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25.ツナギを着るのはお断り

 サム・ライは自室に玉の居場所を作りたかったらしいが、思いっきり拒否された。

「だが断る」

 彼女は確固たる態度で一歩も引かず、俺に与えられた部屋に同居することになった。ちょっとほっとした。これでチナミもヨトギには来ないだろう。

 がっかりしていたサム・ライは、おまえの仕事の合間に会ってやると言われて目を細めた。

「本当に、パパと思っていいんだよ」

 それから少し真面目な顔をして尋ねた。


「この屋敷の日本趣味(ジャパネスク)をどう思う?」

「悪くはない」

 玉の言葉に相好を崩した。

「やはりそうかね! 私は間違っていなかった!」

「間違いだらけじゃ」

 続く言葉にしゅんとなるが、彼女は表情こそ緩めなかったが言葉は優しかった。

「だが、そこがいい。扶桑(ふそう)の文化は他国を取り込んでカスタマイズすることによって進化した。基本の精神は外していない。気にせず突っ走れ。気分によっては突っ込むがが、お前は自分の思うたようにやればよい」

「ありがとう、いやありがとう!」

 彼は玉の小さな手を取ってぶんぶん振り回した。更に何か言おうとしていたが、仕事上のことで呼びに来られてしぶしぶ退室した。俺たちも私室に向かった。


「あらん。可愛い女の子ね」

 タエコさんは意外と玉に友好的だった。食事の世話の他も細やかに気を配ってくれて、風呂にはアヒルのおもちゃまで浮かべてくれた。

「日の本の血はかけらもないがの」

 彼女が去ったあと緑茶を飲みながら玉が評する。

「わかるのか」

「なんとなくな」

「チナミさんはどうかな」

「ほぼないに等しい。近隣の血はいくらかあるがな。未分化な時代の頃は考えに入れなくともよいだろうし」


 最も玉の好意は血筋だけによるものではないと思う。ビルやシェリーなんかには比較的好感情を示していた。

「まあいい。寝る」

 言うが早いか湯飲みを置くと、近くに敷かれた布団に入り眠ってしまった。わかっていても口さえきかなきゃ五歳児だ。


 横の布団で眠ってもよかったが、まだ時間が早すぎる。落ち着かない気分であたりを見回した。

 タタミ八枚しかれた部屋で、隣に風呂とトイレがついている。タタミ二枚分くらいの窓にはショージと呼ばれる白い日よけがあって、それをスライドすることができる。

 窓の外側部分は鉄格子がはまっている。せっかく素敵な庭が見えるのに無粋なことだ。

 部屋の中は押入れと呼ばれる大きなクローゼットと床の間があって、カケジクという字の書かれた紙が掛けられている。流れるようなその字を苦労して解読してみた。


「打壊其幻想」

 よくわからんが意味のある言葉なんだろう。

 立ち上がってふらふらと部屋を出てみた。


 そういえばサム・ライの私室の位置も聞いていない。いや、もしかして意識的にか。趣味的な好意を示してくれて入るが信用はしていないということだ。

――――玉は別らしいな

 彼女が許せば連れて行きたそうだった。あたりまえか。普通五歳児は用心の対象にはならない。

 枝分かれした通路を選ぶと、庭園に向けた扉があった。だけど電子ロックでここも開かない。押したりしていると、音もなく横に立つ人がいる。


「出たいのですか」

「どうしてもってわけじゃないけど」

「夜はたいていの扉が閉まります。ですが庭の見えるテラスはありますよ」

「いいんだ。部屋からも見えるし」

「そうですか」

 静かにたたずむチナミは長身だけれど儚げで、か細く見えた。

――――彼女よりかは小さい

 無意識に比べると、まるでそのことに気づいたかのように少しうつむいた。

 廊下の天井の両側にある常夜灯の光を受けて、長い睫毛が影を作った。

「チナミさんは……」

 自分が何を聞こうとしたのかよくわからない。しかし言葉はそこで途切れた。ジェフがニヤニヤしながら廊下に現れ、寄ってきたからだ。


「よう、チナミ。付き合えよ。カードはある」

 彼女はしばらく目を伏せたままだった。

「………………はい」

 俺は無意識に割って入った。ジェフが片眉を上げた。

「ああん? まっとうな権利だが、なんか文句あんのか」

 否定する根拠を持たない。彼女が嫌がっているように見えるなんて、ここじゃ理由にもならない。

「………………いや」

「だよな。ガキに頼らなきゃ身も守れねえ坊ちゃんが、粋がっても仕方ねえもんな」

 彼はチナミの肩を強引に引き寄せて抱いた。そして片手で胸を強く掴んだ。彼女は顔をそむけた。

「……手荒に扱うな」

「けっ、うっせえ。黙れホモ野郎っ!」

 ジェフはちなみを手荒く突き放すと俺に殴りかかって………………来なかった。


「?」

「今、なんと言った」

 俺の背後のドアが開いてサム・ライが出てきた。ジェフは顔を引き締めた。

「いえ、大したことは。ちょっとじゃれあっただけです」

「なんと言った」

 彼は青くなったり赤くなったりしていたがサム・ライに無表情に詰め寄られて、泡食った感じで小声で答えた。

「ど、同性愛者は静かにしてほしいと」

 とたんにサム・ライは破顔した。満面に笑みをたたえて俺の方を向いた。


「そうか、君が彼女に手を出さなかったのはそんな理由があったのか」

「へ?」

 答える間もなくサム・ライはまた振り返り、冷たくジェフをねめつける。

「おまえの趣味がどっちであってもかまわん。差別と偏見も好きにするがいい。だが、私の認めたものだけだ。個人的な性的指向はほっておけ。うちは能力本意なのだ」

「こいつに何の能力が……」

 思わず反論しかけたジェフが、やべっ、って顔で口を押さえた。サム・ライは冷たく答えた。

「生まれ育ちは才能だ」

…………いつかほんとにジェフに後ろから撃たれるかもしれん。しかし今彼はひどく神妙な顔でうなずいている。サム・ライはまたにこやかにこちらを見た。


「ワビ・サビの極致だ」

「は?」

「いや、日の本の国では高位の侍はシュドーといってそちらのたしなみがあったのだ」

「?!」

 おい、なんでこの人こんなに嬉しそうなんだ。まさか自分にもその趣味が、とか言いださんだろうな。

「私の復元士によってその際の作法が解明されている」

「はあ」

「まず公園に行くのだ。誘いをかける方は青い作業衣コスチュームを着用せねばならない。そしてそこのベンチに座り、誘われる方を待つ」

「……………………」

「誘われる方は駆けて来る必要がある。そしてベンチに座った男に視線を向けなければならない。目と目を合わせ、双方雰囲気が高まったらおもむろに座っている方が声をかける。『やらないか』と」

 さすがワビ・サビの世界は奥が深い。


「駆けて来た方は了承する場合は『ウホッ、いい男!』と答えねばならない。これが作法だ」

「…………そうですか」

「感無量だ。このセレモニーを目の前で見ることができるのだから」

「ええ…………えっ?」

 サム・ライは相好を崩している。


「実にめでたい。私自身はその趣味はないが、捜せば部下に一人二人はいるだろう。いや、なんなら君が好みの相手を指名してくれてもいい。ジェフはどうだね?」

 ジェフは口をパクパクと開け閉めして、何とか逃れようと必死な表情だった。

 こっちも否定したい。否定したいがそうするとまたヨトギ攻撃にあいかねない。


「に、二次元にしか興味がありません…………」

「なんと。それは残念だ。気が変わったらすぐに教えてくれたまえ。いかようにも手配しよう」

 終始にこやかにそう告げると、彼はまた出てきた部屋に引っ込んでしまった。

 ジェフと二人気まずい顔を合わせ、チナミの方に目を向けるとすでにいなかった。


「…………けったくそ悪ィ。相当乱暴に女とやらなきゃ気が晴れんな」

 一瞬の後に自分を取り戻したジェフが、またイヤな笑いを向けてきた。俺はまっすぐそれを見返した。

「彼女はよせ」

「へ? なんでだよ。権利だぜ権利」

 許可証らしいカードをヒラヒラと振り回す。

 さっきの彼女の睫毛の影が俺の心にも影を作った。それはひんやりとして湿っぽい。


「取引しよう」

「ああん? おめえからほしいものはなんもねえぜ」

 馬鹿にしたような彼に真面目に提案する。

「いや、あんたがほしくないものを与えない権利だ」

「なにわけのわからねえこと言ってやがる」

「チナミに手を出さないでくれたら、気が変わってセレモニーをやる気になったと言って、あんたを指名することはやめてやる」

 ぐっ、と彼は言葉につまり、それから真っ赤になった。


「てめっ、この野郎ッ」

 ジェフは拳を固めたが振り下ろせず更に赤くなっている。俺は落ち着いて続けた。

「殴ることはかまわん。それはカウントしない」

 普通こういえば俺の心意気と優しさに感動して殴るのをやめ、友情なんかが芽生えちゃったりするシーンだ。だけどジェフはにっ、と笑い思いっきり下腹に一発入れて唾を吐き、意気揚々とその場を引き上げた。

 完璧に見込みを外した。


 痛む体を何とか引きずって部屋に戻って眠った。夢も見なかった。



 朝早いうちから俺と玉はタエコさんに案内されて北側に位置する建物に行った。

 本邸とつなぐのはアーチ状に反った橋で、朱色に塗られている。その下は川になっている。わたりきったところに同じ色のゴージャスな門があって、タエコさんはここで帰された。

「中どんな風になってるか教えてねー」

 耳元に囁かれた。

 門には丈夫そうな金属の扉があり、俺と玉が近づくと自動で開いた。

 白砂の真ん中の道を通ってその奥の、あまり大きくはないが寺のような建物にたどり着いた。

 正面の階段の横の小さな柱には、たまねぎのような飾りがついていた。ここで靴を脱ぐ。

 カポーン、という音が裏から聞こえてびっくりした。「鹿おどしじゃな」と玉が言った。

 その音が消える頃合に荘厳な響きの楽曲が流れてきた。実にエキゾチックだ。


「よく来た。さあ奥においで」

 サム・ライが案内に現れ、我々を手招いた。中への扉は横にあり、正面はマジックミラーになっている。

 中は一面にタタミのしかれた広間で、目玉の大きな女の子が描かれたフスマというスライドドアで仕切られていた。

「………………」

 玉がしげしげとその絵を見ている。

 荘厳な曲はいつの間にかやみ、太鼓とは違った打物の音がテンポよく響く。

 と、フスマが開き、真紅の扇で顔を隠したキモノ姿の女性が現れた。

 キモノはチナミやタエコさんの着ているものとはだいぶ違う形だ。


「お若えの、お待ちなせえ」

 あんぐりと口を空けた俺と違って、玉は落ち着いた声で答えた。

「待てとお止めなされしは、拙者のことでござるかな」

「OH! 歌舞伎、ク――――ルっ!」

 女性は持っていた扇を勢いよく宙に投げた。四十半ばぐらいの金髪の女性だ。


「うちの復元士だ。名をルーシー・ライスと言う」

 苗字に気づいてサム・ライを見るとわずかに口の端を上げた。

「私の妻だ」

 彼が淡々と告げると女性はにっこりと微笑んだ。




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