第1章
この世界には、周りを大きな城壁で囲んだ、国や都市が、広大な大地の中に点々と複数存在していた。国や都市同士は遠く離れており、その間には国境などなく、荒野や森林、草原や雪原が続いている、ほぼ未開拓の土地しかない。
そして、ここ降峰高校は世界でも有数の大都市『降峰』にある公立高校だ。
そして、降峰高校の生徒で、現在二年生をやっている司は、世界史の授業で教師の熱弁を完全に無視し、退屈そうに窓の外を眺めていた。
「――――つまりこの大戦がきっかけで、世界は今のような『国』や『都市』間の距離が遠く、交流も最低限になってしまったのであって、――――」
生徒たちに背を向け、黒板に筆記している中太りの中年教師が、紀元前最大の大戦の話をしていると、
――キーンコーンカーンコーン
と、授業の終わりを知らせるチャイムが軽快に鳴り響く。すると教師は、
「む? もうこんな時間か。しかたない。それじゃあ、この辺で切り上げるか……」
と呟く。何がしかたないのか、いったいどの辺りでなのか、とクラスの全員は心の中で訊ねる。
ノートを一切取っていない司は、焦り黒板に書いてあることをノートにまる写ししようとシャープペンシルを手に取り前を向くが、すでに書かれていたことの半分以上が消されてしまっていた。
司は、しまったと思う。
この教師は、いつも授業の最初に前の授業のおさらいとして小テストを出すので、ノートをとっていないと予習が出来ない。これはもうつまり、赤点による小言は確定である。
「それじゃあ、授業終わりまーす。号令ぃ」
中年教師は気だるげにに号令をかける。
「起立、礼」
クラスの一人が号令をして、授業は終わった。
>>>>
昼休み。すでに、ほとんどの生徒が、弁当無しは昼食をとりに学食、もしくは購買へ、弁当を持ってきている者は、屋上や中庭、学食で食べる友人と共に学食へ行ったりとして、教室の中はまばらとなっていた。
「……鬱だ」
皆が談笑に花を咲かせながら昼食をとっている中、どんよりとした雰囲気で溜め息を吐く少女がいた。
彼女は、短い艶のある黒髪に、男物の紺のズボンにワイシャツといった男装に身を包んでいる。彼女は今、机に突っ伏して、虚ろな笑みを浮かべていた。髪と同じく黒い瞳をした人懐っこそうな目は、今は光彩を失って死んだ魚のように濁っている。
司は、世界史の授業のときにとりそこなったノートで意気消沈していたわけではない。その後の授業でも、色々とミスをしてしまっていた。
「どうしたんだー司、浮かない顔して。一緒にメシ喰おーぜ?」
司が沈んでいると、鉄錆のような赤茶けた髪をしたボサボサ頭の少年が、親しげにこちらへやってきた。
「なんだ、キョースケか」
司は少年のことを一瞥すると、そっけなくかえした。
「なんだとはなんだ。全くもって無愛想だな、オイ。朝メシを喰い忘れた上に、昼メシ代でも忘れたか? あ?」
キョースケと呼ばれた少年はヘラヘラと笑いながら司に問いかける。
「うるさいな、ボクは今いそがしいんだ。ちょっかいならほかをあたってくれ」
司が素っ気なく答えると、邪険に扱われたのが気に入らなかったのか、キョースケは、
「おぉ、いつもながら『ボク』が似合ってるねぇ。よっ、ボクっ娘。お兄さん、そういうのも十二分に頂けます、はい」
「む。ボクは女じゃない」
司は、ボクっ娘という単語に少しムっとして言い返す。ちなみに、言わずもがな司は、女の子である。念の為。
「ハイハイー。ウソはイカンよー、ウソはー。閻魔サマサマに舌ぁ、引っこ抜かれた挙句、ひき肉にされちゃうよー?」
と、キョースケは、ケラケラと笑いながら返す。
「なっ、ウソじゃ――」
「ウソじゃないってんなら……証拠、出してみ?」
司の言葉をさえぎりキョースケは、ニィ、とイヤらしい笑みを浮かべる。
「し、証拠って。なにを出せばいいんだよ?」
急に迫られ、司は少し後ずさった。しまったと思うがもう遅い。するとキョースケは、ニンマリとイヤらしい笑みをうかべる。
「そんじゃまー。手っ取り早い方法で、連れションしに行きますかぁー」
アホがアホな事を大声で叫ぶ。教室に残っていた幾人かの生徒がこちらへと好奇の眼差しを向ける。
「んな、ななな、なな……」
キョースケの言葉に――というよりは音量に――司は、顔を真っ赤にして狼狽した。
「そんでもって、お互いのナニを比べ合ったりして。司ちゃんが男かどうかも分かるし、俺ってば変た……じゃなかった天才ぃ」
「ッ――!」
赤面して声にならない悲鳴を上げている司を無視して、カラカラと大笑いしながら、変なポーズをとる。続いてキョースケは左手で司の手をつかむと、
「そんじゃま。レッツゴー連れション!」
叫びながら右手で握り拳をつくると、高らかと空へ突き上げた。そのまま思考回路がショートした司を男子トイレへ引きずり込もうとし、
──バコッ!
「ぐえっ……」
後頭部を思い切り殴られ、奇声を発するとそのままくずれ落ちた。
「だだッ、だッだだだだだだ誰がお前なんかと行くかっ。ぼ、ボクが女で、冗談で男だって言ってることくらい分かってるだろッ? こ、この変態!」
司は、赤面したまま周りの目を気にせず変態ッ、変態ッ! と倒れ伏している少年を罵りながら何度も踏み続けた。
猫のように、フッー! と威嚇している。キョースケが死に体となったころ、司は踏むのを止めると、肩で息をする。
長いようで短い沈黙のあと、キョースケがいきなりガバッと起きあがった。
「あー……。死ぬかと思ったー。一瞬、川向こうの花畑でヴラド・ツェペシュが満面の笑みでこっちに手を振る姿が見えたわ……」
その光景は、とてつもなくシュールだろう。
ちなみに、ヴラド・ツェペシュとは、一四三一年~七六年頃に活躍した人物で、ツェペシュは、串刺し公の意で、その呼称からして、彼が生前多くの人間に畏れられていたことが分かるだろう。そして、作家ブラム・ストーカーの『ドラキュラ伯爵』のモデルになった人物でもある。余談だが、串刺し公と呼ばれるだけあって、彼は生前、大量の人間を串刺しの刑に処していた狂気の王様でもある。
「いっそ、そのまま死ねば良かったのに」
何ともご無体なことを言う。
司のその発言を無視して、キョースケは、『さて』といい自分の机の上に置いてあるビニール袋をとって戻ってきた。
「それじゃまぁ、昼飯とシャレ込むか」
何が『それじゃ』なのか、全く分からないが、少年はそういうと司の机の上にビニール袋をおいた。少し大きめの袋の中には、一人では、決して食べきれないであろう量のパンが入っていた。
「まさかそれを一緒に食べようとか思ってないだろうな?」
ジト目で睨みながら、司は問いかける。
「あん? 司、お前も昼飯まだだろ? なら良いじゃねェか、一緒に喰おーや。どうせいつもみたく、学食行くつもりだったんだろ」
キョースケは、さも当たり前というように、司の机のうえにパンをとり出した。
「ほれ。お前確かパンはサンドウィッチ派だったろ? 適当に買ってきたぞ。タマゴサンドに、ツナサンド、カツサンドと、BLTサンドその他色々。あ、あと飲みモンもあるから」
そういってポケットから冷えた缶コーヒーを取り出し、そのまま司の頬につけた。
ピトッと自分の頬に冷たく無機質な感触がきて、司は『ひゃわうっ』と小さく悲鳴を上げた。それを見て嬉しそうに笑うキョースケ。
少し赤面しながら司は、いつもコイツのペースに呑まれるな、と思った。
「はぁ。……分かったよ、まったく。しょうがないから一緒に食べてあげよう」
観念したように溜め息を吐くと、司は『でも、』とつけくわえた。
「わざわざ買ってきてもらったのはありがたいのだけど、ボクがこんな量を一人で食べきれると思うか?」
その言葉にキョースケは、何を解かりきった事をと言いたげな顔を浮かべた。
「んなモン、後で食いかけを犬にでも喰わせればいいさ。司の食べ残しって言ったら、間違いなく喜んで喰うぞ。アイツ」
そう答えると、ビリッとメロンパンの袋を破る。
キョースケの言う犬とは、彼がとある学友(?)に付けたあだ名で、本名は哲也という。ちなみに、キョースケは哲也からはノミ蟲と呼ばれている。言うまでもなく、二人はとてつもなく仲が悪い。犬猿の仲という言葉が最も似合う間柄だ。
「全く。いつもはケンカばっかりしてるクセに、そういうときだけ頼るのってすこしヒドい、というかズルくない?」
司は少し、咎める様につぶやく。
「イイんだよそれで。利用できるモンは利用する。その分アイツにゃメシに有り付けるっていうご褒美があるんだから。よく言うだろ? コンペル・アンド・ロブって。……あぐ」
そう言うとキョースケは、メロンパンにかじりついた。
「それを言うなら、ギブ・アンド・テイクだろ。コンペル・アンド・ロブだったら強要と略奪になっちゃうだろ。てか、さりげに加賀くんのこと腹ペコ大将あつかいはないでしょ」
キョースケの間違いにツッコミを入れる司。
「むぁれ、ふぉーらっへ?」
メロンパンを頬張りながら話すので、何を言っているのか分かりにくい。何となく分かった司は、溜め息混じりに答える。
「口の中のモノ飲み込んでから喋れよ。
……そーだよ。その英語だと、強要と略奪ってなるじゃん。それただの悪人じゃないの。それに加賀君はタダの超ド変態だよ」
司は、哲也のことを思い出し、軽く身震いする。
超ド変態は、超やドが付いている時点で既にタダの、を付けないのだが。
そんな司をさて置いて、キョースケはいちごミルクのパックにストローを射し、ズゴーッ! と勢いよく飲む。
「それよかさぁ。BLTサンドって、なぁーんか、腐女子が喜びそうな名前だよなー。特にベーコンとレタスの部分で。ザッツ、ベーコンレタスっ」
などと、キョースケは訳の分からないふざけたことを言う。ザッツってなんだよ。
司は、ベーコンレタスの意味がいまいち理解できておらず、『婦女子? 喜ぶ? 名前?』と頭に大量の疑問符を浮かべていた。
それに対しキョースケは、
「分からんなら分からんで良い。ってか、お前は知らない方が良いぞ、これは」
と呟いて、もう一度メロンパンを咀嚼する。ちなみに、BLTサンドは、ベーコン・レタス・トマトサンドの頭文字であって、別にそう言った男同士の愛の結晶的な一部の男女にしか人気がなさそうなサンドウィッチなどではない。断じてない。
「ムグ、ムグ。……ゴックン。まぁその話はおいといて、ついさっき入った耳よりの情報があるんだわ」
キョースケは、口の中のモノを飲み下すと、全く関係のない話を持ち出した。
「『夢商人』って知ってるか? つーか、知ってるよな」
司は、キョースケのその言葉に少し驚いた。
名前だけなら知っていた。むしろ知らない人の方が少ないだろう。『夢商人』の話は何百年も昔から都市伝説として、妖怪の類として、世界中のほとんどの都市と国に広まっている。まさに、昔々の物語の存在。
「まぁ、ウワサ程度なら知ってはいるけど……」
こんな話をするのは妙だと、司は思った。
キョースケはその辺にいるようなただウワサが好きな人間ではない。この男が自称して持ってくる情報は、どこから得ているのか、信ぴょう性が微妙なモノが多いクセに、恐ろしいことにそのウワサ(情報)のほとんどが事実だったりするのだ。故に、現実味のなさすぎる話は絶対に持ち込まない。
「珍しいね、そんな都市伝説をもちだすなんて。で、どういう話なの?」
少し……否、かなり興味のある話だ、と司は半信半疑ではあるが、一応のってみることにした。
「まあよ、オレもこんな話を信じていいものかと甚だ疑問なんだが、この情報のソース自体が信用できるヤツなんでな。その『夢商人』が近々この町にやって来るんだと。一応、お前にゃ知らせておいたほうが良いと思って、な」
一瞬、何とも言えない表情を浮かべると一変していつものように、ケラケラと笑う。
「ま、そーゆーワケだから。興味があるなら言ってくれよ。いつ頃どのあたりに出現……じゃねえや、出没するか聞いて……じゃなかった。調べてみるからさ。
――あ、そうそう。『夢商人』の話しを出すならそれとセットで出した方がイイっぽい情報、っていうかモノが一個あったんだ。ホイ」
そういって、一枚の名刺を出してきた。その名刺には、おそらく雑貨店か何かの店の名前であろう『轟商店』と何故かその下には、携帯電話の電話番号が書かれていた。
「……何、コレ?」
司が怪訝そうに訊ねると、キョースケは、よくぞ聞いてくれた。というふうに破顔した。
「その名刺は……ムグ、オレの知り合いのヤツのなんだよ。自分で会社か何かを経営していて……っていうか、自営業だよな。オレも金がなくなった時とか……モグ、休みの日なんかにバイトとして働いてる」
もぐもぐとパンを頬張りながら楽しそうに答えるキョースケ。
「だからもの食ったまま喋るなよ。……で、どういう事やるの。その知り合いの仕事って?」
司があまり聞きたくないという風な顔で問う。
「ん。そいつさぁ、探偵かぶれみたいなモンで……」
「探偵ぃ? 探偵っていうとアレでしょ? 行く先々で難事件が起こってそれを名推理で解決するあの?」
何とも偏った知識をお持ちのご様子。司は眉を寄せて、胡散臭げに言った。
「ばかたれ。んなもん漫画とアニメと小説の世界だけの話じゃねーかよ。探偵ってのは、ようは何でも屋だぞ」
ぽかっと、キョースケは司の頭を軽く叩く。
「そいで? 確かキャッチフレーズは、えぇっと……」
キョースケはこめかみに人差し指を当て、少し考え込む。
その姿を見て司は、まともなキャッチフレーズであって欲しい、と祈る。
「あっ! そうそう。確か、『猫の捜索から要人暗殺まで、金さえもらえばなんでもやります。誰でも殺ります』だったな」
とてつもなくアウトな答えでした。
「何でだよっ! 要人暗殺って、誰でも殺りますってどんなキャッチフレーズだよっ? 探偵にあるまじき行為だよ!」
すごい剣幕で怒鳴る司にたいして、キョースケは、面白いなぁと思っていた。
「まぁまぁ。そんなに怒んなよ。最初の、何でもやります。って言いたいだけだろ? 素手で象も殺せないような無害な奴らだって」
普通は素手じゃ象は殺せません。ヘラヘラと笑いながら、キョースケは司のツッコミを受け流す。
「ま、念のためだ。もっといて損は……あー、多分ねーから。それ、もらっとけ」
名刺を指さしながら、すこぶる自信なさ気に言うと、キョースケは時計を見る。
「ほら、そろそろ喰わねーと。哲也に余りモンを食わせる時間が無くなるぞ。チャッチャと平らげようや」
そういってキョースケは、イチゴミルクを少し飲むと、残りのパンと格闘を始めた。
司は、目の前でガツガツとパンを貪るキョースケを見ながら缶コーヒーを仰ぎ、やりきれない気持ちと一緒にコーヒーを飲み込む。
(……苦っ)
顔をしかめながら、司は缶コーヒーのラベルを見る。そこには、無糖ブラックと書かれていた。
(ボクはブラックコーヒーは苦手なのに……)
恨めしそうにこの苦いだけの焦げ茶色をした飲み物の入った缶を買ってきたキョースケを睨む。が、向こうはこちらに気付いていない。
司は溜め息を吐くと、口直しにとサンドウィッチを咀嚼する。
キョースケは、パンでできた山をみるみるうちに消化していき、三十秒と掛からずにすべて平らげた。
そのあいだ司は、サンドウィッチをひと切れしか食べきれていなかった。
司があらかた食べ終わった(?)後、キョースケは未開封のサンドウィッチを全て平らげ、司の食べかけのものを、哲也のもとへと持って行った。
>>>>
犬こと哲也は、学校の中庭で独り寂しく黙々と昼食をとっていた。
「……ごちそうさま」
そういってゴミを片付けると哲也は、紙パックの緑茶にストローをさし、一息――
「よぅ、犬。相変わらずデコ広ぇな」
吐こうとしたところで、とてつもなく嫌な奴が、ヘラヘラと笑いながら現れた。
哲也のことを犬と呼ぶ男はこの世界でただ一人、キョースケと名乗る人物だけしか思いつかない。
「なんだ、ノミ蟲。わざわざケンカ売りに来たのか?」
来訪者、というよりは闖入者を邪険にしながら呟く。
「おいおい、そんなに邪険にするなよ。いやなに、ただ、ちぃと昼飯が余ったんでお裾分けしてやりにな」
そういうと男は、ビニール袋を持ち上げた。
「犬は犬らしく、人サマの残飯を意地汚く食いアサれってな」
袋の中身をひけらかすように持つ手をゆする。袋の中には一か所ずつカジられたサンドウィッチが四つ入っていた。
「テメェ……。ナメてんのかコラ」
哲也はヒクヒクと口の端を痙攣させながら呟く。
そんな哲也をみてキョースケはイヤらしい笑みを浮かべながら訊ねる。
「そんなこと言っちゃって良いのかなぁ?」
あぁ? と哲也が凄むように問いかえすと、キョースケは、
「このサンドウィッチは、全部オレんじゃなく司の食いかけだぞ?」
そういって、自分の後ろに隠れるようにして佇まう、短く切り揃えられた艶やかな黒髪の小柄な、男装の少女を指した。
「つ、司さんの……?」
哲也は司に向かって確認をとるように恐る恐る訊ねる。それに対して司は、極々わずかに頷いた。それを見るや哲也は、キョースケからサンドウィッチを奪い取ろうとする。
「おおっと。そいつぁ問屋が卸さねェってな」
またもヘラヘラと笑いながら言う。
「コイツがほしけりゃ一つあたりコレだ」
そういって五本の指を広げて哲也の目の前に出した。
すると哲也はサイフから即座に二枚の紙幣を取りだし、キョースケの手に強引気味に押し付け、今度こそサンドウィッチを袋ごと奪い取った。
「うわぁ……」
その一部始終を見ていた司はあり得ないものを見たという風な声を漏らした。司のその呟きで、哲也はハッと我に返る。
哲也は、キョースケの奸計にまんまと嵌まってしまったことに自覚し、さらには司にあんな姿を見られてしまったという事で、ダラダラとイヤな汗を大量に流した。
「いやいやァ、見ました司さん? いくら司のことが好きだからって、さっきのは完全にアウトなんじゃないの?」
イヤらしい笑みを浮かべながら自分を嵌めた男は言う。
「絶賛発情中の犬に司が襲われる前に、ささっと逃げるか。な、司」
司が、という部分を強調させ、キョースケは司に言う。
そのまま司の背中を押しながらキョースケは去っていった。
哲也は、終わった。と思うと、ベンチにドスンと腰を落とし項垂れた。ちなみに、司の好感度は端から最悪だったので、可愛そうなことに、終わりも何もまず始まってすらいなかったりする。
>>>>
残りの授業が全て終わり、あっという間に放課後へ。
「にしても見たか? 犬のヤツ、最初いらねぇッて言っておいて、お前の食いかけだっていったとたん、目の色変えて俺にカネ押しつけて奪い取りやがッた。アレはキモかったなぁ」
わっはっはー、と笑いながら下駄箱から靴を取り出した。
「確かに、あれは少し異常だったかもね……」
哲也のあの、キョースケから司の食べかけのサンドウィッチを、本人の目の前だというのに鬼気迫るような、すごい形相で買っていた姿を思い出して、少し身震いした。
「ま、愛情表現が人一倍アレってだけで、司の事を真摯に想ってる。ってのは、事実なんだろうけどなー。でもキモい!」
いうとキョースケは、くるりと司の方を向いて「で、どうなのよ?」と訊いてくる。
「? どうって、何がさ?」
可愛らしく小首をかしげ、司は訊き返す。
「犬のこと、どー思ってんのよ。ッてこと」
「うーん……。哲也くんはいい人なんだろうけど、やっぱり、少し……気持ち悪い」
昼休みのことを引きずっているのか、顔を引きつらせながらそう答える。
「だろーな。流石にあれを目の前でされるとガチで引くわな」
「じゃあ最初からやるなっての」
真顔でそういった響介を横目で睨み、口を尖らせながら司が言う。
「で、さ。キョースケは、どう……なの?」
司は、少し俯きながら問いを投げかける。
「あン? あにが?」
キョースケが訊きかえすと司は、上目遣いでもう一度言い直す。
「だから、さ。もし、もしもだよ? ボクと、あの哲也くんが付き合うことになったら、キョースケはどうするの?」
そう訊ねる司の瞳には、ある種の期待が籠もっていた。キョースケは、そんな司の顔を見るやくるり、と前に向き直り。
「んー。ま、今と変わんねーんじゃねーの? もともと、オレとおまえは、互いのそういった事にどうこう言えるような特別な関係ってわけでもないだろ」
オレには関係ねェと、まるで関心も見せずに、平然と答える。
「……チッ」
そんなキョースケに司は、あからさまに舌打ちをする。
「『チッ』じゃねーよ。司、お前はオレが狼狽かなんかするのを期待している様だけど、オレはもうアレだよ? 今んところそーいった話にゃ興味ねーから、そんな事しても無駄に終わるだけだぞ?」
舌打ちされたことに不満を持ったのかキョースケはそう言う。そして歩幅を狭めて、司の横に並ぶ。
「それでも、少しくらいは動揺してくれても良いんじゃないの? ちょっと傷つく」
隣りにきたキョースケに顔を向けて問いかける。が、キョースケは聞く耳持たず、
「しっかし、犬の趣味が分からん。人として、というか友人もしくは身内としては好きになれるだろうが、異性としては完全にアウト。論外だろうに……」
などと失敬なことを言うと、深く考え込む。
「キョースケのそれは素で言ってるのか、嫌がらせで言ってるのかたまに分からなくなるよ」
ウムムムム……と、考え込んでいるキョースケを睨みながら司は呟く。するとキョースケは飽きた、と一言呟き司の方を向き、
「それよりも、昼の話の続きをしようや」
「昼の話? さっきも昼の話してたじゃん」
司が何を言っているんだコイツ、というような目をして言うと、キョースケは哀れむように首を左右に振った。
「ちゃうちゃう、その前だボケ。
……ハァ。お前の記憶力は鶏並みかよ。たく、『夢商人』だよ。『夢商人』」
呆れた顔をして司を横目で睨みながら、キョースケは溜め息とともに言う。それを聞き司は、鶏って……、と呟く。
「まぁいい。それより、お前はどうすんだ? 念のために奴さんとはコンタクトはとっとくつもりだが、昼も言った通りお前が良ければ、一緒に連れってってやるが」
そういってキョースケは、ポケットから車の物と思われるキーを取り出した。
「キョースケ、お前それで何する気だよ? 自転車の二人乗りは法律で禁止されているはずだろ」
あえて的はずれな事を言ってごまかそうとする。そんな司に対してキョースケは、キーを指でクルクル回して不思議そうに答える
「あ? 何言ってんだ。コイツは車の鍵だぞ? オイオイなんだその顔は、別に無免許運転なんざしねェって。ちゃんと免許は持ってんよ」
そういってキーをポケットの中にしまう。司は、まだ十八歳じゃないのにどうやって手に入れたんだよ。とツッコもうとするが、よくよく考えれば他の都市や国がこの都市と同じ法律という訳でもないということに思い至り、口を閉じる。
「……やっぱり。人のモンじゃ、イヤか?」
ヘラヘラとした顔から打って変わり、急に真面目な顔をしてキョースケはそう呟く。
「何が? っていうか、コロコロと話を変えるなよ」
いきなりの事で、司は訳が分からずそう訊ねる。
「うっさいわ、ボケ。
……いやなに、この『夢商人』の話はあんまし乗り気じゃないみたいだしさ。やっぱさ、最初に視る夢が人が作ったモンってのは、イヤかなと思ってさ」
キョースケが、こちらを気にかけるようにして顔を覗く。どうやら、先程の沈黙を夢商人と会わせる件と勘違いしたようだ。
司は、少し戸惑ったように俯き、ふぅーっと息を吐いて、顔を上げる。
「珍しいよね、いつも人の気持を一切気にしないお前がそこまで気にかけてくれるなんて。少し嬉しいかも」
司は照れ臭くなって、その事を勘付かれないように、茶化すようにそう呟く。
傍若無人が常のキョースケがたまに人を気にかけるときは、よく語尾に「さ」をつける癖がある。そんな彼の癖を知っているからこそ、司は今目の前に居る悪友が自分を気遣っていることがすぐにわかった。この目の前の少年が、理由や内容はどうあれ自分を思ってくれている、気遣ってくれていることを、こそばゆく感じつつも素直に嬉しかった。
キョースケはもう一度前を向いて司にというよりも、自分に言い聞かせるように呟く。
「そーだなー。司っちゃんはー、オレにとってホントの意味でハラァ割って話せる数少ない魂の兄弟ならぬ心の家族みたいなモンだからな」
イヤ、兄妹か? などと真剣に考えだすキョースケ。
「家族って。親友とか恋人とか通り越して家族ですか……」
喜ぶべきか、呆れるべきか、はたまた哀しむところなのか分からず、司は苦笑した。
(あれ? 何で哀しむが選択肢に入ってるんだ?)
そう疑問に思ったが司は、まぁいいかと忘れることにした。そしてキョースケの正面に立つと、
「まあ、イヤじゃないよ。作り物でもニセモノでも、夢は見てみたいし。それに、キョースケがボクのために必死になって探してくれたんだ。イヤなわけ、ないだろう」
と、柔らかな笑みを浮かべながらそう答えた。その答えにキョースケは頬を緩ませる。
「そうか」
「うん。でも……」
先ほどとは一変して、表情を曇らせながらそう呟いて司は少し俯く。それに対しキョースケは『でも?』と訊ねる。
「ん。何て言うか、ちょっと……怖い、かな」
「怖い? ……あぁ、確かに初めてってのは、誰だって、何だって怖いよな」
そう真面目に言うと、キョースケはそこで一度言葉を区切ると、うんうんと肯きながら茶化すように続きを言う。
「オレも、初めて娼館に入ったときはビクビクと怯えきってヤったかんな~」
うんうんと腕を組んで一人で何度も頷く。
僅かだが、重くなってきた空気を何とかしようと思ったのだろうが、司はそういう話しに免疫が一切ないため、顔を真っ赤にしながら硬直していた。
「んな、なななな、なな、なななななななッ……!」
「あっ! そうそう、スカイダイビングなんかも初めての時はめっちゃ怖かったなぁ。今じゃ、パラシュート無しでもできます、はい」
などとキョースケはまだほざいている。司は、初撃のダメージを引きずっているのか熟しまくったトマトのような顔を真赤にして言葉にならない言葉を発している。
「※&@☆●#〆!」
声にならない悲鳴を上げながら、司は今にも頭から湯気を出しそうなほどに赤面している。
「ほかには……。って司っ!? どうした、お~い。司~?」
キョースケはやっと気づくと、司の顔の前で手を振ってみる。司は、ワナワナと体を震わせるだけで、反応しない。
「お~い、司。司クン。司っち。司っちゃん?」
返事ガナイ、タダノ屍ノヨウダ。
そう言った話に免疫力がないにしても程がある。娼館に入ると言った程度でここまで動揺するのはある意味才能だろう。それから少し経つと、司はハッ、と我に返った。
「おおー。生き返った、生き返った。大丈夫かー?」
キョースケは司の顔を覗き見ながら事も無げにそう訊ねやがったので、必殺の一撃をキョースケの顔面のど真ん中、鼻っ面にぶち込んだ。司の拳が綺麗にクリーンヒットすると、キョースケはグラリ、と背中から倒れた。
ゴンッという鈍い音が、キョースケの後頭部から鳴り響いた。
「がっ!」
キョースケは短い悲鳴を上げた。
「うおおおおおぉぉぉぉっ! は、鼻が、頭が、い、いだい。死ぬぅぅぅうううう!?」
キョースケはそう叫びながら七転八倒する。
周りで人が見ているにも関わらず、鼻を押さえながらのた打ち回る様はまさに、打ち上げられた魚のようだった。痛みが引くまで地面の上をジタバタと暴れると、ゼェ、ゼェ、と肩で息をしながら起きあがる。
「何しやがんだ、コラ! イテェじゃねぇかっ!」
怒鳴るキョースケの鼻からは、止めどなく血が流れていた。鬼のような形相でこちらを睨んではいるものの、鼻血をダラダラと流しているため全く恐ろしくはなかった。むしろ滑稽ですらあった。
「うるさいな。別にイイだろ。ムカついたんだから」
そう、ムッとしたように司は返す。
「情緒不安定かっ!」
そうツッコみを入れるキョースケは怒りを通り越してもはや呆れていた。
「……まぁいいわ。お前が情緒不安定なのはハナから分かっていたことだ。それよりさっさと帰るか」
失礼極まりないことをいってキョースケは会話を切り上げた。
そしてキョースケはまた、司の一歩前を歩き始めた。
>>>>
それから二人は沈黙を決めこんだまま、つかずはなれずの距離を保った状態で帰路を歩いていた。
(……重いっ!)
司は、斜め前を歩いているキョースケの背中を睨みながら、心の中でそう叫ぶ。基本的にこういった沈黙が嫌いな性格の司は、この状況を苦痛に感じていた。
(重すぎるっ! いくら何でも沈黙はダメだ、絶対ダメだ。ボクが精神的に持たない。というかあのヤロー、絶対に今のこの状況を愉しんでやがる)
とは思うものの、ここで自分から会話をふるのは、何となく負けを意味するのではないか、などとどうでもいい事を考えてしまい声をかけようにもかけられない。
(で、でも。もしこのままだとするとボクの精神が……。いやでも、背に腹は代えられん。負けを覚悟で話しかけてやる!)
そう心の中で決死(?)の覚悟を決める司は、キョースケに話しかけようとする。
「ね、ねぇキョ―─」
キョースケ、と呼ぼうとしたそのとき、目の前にいる少年の方から軽快な音楽が流れだした。最近流行りのアニメの主題歌だ。
それに気づき少年はポケットから携帯電話をとりだした。
「はいハイ、もしもし。オレオレ、オレオレ詐欺」
(電話出た方がオレオレ詐欺使っちゃったよ!)
ツッコミどころ満載だったとさ。
『電話をかけられた方がそのネタつかっても意味無いでしょ』
キョースケが出ると、電話の向こうから、呆れ口調で的確なツッコミが返ってくる。落ち着きのある口調から、三、四十代ほどだろうか。相手の声は中性的で、性別はかなり分かりづらい。
「んだよ、お前かよ。まあ、着信音で大体の予想はついてたけどさー。何よ、ナンか用なの、入り用なの? オレは今帰宅中なのよ」
と文句をブーたれるキョースケ。結構親しい相手なのか、司と同じかそれ以上に馴れ馴れしく、あけっぴらな話し方をしている。相手側から、苦笑する声が聞こえると、
『ははっ。それはそれは、すまなかったね。でもまあ、アニメの主題歌を着信音に使うのは止めて欲しいかな』
なんで知ってんだよ。そう思うキョースケ。
『それと、帰宅中ってことは、まだ彼女さんも一緒かな? それなら都合が良いんだが』
茶化すような言葉に、キョースケは一言文句を言おうとする。がしかし、喉まで出かかった文句の言葉を呑み込み、後ろを歩いているであろう司を一瞬、意識する。
(……こいつがいて都合がいいってことは、『夢商人』のことで何か大切な話をする気か?)
キョースケは足を止め、声のトーンを落しながら訊ねる。
「なんか、大事な話か?」
すると、急に足を止めたからだろう、ドンッと背中に司らしき、というか完全に司がぶつかった。その証拠に司の、『わぷっ』というヘンな悲鳴がぶつかった直後に聞こえた。
キョースケはそれを無視して、電話の相手との話を再開させる。
司は、片手で鼻をさすりながら数歩後ろに下がる。今しがた自分が上げた、情けない悲鳴を聞き、周りの好奇の視線が集まり、司は赤面する。
十秒としないうちに、興味が失せたのか周りの人たちは、何ごともなかったように歩き出す。
「……。…………、………」
キョースケは、電話の相手と何やら重要な話をしているようだが、雑音のせいで聴きとりにくい。
何を話しているのか気にはなるが、キョースケが手で口元を隠しながら話しているあたり、聴いてはいけない事だろうと思い盗み聞きをする後ろめたいので、話しかけるのは自重した。
「……。……、…………」
それからキョースケは、いくらかの言葉をやり取りする。すると少年は、いきなり顔を強ばらせると、そのままわき道にそれて走り出した。
「な、ちょ、キョースケ。どこいくんだよ!?」
驚きながらも司は大声でそう訊ねると、キョースケは彼女に少しだけ顔を向け
「司はココで待ってろ、すぐ戻ってくる!」
そう答え、交差点を左へと消えた。
「なっ、おい! 何なんだよ、もう!」
悪態を吐きながら、司は訳も分からずキョースケの言ったことを聞かずにあとを追った。
キョースケは走りながら、先ほど電話での会話を思い返す。
『ところで君は今、どの辺りに居るんだい?』
『あ? 学校から帰る途中の商店街だが?』
そう言うと、少し詳しく、自分たちがいる場所を教える。
『そうか、それなら尚更にちょうど良いよ。そこから少ししたところに『夢商人』がもうじき現われるらしいからね。場所は――』
あの話しは恐らく確かな情報だ。あの人物が持ってきた情報は、なぜか全て偽りや誤りと言ったものが存在しないのだ。
だからこそ走る。もうじき、『夢商人』が現われるだろう場所へと、ただひたすらに、我武者羅に走る。
「――ッ」
帰宅部のキョースケが、陸上選手顔負けの速さで、息を切らしながらも精一杯疾走する。
ただひたすらに、全力で走る。突然の運動に、心臓が狂ったかのように早鐘を打ち鳴らす。肺が潰れるか破裂しそうなほどに活動するが、そんな事もお構いなしに、一心不乱に走り続ける。
司は、何度もキョースケを見失いそうになりながら、ひたすらに追いかける。
何かは分からないが、あの阿呆のキョースケがあれ程にも表情を変えて走り出したのだ。心配に思わない方がおかしいし、ましてやあんな鬼気迫る顔をされては、待っていろなんて言いつけはそうそう素直に聞ける訳がない。
しかし、キョースケを必死で追いかけているにもかかわらず、少年との距離は開く一方だ。
「ハァ、ハァッ、――ハァ、ハァ、ゼェゼェ、ハッ、ハァッ」
文字通り息せき切らせながら、見失うまいと必死にあとを追う。
ただでさえ速さに大きな差があるうえにキョースケの阿呆は信号を軽く無視したり、車の上を跳んで行ったり、家の塀を跳び越え、不法侵入をしていったことでキョースケの姿を完全に見失ってしまった。
「ハァハァハッ、はっ──、──はぁ、はぁ、はぁ。ハァ──フゥ。まったく、キョ……、スケのヤツ、あんな、に、急いで、どこ──行ったんだ?」
仕方なく足を止め、肩で息をしながら司は文句をたれる。
「……っていうか、アイツ忍者かよ」
司は、先程のキョースケの常識の範疇を軽く超えすぎたさまを思い出しながら誰にでもなく悪態を吐く。
それにしても、と司は思う。あのキョースケの行動を見るのは初めてだ。長い間一緒にいた少年の自分が知らない姿を見て、新しい発見ができた喜びと、どこか寂しいような気持が芽生えていた。
(っな、何を考えてるんだよ、ボク! そんなことよりも、キョースケがどこに向かったかを考えないと)
司は、変な気持ちを払拭するようにかぶりを振り、息を整えながら、少年の行先を考える。すると、
「あっ、そうだ!」
良い事を思いついたというように、司はポン、と手を叩く。
「キョースケ、ケータイ持ってたよね。それなら、GPSを使えば居場所が直ぐにわかる事じゃん!」
言うが速いか、ポケットから携帯を取り出すと、司はGPS機能を使ってキョースケの現在位置を調べた。
「キョースケの居場所は~っと。あ、意外に近くだ。……げっ」
司は、少し驚いた。キョースケの今いるそこは、一般の人ならあまり近寄りたがらない場所である。
ここ、降峰は、南の山地から、北の港街にかけて、都市全体の、ど真ん中を横断するように大きな川がある。その川から西が西降峰、東が東降峰と呼ばれており、この都市の南西の方には、社会的にあまりよろしくない方々が巣食っている、戸山町という町がある。
そしてキョースケがいる場所は、その戸山町。しかも、そのなかで一番荒れていて、ゴロツキ達が闊歩している場所。いわゆる無法地帯、危険区域といった場所だ。
「いくらここから近くの橋を渡ればすぐ着くとはいえ、ちょっと。……いや、ものすごくイヤだけど、やっぱり気になるし行ってみよう!」
死を覚悟した兵士のような、無駄な決心をし、司は走り出した。
キョースケは今、戸山町にある小さな公園にいた。
「たーっく、何がそこから少ししたところだ。結構離れてんじゃねーかよ」
独りジャングルジムの上に座りながら愚痴をこぼす。
「しっかし、本当に来るもんかなぁ。こんなところに」
無法地帯とはいうものの、ぱっと見は綺麗なものでで、どこぞの世紀末伝説のように荒れ果てている訳ではない。が、この公園までたどり着くのにキョースケは、二十数人ほどに襲われて、それらを全て伸して来た。
来た道を戻れば、死屍累々の地獄絵図が待っていることは必須だろう。
「ふゎ~~ぁ。なんというか暇だ。……ん? あれは」
何気なしに公園の外を見ていると、ひとりの人物が現れ……。
司は今、戸山町内を、キョースケのいる場所へと最短距離を選んで進んでいた。恐らく――いや、確実にこの道をキョースケは通っていただろう。
「うわぁ。何これ、何地獄?」
最初の方は危険区域だということを忘れるほどに小奇麗な雰囲気だったのが、少年がいる場所へと進むにつれて、大量の人が道端に倒れ伏していた。
ある人物の手元には武器に使っていたであろう廃材が転がっている。またある人の近くには、スタンガンが、さらに他の人達のもとにはナイフが散らばっていたりとしていた。
それだけ見れば、この倒れている男たちが戸山町に縄張りにしているゴロツキだということが分かる。分かるのだが、
「まさかこれ、全部キョースケがやった訳じゃないよね」
アハハ……。と乾いた笑みを浮かべる。
そして、GPSが座標を指している公園の前まで来ると、
「あ、いたいたキョースケだ、おーい。……て、あれ?」
キョースケを見つけたのは良いのだが、その彼の近くには、残寒を引きずる春先とはいえそれでも季節外れとしか言いようのない、冬用であろう裾の長い黒のコートに袖を通した、風変わりな少年がいた。その少年は、背中には大きめの背嚢を背負っているあたり、旅人か何かだろうということは分かる。そして、キョースケはその謎の少年と話していた。
キョースケは、目の前にいる、ハルと名乗った少年に対し、初対面だというのに馴れ馴れしく話しかけていた。
「いやぁ、しっかしビックリしたよ。まさかあんな大軍勢を引き連れて人がやってくるとは、ホントに予想外だったよ」
そういってキョースケは、呵々大笑をする。それにつられて、目の前の少年も恥かしそうに頬をかきながら愛想笑いを浮かべる。
そんな二人の傍らには、先ほどキョースケに伸された人たちで山が作られていた。
なぜ死体の山がこんなにできているのかというと、事のいきさつはこうだ。数分前、公園についたキョースケが待ちぼうけをしていると、ハル少年が現れた。
ハルは、大量のゴロツキたちに追われながらこの公園へと逃げてきたのだ。
「わ、わ、わわわぁー!」
ハルは、だらしない悲鳴を上げながらも、荷が詰まって重たそうな背嚢を大事そうに背負いながら逃げ回る。
「待てや、ゴラァ!」「逃げんなやぁ!」
そんなハルの後ろから、ゴロツキ達の頭の悪そうな罵声が飛んでくる。
「ふぅ……む」
それを見てキョースケは、この追われている少年が『夢商人』に何か関係があるのではと思い至った。まあ、そうでなくとも困っている人を助けるのは悪い気分ではない、何より最近運動不足なため丁度いい。そう思い、少年の助太刀に入る。
そこから先は、それはそれは、すごかった。ゴロツキ達に気づかれる前に一人、また一人と後ろからの不意打ちで、一撃のうちに倒してゆく。
「ぐぇ!」「がっ」「ぎゃぁっ」
やられた男達が小さく悲鳴を上げながら頽れる。
流石に、どんなに馬鹿だろうと、どれほど頭に血が上っていようとも、倒された時の悲鳴で異変に気づきはする。
そうやって気づいた男たちは、
「あぁ? なんだテメェ!」
「テメェ何モンだオラァっ!」
敵意と殺意の対象を、逃げ惑うハル少年から実害を加えてきたキョースケへと移す。そのまま全員でたった一人の敵を取り囲む。
多勢に無勢。そんな状況でも少年はヘラヘラと笑う。
「いやぁ、オレの名前なんてどうでも良いでしょ。今から掃除されるゴミ共に教える必要なんて毛ほどもないって」
ひらひらと手を振り、おどけた口調で挑発する。
そんなキョースケの発言に触発され、一斉に襲い掛かる。
キョースケはそれに臆した様子もなく、一人ひとり的確に急所を狙い、必討の一撃を食らわせる。
たとえば、キョースケの頭をカチ割らんとバットを振り上げた男は、振り下ろす直前にキョースケに掌底で振り上げられたバットの柄尻を押さえられてしまい、振り下ろせなくなったところを空いている手でアッパーカットを決められ、そのままノックアウトした。
またある者は、ナイフを突き刺そうと突進するも、手刀でナイフを叩き落とされ、続けざまに後頭部に肘打ちをくらい気を失って俯せに倒れる。
そうやって一騎当千の独壇場でそこにいた半分以上のチンピラたちを叩きのめすと、余裕の笑みを浮かべながら残りを一瞥する。
男たちは、そんな無双ゲームまがいの少年を前に戦意をそがれ、蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。
ちなみに、その後キョースケはゲラゲラとバカ笑いをしながら、追い打ちをかけ、さらに六人ほどを叩きのめしていた。
……そして、今現在に至る。
「いやあ、一時はどうなるかと。本当に助かりました。ありがとうございます」
ハルは、キョースケに感謝の言葉をつげる。
「それにしても、あんな大勢を相手にして無傷で勝利を収めるなんて、すごいですね」
「まあな、それほどでもあるんだぜ?」
褒められキョースケは、分かりやすく図に乗る。
「……まあ、そんなことよりも、だ。二、三、質問しても良いか?」
そういってキョースケは、まじめな顔をする。
「? 良いですけど、なんですか?」
それを聞いたキョースケは、人差し指を出し、
「まず一つ、何であんな奴らに追われていた? なんかチョッカイでも掛けたのか?」
そう訊ねる。するとハルは、照れたような笑みを浮かべ、
「いやぁ、その。自分、行商人をやっているんですけど、この近くの路上で商売をやっていたらそのまま難癖つけられて……。それで逃げていたら色々と人が増えてしまって……」
「ハァ……。つまり、ショバ代がどうとかって言われて逃げだしたらいろいろザコ共が騒ぎに便乗して、ああなった訳ね」
「まあ、要約するとそんな所かと」
たはは、頭をかきながら恥かしそうに笑うハルを見て呆れたように深々と溜め息を吐くと、キョースケは、ダメ元で次の質問を言う。
「じゃあ次。『夢商人』って知ってるか?」
「あ、それ自分です」
即答だった。キョースケは、その言葉を聞いて硬直する。
「………………………はい?」
想定外の回答に、思考がフリーズしてしまう。
「いえですから、自分がその『夢商人』ですって」
正確には『夢商人』ではなく『夢玉屋』ですけど。ハルはそう笑顔で言った。
「はぁぁぁぁあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
キョースケの絶叫が響き渡った。
大声で絶叫を発したキョースケは、一度冷静になる為に深く深呼吸をした。
「……オーケイ分かった。お前があの都市伝説『夢商人』なんだな」
「そうですよ。それより、都市伝説って酷い言い草ですね。自分はレッキとした行商人なんですよ?」
ハルは、自分の扱いが妖怪の類だということに対し、抗議の声を漏らす。
「いやだってよ。『夢商人』の話はオレの爺さまがガキの頃に爺さまの爺さんに教えて貰った話だぞ? しかもそのずっと前からも話継がれてきたんだ。それはもう都市伝説でしかないだろ」
しかもその都市伝説の正体はガキだし。と落胆するように呟くキョースケ。
「む。失礼ですね、私は、次期七代目『夢玉屋』のハルですよ。まだちゃんと継いでいないのでアレですけど、子供なのは──」
「キャァーッ!」
ハルが、関係ありません。と言おうとした直前に、公園の外から悲鳴が上がった。
「へ?」「うげッ」
ハルはいきなり悲鳴が上がった事に驚いた様子で、キョースケは、その悲鳴が聞き覚えのある声だったことにウンザリとした顔で、悲鳴の聞こえた方を見やる。
そこには、司が先ほど逃げて行った男たちの内の一人に捕まっていた。
少し前に戻って、キョースケと見知らぬ少年が、何やら話をしているのを遠巻きから覗き見ていた司。
「はぁぁぁぁあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
唐突に「キョースケの絶叫が響いてきて、司は吃驚して尻餅をついてしまった。
「えっ、何? 何があったのっ?」
ここからではキョースケと謎の少年がいる場所との距離がありすぎているせいで、あの二人の会話の内容が聞き取れない。その為、なぜキョースケがあんなに大声を張り上げたのか司はまったく分からない。
道の角から、顔だけをひょっこりと出しながら司は公園の方を眺める。
「……」
「……、……」
なにかを話しているのは分かるのだが、何を話しているのかまったく分からない。
「あの二人、何話してるんだろ……。ああっ、もうっ。ここからじゃ聞き取れない!」
じれったくなり、キョースケにバレないように公園に近づこうとする司に、後ろから手が伸びてきて……。
「キャァーッ!」
ガッ! と唐突に背後から伸びてきた手に手を掴まれ、司は悲鳴を上げる。逃げようとする司の肩を、もう片方の手で力強く掴む。そのまま司を捕まえた金髪に鼻ピアスを付けた頭の悪そうな男は、司の肩をグッと引き、そのまま司の口を押える。
「ンンー! ンムム――!」
キョースケは捕まった司を、げんなりとしながら見ている。もう一人、キョースケの隣にいる黒い外套の少年はポカンと口をあけてこっちを見てる。
男に公園の中まで連れてこられると、どこからともなく仲間らしき男たちが集まってきた。
「ンだよ。何だよ。何なんだよ」
キョースケが面倒臭くそう悪態を吐く。それを見て男はニヤリと笑みを浮かべて言う。
「この女はお前らの仲間だろ? コイツに――」
「コイツに危害を加えられたくなかったら大人しく俺等にボコられろってか?」
男が言い切る前にキョースケはセリフを被せて、せせら笑うように訊ねる。
「ったく。お前らアレですか?
主人公を人質で脅すクセに、次のページになると、ボコボコにされて逃げかえるモブキャラですか? モロパターンに入ってるじゃん。もう少しセリフ考えた方がいいよ。完全に死亡フラグじゃん、それ」
状況からして、劣勢であるはずの少年から、そんな嘲りの言葉を吐かれ、周りにいる男たちは、いっきに怒り心頭に達した。
「ウルセェっ! テメェは大人しく俺等に袋にされてりゃいいんだっ!」
怒鳴り散らすと、ナイフをポケットから取り出すと男はそのまま司の首筋に押し当てた。
「ムムー! ム、ムムムーー、ンムー!」
司はナイフを押し当てられて、イヤイヤとするように頭を横に振った。
「さあ、どうするよ?」
男はニヤニヤと下衆な笑みを浮かべながらキョースケに問う。まわりの男達もまた、自分達が優位だと信じて疑っていないため、同じくイヤらしい笑みを浮かべる。
「…………」
キョースケの隣にいる少年は、いまだに状況が掴めないのか呆然自失とした感じで、立ち尽くすだけだった。
「ハァ。……どうぞ、ご勝手に。ソイツのことは煮るなり焼くなり好きにしていいさ」
呆れたように溜め息を吐き、そう答える。
「へ?」「ムア?」「「はいぃ?」」
司と男たちは、キョースケの予想外な言葉を聞き、理解が出来ないと言いたげに目を点にすると、そう気の抜けた声を漏らす。
「いやだから、ソイツは犯るなり殺すなり好きにしろって言ったの。オーケイ?」
と、先程と少し変わっている気もするが、キョースケは物分かりの悪い子供を諭すような口調でもう一度言った。
「だってよー。人の言いつけも守れないような奴だよ? キツゥーくお灸をすえてやった方が良いと思わない、ねえ?」
そうキョースケは、自分を脅していた男に馴れ馴れしく問いかけてくる。毒気を抜かれていた男は、ハッと我に返るとキョースケに訊ねる。
「え、なッ……じ、じゃぁ、この女に人質の価値は……」
「ネーよ。んなモン」
「ムムー! ムムムムムム~~~~! (このー! 裏切り者~~~~!)」
あっさりと即答したキョースケに、口を塞がれながらも必死に叫ぶ司の瞳は、怒りと悲しみで涙で滲んでいた。が、それを無視してキョースケは両手をポケットに入れ、とケラケラと笑いながら自然な形で二人に歩み寄る。
「なっ――く、来んじゃねェっ!」
そう叫びながら、男は司に突き付けていたナイフを、前に突き出した。キョースケはそれを無視してさらに近づく。
「う、うわぁぁぁああああああ! く、来るなぁ!」
そんな少年の余裕に不気味なものを感じ、恐怖を覚えた。突き出したナイフをそのまま乱暴に振り回す。司の口を押える手に力が入り、指がその頬に食い込む。その痛みに顔をしかめる司。その表情を見たキョースケは、ほんの一瞬、口元を極わずかだけ歪めた。だがそれに、誰一人として気付いていない。
「別に、取って喰ったりはしねぇって。むしろお前ら、お仕置きタイムを手伝ってくれよ。鼻ピアス(仮)とその他大勢」
キョースケは、長年ツルんでいた悪友に対していうかのように馴れ馴れしく話しかける。
「へ、変な名前で呼ぶんじゃねェっ!」
鼻ピアス(仮)と呼ばれ、男は怒りの声を上げる。それとは対極に、キョースケは楽しそうにヘラヘラと嗤いながら歩を進める。
「いいじゃねぇか。お前と俺の仲だろ。なぁ、鼻ピアス(仮)?」
そういって、キョースケは楽しそうにヘラヘラと以下略。
そしてあと数歩でナイフにあたるという所で足を止める。キョースケが歩を止めた事に、鼻ピアス(仮)は一瞬だけ安堵し、ナイフを持った手を下ろす。下ろしてしまった。
そのときを待っていましたと言わんばかりに、キョースケは鼻ピアス(仮)へ大きく一歩踏み出す。
「へっ?」
間抜けな声を上げる鼻ピアス(仮)。
キョースケは一瞬のうちに鼻ピアス(仮)の左側、ナイフを持っていない腕の側へと滑り込み、突っ込んだままの右手と一緒にポケットから何かを取り出す。手にしたものを、呆気にとられた鼻ピアス(仮)の腕へと突き刺すと、同時に左手で司を男から引きはがした。
すとん、と引っ張られた司は、地面に腰を落とす。
「へ、あ?」
鼻ピアス(仮)は、今何が起きたのかサッパリ分からず、自分の腕を見る。すると腕には、ボールペンが深々と刺さっていた。
その事実を確認すると、遅れてやって来た激痛に男は体を震わせながら、一歩二歩と後ろへ下がった。
「ぎぃやぁぁああああ! う、腕がぁ、腕がぁあああああああっ!」
鼻ピアス(仮)は、激痛のあまり叫ぶと、ナイフを捨てボールペンの刺さった患部を右手で押さえつけた。
「な……。う、腕にペンが生えてる……?」
今まで傍観していた周りの男たち。その中の誰かが、見当違いなことを呟く。
「い、痛ぇ、痛ぇよぉ……」
緩やかに血が滴る幹部を押さえていた鼻ピアス(仮)は、情けない声を上げると腕に突き刺さっているペンを抜こうとした。
しかしキョースケがそんな男の頭部へ、止めとばかりに後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
「ガッ」
鼻ピアス(仮)は何一つできずに、そのまま前のめりに倒れ伏した。キョースケは、ふう、と短く息を吐くと、そのまま周りの男たちを睨みつける。
それに怖気づいた男たちは、倒れた男を見捨ててもう一度逃げだした。
「……ふぅ」
男たちがワラワラと逃げて行った後、キョースケは安堵の、というよりは疲れたように、溜め息を吐く。
残ったのはキョースケと司、それに一部始終を放心しながら眺めていたハル少年、ついでに死体の山の仲間入りになった左腕にペンが刺さったままの鼻ピアス(仮)だけとなった。
「ハァああああああああ。イヤー、助かった。ホントに助かった。アニメのマネでやってみただけの博打もんだったが、成功して良かったー」
内心ハラハラしてたもん、オレ。と気の抜けた笑みを浮かべてキョースケは呟く。
「………………(ボー)」
キョースケはちらり、少し離れた場所にいる少年を見る。ハルは、やはり放心中だった。
「……」
次に隣にいる司をチラと横目で見る。座ったまま、司は恐怖に引きつったままの表情で、呆然と地面を眺めていた。そんな友の姿に、キョースケは呆れたようにもう一度溜め息を吐く。
「ほぅら。もう終わったぞ、司。……そんな強姦に襲われた挙句処女を奪われた生娘じゃあるまいし、さっさと正気に戻れよ」
失笑混じりにセクハラ紛いのことを言う。
そんなキョースケの呑気さ加減が癇に障ったのか、司は顔を上げて、キッと睨みつける。
「ウ~~~~……」
涙目で唸りながらこちらを睨む様があまりにも可愛かったので、キョースケはもう一度頬を弛緩させた。
機嫌悪く睨みあげているこちらを見下ろしながら、キョースケが笑うのでさらに機嫌を悪くした司は、キョースケのスネを思いっきり殴ってやった。
「お、おおぅ……」
余りの痛みに震える声で小さく呻きながら、その場にうずくまるキョースケ。
そんなキョースケの頭をさらにボコボコと殴る。ポカポカなどと、可愛らしい擬音ではなくボコボコと。
「…………………………」
そうしてキョースケは、ついに沈黙し、還らぬ人となった。さらばキョースケ。哀れキョースケ。嗚呼、キョースケよ、永久へ――
バゴッ!
「起きろっ」「ガマラァッ!」
とはいかなかった。
司は、うずくまったままピクリとも動かないキョースケの後頭部に、もう一度、渾身の力を込めて拳を叩き込んだ。
「っづぁあああああああああああああああっっ?」
避ける暇もなく殴られたキョースケは痛そうにのた打ち回る。後頭部を抑え、足をバタつかせ、ゴロゴロと地面の上を転がる。
「ぐおぉぉぉぉぉおおおおおお! いってえぇ」
先ほどまでの、余裕綽々と行った姿はどこへやら。今の姿は情けないの一言に尽きていた。
「…………………はッ!」
鼻ピアスをした男が、少女を人質に取りながら現れた時からずっと放心状態だったハルは、やっと我に返った。
辺りを見回すと、人質だった少女は地面に座っていて、その傍らにはうずくまったまま動かないキョースケと、少し離れたところで件の男が、変な体勢のまま俯せに伸びていた。
すると少女が動かないキョースケの後頭部に思い切りなぐった。
「ガマラァッ!」
殴られた少年は、奇妙な声を上げる。痛かったのだろう、キョースケは後頭部を両手で押さえながら、無様に七転八倒を繰り返す。
「ぐおぉぉぉぉぉおおおおおお! いってえぇ」
その憐れな姿を見たハルは、どうすればいいのか分からずにその場でオタオタとするだけだった。
「いっっってぇな! 何しやがんだ、コンチクショウッ?」
キョースケは、ズキズキと痛む頭を押さえながら上半身を起こし、司を怒鳴る。するとまた、司は殴ってきた。しかも、鼻面を、思いっきり。
「ブハッ!」
またも鼻から血を噴き出す。本日二度目の鼻血は赤黒かった。キョースケは再度文句を言おうと、ダラダラと血を流す鼻を押さえながら司の方に向く。すると、司はうつむいて肩を震わせていた。そして、同じく震える声で呟く。
「……キョースケの、バカ」
「司……」
みっともなく鼻から遠慮なしに赤い液体を流しながら、戸惑うようにキョースケは、少女の名前を呟く。
「怖かった。……ホントに見捨てられたかと思って、怖かったんだからな……」
嗚咽の混じった声で、司はキョースケにそう訴えた。
キョースケは、手の甲でグシグシと鼻血を拭うと、ポケットティッシュを一枚取り出し、ねじって孔に詰め込むと、そっと司の肩に手を置く。
「……司」
泣きじゃくる小さな子供をあやす様な慈愛に満ちた優しい口調でそう呟く。
司は、呼ばれて顔を上げる。涙でクシャクシャになった司の顔を見て、キョースケは、
「おだまりっ!」
その言葉とほぼ同時に、キョースケは涙を流す少女の頬を、手首にスナップを利かせパァンッ! と叩いた。
「ナマ言ってんじゃないよ! 人の言いつけも守れないようなガキが、自業自得だとお思いっ!」
すっくと立ち上がり、完全にキャラを作ったようなオカマ口調、もといオネエ口調で、キョースケは司を怒鳴りつける。
「まったく。これだから最近の若いモンは。人の言いつけも守れず、それでイタイ目を見ても反省しようともせずに、全部人のせいにして、ブツブツ…………」
などど、今度は爺くさい文句をブーたれている。そもそも、この阿呆も『最近の若いモン』の中に入っているのだが。
司は、ぶたれた頬に手を当てながら呆然と文句だか説教だか分からない事を垂れているキョースケを見ていた。
「まったく。これだから最近の(以下略)」
ウダウダとどうでもいいことを延々と話すキョースケ。その姿を見ていると、まさかこの展開を望んで自分を見捨てるようなことを言ったんじゃないだろうか? などと思ってしまう司だった。
「ね、ねぇ。キョースケ、それよりも、そっちのリュックの人は……」
これ以上はいい加減鬱陶しいので、説教回避と、疑問解明の意を込めて、先ほど(鼻ピアス(仮)に捕まる前)から気になっていたリュックサック少年のことを訊いてみた。
「お黙りっ! まだ話は終わってないザマすわよ‼」
あっさりと一蹴される。なんか段々と変な口調になってきた。
「人の話も最後まで聞けんとは……。まったく。これだから(以下略)」
逆効果だった。危機回避どころか、悪化してしまった。
すると、黒い外套の少年が、キョースケの近くまで歩み寄り、
「あ、あの、キョースケさん。もうその辺にしては、それに……」
この状況を見兼ねたらしく、リュックサック少年は、キョースケはを宥めに入ってくれた。
「シャァラップ! これは言わば、そう! 教育的指導なのよっ。今ここで許したらコイツのためにもよくないのだよ、ハル少年」
いろんなキャラが混ざりすぎて何が何だか分からない口調で、キョースケは少年にそう言った。
「で、ですが、まわりに……」
ハルと呼ばれた少年は煮え切らない口調でいって、まわりを見回す。それにつられ、司も見回してみると、いつ目を覚ましたのか、先ほどまで死体の山として積まれていた男たちが鬼のような形相で円陣を組んで、今にも襲いかからんとしていた。
それを一瞥してキョースケは、
「あぁん?」
睨みつける。その凄みに気圧され、男たちは一様に一歩後ろへと下がった。
それからもう一度、尻餅をついたままの司へと向きなおり、
「いいか、司。今からお前のその甘えきった根性、全面的に叩き直す! 今日は寝られないと思え!」
そういって、また説教を始めるキョースケ。
「まったく。これだから(以下略)」
レパートリーが少ないのか、いちいちそこから入るキョースケ。
それから三十分ほどくどくどと小言改め説教が続いていた。
ハルも、不良の男たちも、立ち尽くしたまま茫然と成り行きを見守っていた。
「いいか司。お前はまず、人の言うことを訊く素直さが必要だ。それから……」
ウダウダウダウダと、いったい何度言ったのか、いい加減、自分でも言ってて飽きてきた言葉を延々と繰り返すキョースケ。
「ふぇ……」
すると、ずっと項垂れて黙ったままでいた司に突然変化が現れた。
「ふぇぇぇぇぇええええええええええええええええぇぇぇぇぇん!」
「つ、司!?」
突然大声で泣き出した司に、御小言モード(お説教モード)のキョースケは、完全に虚をつかれた状態だった。
なにをするでもなく、静観を決め込んでいたハルとその他大勢の人々も、いきなりの出来事に仰天してしまった。
「えぐっ、だっで……ひぐっ、キョー、スケ……ひっく、が、いきなりっ、走り、出し、て……っく、心――配して……えっく」
嗚咽交じりの、今の司の精一杯の訴え。聞き取りにくいが、キョースケが心配だからつい追いかけてきてしまったということは、心配をかけた張本人としては理解せねばなるまい。
「お、オイ、司……、っ!」
足元で泣きじゃくる少女に声をかけようとした所で、周りから突き刺さるような視線に気づいた。恐る恐るといった風体で周りを見る。すると、ハルどころか、敵意全開だった男たちまでもが、白い目でキョースケの事を見ていた。
「え? 何、コレ、俺が悪いの? ちょ待てよ。そんな『あ~あ、コイツやっちまったよ。何いたいけな女の子泣かせてんの?』みたいな目でオレを見るなぁ!」
キョースケがそう皆に訴えみても、一向に『何泣かせてんだよ』と言いたげな目を誰も止めようとはしない。
「いやいやいや! 何オレだけを責めてんの? 元はと言えばお前らが絡んで来たのが悪いんだろ! 何でオレだけ責められムードっ?」
キョースケが焦って発した言葉に、ハルと男たちは、『何今度は責任転嫁してんだよ』というような目に変わるだけだった。
「うぐっ……。
つ、司。ホラ、もう怒ってないから、な。もう泣くなって」
逃げ場が無いと悟りキョースケは、泣きじゃくる司へと向き直ると、司を慰めに入った。しかし司は、一向に泣き止む気配をみせない。
「ほら、顔拭いてやっから、顔を上げろ。な」
そういってカバンからタオルを取り出すと、司の顔に持って行こうとする。
司はそれを、俯いたまま、イヤイヤと首を振って拒む。
「いや。いいから、顔上げろって、拭いてやっから」
そういうとキョースケは、また周りからの痛い視線を感じ、周りを見ると、やはり皆は一向に白い目を向けていた。
「なんだよ今度は、『何でそんな選択肢をチョイスするんだよ。デリカシーないにも程があるだろ』みたいな目は。頼むから止めてくれるっ? そしてできればコイツ泣き止ませるの、手伝ってくんねぇかなぁ! 見てるだけならむしろ帰ってぇっ!」
情けなく叫ぶキョースケ。男たちは白い目をキョースケに向けたまま、波が引くようにわらわらと去っていった。
そしてこの公園に残ったのはいまだ泣きじゃくる司と、それを宥めているキョースケ、困ったように、そんな二人を見ているハル、それとオマケで気絶したままの鼻ピアス(仮)だけだった。
今回も最後まで見てくださってありがとうございます。一話目を見ていない方はそちらも見てください。
ようやく夢商人とコンタクトをとれたキョースケと司。次回、司は夢が視られるのか!? と言う訳で次をお楽しみください。