12.惚れた女は泣かせるな
狭い通路を早足で進む。他にも入り口があるのか時たま枝道が合流するが人の気配はなかった。
途中、天井に戸のある箇所に来た。開けてみると敷地内の小屋らしかった。明りとりの小窓から覗いてみると、どうやら裏手の塀の近くに立っていて、横に安っぽいアパートのような建物がある。たぶん組員の寮だろう。
この小屋自体は食料庫らしい。缶詰の入ったダンボールが棚に積んである。
さっそく上がパッ缶になってるフルーツカクテルをあけて、スプーンなしで飲むように口に含んだ。
甘さが疲労をわずかに回復させる。同時に思考力もいくらか戻ってきた。
石のことは考えないことにする。わけのわからんことについて悩むのはムダだ。
問題はビルだ。
うっかり年齢なんて聞かなきゃよかった。そうしたら今頃ためらわずに逃げてたのに。いや、聞いたってこの地区で十七なら成人なんだと思う。だけどほっておくと殺されるかもしれない。
十七の頃の俺は高校生だった。比べると大分恵まれている。いやそれ以前だってこっちが比較的のんきなお子様だった時代に、こいつは母親と共にえらい目にあっていたわけだ。
俺たちはまったくの部外者だ。だけど組織にそれは通らないよな。
赤の他人だけどいっしょにいたってだけで関係者にされていると思う。ボスを殺された怒りをぶつけようがない彼らにとって格好の生贄だ。
もう、殺されているかもしれない。
もしかしたら自分で逃げ切ったかもしれない。
見捨てる言い訳を山ほど思いついたが、自分の中の何かがそれを許さなかった。
俺は思いっきりため息をつき、それからフルーツ缶を通路に落として戸を閉めた。
小屋の鍵は内部からは開けられるタイプだ。様子をうかがって外に出る。
念のためにマントは脱いでたたんでシャツと背中の間に入れておいた。この布は見た目は貧相だが丈夫で保温性も高い。銃弾も小口径なら大分ガードしてくれる。折りたたむとかなり小さくなる優れものだ。
用心しつつ横の建物に入った。目指す場所はすぐにわかった。
厨房を開けると六十前くらいのおばちゃんがこっちを見た。
「あんた、なんね?」
できるだけ邪気なさそうににこやかに微笑む。
「お手伝いさせてください。それとカレー食べさせてください」
「なるほど。前日に作っておいて温め直すのがコツなんだ」
「そ。そうじゃなくてもあたしゃ仕事は早くやっちゃいたいほうでね。でもやりすぎて揚げ物冷めちゃうことがあんのよ」
「揚げ物は熱いほうがいいなあ」
「わかってんのよ。でもついやっちゃうわ。なんせ一人でたくさん作るんだからね」
カレーはうまかった。ほめるとおばちゃんは喜んだ。
「だけどボス死んだんならここも解散かしらねー。この年じゃ次の仕事見つかるかしら」
「交代が始まってもここにいて強引に飯作っちゃえば? 後はそいつらについていく。組員のご飯つくりの人まで用意しては来ないんじゃないかな」
「そうねー。やってみるわ」
おばちゃんはいい人で事情を正直に話すと同情してくれた。
「万が一見つかったらかくまったと思われるとまずいだろうから、コネを頼って就活に来たと言われてだまされたと言っといて」
「あいよ。でも騒ぎがあってもあんまりここは探さないねえ。隣の食料庫には来るけど」
「犬はいないの?」
「ボスが動物嫌いだったのよ。代わりに庭のほとんどを迷路にしたけどねえ」
まったく、人のいいおばちゃんってものは情報の宝庫だ。
「囚人はどこに置いとくの?」
「本館の西地下って聞いたことあるわ。ご飯はこっちじゃなくて館の下働きがどうにかしてんじゃない」
「おばちゃんはあっちに行くことある?」
彼女は首を横に振った。
「いんや、必要もないし。でも住み込みの人たちは夜ご飯食べに来るし、通いでもあっちで働く子が息抜きにくることもあるのよ」
手伝って時間をつぶした後小屋に戻った。探した気配はあったが今は人はいない。鍵は閉められていなかったのでまた小屋に戻り、地下通路をたどって教えられた場所を探した。
「おわっ!!」
天井の戸を押し開けたらその辺りにいたやつが飛びのいた。
「だ、誰だっ…………っておまえか!?」
ビルが目を白黒させている。運よくたどり着いたらしい。
「逃げるぞ」
仏頂面で告げるとこちらをじっと見つめ、それからニヤっと笑った。
「無理だ」
「なぜ…………!」
体を出そうとして気づいた。
こいつの閉じ込められているのは薄暗い西地下の牢屋だ。強化コンクリートの上に特殊リノリウムを張ってある。細かく区切られたそれの一部が開いたわけだが、細身の成人男子が苦労して通り抜けられる程度のサイズだ。
「作ったやつ、一生太らない自信があったのか」
「かもな」
「おい、なんとかがんばれ! 細い自分をイメージするんだ!」
「無茶言うない。イメージでどうのこうのって段階じゃねえぞ」
冷静にそう言うと身振りで俺に戻るようにと示した。
「まさか来るとは思わなかった。けっこう嬉しいもんだな」
「あきらめんなよ。どうにか逃げよう」
「ああ…………だがおまえはとりあえず行け」
ちょっと考えた。
「わかった、そうする。だが絶対あきらめるなよ! 来れたらまた来る。ダイエットしろよ!」
「ああ。イケメンになりすぎてあいつが俺をわかんなくならんかな……」
「んなわけないだろ! その子はおまえに惚れてんだろっ!」
途端にビルの顔に生気がみなぎった。
「おうっ!もちろんだ」
「じゃあ、おまえになんかあったらその子泣くぞっ。惚れた女を泣かせんなよ!」
「わかった! どんな手を使っても生き抜いてみせるぜっ」
「その意気だ。じゃあ、またな、ビル」
俺は再び通路に戻った。
うんざりするほど長々と道をたどって、ようやく行き止まりにたどり着いた。充分に用心しながら戸を開くとそこは最初の教会の聖壇の下だった。
頭をわずかに出した時に人の気配を感じてとっさに引っ込めた。
「ということは次席の司祭である私が次の崇貴卿となることは間違いないな」
「もちろんですわ、ハイデン卿。すぐに教皇様の承認が下りると思いますわ」
赤毛のお団子の声だ。すでに相手に敬称をつけておもねっている。
「当然だ。わしに好意的ではなかったウィリーも死んだ。次のボスはわしの意を受けたものが継ぐべきだとは思わんか」
すげえ。わかりやすい悪人だ。
「その通りですわ」
「まずはトライヤ卿の葬式だな。荘厳な式にしよう。地区中の信者が集まるように。殉教者として祭りあげよう」
「それではウィリー・チャンの方はどうしましょう」
「組織のボスなどどうせ悪評まみれだ。ほっておいてもかまわんだろう。が、いったいなぜ殺されたのだね」
「さあ……私にはわかりません」
こいつらも知らないのか。
「神の怒りを思い知れ、そう叫んだらしいな」
「それは全ての悪に通用する言葉ですわ。何も言ってないのと同じです」
「ふむ」
男の声が少し途切れたが、すぐに傲慢な感じで続いた。
「まあ、どうでもよい。適当な理由をつけて置け。それよりも時期ボスだ」
「はい」
「ウィリーの妹のシェリー・チャンはどうだ。なかなかの美女だ」
「この町では美女はボスとして不向きです。男のほうがふさわしいでしょう」
「なら№2だったジョー・スミスはどうだ」
「適切な選択だと思います。さすがはハイデン卿」
女の声が媚を含んだ。
「近くに目立たぬ部屋があります。今後のことを語り合いませんこと?」
やるなあ、お団子。けっこう女子力あるじゃないか。
「悪くはないな…………誰だ!?」
肝を冷やしたが見つかったわけじゃなかった。
「そーじに来たんだども後のほうがよかったけ?」
下働きのぼーやだ。
「いや、もう出る。しっかり掃除しろ」
二人は出て行った。
そっと聖壇から出ると少年はこちらに背を向けて清掃用の円形ロボットをセットしていた。コホン、と咳をすると飛び上がりかけた。
「びっくりしたあ。いつの間にいただか」
「つい今だ。ねえ、とらいや崇貴卿が亡くなったって知ってる?」
単刀直入に聞いてみる。少年はうなずいた。
「いい人だったになあ。残念だ」
「今の人はどう? ハイデンとか言うらしいけど」
「あんますかん。いばってる」
「シェリー・チャンとかいう人は知ってる?」
「ボスの妹で黒髪でちっこくて美人だ」
「性格は?」
「知らん。口きいたことねえだ」
「ジョー・スミスは?」
「どの人かわからん」
むっくりとした少年は真面目に答えた。
「最後に一つ。無言の行に入る前のトライヤ卿のことで何か覚えてることある?」
彼はしばらく首をかしげ、それからふと何かを思い出したらしい表情になった。
「ああ、そういえば妙なことが一つだけあっただ」
「なに?」
「あめの袋が青とか赤だったら食べるなって言われた」
想像もしなかった言葉に驚く。
「あめ? 神の愛キャンディのことかな」
今では変わったかもしれないが、子供の頃もらったやつの袋はいつも青だった。
「そうかも知れんけど袋はいつも白だし」
西区で教皇からもらったものもそうだった。
「いろいろ教えてくれてありがとう」
ささやかに金を渡そうとしたが断られた。
「いらん。残り物ももらえるから困っとらんし」
そのせいか肉付きはかなりいい。
俺は少年の手をぎゅっと握って感謝を示した。
今頃解明しても意味はないけど、崇貴卿の隠れ場の探知機の条件は脂肪率だったのかも知れない。
たまたまビルとあの子のそれが一致したんだろう。
教会を出るとき緊張した。だがお団子はハイデンとやらとしけこんだらしくいなかった。黒服集団も見かけなかったので、人目を惹かないように普通に歩いてその場を離れた。
方向は決めている。事務所近辺だ。捜索されているかもしれないので用心しつつその辺の建物に潜んだ。
けっこう長い間そこにいると、覚えのある背格好の男が足早に進むのが見えた。おばちゃんのカレーをほめた男だ。こっそり後をつけ、人気のない路地で声をかけた。
「だからイヤだって言ったでしょう」
男がすごい勢いで振り返り、俺の姿を見て肩を落とした。
「ああ。あんたらは関係ないといったんだが、そんな話は通らなかった」
「釈明しても意味はなさそうですね」
「それどころか、あんたは特殊能力を持つ殺し屋ってことになってる」
驚いて相手を見つめる。
「はあ?」
「崇貴卿はあんたに暗示をかけられてボスを殺したことになっている。捕まえたデブも証言した。あんたのマントを見せた途端にトライヤ卿の様子がおかしくなったと」
ビル…………。
「スケープゴートが必要なんだ。あんたを捕まえ殺したやつがボス戦で有利になる」
「その通りある」
背中に銃が突きつけられた。
不意に殴られ、意識が遠くなっていった。