22.きれいな花には謎がある
普通こんなプラチナブロンドの女性は、ブルーかグリーンが似合うと思う。しかしこの美女は闇の中で燃える火のような色が凄く似合っていた。
ペンダントの鎖がうなじにかかっているが、その先は胸の谷間に入り込んで見えない。爆乳というべき質量を持った胸だった。
他にアクセサリーは一つもつけていないけれど、本人の雰囲気やドレスの材質、靴なんかで金に不自由していないことはわかった。
「あなたがその子の持ち主なんですか」
「そうよ」
一かばちかで聞いてみる。
「譲ってもらえませんか。勝ち分を全部払います」
「プラスアルファがあれば考えてもいいわ」
「たとえば」
「そうね、あなたの身柄がいいわ」
胸が高鳴った。もしかしてこの人、さっき会った時俺が気に入って危ない橋を渡って手に入れようとしてるんじゃ…………。
「顔がにやけかけてるぜ、シロウ」
いつの間にか近くにいたルークに囁かれて驚いた。慌てて表情を引き締める。今の俺は魅惑の魔法使いだった。
「わかりました。金と自分自身を賭ければその子を渡してもらえるんですね」
「同じ金額を賭けるわ。どちらかがゼロになった時点で人を賭けましょう」
「俺が負けたら?」
美女は答えずにうっすらと微笑んだ。
辺りのものが凍りそうなほど凄艶な笑顔だった。
17地区ではないどこかの地獄都市のボスなのかもしれない。人身売買のネタを仕込むためにこのカジノに遊びに来たんじゃないだろうか。
そう思わせるほど冷酷な微笑みだった。それでも、その美しさは微塵も揺るがなかった。
「このゲームは非公開で行いたいわ」
観客が抗議のブーイングをする。彼女は眉をぴくりとも動かさず「この部屋にいらっしゃる方全員にシャンパンを一本ずつ差し上げて。ギャラリーも含めて」とフロアマネージャーに命じた。とたんに声は小さくなった。
みんなはぞろぞろと部屋の外に移動した。ゲームを続けたい客も別室に案内されることになった。
美女はルークを見て薄く笑った。
「シャンパン一本では物足りない?」
ルークはぶんぶんと首を横に振った。
「いらないよ。おいらはシロウのゲームを見ていたいんだ」
「あら、お友達なの」
「違う!」
慌てて否定した。彼女の目に傷ついたような色が浮かぶが無視する。
「今日会ったばかりの子だ。関係ない!」
「焦らなくても大丈夫よ。彼女を質にはしないわ」
優雅にルークを一瞥すると愛想よく告げた。
「いいわよ、一人くらい。お座りなさい」
「賭けは……」
「あなたの分は必要ないわ。どうせシロウにしか賭けないでしょう。ジュースでも飲みながら見ていなさいな」
彼女がそういうと同時にバニーちゃんが消え、すぐにブラッドオレンジジュースらしいグラスを持って現れた。ルークの目の前に置く。
「あなたは誰なんですか」
尋ねてももちろん美女から答えは引き出せない。
彼女の瞳を覗き込む。底の見えない煙る様な色合いの瞳。ブルーともグレイともとれる。
「バカラには飽きたわ。別のゲームがいいわ」
「お好みのものでどうぞ」
「そうね。ポーカーがいいわ。テキサスホールデムで」
「じゃあそれで」
スティーブ氏は下がったが、別のディーラーが仕切ってくれた。
ゲームはなかなか厳しかった。謎の美女は遊び慣れていて賭け方も大胆だ。感情も読みにくい。
「ギャラリーがいないとやりにくい?」
冷たく優雅に微笑みながら尋ねる。
「…………気づいていましたか」
「ええ。ギャンブラーは縁起を担いだり、無意味なおまじないをしたり、なんとか流れを自分に向けようとするものだけど、あなたのは少し独特ね。会場の空気を自分側に流そうとしたのね」
「無意味なおまじないの一種ですよ」
「それよりはましね。多人数の期待はけっこう心理面に影響を与えるわ。それにしても最初の勝ちがなければできなかったでしょうけれど」
そういいながら開いたカードはツーペアで、ワンペアの俺の賭け札がごっそりと持っていかれた。ルークの表情が曇る。
「あれで勝てなきゃ人を助けるなんておこがましいと、自分の中でも賭けてたんですよ」
「そう。ギャンブラー向きね、あなた」
「どうでしょうか」
少なくともこの人よりは向かない。ディーラーがシャッフルしたカードを配るが、すでに胃液が逆流しそうだ。
「あなたにも何かスタイルはありますか?」
配られたカードを開きながら尋ねる。彼女も開いたが感情は見えない。
「そうね……ありふれているわ」
「なんですか」
「神に祈るだけよ」
蠱惑的に微笑み、カードを伏せる。しぐさの一つ一つが優雅で絵になる。
「あなたも祈ってみる? 発端は連れの神父だって聞いたけれど」
「代わりに祈ってくれと神父さんに頼みましたよ」
「そう。ご利益はありそう?」
探りか。こっちも気を引き締めて感情を出さない。
「さあ…………わかりませんね」
「信頼できそうもない神父さんなの?」
「いや。いい人ですよ」
無表情に二枚、ディーラーのカードに添える。
「ショウ・ダウン」
開示されてみるとスリー・カードで彼女に勝てた。ルークがほっとした顔でこちらを見るので軽く片手を振った。
「真剣に祈ってくれてるみたいね」
「真面目な人ですから手は抜きませんよ」
「あなたをこんな目に合わせてるのに? きっと負けてもさめざめと泣いて、これから先を祈ってくれるだけよね」
心理戦を仕掛けてくる。配られたカードを優雅に扱いながらこちらの表情を覗っている。
「それが彼の仕事ですよ」
「人に、自分でくわえ込んだトラブルを押し付けることが?」
紅い唇が嘲るような形を作る。美しいが毒々しい。
俺は彼女の目を見た。やはり底は見えない。
「さっさと女の子を見捨てる神父の方がイヤですね」
「でも、普通都市の子だからでしょう。地獄の子だったら励ますだけでしょうに」
俺はルークの方を見た。心配そうな表情で、ジュースも飲まずにこっちを見ている。
今彼女が質に取られたら、俺も自分を賭けることをためらわないだろう。この子が地獄出身であろうとなかろうと。
「そうとも限らない。ハートレイ神父は自分の良心に従っただけだ。それが悪いことでしょうか」
「レイズ」
彼女は答えず賭け金を上げた。
じりじりと負け込んできた。
ルークが立ったり座ったりし、ついには部屋の中をぐるぐると回り始めた。ちょっと苦笑いする。
「好きなとこに遊びに行ってきたら?」
「え、でも勝負が気になるじゃん」
「あとでカジノに聞いてみろよ」
「応援しないと」
「悪いが気が散る」
しょげたような顔で彼女がうつむく。かわいそうな気もするが、なるべく遠ざけたい。
もっと強く言おうとした時、外からの騒ぎが聞こえてきた。
「だから、ガードだってぇの」
「今までいなかったじゃないか」
「今やってきたんだ。そこどけ」
ビルの声だ。驚いているとカジノ側のガードが団子になったので慌てて止めた。
「通してやってくれ! 本当に個人的なガードだ」
詰め寄った人々がさっと身を引く。
「なんだ。美女とままごとか。来た意味ねえな」
「まあ座れよ」
隣の椅子を示したが面倒そうに手を振って横に立ち腕組みした。一応ガードのつもりらしい。
「ギャラリーなしのタイマンか」
「一人いるだろ……あれ?」
いつの間にかルークの姿が消えている。別の扉から出たんだろう。傷つけてしまったかと思うと胸が痛い。
「ハートレイがすごい勢いで祈ってたぜ。俺も線香あげてきた。ああ、これ渡せって言われた」
双十字のついた数珠ブレスレットだ。手首にまいてちょっと拝んでみる。
「神と精霊と仏の御名において。アーメン」
ひんやりとした黒い玉で感触は悪くない。
「場所はすぐわかったか」
「来てすぐにバーをいくつか見たあと部屋に行ってみた。北区のやつがちょうどいたからおまえとハートレイの部屋をその時確認した。だから二度目はよくわかっていた」
意外に慎重なやつだ。バーもいくつかあるうちあそこが一番気に入ったんだろう。
「ハートレイの部屋の女の子は? 脅えてなかったか?」
得体の知れない男に運命を託しているわけだし。
「いや。落ち着いていたな」
なら良かった。
「続けていいかしら」
プラチナブロンドの美女が少し顔を傾ける。
「おう。すまねえな」
その気品と迫力にビルが少し呑まれている。
かなり資金が減った。大半は人の金だがこめかみが痛い。気を散らそうと彼女に話しかけてみるがけして感情の揺れを見せない。
「出身はどちらですか」
「秘密よ」
「年は?」
「教えてあげない」
質問は全て反らされる。場が持たないので酒を頼んだ。
「ミモザを」
この惨状じゃ少々飲んでも関係ない。謎の美女もそれを見てカクテルを頼んだ。
「キールの白ワインをボージョレーの赤に代えて持ってきて」
記憶の中の何かが疼く。このカクテルの名をかつて知っていた。だが思い出せない。
負けのかさんだゲームとあいまっていらつく。だが、熱くなったらそこで終わりだ。
「おい、何か飲むか?」
紛らわそうとビルに尋ねてみる。彼は不機嫌に答えた。
「今はいい」
「本物のガードみたいだな」
「何を言う。本物のガードだ」
珍しくやる気がありそうだ。
「線香のにおいでハイになったんじゃね」
「なるか。極めて冷静だ。自分の部屋に入るときだって侵入者がないかちゃんと確認した」
「どうやって」
「最初に行った時、扉に髪の毛を張っておいた」
…………小学生向けのスパイ小説かい。
「戸の表? 裏?」
表立ったら少々気のまわる侵入者ならあらかじめ確認し、髪があったらその通りの位置につけなおすだろうし、裏なら自分が入るときに取れるはずだ。無意味だ。
「表。ちゃんとあった」
「そりゃそうだろ………………!?」
急に何かが見えたような気がした。
だが考える暇もなく彼女の声が響いた。
「オール・イン。全部賭けるわ」
資金に差のある俺は自分自身も賭けなければこのゲームに乗れない。
「…………どうするの」
美女の瞳に誘いがある。それはひどく蠱惑的だ。
迷いが俺を揺さぶる。
視線を流して彼女の胸を見る。けっこうなサイズだ。狭間は深く、ペンダントトップを呑み込んでいる。
煙るような瞳を俺は見返す。三日月の形の紅い唇の端がさらに吊り上がった。
紅い唇。紅いドレス。紅い酒。
「――――決めました」
「そう」
「フォールド。下ります」
横にいたビルがぎょっとした顔で俺を見る。美女は静かに尋ねた。
「かわいそうな女の子は見捨てるのね」
「そうします」
「その方がいいとは思うが、おまえの柄じゃないんじゃね?」
ビルが控えめに聞いてくるが無視して美女を見つめる。
「おふざけがすぎますよ、崇貴卿猊下」
届けられた紅い酒が紅い唇の中に消える。
「ヒントを出しすぎたかしら」
「そうですね。そのカクテルの名も思い出しましたよ。カーディナルだ」
そのものズバリの名称だ。
彼女は酒を飲み終え、胸もとからペンダントを引っ張りあげた。
揺れた。今、真っ白な胸の谷間がほんの少し開いて揺れた!
…………ペンダントの先は双十字だった。
「これは俺に対してではなく、ハートレイに対しての試験ですね」
「そうよ」
「女の子は役者だ。何の不安もなく指示に従った。だが手抜かりがあった。神父の部屋は一番奥だ。エレベーターから来るにしろ非常口を使うにしろビルの部屋の方が近い。何も知らない女の子がたまたまこの階に来たのだとしたら彼の部屋にも何らかのアクションを取るはずだ。だがその子はまっすぐに神父の部屋に向かった。ビルの部屋の扉は叩かれることもなく、髪の毛は落ちていなかった」
グラスを干した彼女は音も立てずにそれをテーブルに戻した。
「ご協力感謝いたしますわ。詰めの甘さは今後の検討課題とします。同じ手は使わないけれど」
「ハートレイ神父は合格ですか?」
「そうね」
ちょっと視線をやわらげる。
「気の毒な子への対応は悪くなかったわ。そしてこっちの方が難しいのだけれど、ちゃんと進んで生贄になる代理人が現れた。崇貴卿は教皇の候補でもあるから、自らの身を捨てて助ける者を持てない人は有能であってもダメよ。彼はちゃんと条件をクリアーしたから私は推薦するつもり」
「それはよかった。…………賭け金返してください」
彼女は首を横に振った。
「ゲームは正当よ。あなたの寄付に感謝します」
…………もっと早く気づけばよかった。それでも多少残っただけでもマシか。
彼女は立ち上がり双十字をきった。それから名乗る。
「グレイス・バーネットよ。名を呼んでくれると嬉しいわ」
「喜んで。グレイス」
手を延ばすと握り返してくれた。
「関門をクリアーしたから西区にハートレイを連れて行けるわ。あなたは組織の人? だとしたらここでお別れだけど」
「違います。ぜひいっしょに連れて行ってください…………ああ、こいつも」
「この人は?」
「西区の住人です。教皇さまとも面識があります」
「もしかしてボブ・サンの息子さん? 髪の色は聞いていたのと違うけれど」
黙ってビルはうなずいた。グレイスは手を差し出し、彼はそれを軽く握った。
ゲームは終了し、翌日西区に戻ることになった。