28.西区の片隅で愛を叫ぶ
バスは途中でこんできた。教会前の広場にたどり着いたときは押し合いになるほどで、俺はマントの中で銃と金を握り締めていた。
貧しげな人たちだが靴を磨いていたり、ポケットにチーフを覗かせたり精一杯彼らなりに着飾っているのがわかる。ひょっとしたらと思っていたが、案の定彼らの会話で教皇が戻ったことがわかった。
人の波に乗って明かりの灯された広場を歩き教会に入った。久々だからか以前より人の数が多くて座りきれない。教会の端っこでミサに参加した。
教皇の話はわかりやすくて優しくて、時々笑わせて少し泣かせた。人々が盛り上がってくるとまた歌やダンス、掛け合いが始まった。
「今まで悪いことたくさんしはった人もあきらめたらあかん。神様や仏様は悪い人から救ったりしはるから、最後の最後まであがいてみようやないか」
見事なタップを踏みながら彼は人々をのせていく。コーラスのお姉ちゃんたちがそれを煽る。
「ほな行きましょうか、レッツ、ダンス!」
切れのいいステップに乗せられて立ち上がった人たちは体を揺らす。こんでいるからささやかな動きだけれど。
「悪人なおもて往生す」
「悪人なおもて往生す!」
「悪人なおもて往生す!!」
声だけは大きく口々に張り上げた。
熱狂した人々はアンコールを叫んでなかなか離れなかったけれど、最後に教皇が優しい声で賛美歌を歌った後ようやく帰りだした。
「ケンちゃん!」「法王さま!」
帰り際も人々は気軽に声をかけ、彼もにこやかにそれを受けた。
人ごみに流されて俺もいったんは外に出たが、どうにか戻って楽屋に向かった。
「だからあ、あの妙なおにいちゃん連れて来たら教えると言ってるのよ」
「なんでだよ! 関係ねえだろ」
「知らないわよ。そういうことになってるのよ!」
「あいつは東区にいる。いいからシェリルの居場所を教えろ!」
「だからあの黄色系の人を……」
締め切っていないドアから、ビルとコーラスのお姉ちゃんたちの怒鳴りあいが聞こえる。
「魔法使いじゃあるまいし、そうカンタンに…………」
「…………呼んだか?」
扉をくぐるとビルとお姉ちゃんたちが化け物を見るような目で俺を見た。
「……おまえ、やっぱ魔法使いか?」
「そんなに清らかでも三十代でもない。人聞きの悪いこと言うなよ」
憮然と答えるとビルがにやりと笑った。
「よお。早かったじゃねえか」
「事情がある」
俺の機嫌は悪いままだ。
「玉はどした?」
「それが事情だ」
コーラスのお姉ちゃんたちに玉の安否を尋ねるときょとんとした顔をされた。
「さっき帰ったばかりですぐにミサだったから知らないわよ」
「教皇さまも同じだと思うわ」
青くなった俺を見て、一人がすぐに東区の寺へ電話してくれた。送ったやつらも帰り着いている頃だ。
「居場所わかったわよ」
「どこだ」
「怖いから落ち着いてよ。あたしたち関係ないじゃない」
「それについてるわ。一度ですむし」
目に力を込めて脅すと三人はちょっと身を寄せて答えた。
「シェリルと同じ所にいるわ」
「西区の海沿いのエリアにある女子修道院よ」
「院長が保護しているわ」
三人はなぜか蕩けるような笑顔を見せた。
「代わりに行きたい!」
「お会いしたいわ」
「あの方こそこの汚辱の地に降り立った最後の聖女よ」
完全に目がハートになっている。どういうことだろうと首をかしげてビルのほうを向いたら、凄い勢いで走っていくところだった。
「うぃーっす、シロウさん」「どーも」「…………」
以前東区まで送ってくれた三人が、以前と同じ箱バンでやってきた。
「急げ! 今すぐ行け!」
ビルが焦って追い立てるが、俺はそれを押し留めた。
「落ち着けよ。今行ったって会わしちゃくれないんだろう」
「一刻も早くあいつのとこへ行ってやりてえんだ」
「そのあさっての大会とやらで勝たなきゃ会わしてくれないんだろう。こっちで練習して当日にけばいいじゃないか」
凄い顔でにらまれる。
「おまえ、それが自分の惚れてる女でも同じコト言えるか!」
胸の奥が熱く震える。さっき教皇にも会いに行ったけれど、彼は彼女のことを思い出せなかった。その痛みは忘れていない。
「……無理」
「だろっ。行け! 最大速でだ!」
古びた箱バンは信じられない動力性能を披露した。加速がハンパない。エンジンも駆動系も強化してるんだと思う。
サブはそんな地味系モンスターをごく冷静に動かした。相変わらず無口だが、いい腕だ。
ゴミゴミした町や入り組んだ通りをいくつも抜けてひたすら進むと港への看板が現れる。それとは逆側に行くと松林が見えてきた。そのまま走ると視界が開けた。
広々とした海が見える。防波堤が長くそれを縁取る。
道はカーブし、白い建物の前の大きな広場につながった。こちらを見下ろすような尖塔があり小さなテラスがついている。その頭部に飾られた金色の双十字が、昇ったばかりの朝日に輝く。
「シェリルっ! どこだシェリル!」
ビルが突進していって門番に追い返された。それでもあきらめきれないのか彼女の名を絶叫しながらぐるぐる回っている。
「兄貴はほっといて一眠りしやしょうぜ」
ガードの一人が声をかけてくれた。
「それともシロウさんも玉ちゃんの名を叫びに行ってみますかい?」
「いや。いいよ」
不愉快だが、騒ぎにならなかったことを考えると玉はクレイトン、いや坊主に説得されて合意のうえでさらわれたのだと思う。
『殺すことはカンタンじゃ』
玉の言葉を思い出す。それを実行しないでくれただけでもありがたい。だがいつもの胸のスキマとは別の喪失感がけっこうひどい。
――――また子共に頼ってたんだ
三千歳の子供だけど。
仮眠をとって起き上がると、ビルはまだ外をうろうろしていた。ヤケになっているのか「好きだあっ、シェリルっ」とか「愛してるッ」とか暑っ苦しいことこの上なかった。
だけどちょっぴりうらやましかった。
俺は、彼女の名をあんなふうに呼べない。噛みしめるように心の底で呟くだけだ。
――――アンジー、いやアンジュ
その名はいつも苦い。苦いのに甘美い。体中が酔いしれて蕩けそうになる。
舌足らずに呼んでいた時も、今も。
どうしてその名をつけたのか聞いたことがある。
『古い話があるのよ。そのヒロインの名』
くわしい内容を聞いても話してくれなかった。知らなかったのかもしれない。
『確か自分の身を犠牲にして、弟をスシの王様にする話だったと思うわ』
そういって笑ったあの人は死ぬ時だって微笑んでいた。
――――だけどそんな名前はつけないでほしかった
違う名だからと言って状況が変わるとは思えないのに。
十時にならないと一般客は入れてもらえないらしいが、門番が根負けして八時半に入れてもらえた。ただしガードは連れて行けなかった。
朝の早い修道女たちはもう朝の祈りも朝食もすませて働いていた。
「お会いになります」
ひどく真面目そうな眼鏡のシスターがそう伝えてくれた。
マホガニー製の重い扉を開くと、修道院長は同じ材質のアンティークな造りの机の前にいた。ビルと俺は体中の血があわ立つ感じを味わった。
「おはようございます」
修道服に身を固めた彼女は髪の色さえわからなかった。しかしその必要はなかった。人目にさらされている部分だけで充分に男は骨抜きになる。
もちろん胸の底にいるのは彼女だ。それは変わりない。けれどそれをしばらく忘れてしまうほど院長は美しかった。
「ボブさんの息子さんとそのお友達ですね」
「「は、はいっ」」
思わず直立不動になる。
「ご質問の件にお答えするのは明日あなた方が試合に勝ち抜いた場合に限ります」
「な、な、なんとか安否だけでも、か、か、確認……」
ビルが盛大に噛んでいる。院長はにっこりとそれを否定した。
「ダメです。不公平になってしまいますから。だけどせっかく教皇さまのもとからいらしたのですし、ほんのちょっとだけサービスさせてください」
「サ、サ、サービス?!」
ビルの目じりが下がっている。
「ええ。お二人のことはセットで考えます。どちらか片方が勝ったらお望みを叶えてさしあげましょう」
そういって微笑む姿を見て、俺は天使、いや女神の存在を始めて本気で信じた。この汚れなき美貌、気品、清らかさ。いやこりゃ人じゃないだろ。
「登録はすませておいてください。それとここは女子修道院ですから男の方をお泊めするわけにもいきませんので、お休みになる場所はご自分で確保してくださいね」
「広場に車を止めていますが、いけませんか」
「今日まではかまいませんが、深夜十二時を越えた時点で駐車していたら失格になります。他にも多少のルールがありますから聞いておいてください」
澄んだ瞳がまっすぐにこちらを見ている。本当にこの人が試合に出るのだろうか。
「あ、心配してくださっていますね。大丈夫ですよ。まだ三回しか負けていません」
三回…………。うおおお、三回。
動悸が早くなって息苦しい。院長はいたずらっぽく笑うと、すぐに崇高な気配を漂わせた。
「これはこの女子修道院の使命なのです。逃げようとは思いません」
名工の手によって刻まれた聖像よりも整った顔が、りりしく決意を述べた。
近くの村で時を過ごした。だけどホテルは一杯で泊まれなかったし、食堂はめちゃくちゃ高かった。
「なんだよ、この異常な値段っ」
憤慨すると相席していたおっちゃんがひひひ、と笑った。
「あきらめや。この時期はいつもこうやし」
「われもわれもと押し寄せてくるからな」
隣のテーブルの三十ぐらいの男も話に加わる。
「これでもマシになったんやで。前の院長はんの時は年に一回やったからもっと高かったし」
「けどちっともうまくならんな、ここの飯」
「よく来てるんだ、ここ」
二人は思いっきりニヤけた。
「そら、院長はんを一度見たら何がなんでもまた来るわ」
「優勝してもう一回勝てばあの院長が一晩! マジに」
「これで立たなきゃ男やないで」
「いや、女の子もけっこういる。お姉さまになってもらうそうだ」
周りを見回すと二割ぐらいは女性だ。
「兄ちゃんは初めてか。登録すませたったか」
銃のテストに合格した者だけが登録できる。問われてうなずくと肩を叩かれた。
「一発合格たあ、やるやん。おっちゃんは十五回目でやっと登録できたんやで」
「おれは三回目でいけたがな。そっちの大きな兄ちゃんは?」
隣席の男に問われてビルがぶすっと答えた。
「ダメだった」
「そうかー。あきらめんなー。いつかは合格するって」
「それじゃ遅いんだよ」
あまりにビルが物騒な面をするので、男たちはこっちに話しかけるのをやめた。俺は小声で囁いた。
「こんな時なんだから本気出せよ」
「出してああなんだよっ」
吐き捨てるように言う彼をなだめる。
「絶体絶命の時のためにとっておきたいのはわかるが、今でしょ」
けげんな顔で見つめられる。
「おまえ、なに言ってる」
ニヤリと笑って答える。
「わかってるって。義手の内部に銃仕込んでんだろ」
ビルの目がこれ以上ないほど丸くなった。
「んなわきゃあるかっ」
「隠さなくていい。ないしょにしておく」
ちっちっと指を横に振るとビルが頭を抱えた。
「……銃なんか仕込んでねえ」
「あ、剣か。サムライ・ソード?」
なぜだか彼は残念な子を見るような目つきで俺を見る。
「おまえ本当にサバイバーか」
「言ったじゃん。二十三」
「いい年をしてコミックの読みすぎだ。これは強化された人造筋肉なんかで作られているがそんなバカらしいもんはついてねえ」
衝撃のあまり食堂の物音が全て消えたように感じた。
「まさか……そんなバカな」
義手に特殊機能がないなんてあるわけがない。ビルはうんざりとした顔のままでジョッキのビールを空にした。
「天国製だぞ。そんなヤバい機能がついていたらいくら教皇が口きいたって売ってくれるわけがない」
「それで言ったらそんな高度な技術製品を売ってくれるのもおかしいだろ」
「普通都市だったらかえって売らんだろ。複製する手段もない地獄で、しかも盗まれることもなさそうだからだろ。その上これはすでに古くなった技術だ」
じっとビルを見ると彼は視線を自分の手にやった。
「天国ではなんか自分の細胞を増殖させて欠損した肉体を作り上げることができるそうだ。あいつら自身にはもう不要な技術なんだろ」
そのまま自分の手をしばらく眺めている。
「そんな風に作った本物なら、も少しはマシに撃てるかもしれねえな」
なにか軽口を叩こうと思ったのに何も出てこなかった。
ビルは目を外すと、ウェイトレスのおねえちゃんを呼びガードの食事をテイクアウトした。
俺たちは黙ったまま、外に止めてある箱バンに戻っていった。