26.坊主・セッタイ・野球拳
東区は海に一点しか面していない。しかも背後は普通都市だ。トップの交代が激しくなおかつ海に面した北区を侵食すると滅ぼされる。
「利用されていない部分を有効活用したいだけなのだがね、制度に反すると見なされてしまう」
自由に見える地獄都市は強固な都市法に縛られている。他地区への野心を示すと普通及び天国都市から攻撃される。
「本当なら直接サルベージしたいけど、それは無理。北区はさして海洋利用をしていなかったけれどたまに取れたものは吹っかけるから正直西区との交流はありがたいのよ……玉、卵焼きもう一切れいる?」
いっしょに朝食の席についた俺たちのためにルーシーは何かと世話を焼いてくれる。
「いらぬ。もう満足じゃ」
「そう。シロウは?」
「いえ、いいです」
本邸でも和風の食事だったがここでは更に徹底している。ナットーという発酵したビーンズも食べた。においにはびっくりしたが味は悪くなかった。
「北区のトップは代わったようなのでこれからは交渉できるかもしれませんよ」
シェリーの顔を思い浮かべる。
「らしいな。報告が来ている。ああ、報告といえば君についてもあったよ」
北区に乗り込んだ件かと思ったが違った。
「つてを頼って普通都市の十一地区を調べてもらった。確かにこの写真の人物はシロウ・ヤマモト・バークレイだと確認できたよ」
食事の味が急にしなくなる。いつの間にか写されていたらしい。
「なかなか優秀な人物だったようだね。一年ほど前に失踪するまでは」
俺は湯飲みを取り上げて一口飲む。手が震えないように気を配った。
「大学は理学部で卒業間近だった。いったい、何があったのかね」
ルーシーと玉は黙ってこちらを見ている。
「…………モラトリアム期間の喪失に恐怖したというか」
「せっかくいい企業に内定していたのに? もったいない」
心臓の音がひどく激しい。サム・ライはすこし表情を緩めた。
「まあいい。君の家族は残念がっているようだ。せっかく元が取れる時期になったのにと」
黙って彼を見返すと、薄い笑いを口もとに浮かべた。
「当分戻るつもりはないのだろう。ここに腰を落ち着けたまえ」
そのまま黙っていると玉が口をはさんだ。
「シロウは自由に動く。そのことを許容するのなら寄港地の一つとして認めてやらんでもない」
愛らしく微笑んで彼を見る。
「われはシロウと共にある。それと……こやつは意外と他者に食い込むぞ。他地区との関係性を深めるのに便利だ。都合が悪い時には切り捨てることもできる」
「子供はそんなハードなこと考えなくていいです」
ルーシーはぴしゃりと決めつけて、玉の口元をやさしくナプキンでぬぐった。
「奥づとめは結局侍女って意味しかないみたいだった」
戻ってなんとなくルーシーのことは伏せたままタエコさんに話す。玉は昼寝をしている。
「どのくらいいるの? 女ばかりじゃ警備が心配じゃない」
「さあ。ガードはいるのかもしれないし、そこのとこは聞いてないからわからないけど」
「そう。直接行って口説いちゃおうかな」
「あちらはこっちよりハイテクだ。監視カメラもあるらしいし」
「あらん。厳重なのね」
「そうみたいだ」
がっかりするタエコさんを前に俺は別の女性のことを気にしていた。
――――昨夜チナミは無事だっただろうか
たぶんよくある日常的な行為なのだとは思う。それでも彼女の意思ではない仕事をさせたくない。
「昨夜か今朝、チナミさんに会った?」
「朝食堂で見かけたわ」
「いつも通りだった?」
「んー、変わんなかったと思うけど。なに?」
好奇心を向けられてちょっと赤くなる。
「ジェフに粉かけられて迷惑そうだったから……」
「あー、ジェフなら昨夜会ったわよ」
「え?」
「カード持ったままなんか呆然としてたからくったけど、いま一つだったわ」
「………………」
「たかだか三、四回でへたばってんじゃないわよ。使えない男だったわー」
…………タエコさんのパネえ体力に感謝だ。
「あれってカード使うとどの子とでも付き合えるの?」
「ポイントがたまればね。こっちのサバイバーなら」
辛いかどうかは聞かなかった。まあ、タエコさんに聞いても意味はなさそうだし。
「さてと。もう行かなくっちゃ。今日は崇貴卿が来るからセッタイすんの」
「え、まさか君たちのセッタイ?」
「アナタほんと育ちいいわね。あたりまえっしょ。そりゃ建前上はなんだけどフツーよフツー」
ちょっとあきれた。
「もちろん人によっちゃ一切その手を近づけない人もいるけどねー」
「女性もいるだろう」
「十三人のうち三人しかいないレア者に会ったこたないわよ。今日はうちの区の猊下よ。三人ついてウハウハにしてやんの」
彼女は大きな胸をぶるん、と震わせて立ち上がった。
「といってもヌードとおさわり程度ですむから楽な相手よ」
「はあ…………」
「なんならあいさつする? お経も唱えてくれるのよ」
「寺の黒色系の人?」
「ううん、あの人はただの神父さん。うちの崇貴卿はクレイトン卿っておっさん」
「何系?」
「色々混ざってよくわかんない系」
どうせすることもないのでうなずいた。顔の広そうな人にはなるべく会った方が彼女の手がかりを得ることができるかもしれない。
「そ。支度するからちょっと後でねー」
ヒラヒラと手を振ると部屋を出て行った。
急に部屋が広くなったような気がした。玉を起こさないように気をつけて座りなおす。ある程度見慣れて居心地がいいがしょせん他人の部屋だ。
自由な時間があると胸に痛みを感じる。一年ほどの期間がもう、十年もたったような気がする。
――――彼女はいったいどこに
今朝サム・ライに確認したが彼は知らなかった。寺にも電話してくれたが情報はなかった。
――――君がいなきゃダメなんだ
いろんな人に出会い、いろんなことがあって命さえ他者からもらったのに、それでも求めるものは一つだ。
彼女に会いたい。彼女がほしい。あの緑の瞳で見つめられたい。
だが俺はあの男の息子だ。たぶん顔さえ見たくはないだろう。
いや、彼のせいにするべきじゃない。それ以前に俺自身の態度は充分にひどかった。
どうしても受け入れてくれないと知ってからはひどく冷たくあしらった。
どんなに後悔しても時は戻らない。
「…………なんじゃ、暗いなおまえ」
いつの間にか目を覚ました玉が傍によって来て隣に座った。
「若い男が暗い顔で何か考えている。どうせ女のことじゃろ」
「ぎく」
「さあ話せ。四千年の叡智をおまえに授けよう」
「三千歳って言ってなかったっけ」
「あまりに昔のことなのでどっちでもよい」
けっこうアバウトな性格らしい。それでも話をせがむので、省略しまくってものすごく大雑把にアウトラインだけ説明した。
「つまり好きな女が振り向いてくれないのでこれ見よがしにどうでもいい別の女たちと付き合ったと」
「いや最初の子はけっこう好きな相手で、彼女のことがなかったら本気になってたかもしれないと……」
「同じだ。最低だな」
「………………はい」
玉はじろじろと俺を見た。
「太古の昔からそのような男はよくいたが、なおいっそう嫌われると決まっておる。女のほうが振られて別の男と付き合いだすとなぜか急に関心を持ち始める男はよくいるが、逆の場合はめったにない」
青くなってうつむく。
「こうなるともはや取り戻す手段はありえない。が、昔大いに反省して全ての女と縁を切り必死にアピって三年ほどかかってようやく相手を振り向かせた男を見たことがある。可能性はゼロではない」
ちょっと気分が軽くなった。
「いつの時代のこと?」
「大和朝廷の時代だったかの。やっと中央集権に入った頃じゃ」
がっくりきた。
護摩壇からは焚かれた香の煙がもうもうと立っている。その前に立つクレイトン卿は、派手なアクションで印を結び真言を唱えた。
「渇ッ!!」
大音声で叫ばれると身がすくむ。
行が終わりイッキューさんたちが壇を片付けだした。
ぱちぱちぱちとサム・ライが手を叩く。
「すばらしいよ、ジョージ」
「いやあ、大したことないよサム」
卿は赤銅色の肌の大柄な中年で目は鋭く黒い。頭は丸坊主で法衣と袈裟をつけている。
「感謝の気持ちとしてささやかな宴を設けている。私は別口の野暮用があるがくつろいでいってくれたまえ」
「いつもすまないね」
「神と仏の使途につくすのは当然のことだ。代わりに何か面白い話でもあったら聞かせてくれたまえ」
「北区の美女ボスが動き始めた話がある。とりあえずそこの兄ちゃんにでも話しておこう」
「ありがとう、わが友よ。それではまた」
サム・ライが去ったのちクレイトン卿はいかめしい顔つきでイッキューさんたちを集め、なにやら訓示を垂れた。それから彼らを邸から外へ出した。最後の一人が消え去るととたんに破顔した。
「それではお姉ちゃんたち、精進落としといこうか!」
タエコさんを始め三人の美女サバイバーが嬌声をあげながらじゃれついてくる。
「そこの兄ちゃんもついてきなさい」
呼ばれて一瞬考えたが、シェリーの話を聞きたかったので後に続いた。
あの貧相な茶室と別の離れだ。小さいが豪華で池のほとりに建つ。フスマは金色の地に紫の妖怪じみたロボットの絵が描いてある。
「はーい、お姉ちゃんたちー、無理やり来させられた人はいないかなー」
「「「いませーん」」」
三人の美女サバイバーが答えると彼は鼻の下を伸ばした。
「じゃあ楽しく遊ぼうか。でもおじちゃん神と仏の使途だからな、イヤと思ったら帰ってくれてもかまわんよ」
「大丈夫でーす」
美女の一人が布製のケースから取り出した三味線という弦楽器で明るい音楽を弾いてくれた。ケースは丸めて膝の近くに置いてある。
卿は両脇にタエコさんともう一人を抱えている。他に黒のユニフォームのサバイバーが料理を運んでくる。
「兄ちゃんも食べや。ここでしか食べられんエスニック料理だ」
「はあ、遠慮なく」
上等そうな漆塗りの木の箱を開くとソースのにおいがした。焼きそばというものらしい。けっこううまい。
「若いモンの食べっぷりは気持ちがいいな。これも食べなさい」
カレーの上にカツレツの乗ったものも勧められる。
「お姉ちゃんたちも充分食べなさい。あ、神様と仏様に感謝は忘れないでな」
「はーい」
三味線の子も撥を置いて食事を楽しんでいる。卿は時たまお姉ちゃんたちの食べかけの料理を奪って食べたりしているが、あまり量は取らない。
「北区の様子は……」
頃合を見て聞いてみるとちょっと真面目な顔をした。
「そうそう。天然食品の増産に取り組んでいる。あの、えーとシェ……」
「シェリー・チャン」
答えるとちょっと驚いた顔をした。
「知ってるのか?」
「はあ、ちょっと」
クレイトン卿はほんの一瞬、先ほどの鋭い目を見せたがすぐににやけた。
「美女だな。ちょっと小さいが」
「そうですね」
「さしもの都市法も地区内の食糧増産までは縛れないからな。合成より味が薄いから受け入れられるまでに間があるかもしれないが」
「体にはいいでしょうね」
地獄都市の平均寿命は他よりだいぶ劣るらしい。
「気候は当分このままらしいから、とりあえずその線で行くようだ。で、素材の加工の一部を他地区に任せるつもりがあるらしい。十区普通都市を背にした東区との付き合いを深めたがっている。まだまだ先だが、うまく行けばこちらにも売り込んでいくつもりらしいな」
なるほど。
「で、あちらからこっちに接触したがっているらしいが、伝達によさそうなトライヤ卿が亡くなっている。新しい若いのは私もよく知らんよ」
「ハートレイ神父は崇貴卿になれたんですか」
彼はちょっと目を丸くした。
「君はなかなかの事情通だね」
「いえ、どうなったかは知りません」
「崇貴卿会議で承認された。教皇が戻りしだい祝福を受けて正式に認定される」
本人的にはどうだかわからないが、よかったと思う。
「わずか八名の地区メンバーの一人だ。充分働いてもらおう」
「あれ、十二名じゃないんですか」
地獄三都市に四名ずつだと思った。
「二区と十二区からはそれぞれ二人ずつだ。十七区は教皇在住区だから特別だ」
「残り五名は?」
しげしげと見つめられる。
「本当にくわしいな。その五名は地区とは関係なく選出されるメンバーで一般にはほとんど知られていないんだが」
グレイスもその中の一人なんだろう。
「君がハートレイやシェリーを知っているのなら、ぜひ仲介人をお願いしたいね」
「俺じゃあ力不足でしょう」
「そうか。なら力をつけよう」
すくっと立ち上がると高らかに宣言した。
「野球拳を始めよう!!」
なんだ、それは。お姉ちゃんたちは明るく返事をすると次々に立ち上がった。
「いやあーん、また負けちゃったあ」
黒髪をアップにした子がキモノの下の下着っぽいものを脱ぐ。とたんに大きめの胸がプルンと出てきて鼻血を噴きそうになった。これでその子は腰巻という布一枚だ。
「別に脱いでもいいけどあたし強いのよね」
タエコさんは足袋ソックスを脱いでるだけで変わりがない。
「はっはっはっ。これ以上はかわいそうだ。交代しなさい」
「えー、あたし三味線弾いてるからいいー」
「不公平でしょ。ほれ」
タエコさんがその子を立たせると彼女は身をくねらせて卿を見た。
「じゃあクレイトン卿がいっしょにしてください」
「私はいい。そこのお兄ちゃんにやってもらおう」
「えー、ずるい。いつも逃げるじゃないですかあ」
彼はにこにこと拒否した。
「いやだよ。見ているほうが楽しいし」
「ほらほら、シロウも立って」
タエコさんに立たされて俺もちょっと困惑した。
「はい、アウト! セーフ! ヨヨイのヨイ!」
野球拳というワビ・サビ系ゲームは歌声に合わせてポーズを取りながらじゃんけんをし、勝ち負けによって服を脱いだり脱がせたりする。運よく後半に勝って、目の前のお姉ちゃんは先ほどと同じく長めの下着を脱いだ。
「うおっ」
目の前でさっきの子より大きな胸を披露されて思わず声が出た。
「やあーん。卿はいっつもこれやるんだから」
「そよねー。しかもいきなりでさ、心の準備もできないし」
「来てすぐの時もあるしねー」
彼女たちは卿をからかっているが俺の視線は胸に釘付けだ。それに気づいた三味線の子は脱いだキモノのあたりにしゃがみこんだ。
「もうっ。すぐ着ちゃうんだから!」
下着を取ろうとして間違えたのか、三味線の布ケースをつかんだ。
「?」
疑問に思った瞬間、銃声が響いた。
三味線の子が半裸のまま額に穴を開けている。
「きゃあーーーっ!!」
もう一人の子は絶叫した。だけどタエコさんは叫ばずに彼の方を向くとうなずいて三味線ケースの中の死体の右手を引っ張り出した。
ベレッタが握られている。
「…………ここで殺されるわけには行かなくてな」
クレイトン卿が沈痛な面持ちでつかんでいた銃を袈裟の中にしまい、双十字を切った。
「彼女、身よりは?」
タエコさんは知らないらしく肩をすくめる。もう一人が震える声で答えた。
「いません。でも二年もここにいるのに」
「供養はしよう。仕方ないとはいえ、かわいそうなことをした」
神と仏の使徒は眉をひそめた。行為の残虐性を理解してはいるが後悔はしていない。これが地獄都市だ。
銃声を聞いてガードが駆けつけてきた。事情を察して死体を抱えあげる。
「心当たりは?」
「最近なんだかキナ臭さは感じていたよ。しかし組のせいだとは思っていない」
ぽんぽんとガードの肩を叩く。
「もう仏様だ。あまり乱暴には扱わないでくれ。経を読むから安置所に連れて行きなさい」
それからこっちに目を向けた。
「今日はこれで解散だ。兄ちゃん、パンツ一つだと風邪をひくぞ」
慌てて服に飛びついた。
目の前で女性が死体に変わったことに衝撃を受けている。今までもけっこう見たけど、生おっぱいが一瞬で使用不可になるのを見たのは初めてだった。
――――組を疑っていないと彼は言った
正当な理由なく崇貴卿を殺ったりしたら大問題だ。いくらずぶずぶの双十字協であっても普通地区の教会を利用して攻撃してくる可能性がある。
――――北区の場合はボスが先に殺されたからお咎めなしなのか
何らかのペナルティがあったとしても知らないけど。
この場合クレイトンが死んでいたら、どんなに言いつくろってもサム・ライが疑われただろう。しかし彼にその必要はない。むしろ困るはずだ。
玉といった北側の建物で聞いた話を思い出す。
「私は部下に狙われる可能性がよその区の者よりも少ないからね」
サム・ライは皮肉な笑みを浮かべて言った。
「なぜですか?」
「継ぐべき子がいない。そして六十三歳になったら部下の誰かに継ぐと明言してある」
「部下同士が争いませんか?」
「今のところは手柄で争っているな。それに私の代になってそれなりに東区を発展させた。このまま預けておいて富んだ地区を手にしたいとみんな思っている」
「子がいると狙われやすいのですか」
「男子ならな。女子の場合よほど有能でなければ組織を継ぐ可能性は低い。ま、西区の嬢ちゃんはなかなかのタマらしいが」
「西区のボブ・サンにはビルもいるじゃないですか」
「あれは組織外の人間だから考慮に入れなくていい。腕を失った時点で枠外だ」
あの話からすると今の時点では部下に陥れられるとは思えない。
じゃあやっぱ単純にクレイトン卿を狙ったのか。
そういえば食事に気をつかっていたし、深読みかもしれないが野球拳も組織に礼を失さないボディチェックの方法なのかもしれない。
とすると彼自身は何か知っているのかもしれない。だけどもう帰っている。
考えるのに疲れてきて早めに寝ようと布団を引っ張り出した。が、何かおかしい。
首をかしげて部屋を見渡し、玉の布団がえらく薄いことに気づいた。
めくってみると彼女がいない。
驚いて立ち上がったところにタエコさんが駆けてきた。
「大変よ! 玉がさらわれたわ!」