13.魔女の寝室は怖すぎる
目が覚めると牢屋だった。石造りの殺風景な場所で、高い位置に窓が一つある。暗くはないが時間帯はわからない。
天井に裸電球が一つ、寂しい光を投げている。頑丈そうな鉄格子の向こうに男が一人いたが、俺が目覚めたのを確かめると部屋の外に出た。
すぐに、五人のガードの守られた小さな美女が現れた。黄色系だ。黒髪黒目で二十代初めに見える。
「おまえ、何者あるか」
妙な話し方だ。
「何者って……名はシロウです」
この人がウィリーの妹のシェリー・チャンなんだろう。兄と大分タイプが違う感じだ。
「どのような手口で洗脳するあるか」
「できませんよ、そんなこと」
「ならなぜ、銃も持たずにこの地で無事あるか?」
「?」
銃は持っていたはずだが。と言うか腰に手を当てるとちゃんと存在を感じる。
気絶している間に調べられたはずだからこれはおかしい。
…………あの、妙な玉のせいか。
「ガードがいましたから」
反応はない。この廊はあいつのいた場所とは違う。たぶん邸自体も違う。
床がこちらは石畳だが、いちいち変えるほど趣味を出す場所じゃないだろう。
「ウィリー邸をジョーに抑えられましたね。ヤツはハイデンと手を組みました。こちらはどうするつもりですか」
女の周りの男たちが動揺を見せた。が、彼女は無表情に俺を見返すとほんのわずかに口もとを緩めた。
「囚人がアイディアでもあるあるか」
駆け引きの余地がある。俺は片頬を歪めて彼女を見つめる。
「ないわけでもないですね」
沈黙があたりを支配する。時が長い。
引いたら負けだ。単なるブラフとばれた瞬間殺される。
見せ金に使った情報がほぼ全てだ。もったいぶるほど手持ちのカードはない。それでも自信ありげにニヤついてみせる。
「…………聞いてやってもいい」
交渉のテーブルに近づいた。
「でしたらとりあえずいすかクッションが欲しいな。牢屋は尻が冷たい」
「へっ、あっさり捕まりやがって何を抜かす」
ガードの一人が凄みをきかせた。女への視線を外さずにそれに答える。
「そのほうが手っ取り早いってだけですよ。どこの世界に銃を抜かずに組織に接触するバカがいるんだ」
俺だよ、俺。
「いきなり殺されるとは思わなかったあるか」
「まさか。情報も取れてないのに。組織のボスはウィリーだったが、本当のとこはあなたでしょう、シェリー」
ウィンクして見せる。彼女の表情は動かない。
「邸の警備は手抜かりもいいとこだ。大した統制も取れていずねずみ一匹簡単に逃げた。犬もいない。迷路なんて上によじ登れば一瞬で把握できる。ウィリーはそれなりに大事だったろうが組織が本気で守るべき人材ではなかった。それはたぶんあなただシェリー」
綱渡りだ。全て外したら死ぬ。
「だがそのことはごく一部にしか明らかにされていない。なにせこの北区では女ボスは鬼門だ。男を表に立てたほうが都合がいい」
彼女をねめつける。ポーカーフェイスのままだ。
「いつまでそれを続けるつもりですか。ジョーとの交渉は失敗しましたね。いや、交渉自体していないのか。彼は操るのは楽かもしれないが、その分底が浅い。血の繋がりがあるならともかく心もとない相手でしょう」
あの悪役に扱える程度ならそのくらいのもんだろう。
「№2だったのもフェイクの兄につけてもばれない程度の人材だったからでしょう。ロクなもんじゃない。しかし、お兄ちゃんはもういない。いい加減ちゃんと表に出ませんか」
彼女は口を開いた。
「…………考えてもいい」
「じゃあ、ここから出してください」
「おい、条件が上がってねえか!」
ガードに肩をすくめて見せる。
「有益な交渉ってのは相手への敬意が必須ですよ。どちらにとっても」
美女の口もとがまた緩んだ。
「先に聞く。何を要求する」
即答した。
「ウィリー邸で拘束されている俺のガードの命を」
「なぜ?」
「くだらん理由ですよ。ここらじゃ納得もいかないはずだ。あいつ、俺に取っちゃあまだ子供なんです」
「子供のガード? いくつだ」
「十七です」
男たちが噴きだした。
「十七なら充分に一人前だ。ほっておきゃいいだろ」
一人が笑いながらそう言った。
「だいたいおまえもそのくらいだろう」
「いや」
首を横に振った。
「俺はサバイバーだ。連れてきたガキを守る義務がある」
救えなかった子供たちの影が胸の奥を通り抜けていく。
「話が逆じゃん」
ガードは全員大笑いをしていたが、彼女の表情は変わらなかった。
「ってことで最善を尽くしましょう!」
俺は明るく提案した。
「つきましては神父さんが一人必要ですね。ハイデンはダメだ。心当たりは?」
男たちが顔をしかめた。
「トライヤ卿亡き今、ハイデンを省くと司祭はもう一人しかいない」
「こいつなら気が合うんじゃねえか。普通地区の出身だし」
「え、なんかヤバイ人?」
「逆だ。ここらにゃ合わん。司祭じゃなきゃとっくに死んでる」
「あっち出身は変人ばかりだ」
「ハートレイ神父だ。三十一歳。この都市に来て五年になるがあんまり染まっとらん」
このあたりの辺境を廻っているので迎えをやった。携帯は持っていないらしい。
大半は葬儀の用意や他者との連絡に忙しい。
「おまえも着替えろ。特殊能力持ちの殺し屋には見えん」
事務所で話した男に言われた。名はジム。様子見だったらしいがこの機会にシェリーについた。
「そんなヤツ見たことないから格好がわからないけど」
「こっちも知らんが……ポンチョ着てギター抱えてるイメージ?」
「え、想像もつかないけど」
「なんか怪しい感じがいいだろ。いやか?なら着物にマスクつけた忍者スタイルはどうだ」
「忍者ってそうだっけ?」
「上忍はハオリはかまだ。あといんろうとか言うシガレットケースを持つ。体には桜のタトゥーも入れる。俺はワビ・サビにはちょっとうるさいぜ」
「頭の悪い忍者のことは抜け忍と言ってみんなで追い詰めて殺した。非情なんだぜやつらは」
サム・ライ以外にも島国文化を好むものはいるようだ。
「忍者服の持ち合わせはないだろう。もう少しありそうなもので」
「ウィリーの服を手直しして着るある」
席を外して電話をいくつかかけていたシェリーが通りかかって、淡々と提案した。
「え、いいんですか」
「死んだら一枚しかいらない」
その声に感情はないが、それでも感傷の欠片のようなものを見てしまった気がする。
すぐに仕立て屋が呼ばれ、俺にこのあたりにしちゃ上質な衣装を着せて補正した。
ウィリーの亡き骸はジョーから戻された。
生前の罪は死によって贖われた、とメッセージが添えられていた。
親切ではない。立場の誇示だ。大人物で慈悲深いボスを気取っている。
逆にいやそこがネックなんだろう。
「おれのもとに来ないかシェリー、かわいがってやるぜ、だってよ」
HAHAHA、と彼らは笑った。彼女は忙しく、今度は外出している。みんなも出たり入ったりしているが一定の人数はここに待機している。
「いっそ受けてくれりゃ楽だったが」
部下の一人がにやにや笑いながら言うと他も爆笑する。
「そいつはかわいそうだ、ジョーがな」
「手下は増えるがな」
きょとんとしていると一人が笑いながら俺の肩を叩いた。
「おれたちゃあマリア様頂いてるわけじゃあねえんだぜ。稀に彼女に呼ばれるやつもいる」
「最初は必死に志願したもんだがな」
「すぐにこの世で一番恐ろしい寝室だと知ったよ。彼女に呼ばれたやつは例外なく彼女の犬……いや豚になる」
「魔女だ、あの方は。女なんて歯牙にもかけなかった渋い兄いが、パンツ一丁で『お願いですからこのあわれな僕の尻をあなた様の高貴な足先で蹴り飛ばしてください!』って懇願してるのを見かけたな」
「一生他の女に近づかないって誓いをたてて、カマになっちまったやつも何人かいる」
「数いりゃ大丈夫だろうと集団で襲ったやつらはあの方を争って殺し合い全滅した」
あの小さな美女がそんな物騒な存在だとは。
「美女ボスが男を選ぶと殺されるって話は……」
「むしろ誰か選んでほしいっ。枕を高くして眠れる」
「どうぞどうぞ」
「この場合はあてはまらねえ。俺たちは本気でそっち方面の相手を決めてもらいたい」
つまり、その手の魅力を除いてもボスに担ぎたい人物ってことだ。
「司祭が来やした!」
三下が取次ぎにきた。中間管理職っぽい男が顎をしゃくった。
現れた男はひょろひょろとしていて痩せているが、集団でいてもライオンはまずこいつに喰らいつくだろうと想像できる。見るからに脅えているがそのくせ言葉は強気だった。
「あ、あのですねっ、わ、私はウィリーの葬儀はしませんよっ」
組織の男たちは気色ばんだ。それぞれの銃を掴んで取り囲む。神父さんは蒼白になりがたがた震えている。
それでも筋を曲げようとはしない。
「と、トライヤ崇貴卿は素晴らしい方でした。その方が命を賭してまで倒した相手のそ、葬式なんて出来ませんっ」
「おい、指の一、二本なくなってもミサはできるよな」
「腕ごとじゃなきゃな」
威嚇に彼は半泣きになった。それでも必死に踏みとどまる。
「こ、殺されてもやりませんよっ!」
銃の安全装置を外す音が聞こえた。俺は慌てて割り込んだ。
「すばらしい心がけです。まさにあなたは神父の鑑だ。しかしトライヤ卿の殺人の理由をご存知ですか」
あまり迫力のない俺の姿を見て、ハートレイ神父はいくらか落ち着いた。
「あなたはどなたなのですか?」
「こちらの客だと思ってください。名はシロウです」
手を差し出すと握られたが、ひどくベタついていて気持ち悪い。
「で、知っていますか」
「…………知りません」
「じゃあその裁きが正当なものだとは限らないでしょう」
「そんな! 命まで賭けたのに!」
「人は間違うんです、神父さん。だからこそ神は裁きを自分に任せることを望むのです」
相手の目を見る。綺麗に澄んだブルーだ。
「先ほどウィリーの妹のシェリーに尋ねましたが知りませんでした。それと神父さん、ご存知ですか? この組織でコトをおこす時、立案企画はシェリーの担当だったことを。なんだか知らんがトライヤ卿が何かを正そうとする場合文句をつける相手は彼女であるべきだ。つまり、どっちにしろ卿は間違っている」
彼の震えは止まり、顔に困惑の色が濃く見える。
「それと双十字教は罪ある人を救うためのものではないのですか。あらゆる意味であなたは気の毒な子羊のために葬儀をあげる必要があります」
ハートレイ神父は長時間黙り込み、それからぽつりと承諾した。
「………………わかりました」
「式場は決まっています。あなたは進行係に従ってください」
「…………はい」
何かと組織を手伝っているうちに日が暮れた。近くの店から取り寄せた食事を終えた頃、十四くらいのメッセンジャーボーイが走ってきた。
「シロウさん、姉御がお呼びです」
「ん、どこに?」
「今すぐ寝室に来るようにと」
口笛と歓声と拍手のやかましさの中で、俺はめまいを感じていた。