18.魔女の理想は高すぎる
北区のボスの座はシェリーが勝ち取った。彼女は抵抗するハートレイ神父を崇貴卿に申請した。
「わ、私はっ、まだ若すぎるとっ」
「否定の第一条件が年齢であるのなら、それをメリットに変えるべく行動するある」
「が、学識もまだ浅くっ」
「努力する、よろし」
さらりと流した後、色気よりも保護欲をそそる眼差しで彼を見つめた。
「あなたに頼るしかないある。北区の安定のために手伝って欲しい」
ハートレイ好みの正義感と女子力のコンボだ。彼は陥落するしかなかった。
といっても申請が通るかどうかはわからないが。
「おまえたちはまた西区に行くんだろ。教皇にアピってくれよ」
組員の言葉をあいまいに受けた。
「一般人が何か言っても役に立つかどうかはわからないけど、チャンスがあったら」
なりゆきでこうなっただけだが、できれば協力したい気持ちはある。
ジョー側につかまっていたらあちらに加わっていたのだろうか。
いや多分、のっけから殺されてるか途中で逃げているかの二択だな。
「おまえには感謝している。あっちについてたら多分生きちゃいねえ」
ウィリー邸の妖のいた小部屋でくつろいでいると、そこを覗いたジムが声をかけてきた。
場当たり的にこっちについたヤツは他にもいるだろう。
「姐さんは影に徹していたから事情を知らなかったもんも多いだろうな。それでも信奉者はけっこういたし、ウィリーが選んでつけてたやつもいるし」
核になる部分は強固だ。しかし廻りはまだ完全じゃなさそうだ。
美女ボスは縁起が悪いって価値観もあることだし。
「ウィリー前の残党もなんかやらかしそうだぜ」
「え、そんなの残ってるんだ。皆殺しかと思った」
「そんなわけにいくかい。普通都市と違って地獄じゃ自然出産だぞ。命は軽いが人の数は限られてる。上とやっかいなやつつぶしたら後はけっこうゆるいぞ」
さっさと鞍替えするゲンキンなやつらも多いし、よそ地区に移動するものもいる。
「こっちの監視対象として見えるところに置いておくやつもいるしほとぼりを冷ます必要があるやつもいる」
全てをすぐに受け入れるわけではないらしい。
「残党って多いのか?」
「単に前のボスに仕えてたってだけならいくらでもいる。だが姐さんに正面切って逆らったり、逆にこっそり裏切ったりしそうなやつは限られてるだろうな」
「どのくらい?」
「確定できたら切っ取るわ…………ああ、今行く」
下っぱに呼ばれてジムが出て行くと、傍らの椅子に腰掛けていた妖がこちらを向いた。
「人の世界はいつの世も変わらんな」
「原始の時代でもあったのかな」
からかうつもりで尋ねるとうなずいた。
「どんぐりの数が多いの少ないの、狩りの獲物がどうのこうの。いや、それはまだわかるが土器の縄目模様のつけ方で、同部族の者が二つに分かれて殺しあったこともあるな」
「はあ…………そんな風に争う人のことが不満で滅ぼそうと思ったの?」
幼女の姿の彼女は首を横に振った。
「いや。住み慣れた地を失った怒りじゃ。あの、豊葦原の瑞穂の国に戻りたい。あの地にいたときは不心得者を懲らしめる以外は使わずにすんだ力じゃ」
例の島国は、いろいろな呼び名を持っているらしい。
「まあそう思ってもせんない。とにかくおまえはうかつに死ぬなよ。守れん上に、かっとしたわれがあたり中殺しつくすかもしれんからな」
「はいはい」
脅迫されてもやっぱり童女にしか見えずにわりと和む。戦火を逃れた椅子の一つにちょこんと乗っている姿はなかなか微笑ましかった。
「おい、昼飯代貸してくれ」
ドアが開いてビルが入ってきた。
「バスまだ通らないのか? そのうちバス代分もなくなるんだが」
文句をつけつつ金を渡す。シェリー側の組員は友好的だが、ご飯代までは出してくれない。
「死体を埋める仕事なら、バイト代出すって言ってたぜ」
「もっと困ったらやる。……おまえがやればどうだ」
「なに言いやがる。坊ちゃん育ちの俺がそんなことやるわけねえだろう」
「…………夕食代は貸さんぞ」
ビルは妖のほうを向いた。
「おまえのお父ちゃんはケチくさいな」
「お父ちゃんじゃないっ」
「ああん? じゃあ何だよ」
一瞬こちらも躊躇した。
「…………保護者だっ」
「似たようなもんだろう」
「いや、違う」
妖は否定した。
「われがこいつの保護者じゃ」
ビルがぷっ、と噴き出した。
「そうか。よくわかった」
むっとしたが大人気ないので流した。
「嬢ちゃん、名前は?」
ビルが尋ねると首を横に振る。
「ない」
彼はあきれた様子でこっちを見た。
「名前ぐらいつけてやれよ」
妖ってのは名じゃないんだろうか。
「わかった。アヤだ」
途端に彼女は怒りをあらわにした。
「断る! そんな0.01秒で考えた名をつけるなっ」
その様子を見ていたビルは視線を彼女の全身に流した。
今の妖の姿は色白で黒髪黒目の五歳ぐらいの可愛い女の子だ。シンプルな白い絹のワンピースを着ていて髪に赤いリボンをつけている。靴も赤い。
「ちっちゃい白雪姫みたいだな」
「おお。お前はなかなかまっとうな美意識を持っておるの。気に入った。われに名をつけよ」
ビルはちょっと考えた。
「黄色系の女の子の名なんてよくわかんねえ。自分で好きな名を使えばいいじゃん」
「うむ。それでは玉と呼ぶがよい」
「エスニックだが覚えやすくていいな」
と彼は感想を述べた。俺のつけかけた名とあまり変わらない気がするが。
あちこちに指示を出しつつ動き回っていたシェリーがこの小部屋に入ってきて、椅子の一つに座り付き添った男の一人に茶を命じた。
「お疲れです」
「ん」
彼女は玉にちらりと目を向け、それから戻してこっちを見た。
「おまえたちはこれからどうするつもりあるか」
「バスが復旧され次第西区に戻ります」
「そう」
組員の一人がワゴンを押してきた。そして慣れた感じでカップにお茶を注いで彼女に渡した。
シェリーは地獄育ちと思えないほどの優雅さでそれを飲んだ。
「西区まで車で送ってあげてもいいある」
「ありがてえ」
ビルが喜んだ。シェリーは無表情に応える。
「ハートレイを承認させるために派遣させる必要があるからついであるよ」
彼女は微笑み一つ浮かべずに言った。そのクールな顔を見ているうちについ、聞きたくなった。
「俺は地獄都市出身じゃないから、組織の是非については何もいえません。それとこれは純然たる好奇心だから、無理に答えなくてもいいです。でも聞きたい。あなたはどんなトップになるつもりなんですか」
シェリーはシガレットケースを取り出して細巻を咥えた。茶を注いだ組員が火をつける。
紫煙がゆっくり立ち上る。
彼女はその行方をしばらく目で追うと、また視線を俺に戻した。
「もちろん決まっているある」
「はい」
彼女の唇の端は吊り上がり、三日月の形を作った。
「…………大いに搾取するある」
「へ?」
聞き違えたかと見直したが薄い笑いは変わらない。
「ほう。なかなか性根が座っておるな」
玉が面白そうに彼女を見た。
「並みの搾取じゃ物足りないのじゃな」
シェリーはまた煙をくゆらせる。
彼女は薄いもやに包まれる。
「その通り」
「ヒャッハーについても意見がありそうじゃ」
あのモヒカンとかのやるあれだ。
地獄都市特有の野放図な人たちの一部はパンク系の衣装に身を包んで人様の財産を根こそぎ奪う習性がある。組織には属さずエリアを越えてあちこちに出没することが多い。移動手段はもっぱらバイクだ。
「常々あれは効率が悪いと思っていたある」
「ほう」
「まず目標を定めず闇雲に走り回って燃料を無駄にする。どうにか利益に変換しても限界まで奪って先のことを考えない。一つの村を完全に喰らいつくすよりもある程度に留めて、村民の殺害も危険分子のみに限定したほうがよほどいいある。生かさず殺さず細く長く奪うべきある」
俺は呆気に取られたが、玉は感心して聞いている。
「どのように奪いたい?」
「百しか持たないものの全てを奪うより、十万持つものの半分を奪うほうがいい。百万の一割ならもっといい。幸いこの地は植物の育ちやすい豊かな土壌がある。そして最近は天然食品の見直しが進んでいる。まずは一次的生産物の効率的な収穫方を広め、それからその加工と別地区への輸出を整えていくつもりある」
シェリーはにんまりと笑った。
「豚は太らせて食う方がうまいある」
玉は小さな手をぱちぱちと叩いた。
「おまえはいい為政者になる」
そ、そうなのか?
「そのつもりある。思う存分貪り尽くすある」
咥えていた細巻を灰皿の上でひねりつぶして立ち上がった。
「明日の朝中央点まで教皇庁の人が来るからハートレイといっしょに行くある」
十七地区の中心部で全ての中立地帯となる狭い地域は中央点と呼ばれる。
普通地区出資の大きなホテルがあって、会談やイベントに使われる。必要があって公式に訪れた普通地区住民などもそこに泊まることが多い。
「ありがとう。……これからおでかけですか」
うなずいた彼女に続けた。ささやかに感謝を行動で表明したい。
「見送りますよ」
「好きにするある……他はガードだけでよろし。仕事に戻るある」
気配を感じてやってきた組員を下がらせた。腹心らしい男が忠告した。
「権威を示すためにも安全のためにも見送りは多いほうがよくありませんか」
「不要。その間に働くべきある」
効率を重んじるタイプらしい。俺なんかは部下じゃないからどうでもよさそうだが。
黒服に守られたシェリーの後からひょこひょこついていくとビルも便乗した。玉は部屋の椅子に腰掛けたままで来なかった。
「やたら捕まる邸だったから外の空気が吸いてえ」
「明日まではここだぞ」
「だからだ。飽き飽きしてる」
生垣で作られた迷路は半ばからは車道だが、そこまでは邸の主人さえ徒歩で行く。
「やはり犬を飼ったほうがいいと思いますよ」
「予定はある。猫も明日届く」
猫はどうでもいいと思うが。
何度か通った迷路だが、ちっとも覚えていないので何とか頭に叩き込もうと努力する。
必死になっていると風切り音がし、組員が倒れた。
「?!」
がっ、と男たちがシェリーを囲む。
あたりは生垣に囲まれているから人影は見えない。ガレージまではまだ大分あるし、玄関からもかなり離れた。
抑えた銃声が再び起こり、もう一人の体が血を噴いて倒れた。サイレンサーつきの銃だ。
慌てて屋敷に戻ろうとすると背後から弾が飛んだ。組員が立ちすくむ。
「……囲まれたあるね」
シェリーが低い声で言った。
「おい、おまえ、起きろ!」
瞬時に床に腹ばいになったビルに黒服が声をかけた。
「立ち上がって姐御を守れ!」
「やなこった。飯一杯おごってくれないやつをなんで守らなきゃならん」
ビルが抗議した。
「死にたいのか、デブ!」
「起き上がったら死ぬだろうが」
「その前に俺がぶっ殺して…………」
全部言う前にその男も倒れた。
「まずいな」
まだ立ってる男の一人がつぶやいた。
「外さずのマリアが入ってる」
「なんだ、それ?」
地面からビルが尋ねた。組員が焦った表情で答えた。
「教会にいたあの赤毛だ」
「?」
「前の組織の狙撃手だ、あの女」
次の弾が来る前に全員が身を伏せた。