20.カジノは地獄の一丁目
目の前に立ちはだかるビルがいた。
そのだいぶ向こうに穴だらけになって絶命したらしいお団子が倒れている。ガードはシェリーを取り巻いたままだ。
「…………脂肪層?」
「失礼なこと言うんじゃねえ。これは筋肉だ」
ムっとした顔でビルが応える。
「弾は……?」
「当たったぜ、ほら」
彼は太い腕の表を見せた。銃弾がめり込んでいるが血は流れていない。別に痛そうにもしていない。
「…………?」
「義腕だ、両方とも」
驚いてつかんでみるがちゃんと温かい。
「そりゃそうだ。天国製だぜ。モノホンの腕とあまり変わらん。教皇が口きいてくれたんだ」
言ってしまってから焦った顔でシェリーをふり返る。
彼女は色めき立ったガードの銃を下げさせ、まっすぐにビルの前に歩いてきた。
「西区のボスのボブ・サンの息子のビル・サンあるね」
観念したのかビルがうなずく。
「そうだ……。言っておくが人質にはなれねえ。トラブルがあったら見捨てられることになってる」
「まさか」
にっこりと彼女は笑った。
「今までの無礼を許して欲しい。歓迎するある」
「俺は組と関係ねえぞ」
用心しながらビルが言った。
「承知ある。単に反省点の一つでもある」
きょとんとしている俺たちに彼女は言葉を続けた。
「女は……と言うか私は即物的にすぎるきらいがある。影に徹していた時はウィリーの過剰すぎる予算を引き締める必要があったが、表に出てみるとムダと思えたことがそうとは限らないと気づかされた」
医者らしい男や擁護班らしい男たちがけがをした組員を回収したり応急手当をしたりしている。可愛いナースさんもいた。
「縁あって組に協力してくれた人に何のセッタイもしていない。さっきのあなたの言葉は至極当然で、でもけっこうこたえたある」
シェリーはビルに手を差し出した。彼は黙ってほんの指先だけその手に触れた。次に彼女は俺にも手を伸ばした。握りしめてみると小さくて可愛い手だった。
次の朝になってリムジンの中に乗り込んだが、同乗するハートレイ神父はずっといかに自分が未熟な存在であるかを訴え続けた。
「……その時も私はその気の毒な女性に対して祈ることだけしかできず、救済することはできずに……」
うんざりした顔でビルが止めた。
「おい、あんた、商売なんだよ」
ちょっと意表をつかれた顔でハートレイは彼を見返した。
「宗教家なんだろ」
「はあ」
「俺があんたの教区だったらうぜえから引っ越す。神父にゃラーメンもソーメンも求めちゃいねえ。アーメンだけだ」
「ですが年端もいかない少女が身を売ったり……」
「そりゃ組織かあんたの上司の管轄だ」
「教皇さまはせいいっぱい頑張っていらっしゃるのですが……」
ちゃうちゃう、とビルは穴が見えないように包帯を巻いた腕を振った。
「教皇じゃねえ、もっと上」
「?」
横から口を出した。
「神さまだろ」
「おう。あんた、自分の上司もわかってねえのかよ」
心底あきれたという顔でハートレイを見て、席の前のテーブルに置かれたフリュートグラスに手をやった。すぐに横にいた黒服がシャンペンを注ぐ。ビルは一息に飲み干すともう一杯注がせた。
「神父じゃなかったら蹴ってるぞ」
ハートレイはまだなにか言いたそうだったが黙っていた。
確かに神父は無力だ。生活費すら教皇庁の決めた金額を過不足なく使わねばならない。それを貧者に与えることも許されない。不公平になるからだ。
崇貴卿になれば多少の融通が利く。教皇と違って教皇庁の運営に関わることもできるし私腹を肥やすこともできる。
しかしこの人のよさそうな神父はあまり向かないような気がした。気の毒な人が来れば全て対処しようとして予算を食いつぶしそうだ。だとするとかえって教皇の方が向いているんだろうけど、ダンスの一つもできそうにない。
「僻地中心でまわる一介の神父でいることが一番ふさわしいんです。自分でわかっています」
「シェリーに頼まれたんでしょう」
何気なく口にすると神父の頬が赤く染まった。
「…………素敵な方です」
ハートレイは芯は強いかもしれんが脆さのある人だから、ああいう現実的なタイプに弱いんだろう。
「ならやってみるしかないですね。少なくとも彼女はこの北区を豊かにしようとしているのは本気みたいですから」
「はあ…………」
神父は不安そうに顔をうつむけた。
中央点は五キロ四方ぐらいの円形の地で、地面は基本的には放射状のきれいな石畳になっている。そこに自然豊かな美しい公園や小さな湖、地獄都市内には見えない壮麗な建物が立ち並んでいる。強化コンクリートで作られた内側を持つ壁も外側は石造りで美観は守られている。東西南北に一つずつ門がある。
俺たちはもちろん北側の門をくぐった。
栄えた普通都市か天国都市の外れ程度に美しかった。地獄にもこんな地があるんだと感心した。中心となるホテルも大きくて華やかだ。カジノやプール、礼拝堂まであるらしい。普通都市から観光ツアーが来るほどだ。
「教会はありませんが」
ハートレイは残念そうだ。
「どこの地獄都市もこうなんですか?」
そうではなく、17地区には地獄唯一の教皇庁があるので特例だそうだ。
「でも西区はそれほど派手でもなかったけど」
「教皇さま自体は極めて地味にお暮らしです。ですが派手にアピールする必要がある時はここを使うのです」
リムジンはエントランスに止まり、品のよいボーイがドアを開けてくれた。俺は先に降りて、大人しく座っていた玉に手を貸して下ろした。
「払いは全てうちの組だ。自由にやってくれ」
黒服の言葉にびっくりした。
「え、出前だって自前だったのに」
シェリーは反省しすぎじゃないだろうか。さっそくビルはバーに飛んでいった。
「玉はどこか行きたいところは?」
「部屋で休みたい」
実体化してから疲れやすいらしい。
ボーイに案内されて客室に行った。この階は四部屋しかなく全てスイートだ。エレベーターに一番近いのが俺の部屋でその横がビル、空き部屋を一つ挟んで奥にあるのがハートレイの部屋だ。非常階段はビルと空き室の間にあった。
部屋は広かった。だが興味を惹くほどのものはなかったのですぐに寝室につれて行った。
彼女は服のままベッドに上がるとそのまま眠ってしまった。曲がった玉には戻らない。くうくうと寝息を立てる様は人間の幼女でしかなく、俺はちょっと微笑み、彼女の靴を脱がせてやった。
邪魔をしたくなかったので部屋を出た。TPOを心得る俺はリムジンに乗る前にウィリーの服に着替えておいたため誰にも白い目で見られない。ちょっと考えてカジノへ向かった。
スロットをいじくっているうちに多少のあたりが出た。それを元手にバカラの部屋に行ってみた。一、二回プレイヤー側にかけて悪くはない勝ちを収めたがなんだかつまらなくてそこでやめた。以前は割と面白かったんだが。
「他者に賭けることに飽きたのではなくて」
耳元で囁かれて飛び上がった。振り向くと俺よりいくらか背の高いゴージャスなプラチナブロンドの美女がいた。ムービースターのようなオーラで、ムービースターのように年齢不詳だ。
「驚かせてしまったかしら」
真紅のドレスと同じ色の唇が動いた。なんか圧倒されて声も出なかった。
美女は気にする様子もなくあでやかに微笑み「卒業する頃合なんでしょう」とつぶやいてもう一度口の端に笑みを載せた。
「あなたは……心理学者ですか?」
カジノにおける人間心理のフィールドワークかなんかなんだろうか。美女はころころと笑い、「似たようなものだわ」というとウィンクして去っていった。
当たり客に付きまとう謎の美女はカジノに付き物だが、それにしちゃ迫力がありすぎる。気品といいオーラといい上玉すぎる。それに俺は勝ったことは勝ったが小市民のささやかな喜び程度だ。
もしかして地獄都市のムービースターに気に入られた…………?
自然と顔がにやけるのを引き締めるのに苦労した。
バーの一つに行くとビルがいた。透明なカクテルの中のピックに刺さったものを取り出してくわえ、首をかしげている。顔を上げてバーテンダーに尋ねた。
「これ、絶対パールオニオンじゃねえだろ」
バーテンダーは誇らしげに応えた。
「うちは高級な店ですから。もっと高価で希少なものです」
ビルは疑わしげにグラスを見た。
「なんかしらんがギブソンには合わねえと思うが」
心外だ、といった顔でバーテンは説明する。
「エシャロットの一種のピクルスです。ワビ・サビです」
「?」
「ラッキョウという極めて貴重なピクルスです」
得意そうなバーテンダーと対照的にビルは自信なさそうに答えた。
「わり。なんか俺合わねえ」
「そうですね、好まれない方もいますね」
残念そうに彼は酒を下げた。
「ギャンブルはやらないのか」
横に座って尋ねるとビルは目をひん剥いた。
「あんなモン、バカがやる遊びだぞ。胴元が勝つようになってんぞ」
「全体ではそうだが、稀に大勝ちするやつもいるだろ」
「そんなヤツはその時のコトが忘れなくて生涯賭博にとりつかれんだ。やめとけ、酒のほうがいいぞ」
考えてみればこいつは胴元側の人間だ。
「特にここはよそ都市の連中もくるところだ。エグいぞ。観光気分でやってきた人間をケツの毛までむしって一生地獄に足止めしたりもするわけだ。ま、一部だがな」
より多くのバカを増やすために多少はホクホクと帰るやつを出すらしい。
「腕が銃痕で使いにくいからじゃないんだな」
できるだけさりげなく言ったがビルは視線を尖らせた。
「おい、礼なんか言ったらぶっ殺すからな」
「言わん…………昔の傷か」
彼はフン、と鼻を鳴らした。
「趣味の悪リイ敵だったが墓の下だ」
「メンテナンスは?」
「帰ればできるし機能に損傷はねえ。もともとこんなことはあると思ってたしな」
ビルは自分のホルスターにわずかに視線を向けた。
「こうなる前は年にしちゃやる方だと言われてたんだがな。まあ、姉ちゃんほどじゃなかったが」
子供用の銃を抱えて得意そうな太りすぎの少年を想像してしまった。慌てて脳内から振り払って酒を頼んだ。ブラック・ベルベットにした。
バーテンダーは隙のない手つきで黒ビールとシャンパンを同時にグラスに注ぐ。繊細な泡が立ち上った。
一杯目を飲み終える頃、ビルは三杯目の酒を飲んでいた。ギブソンをあきらめたらしくマティーニに変えていた。
こっちもジュースに変えて飲んでいると黒服が走ってきた。耳打ちされる。
「ちょっと来てもらえませんか」
とまどったがビルを置いてついていくとバカラの別室に連れて行かれた。他より金のかかった貴賓室だ。そこにハートレイがいた。
「だから、私がやります!」
彼の背後にミリアムぐらいの年の女の子がうつむいて震えている。
「売られたんだ。親に」
「こっちじゃよくある話でしょう」
いくらハートレイでもそのたびに騒いでいたらキリがない。
「…………普通都市の子だ」
ちょっと息を呑んだ。ここの住人にとっての価値は大違いだ。地獄都市の女の子だってかわいそうだが、それでもどの子も小さい頃からある程度の覚悟はできている。だが他都市の子はほとんどがまだ自分がそんな目で見られることを考えたこともない年頃だ。
「大負けした普通都市住民が娘を売ったんですが、その子が隙見て逃げてスイートの客室の戸を叩いた。それが運悪くうちの神父で……」
女の子にとってはジャックポット当てたようなもんだ。他のやつなら百人中百人あきらめる。だがハートレイはあきらめなかった。
カジノ側も神父に譲歩して、バカラのプレイヤーとしてゲームに加わるのならのってやってもいいと告げた。
「ちっとも譲歩じゃないじゃないか」
珍しい神父のプレイヤーを見世物にして客を引き、更にたぶん大負けする彼に負債を押し付け、ハートレイが崇貴卿になれたら手の者に、なれなかったらカジノ名物神父ディーラーに育て上げるってわけだ。
「将来たくさんの羊を救うために、今は一匹あきらめたほうがいい」
女の子の顔を見ないようにして小声で言った。むちゃくちゃひどいが、生まれついての地獄都市の女の子たちはそれを強引に受け入れさせられている。
「彼女が戸を叩いた部屋がたまたま私だったのは神の思し召しです。それに、この子は私の出身都市の子なんだそうです」
ハートレイは昂然と顔を上げた。
「私は無力ですが、出くわしてしまった迷子の子羊は救いたいと思います」
「わかりました」
俺は彼を見た。真面目な、いい神父だ。
「じゃあ俺が代わります」
カジノ側のディーラーらしい渋い中年男性が困った顔をした。
「あなたじゃ困る。店側のメリットが少ない」
黒服がそれを制した。
「この人は、ハードボイルドな殺し屋で魔法使いだ」
ディーラーの目が点になる。
「そいつは…………イカしてますな」
しばし逡巡した後そう言った。
ハートレイは部屋に返すことにした。一喜一憂されそうで気が散る。女の子も彼に預かってもらった。
自分の運命が得体の知れない男のギャンブルで決まるのを見てるのはイヤだろう。
「……本当にすみません」
「運よく勝てた時に言ってください。それと…………祈っていてください」
彼は何か崇高な色の宿った瞳で俺を見てうなずいた。