29.お願い、シスター
広場の周りは人で埋まっていた。登録できなかった人や近隣の人たちがお祭り気分で集まっている。
沿道には屋台が出ている。ポップコーンやクレープ、ヌードル、フライドポテトや綿菓子なんかが売られている。どれも合成だろうけれどおいしそうなにおいがする。
広場の建物側の方に選手が集められている。全員ゼッケンをつけられているがきっかり百人で、俺の番号は五十二だ。
登録の際のテストはシンプルだった。標準的な的を決まった位置から撃ち抜くだけだ。玉は各自用意の三発。ただし距離は通常よりはかなり長い。そのためか外す人が多かった。
ルールについてはごく簡単な説明があった。銃と弾は自前、シスターの指示に従うことなどありふれたものだった。
「それでは院長の励ましのお言葉がいただけます」
昨日のメガネのシスターがそう告げると、ギャラリーも凄い勢いで広場に入ってきて押し合ったりしている。これは許可されているらしく、シスターたちも止めない。ただ俺たち選手の周りには線が引いてあってそれは越えないようにしている。
広場に面した修道院のテラスに、黒の修道服に身を包んだ院長が出てくると、人々は興奮して口笛を吹いたり叫んだりしている。
選手の女の子の一人が感激のあまり失神した。近くにいたシスターが慌てて介護している。
院長は群集を見下ろして少しも怯まない。気品ある立ち姿で、修道服に包まれていない顔や指先が抜けるように白い。微笑みを浮かべた彼女が手すりに身を寄せると人々はしん、と静まり返った。
「てめえら! やりてえか!」
俺は自分の耳を疑った。だが、周りのやつらは飛び跳ねたり手を振ったりしながら、「やりてえです!」とか「お慈悲を!」とか「このあわれな豚めに恩寵をっ」とかわめいている。黄色い声で叫んでる女の子もいる。
院長は耳が震えるほど美しい声で言葉を続けた。
「だろうな。神の愛を一身に受けて清らかにすくすくと育ったこの私が、下司なてめえらの願いをかなえてやろうってんだ。そら奮い立つよな」
うおおおおおおおっ、と広場は獣の雄たけびのような声が立つ。
「だが、そうカンタンにはやらせやしねえ。まずは優勝しろ! そうじゃなきゃスタートラインにも立てんぞ」
拳を振り上げたり叫んだり、人々はギャラリーも含めてシスターたち以外に冷静な人間はほとんどいない。
「その後は念願の勝負だ。勝てば一晩、できる限りはてめえらの要望を聞いてやる。まだ三回しか負けてねえ。そのうち一回はお断りされたから二回しかやってねえ。処女と変わんねえよ!」
賛同の声と共に「それ処女ちゃいまっせ~」とからかう声もいくつか入る。一つは昨日となりに座ったおっちゃんの声だった。院長はそれに反応した。
「おい。港屋主人。少々稼げるからといって通いすぎだ。心配になって奥さんに確認に行かせたじゃないか」
「ひええええええええっ」
おっちゃんが息を呑んだ。が、院長はにっこりと笑った。
「女遊びよりずっと安いし、フダンは銃の練習ばかりだからいいってよ。理解ある奥さんでよかったな。ま、おまえの腕じゃ一万年たってもチャンスはねえがな」
「そんな、殺生な……」
周りの人間がしょぼくれたおっちゃんを指差して笑っている。
「そしてギャラリー! 他人ごとじゃない。ここにきたら全員参加者だ。けっこうな見世物に感謝して可能な限り寄付をぶち込みやがれ! てめえらバカ野郎ども全員に、神の祝福があらんことを!」
また人々が雄たけびをあげ、それが治まる頃にシスターたちが募金箱を持って寄付をつのった。煽られた人々はなけなしの金を気前よく突っ込んでいる。
俺はまだ呆然としていたが、ギャラリーがまた移動したあたりでようよう気を取り直した。
シスターたちは慣れた様子で広場をシューティングレンジに変えていく。紙製標的が用意され、十人いっしょに撃つことになったが、恐ろしいことに間を隔てる障壁は一切ない。さすが地獄だ。
距離は通常より相当長い。だが全員登録を済ませた猛者たちだ。メンタルの弱そうな一部のルーキー以外はほとんどがクリアーして八十三人が一次試験に合格した。もちろん俺もだ。
「はい、次は銃をもう片方の手に持ち替えてください。ちゃんとチェックしてありますからごまかしてもわかりますよ」
シスターが声を張り上げている。ぎょっとしたが主催者側としては楽で有効な手段だ。俺と同様知らなかったやつらか抗議の声が上がったが、聞き入れられるわけもない。
今度は凄い勢いで人が減っていく。三発ずつ打って一発でも標的に当たればいいのだが、逆手でそれは難しい。順番が来るまで見てたら、さっきのおっちゃんも見事に全弾外した。
「はぁー、かなわんなあ。また修行の日々や」
すごすごと下がっていく。同情する間もなく自分の番がきた。
さっきとまるで変わらないのに、距離が伸びたような気がする。落ち着こうとあたりを見渡したら、真っ青になったビルが目に入った。
ここで俺が敗れたら、こいつはシェリルに会うことができない。しかし自分がさっさと負けてるのでこっちを責めることもできない。怒ったような表情のまま凄く真剣に見てるから、にっと笑って親指を立てた。
ビルはそれにのらず、ただ肩をすくめた。
「アクション!」
シスターの声と同時に左手で撃った。
先生に会ったのは六歳の頃だ。幼い俺には年寄りに見えたが、今思えば五十の半ばくらいだったはずだ。並みよりか少し高い程度の身長で、ひどくやせていてひょうひょうとしていた。
「五年だ。私に与えられた時間はせいぜいそんなところだ。それだけしかないが、行ける所まで二人で行こう」
そういってしなやかなのに硬い手を差し出してくれた。
彼の指導法は独特だった。
「まず基準を作りたまえ。それをしっかり固定して体に叩き込む。その後に温度も風向きも環境の全てをそれと比べてどんな風かを毎回感じてチューニングするんだ」
無風で気温は二十一度。天井近くに細長い窓が四方にある部屋。つまりその時いた練習所をそのまま基準にした。
「君は成長期だ。身長が変わると撃ち方も変わる。基準は変更を前提に作りなさい」
温度は合わせたが日の光の角度は変わっていく。確かに身長も少しずつ変わる。でも、言われたことはなんとなくわかった。メンタルトレーニングの意味が強かったと思う。
外に出たのは室内での射撃がだいぶましになってからだ。風の強い日で、銃の訓練には向きそうもなかった。
「こんな日じゃ誰が撃っても当たらないでしょう」というと先生は微笑み、古ぼけたリボルバーで六発全部を的の真ん中ない撃ち込んだ。
「すごい」
驚愕した俺に微笑むと「経験を重ねただけだよ」と、ちょっと恥ずかしそうに答えた。それから風の読み方を教えてくれた。
時間は有限で、全てがそのために使えるわけではなかった。だけど俺は先生の授業を楽しみにしていたし、腕が上がるのも嬉しかった。
「五十二番、全弾命中!」
盛大な拍手が沸き起こる。ビルがむすっとした顔のまま親指を立てた。
次の試験は休憩を挟むし、クリアーしたから気楽な気分でビルのところへ行くと、両脇を固めていたガードがすこしずれて場所を空けてくれた。サブは車にいるらしい。
「やるじゃん」
「まあな」
それ以上何もいわず、他のやつらが撃つのを眺めている。逆手撃ちは単純なわりに難しく、合格者は少なかったが、凄い腕前のやつがいた。
「七十四番、全弾命中!」
「すげえ! あいつ真ん中横一列に撃ってる!」
双眼鏡を抱えたやつが騒いだ。
その男が踵を返して歩いてくる。測ったみたいに規則的な歩き方だ。小柄だが均整の取れた体つきで、場違いな感じのグレイのスーツだ。葬式みたいな真っ黒のタイをかっちり閉めている。表情のない地味な顔で、服装に違和感がなかったら記憶に残らないと思う。四十ぐらいか。
横のビルが息を呑んだ。
「スタンだ」
「?」
「組織では素質のありそうな七歳ぐらいのガキを集めて銃を仕込むんだ。専門職としてな。あいつは何代か前のボスの子飼いで、そいつが消えた後、たまにあちこちの仕事を請ける。うちにも一時期いたことがある」
「へえ」
先生の影が重なる。唇をかむビルに尋ねる。
「組織のメンバーは参加できないんじゃなかったっけ」
さっきシスターが説明していた。
「三年離れてりゃいいと続けてた。……あいつの腕は伝説的だ」
顔色が紙のようになっている。それを変えることもできずに目を反らした。
「いいか、ここから先は流れ弾も多い。命が惜しいやつはさっさと帰れ。当たって死んでも修道院はなんの保障もしねえ。せいぜいまとめて祈ってやるだけだ。わかってるな!」
院長が再び姿を現し、今度はギャラリーに忠告した。人々は熱くそれに応え、実際彼女が中に入ると多少は人が減った。
シューティングレンジは片づけられ、キャスター付きのプラスティックらしい立方体がいくつも引っ張ってこられた。
支度をするシスターたちを見てるうちに疑問がわいてビルに尋ねた。
「彼女たちも撃てるのか?」
「うまいもんだ。組織と同じでちっこい頃からここにいるやつは訓練されてる。一番うまいやつが院長になるって噂だ」
別の疑問が生まれる。
「一番うまいのが一番美人とは限らんだろ?」
「その時ゃ賞品を別のやつがやる。前の代はそうだったらしい」
単純な話だった。とすると今の院長はハンパない。超絶美貌の上に腕もいいわけだ。
「以前と違って三ヶ月に一回はこれやるから、リピーターの腕も上がるだろうしな」
ビルはスタンから目を外さずに言った。それを聞いて何かキナ臭いものを感じた。
三次に参加するのは二十三人。これをいきなり二人まで絞る。
順番に一人ずつ立方体に挟まれた空間の中に立って、出てきたものをできるだけたくさん撃たなきゃならない。
立方体は六個で、棺おけを二つ合わせたぐらいの大きさだ。均等に間をとって挑戦者を囲む。
「十七番、レディ! アクション!」
次のテストが始まり目を向けると、立方体から飛び出てきたウサギが四方八方に跳ねていく。挑戦者は次々とウサギを撃っていく。
人造物だ。わかっている。血さえ出ない。単純なつくりなので修理してまた使える。知っている。
「おい、どうした。すげえ顔色だぞ」
ビルが焦った声を出した。俺は片手をあげた。
「…………順番には戻る」
胃の中のものを全部ぶちまけなきゃ、あそこには立てない。
十歳になったばかりの頃だった。通常の移動標的は全てこなせるようになっていた。
「実際の生き物の形を模したものが飛び出てくるけれど、作り物だから気にせず撃ちなさい」
あらかじめそう言われていたからかまわず撃った。数回そんなことがあったけれどはずすことはなかった。
「今日はテストだ。カメラが入っている」
いつもと変わらない声でそう言われた。
練習の時と同じようにそれを撃った。
三匹目だった。ウサギは赤い血を流して床に倒れ、少しひくついてやがて動かなくなった。
腕を下ろしてしまった。ガラス越しの先生を見た。先生は何も言わない。
閉ざされた部屋はウサギだらけで、その全てが派手に飛び跳ねていた。
あらかじめカメラが入っていることを聞いていなかったら、その場で膝をついて泣いていたと思う。だがこれはテストだ。たぶん先生に対しての。
再び腕を挙げてウサギを撃った。百二十匹のウサギのうち、三十匹は生き物だった。それも全て撃ち殺した。
動くものがいなくなった部屋で銃を下ろし、イヤープロテクションを外した。先生は強化ガラスの間仕切りを開いた。
黙りこんだまま立ち尽くしていた。先生は淡々と語りかけた。
「これはクローンウサギで本体は生きている。この体もちゃんと処理して、地獄都市の貧しい人への施しとなる」
それは言い訳ではなく少しでもダメージを減らそうとする大人の言葉だとわかっていた。
「先生」
彼の目を見た。
「僕の先生でいてください」
予測していなかったのだろう、先生は少しだけ目を見開いた。
部屋を出て盛大に戻した。それから自室に戻って目玉が溶けそうになるくらい泣いた。その後、このテストを命じたはずの人に面会を申し込んで了承された。
「必要なことだった」
彼は簡潔に答えた。
「生き物が撃てないそうだな」
「僕は身を守るために銃を習っているはずです。殺すためじゃない」
「聞いただろう。あれはクローンウサギだ」
「ええ。次はクローン人間でも用意するんですか。技術的には可能でしょう? そして本体は無事だから気にすることはないと慰められるんですか」
相手は真面目な顔でこちらを見ている。
「僕は二度と生き物は撃ちません」
「しかし……」
「充分にトラウマだ。続けたら銃さえ撃てなくなると思います」
瞳を銃口に替えて相手に向けた。彼は少し口の端を緩めて了承した。
絶対、あのころの方が今より賢い。腕もいいかもしれない。それでもやらなきゃいけない。
「五十二番! レディ!」
感情をどうにか斬り捨てた。これはおもちゃだ。
「アクション!」
凄い勢いでウサギが飛び出してくる。それを撃ち続けた。あの部屋と違って開かれた場所なので、気をつけなければウサギは逃げる。それを追いつめて全て撃つ。
「五十二番! 九十四匹!」
人々が手を打ったり口笛を吹いたりする。どうやら今までの最高点らしい。
軽く片手をあげて席に戻る。二人はさんでスタンの番だ。
「七十四番! 九十九匹!」
圧倒的な速度と芸術的なセンスで伝説ってやつを見せつける。表情一つゆるがせない。
「決勝進出! 五十二番と七十四番!」
「うひゃあ! すげえっ!」
「パネえっす、シロウさん!」
ビルのガードが飛びついて握手してきた。それに応えると予備の弾倉をいくつもくれた。手持ちが減っているので助かる。ついでに決勝のやり方について尋ねる。
「さあ。毎回変わるらしいっスよ」
「割とシンプルって聞いたことあるっす」
広場を見ると立方体は片づけられ、色とりどりの風船が運ばれてくるのが見えた。
「決勝は二回行います。風船の根元に結び付けられた穴あきコインを打ち抜いてください。その総数から割れた風船の数を引きます」
メガネのシスターが説明した。
「なお確認は西区野鳥の会の皆さんが請け負います」
いるんだ野鳥。食われつくしてるわけじゃないんだ。
広場の真ん中に立って待ち受けると、シスターが風船を結びつけた紐をサムライ・ソードでぶった切った。
それから五秒後、合図がある。四方八方から晴れ渡った空に昇っていく鮮やかな風船の下のコインを撃ち抜いていく。
刻限がきたので腕を下ろした。
会場に十人潜ませた野鳥の会の人たちがボードに数を書きいっせいに提示した。
「七十九が九人、七十八が一人!」
みんなの歓声を手を振って受け止め、場を去るときにすれ違ったスタンに囁いた。
「…………ニコラスに雇われただろ」
無表情だった相手が急に動揺した。
カマかけ成功。ほっとした。
西区の内部の敵なんてそいつしか知らない。顔も見たことないしどんなやつかもわからない。以前ビルのガードが言ったことを覚えているだけだ。
場から浮いた雰囲気のスタンからは女好きのやつらの熱も、腕自慢の男たちの誇りも感じなかった。ただ淡々と仕事をこなすプロフェッショナルのにおいがした。
よその地区の組織に雇われた可能性は低いと思った。たとえ院長に勝ったとしても与えられるのは一晩だ。ただでさえ都市法に違反するのに、たらしこんで足場にはできない。
合わせて考えて西区の組織内の敵だと判断したが、正しかったようだ。
「八十が十人!」
直前に揺さぶったのにいい腕だった。このままじゃ負ける。
俺は激しく手を打ち、大げさに感心して見せた。
「凄いな。到底かないそうにないや」
そのまま近寄って囁きかける。
「軍事力と金か。ニコラスは目のつけ所がいい。だがな、ここはいつも見張られてるんだ。気づいたか、ボブ・サンの息子のビルが来ている。おまえに対する忠告だ」
今度はスタンは顔色を変えなかった。だが休憩を挟んだ後の二度目の風船撃ちは明らかに精彩を欠いた。
「六十八が八人! 六十七が二人!」
俺は落ち着いて撃った。
「八十一が十人! 優勝、五十二番!」
人々が沸いた。口笛や拍手、賞賛も聞こえるが、明らかな罵倒もけっこう混ざっている。
「帰れよそ者!」「院長に近づくな!」「ガキはおうちで……(自主規制)」「いい気になるなよ、イケメン!」
そうかやっぱりイケてるか。ニヤけそうな口元を必死に引き締めている。
テラスにつけられたキャスター付きの階段から院長が降りてくると、罵倒はいったん収まった。そこだけ七色の光に照らされているかのように神々しい。
「よくやった五十二番。てめえは実力でここにたどり着いたわけだ」
いえ、半分は口ですが。
「だがこっからが本番だ。公式に私に勝てたのは二人しかいやしねえ。覚悟しやがれ」
院長は研ぎ澄ましたナイフのような微笑を口もとに浮かべる。いかん。ぞくぞくする。
「さあ、やろうぜ」
ベレッタを握るしぐささえ、見とれちゃうほど優雅だった。