本当ならこんな仕事をしている年ではない。だけど、昔言われた台詞を思い出す。


「かわいそうなんて言わないでよ! あたしは仕事をしているだけよ!」


 必要悪かもしれないし、絶対になくならないし、自分からその職を選ぶ女性だっていることを知っているけれどそれでも切ない。

 だがそれを正面から否定して彼女たちを傷つける気はもうない。



 店はごったがえしていた。アンディ側もおらおら側も店が開いた瞬間からクライマックスでためらわずに金を使った。

 俺は最初のうちはヘルプに徹し、そのうち呼ばれてカウンターに向かった。


「気になったから早く来ちゃったわ」

 カマが心配そうな顔で俺を見た。

「大丈夫ですよ」

 大丈夫ではないが微笑んでみせた。言われたとおりハッタリは大事だ。

「お心遣いに感謝します、マダム」

 カマの目が少し細くなった。もしかしたら赤くなったかもしれないが化粧が濃すぎてわからない。

「その調子よ、シロウ」

 今日はヒゲがちゃんと剃ってあるせいもあって、とても優しげに見えた。


 また呼ばれて、入り口で初めて来る女性を迎えた。いきなり指名してくれた。あまり容姿はよろしくないが、茶色の瞳だけはいきいきとした中年のご婦人だ。


「魔法使いさん、私のこと覚えている?」

 全力で脳内検索。答を見出してにっこり笑う。


「もちろん! いつぞやは賭けにのってくださってありがとうございました」

 中央点のギャンブルで俺に賭けてくれた女性だ。


「こちらの方だったのですか」

「もともとはね。今は拠点を中央点に置いているけれど工場はこっちだから」

 成功した実業家である彼女の話は面白かった。


「ところで、どうして俺に気づいてくれたのですか」

「メイシ配ったでしょ、アナタ。うちの工場の子がキャプションが笑えるって見せてくれたのよ」


 なんでもやってみるものだ。俺にもメイシをくれたので、両手で受けてお辞儀をした。なんか血にしみ込んだ習性らしい。こちらからも新しいものを渡した。

 彼女はためらいもなく高価な酒をいく本も開け、格好よく金を使って帰っていった。


「ああいう人が本当の大人だって気がします」

 カウンターでカマにつぶやくと彼もうなずいた。

 ボックス席では赤服と紫が派手に遊んでいる。今までの経緯も執着もあるんだろうから非難する気はないし店にもホストにもありがたいことだけど、ムキになってるせいかクールには見えない。


「でもねえ、人を推したり育てたりするのは面白い遊びなのよ」

 ハイリスクロウリターンなゲーム。それでもやりがいはあるものなのだろう。

 カマはまた微笑み俺に告げた。


「今日は店が終わるまでここにいるわ。ちびちびやっているから疲れたら休みにいらっしゃい」

 いつもはボックス席に行くけれど、混雑を予想してか座り心地の良くないその席を選んでくれた。

「がんばるのよ」

 想像上の姉を体験させてくれた。



 夜が更けるに連れて店内は更に活気を増してきた。最初から陣取っている赤と紫も派手に金を使うし双方についてるホストも普段より急がしい。俺もいろいろと動き回っているとまた入り口に呼ばれた。

「............」

 昨日の街娼が無言で立っている。この場に不似合いな貧相な格好で、居心地の悪そうな顔をしている。とりあえず不安を取り除いてやらなきゃいけない。


「よく来てくれたね」

 両手で彼女の手をつかみ包み込んだ。おずおずとこっちの様子をうかがっている。

「ボックス席もあるけどカウンターの方がお得だ。そっちでいい?」

 ぶっきらぼうにうなずく。俺は手を放し彼女の耳元に囁きかけた。

「予算があるだろ。絶対その範囲内におさめるから教えてくれる?」

 身を屈めるとまた赤くなって小さな声で答えてくれた。


「わかった。ありがとう」

 あれだけ害意を示していた子が現れたんだから相当恥ずかしいと思う。なんとか傷つけずに遊ばせたい。


 クリスタルグラスに氷を入れグレープジュースを注いでもらった。バーテンダーから受け取りその子に渡す。一口含むとちょっと驚いた顔をしてぐいと飲んだ。

「......うまい」

「だろ。中途半端な酒よりいいよね」

 この辺りじゃ手に入りにくい普通都市の天然ジュースだ。

 彼女はむっとした顔で俺を見た。

「地獄にこんなとこがあるなんてズルい」

 え? と見返すと横のカマが俺より先に突っ込んだ。


「ズルくないわよ。アンタねー、ここに来てる客がどんだけ努力してるかわかる? ほら、あの金髪の子見なさいよ。アンタと同じ商売よ」

「......美人じゃん」

「生まれつきじゃないわよ。アタシカマだからわかるけどさー、肌や髪の手入れもがんばって、客との対応もがんばって、アンタが世を恨んで人にあたってる間にずーっと努力してここいんのよ」

「あんたはどうなん」

「アタシはいいのよ。カマは美形以外の需要もあんの。ここ来れるぐらいの稼ぎはあるわ」

「エラそうに」

「そりゃ偉いわよ。アンタと違って毎度来れるぐらいに稼いでるんだから」


 少女はカマをにらんだ。カマは平然とそれを見返した。間に入ってなだめようとした時に指名客に呼ばれた。仕方がないのでバーテンダーに頼んで席を外した。


「なんか巻き込まれてんだって」

「グループ戦だってな」

 おばあちゃんたちだった。


「兄ちゃん側のために使ったるわ」

「シャンパンがいいんけ? 甘口のもあるけ」

「シャンパンは辛口が基本です。モエ・シャンのネクターアンペリアルは比較的甘いかな。だけど甘くしたいならカクテルにした方がいいです。ベリーニはどうかな」

 桃のジュースを使ったシャンパンのカクテルを勧めると運よく気に入ってもらえた。


 俺のボックス席は穏やかに時が過ぎたがアンディとフランクのいる場はそうはいかなかった。二人より客の方がエキサイトしていた。

 シャンパンは高価いやつから売り切れていくし、フルーツは猿でも来たかのようにやたら運ばれていくし、関係ない客にもふるまいが多くてテーブルはあふれそうになっている。


「なんけ、これ?」

「エスカルゴですね」

「カタツムリじゃろ。気色悪い」

「貝のニンニクバターソテーみたいなもんです。味はいいですよ」


 専用の器具で抑えて中身を取り出してやると食べてみて「意外にうまい」と頬を緩めた。先輩が「初めて見た。滅多に出ない高級品だから」と感心している。


 ちょっと断ってカウンターに様子を見に行くとさっきの子がだいぶ小ぎれいになって一人で座っていた。

「?」

「どう。別人でしょ」

 客用トイレの方から戻ったカマが自慢した。

「この子メイクのいろはも知らないんだから。ちょっといじればこの程度にはなるのよ」

「本当だ。すごくきれいだよ」

 少女は少し赤くなってうつむいた。


「でもねー、心根変わんなきゃすぐに元に戻るわよ。男が美人好きな理由ってきれいだからだけじゃないわよ。わかる?」

 尋ねられて彼女はきょとんとする。

「うざくないからよ。いちいちひがんでんじゃないわよ。すぐブスになる」

「.........」

「ほら、こっちまでおふるまいが来てるわ。食べなさいよ。アンタの暮らしじゃこんなの食べられないでしょ。さんざん食べて恵まれてるとこがあんの思い知って、ひがむかわりにあがいてまた来なさいよ」


 カマはフルーツを指先でつまむと彼女の口元に運んだ。街娼は俺のとき以上に赤くなって唇を開いた。


「だけど生活削ってきちゃダメよ。そんなブス、誰もまともに相手しないわよ。表面だけにこやかにされても意味ないでしょ。稼いでから来なさいよ。アンタはそれが出来る子だわ」

 耳まで赤くした街娼はこくん、とうなずくとフルーツを食べ始めた。



 一時に閉店することになっている。その後清算し両方のチームが競う。もちろん客が帰った後の予定だったけれど一部の客に言いつのられて、清算した後もちょっとだけ残っていいことになった。

 街娼は帰ったけど店はまだ急がしい。

「結局教会は建て直すことになって今基礎工事やってんわ」

「あのカーライトって崇貴卿が晴れた日曜は広場で話してくれてるわ。上手いもんよ。けんどやっぱ前の人がよか。心が足りん」

「あの人残るのかな。他の双十字教の人はいないのかな。この店に来たことがあるって聞いたけど」

 最後の方は先輩に顔を向けた。


「ああ、あるぜ。すげーべっぴんさんもいたな。ほとんどフードつきの巡礼さんで顔出さなかったけど」

 三人死んだ事件のことは客前では尋ねにくい。が、この先輩は割にゆるかった。


「どんぱちあった日なのでよく覚えてるわ」

「たまにあるかいの」

 おばあちゃんたちが目を輝かせた。現役時代の血がうずくらしい。

「いやその時だけっス」

「どっか攻めて来おったん?」

「いやー、じゃなくて。えーとアンディさんの先輩にあたる側とフランク側がやり合って、こっちが二人あっちが一人死にました」

「ほうけ。なんやったら店のガードしたろか?」

「いえ、セキュリティ関係は組織に任せてるんで。それ以来ホストは店にガン持ち込み禁止っス」


 え、俺はロッカーに置いてるけどダメなんだろうか。


「残念だわ」「たまには思いきり撃ちたいしな」

 おばあちゃんたちががっかりしている。


「アンディさんの先輩は追い出されたんじゃないの?」

「ナンバー1はそうだけどけっこうシンパは残ってた。アンディさんはそれまでもっと下だったんだ」

「宗教関係はもう来ない?」

「それ以来来てないな。巡礼さんも見ない」


 彼女は......どこにいるんだろう。

 今、なにをしているんだろう。

 胸が痛くなる。君がいなくて寂しい。


 感情が漏れださないように唇を噛み締めているとまた入り口に呼ばれた。


「シロウ!」


 テンガロンハットにつぶされたグレイの髪が目に入った。

 古びたデニムとウエスタンブーツ。ルーク・ソラドだ。


「久しぶり...じゃない、いらっしゃいませ、マイレィディ」

 つんのめりそうになった彼女を支えると、ちょっとにらまれた。


「それやめててくれる。キモいんだけど」

「そうかなあ。じゃ、いらっしゃいルーク」

「おう。ジュース一杯分だけね。今値段聞いてびびってたとこ」

 はしゃぐような足取りの彼女をエスコートする。すかし系のウェイターにためらいもせず尋ねられるのが彼女のよさだ。


「妙な別れ方したから気にしてた」

「だって友達じゃないって言ったじゃん。すげー傷ついた。こっちはそのつもりだったのに」

「君が質にされたら困るし」

「考えたらわかったけどさ、でも乙女としては傷つくんですー」

 思いっきり口を尖らせたがすぐに笑ってカウンター席に着いた。


「仲間がメイシ手に入れてね、以前言ってたヤツじゃないかって渡してくれたんだ」

「ありがたいけど、こんな遅くに女の子が歩くと危ない」

「大丈夫。店前まで一緒だった。帰りも来てくれるって」

「友だち?」

「ないしょ。教えてやんないよーだ」

 べー、と舌を出された。


「だいたいシロウは自分のこと話さないし」

 さっきよりかは軽い痛みが胸をよぎる。

「話すほどのことがあまりないんだ」

「ってワケありでしょ。おいらの想像じゃ、不倫してもとの場所にいられなくなった」

 苦笑した。


「ないって、そんなの」

「えー、はずした? じゃあ普通都市のボスの愛人を寝取ったとか」

「普通都市にボスはいないよ」


 心底驚いた顔でこっちを見る。

「え、そうなの。どうやって治安とか保ってんだろ」

 俺的には地獄都市の治安なんてないも同然だが彼女的には違うらしい。


「なんにしろシロウけっこうモテそうじゃん」

「いや」

「まれにドキッとするよ」

「ルークの基準が低いんだよ」

「いやそんなことないよ。おいらのカレシ、すっげえ美少年だよ」

「へえ」

「頭もよくって育ちもよくってロマンティックで優しくて......とにかくすげーんだよ」

 少女の妄想上の恋人じゃなかろうか。


「こんなかわいい子を射止めるのがどんなヤツなのか会ってみたいな」

 にしし、と彼女は笑った。



 そいじゃまた、と手を挙げて彼女は出て行った。やっぱりちょっと心配だけどもう刻限が迫っている。送るわけにはいかなかった。


「キレイな子ねー」

 戻るとカマが感心していた。ルークはかなりきれいだが見とれるほどではないと思う。そう言うとカマは首を振った。

「そりゃアナタがヨソから来たからよ。地獄の出身であんな根っこから明るい子はめったにいないわよ」

 顔立ちよりも人柄が惹きつけるらしかった。



 おばあちゃんたちのもとからカウンターに戻ってカマと話していると奥のスタッフルームの扉が開いてそうじのおばちゃんが一人出てきた。あれ、と思うとカウンターにお金を置いて「ビール一本。指名はこの兄ちゃん」と言う。わっ、と思って「そんな、おごります!」というとニヤリとして「今日はおごりは加算されないでしょ。ちゃんと払ったから気にせんと」と言ってくれた。途端にスイッチが入った。


「あなたの優しさに感謝します、マダム」


 おばちゃんはビールを吹き出しそうな顔をしたけれど、もったいない精神でちゃんと飲み込んだ。


「マダムはないわ、マダムは」

「マイレィディとかダーリンとか」

「へそがコーヒーわかすからやめて」

「今日は残業ですか」


 普通は店が始まる前の業務だ。おばちゃんは首を横に振った。


「他の仕事終わった後に来たんよ。くじにあたったん」

 そうじのおばちゃんズで金を出し合ってくじを引いてあたった彼女が来たそうだ。

「なんかホストのけんかで大変なことになってるって聞いたからさ。だけどそうじのおばちゃんが堂々と入ってくるのも悪いじゃない。いつものとこから入ってほんの一杯いただこうと思ってさ」

 俺はおばちゃんの手を握った。

「あなたと皆さんに感謝します」

 彼女はおいしそうにビールを飲んだ。



 普段は見かけないオーナーも出てきた。元ホストだったらしいがそうは思えないほどふくよかな中年だ。すぐにMCが仕切る。


「さあ、会計がお済みでない方は手をお挙げください。係の者が参ります。本日は現金以外は受け付け不可となっております。なお大変込み合っておりまして、多少お待たせすることになるかと思いますがどうかご了承ください。お待ちの間の飲み物はサービスさせていただきます。コーヒーでも紅茶でもお好みのものをご注文ください」



 おばあちゃんたちの席で順番を待っていると係が来てけっこうな金額を回収していった。申し訳ない気分になっているとかえって励まされた。

「いや昔はわしらもむしったもんだわ」

「そうそう。こんくらいアベリティフ程度」


 おばちゃんは帰ったからカマの所にも礼に行った。

「ま、及第点ぐらいは上げてもいいわよ」

 彼はさわやかに微笑みステージの方を向いた。MCがさんざん盛り上げている。

 双方の金額がステージ上の二つのパネルに映し出されていく。

 急にフランクが怒鳴りつけた。


「ババア! 金を惜しんだな。負けてんじゃねえかっ」

 ちょうど赤と紫の金額が出たが赤の方が勝っている。

「だから店も売れって言っただろ!」

 紫が唇をかみしめて立ちすくんでいる。得意げだった赤が困ったような顔でその様子を眺めている。

 フランクの機嫌はすぐに直った。人数が多いのでアンディを上回って加算されていく。


「は。けっこう引き離したじゃん」

 が、最後に俺の数字が足されていくとヤツは少し顔色が悪くなった。が、祈るような気持ちで見つめていると、あと少し、あとコイン一つってとこでこちらが止まった。


「よっしゃーーーーっ!!」


 宣言される前なのにフランクの手下が飛び上がって喜ぶ。アンディ側の方は暗い顔でパネルを眺めている。フランクは何人かとハイタッチをかわしそれから紫を抱きしめた。が、彼女は冷たい声を出した。


「.........離して」

 ぎょっとした顔でフランクが彼女を見つめる。

「なんだ。ノリが悪いな」

「おめでとうフランク。でもこれでさよならよ」

「なんだってんだよ」

「今までの分を返せなんて言わないから安心して。私はあなたから離れるわ」

 彼は真っ青になって紫の腕をつかんだ。


「行くなよ! おまえまで捨てる気かよ!」

「ええ、フランク。私はアナタのママじゃないのよ」


 紫は優しく微笑んだ。彼は泣きそうな顔でその腕を引っ張ろうとした。

 その時、客用のトイレのドアが凄い勢いで開いた。


「は?」

 ものすごい量の泡が流れ込んでくる。全員がぎょっとした瞬間明かりが消えた。

 びっくりしたが手探りでカウンターに行き灯りを探した。どうにか見つけてつけるとフランクが倒れていた。


「フランクーーーーっ!!」

 紫が絶叫しながら飛びついた。

「フランクっ! 目を開けてっ! 嘘よっ、取り消すわっ! お願い......」

 フランクは必死に目を開いた。

「............気にすんな......」

「フランクーーーーっ!!」

 そして彼は二度と目を開かなかった。


 深くナイフが刺さっている。泣き叫ぶ紫以外みんなしばらく動けなかったが、フランクの手下がアンディに詰め寄った。

「おまえだな! 負けるのがイヤでフランクを殺したなっ」

 アンディは驚きのあまり固まっている。手下が殴りかかろうとするとオーナーが止めた。


「よせ。私はアンディの隣にいたが、彼は動いていない」

「第一まだ負けてませんよ」

 会計が困ったような声を出した。

「パネルは止まりましたが、カウンターのバーテンがシロウ・フジヤマの分の金を持ってきたので勝ちはアンディです」


 おばちゃんの分だ。みんな息を呑み黙っている。さすがに喜ぶわけにもいかない。


「誰よっ! 誰がフランクを殺したのっ」

 紫はいきなりフランクに刺さったナイフを抜いた。両手で握りしめて刃先を外に向ける。

「殺してやるわっ! 誰なのよっ!」


 俺は思わず振り返って犯人であろう人物を見た。その相手はにっこりと笑って立ち上がった。


「............アタシよ」


 カマはゆっくりと紫に近づいていく。彼女はナイフをそちらに向けた。

 彼は立ち止まり、両手を広げて刃を待った。


 飛びつこうとする前に銃声が響いた。

 紫はナイフを撃ち飛ばされ反動で尻餅をついている。

 おばあちゃんの一人がモーゼルを構えていた。

 紫はわっと泣き出した。


「いったい、なんで......」

 先輩がちょっとふるえている。俺はカマに近寄り耳元で囁いた。


「あなたはかつてのナンバー1ですね」

「ファビアン先輩!」


 自分で気づいたアンディが叫んだ。それを無視してカマは優雅にオーナーの方を振り向いた。

「ご迷惑をかけてすみません。組織の人を呼んでください」

「先輩......もしかして.........」

「違うよ」

 カマがちょっと微笑んだ。


「どっちが勝つか賭けて負けたと思って腹立てただけだよ」

 厚化粧もヅラもそのままだが、彼はひどく格好よく見えた。


 たぶん、以前死んだ三人が元になっているんだろう。

 彼は自分の残した火種で人が死んだことを知り、更にアンディまで追い出されかねないことを聞いた。そして決着を付けるつもりでこの店に来た。あの凄まじい格好で。

 化け方には自信があったが万が一を考えて新人を指名しヘルプも呼ばなかった。そしてそいつを教育しながら状況をうかがっていた。そんなところだろう。



「いい人だったんだよ、あの人」

 先輩が惚けたように何度も繰り返す。

 そう言えばこの店で俺が最初にやったトイレ事件のとき「たまにこんなバカが出やがる」とか言っていた。過去にもあったんだと思う。

 清掃マシンはタイマーがきくから、当て込んだ時間をセットしてもしもの場合のきっかけに使ったんだと思う。



「ほら、シロウもサインして」


 アンディが紙を持ってきた。ファビアンに対する減刑嘆願書だ。


「一人ぐらいじゃそれほどのことにはならないと思う。エド・タンは温厚だって噂だし。なんとしてでも取り返すんだ」


 前向きで虫嫌いのホストはとびっきりの笑顔を見せた。

 俺も微笑んでその書類にサインした。



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