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19話 あの日

 翌日。

風邪が治った…と思うので、学校へ行く。治っていないにしろ、とりあえず熱は下がった。風堂の、おかげだ。違うな、鈴音さんのおかげか。

家を追い出されたときに制服を着ていたから、着るものには困らなかった。良かった、下手に私服なんかに着替えていなくて。


「…風堂、隣を歩くな」

「え、なんでだよ」

「目立つだろう、私が」


何故、コイツは私の手をつかんでいる。そして、相変わらず振りほどけない私の腕力…仕方ないよ、な病み上がりだし。


「いーじゃん、別に」

「良くない。それから、手を放せ」

「ってかお前、すでに目立ってんだぞ。氷の図書委員長ってさー」

「…誰だ、それは」


氷の図書委員長って、なんのことだ。なんだ、それ。しかも、どうしてそれを風堂が知っているんだ。どういうことだ。


「お前しかいないだろ!あ、あと無表情美人とか」

「は…?」


な、なんだ、それは。知らないぞ、そんな呼び名。


「つーことで今更目立つとか…なぁ?」

「…ならば、これ以上目立ちたくない」

「だーかーらー、遅いっつーの」



…。

くっ、すべて貴様のせいではないか!!



 授業中、後ろの灰崎から紙を投げつけられる。思わず風堂に見られていないか確認してしまう。幸い、風堂は寝ていて気づいていないようだ。


紙には、放課後屋上へ一人で来い、とだけ書いてあった。ヤな予感しかしないが、行かなかったらいかなかったであれなんだろう。あれ、がなんだかはわからないが。

…それよりも、甘かったようだ。まだ風邪が治りきっていなかったらしく、頭がボゥッとする。まだ、微熱が残っていたのか、な。



 放課後。待ちに待っていないし、何度時間が止まればいいのにと思ったかわからないが、授業は終わってしまった。それに、今日は図書室での当番がない曜日だ。なんてこった。

言われた(書かれた)時間に、屋上へ行くと、灰崎以外誰もいなかった。リンチではなさそうだ、と一安心する。安心していいのかわからない、がな。暴力を振るわれないだけましだ。

…屋上に放課後誰もいないなどということは、あり得ないと思っていたがそうでもないのだな。一生懸命人払いをお願いしている灰崎の姿が浮かんで、笑いかけた。そんな場合じゃない。


「…一体なんのようだ」

「あなた、ウザイの。私の前から消えて!」

「無理だろう」


思っていたよりも風が、寒い…な。肌寒い。カーディガンを着てくればよかった、と後悔する。 

風堂に怒られそうだ。

また、無茶をしたのか!…と。でも、それを悪くないと思っている自分がどこかにいた。風堂に心配されるのは、…嫌じゃ、ない。


「貴人様と離れなさいよ!」

「向こうが勝手にくっついてくる」

「そうよねぇ。ならぁ…お父様の言っていた手段ねぇ」


妙に間延びした声で灰崎は言うとポケットからカッターを取り出した。

そしてユラリと怪しく笑う。お父様、呼びか…そんで、父親が推奨しちゃうのか…。いいんだろうか、それで。よくないぞ。

 これはまさかと思うが…最近流行っている、リストカットというものでもする気なのだろう。あれって、痛くないのかな。ああまでして、恋敵を排除したいのか…理解に苦しむ。その後はお約束というもので私に押し付ける気だろうか?

フッ、と鼻で笑いかけて、やめた。今、下手に刺激するのはよそう。というか、屋上にだって監視カメラ的な何かがあると思うのだが…どうなのだろう。今度雅人にでも聞いてみようか。


「早まるなよ、灰崎」


やめてほしい…血は、見たくない。苦手だし、嫌なことを思い出してしまうから、みたくない。何があっても、いいように気を張り詰める。見ないのが、一番だけど…そうも、言ってられない。位置的に、背中を向ける以外見ないで済む立ち位置になれない。


「お父様がいいって言ったの。ウフッ、フフフフフッ!」


ザクリと灰崎は手をカッターで切りつける。ずいぶんと思い切りいったが痛くないのか!? すごいな、その度胸があったらなんにでもなれるんじゃないか。ど、動脈は切っていないんだよ、な?え、死なないよな、その辺の加減はしてる、よな?なんて冷静に考えられたのも、そこまでだった。混ざる思考は、ゆがんでいく。

 そして、うるさい悲鳴を上げた。たいへん耳障りだが、その悲鳴に浮かんでくるものがある。

 そう、あの日も…あの日、も誰かが悲鳴を上げていた。うるさい、甲高い悲鳴、を。飛ばされてきたものを弾き飛ばす。うるさい。やめて、怖い。思い、出したくない。


「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」


血。思い出すのはやっぱりあの日だ。

混ざるように視界いっぱいに映る、赤い血。動けない私の前で、それは広がって行った。今日のことか、あの日のことか…混ざりあって区別がつかなくなる。

真っ赤で深紅で…そしてどす黒くなる血。




 脳裏に浮かぶのは、独りになった、アノヒ。


私の目の前で、父さんは、母さんは。私をかばって、赤い…赤い血まみれに。動かないからだで、みているしかなかった無力な自分。

震える身体を支えるように、腕をつかんだ。冷たくなっていく、体温。


「っあ…」


飛び込んできた、大きな光。そして、ギィイイイという耳障りな音と、鈍い打撲音。

体に走る衝撃。抱え込まれたせいで、何も見えなくなった。暗闇の中、痛くて痛くて…母さんにすがりついた。でも、いつも優しく頭をなでてくれていた手は動かない。

音として認識できない周囲のざわめきと、冷たくなっていく、愛する母と父の体が怖くて…。

涙が、こぼれた。怖い。また、誰かいなくなる。兄さんが、今度は、兄さんかもしれない。死んでしまう。私のせい。



「どけっ!!邪魔だ!」



ふいに耳へ飛び込んできた、聞き覚えのある声。

どこからか湧くように集まった野次馬…もとい生徒たちをかき分け、風堂が、前へ出てくる。大丈夫、今日はあの日じゃない。あれは、過去のことだから…過去の、


「白璃!!」

「ふ…どう」


 強く抱きついて、温かい体温と、力のこもった体にしがみつくようにくっつく。やだ、失うのは…もう、やだ。

 ひっ、と意味のない悲鳴が口からこぼれた。


「しっかりしろ!何があった!?」


凄く、必死な声を出す風堂。

怖かった。たかが、リストカットごときで情けないけど、すごく怖い。血を、みるのがダメなんだと改めて自覚した。


「っ、灰崎が、自分で、手首を切って…」


かすれた声しか出なかったが、仕方ない。

 もう、無理だ。限界を、感じる。

悪いが倒れさせてもらう、風堂。

そう思い、しがみついたまま力を抜いて、意識を手放した。




「う…ん?」


目を開くと、見知らぬ天井が視界に飛び込んできた。

んん?…デジャブ?

後、とても強烈な薬のにおいもする。…保健室か。

なぜか、風堂の手を握りしめていた。温かい…でなくて!慌てて放す。なんで、風堂の、風堂なんかの手を。


「白璃!気が付いたか!」

「あ…ああ」


そうだった、…気絶してしまったのだった。

目の前で、ニコニコと笑いかけてくる風堂がまぶしくてそらした。苦手だ。


「運んで、くれたのか?」

「おぅとも!当然だろっ!俺と白璃の仲だもんな!」


 …。礼を言おうかと思ったが、やめたくなった。明らかに下心のようなものが満載だった。隠しきれていないぞ。大体、風堂と私の仲とはいったいどういう仲だ?


「…重く、なかったか?」


っ、アウト!

今のは言葉の選択を間違えたぞ、明らかに!

こ、これでは、私が風堂に、恋をしているみたいではないか!違う違う違う!そんなことない。そんな、ことないんだからない。ああ、もうっ。



「軽かったぜ?白璃が気にすることじゃねぇよ」

「そ、そうか…」

「なぁ白璃。聞いてもらいたいことがあるんだ」


いつにもなく真剣な表情の風堂。

不覚にも、少しトキメキかけた。か、風邪のせいに違いない。いつもなら、こんなときめくだなんてありえないんだから。考えてもみろ、風堂だぞ。風堂。ないったら、ない。違う、これは恋心なんかじゃない。いらない。


「なん、だ」

「あ、あのな!お、俺さ!お前に!」



たっぷり間をとって、風堂は続ける。何を言われるのかと、ドキドキしながら風堂が言い出すのを待つ。



「恋が叶う本の場所、教えてくれ!」


 …文章が変だ。そうか風堂は、誰かに恋をしているのか。何故だろう…胸が少し、痛いのは。風堂が誰に恋をしていようが、私には関係などないのに。

いい、気付きたくないから考えるのをやめよう。恋愛論理は、燃えてしまったし。


「…はぁ」

「……だっ、ダメか?ダメならテスト勉強を!」

「わかった。助けてもらったし、テスト勉強くらいなら、教える。貴様は何位だ」


あまりにも必死なので、つい了承してしまう。さっき、しがみついてしまったし、迷惑をかけたから、これくらないなら返せる。


「70番くらい?」


そこそこか。

一学年が200人くらいだから…な。でも、上のほうだ。私に比べればまだまだだけど。フフ、ちょっと勝った気分。


「あっ、今馬鹿にしただろ!」

「ふっ。私に馬鹿にされる順位という自覚はあるようだな」

「悪かったな!どぉせ俺は兄貴より頭悪いですよーだ!」

「…私だって兄さんより頭は悪い。気にすることではないだろう。重要なのは、どうするか、なのだぞ?…おい風堂、聞いているのか」


人がせっかく話しているのに。上の空とは、どういうことだ。失礼な奴。いや、失礼は私のほうが犯している気もするが、そういうのはなしで。


「白璃…そんなこと言ってくれんの、白璃だけだよ!」

「だからどうした」

「幸せだ」


はぁ?どうしてそう突拍子もない発言につながるんだか。…クラリと眩暈がした。


「大丈夫か、白璃!顔色が悪いぞ!?」


お前のせいだ、とは直接言えなかった。

ジト目で見ていると、突然風堂の体が前のめりに沈んだ。何事だ。

ギョッとしていると、雅人がベッドの脇に現れた。何をしたのかわからないが、雅人がやったことなのだろう。とりえず、頭をさする風堂を心配してみる。しかし、本当に何が起こったんだ…?


「だい、じょうぶか?」

「貴人ぉ、俺に全部やらせといてお前は保健室でいちゃついてるとかありえねぇだろ」

「いちゃついてねぇよ!んでも、ありがとな兄貴。助かった!」

「全部、って何を」

「白璃チャンは気にしなくていーんだぜ。俺と貴人の取引だからな」


と、とりひき…?

思い当たるのは、さっきの灰崎の件だ。おそらく、というか、それの後始末をしてくれたのだろう。感謝してもし足りない。ギュ、とシーツを握りしめた。しわが寄る。


「そうだぜ。それにな、校内の揉め事の調停は生徒会と風紀委員の仕事だ。だからやらせときゃいんだよ…ってオイ」

「それはあんまりだ。でも、まぁ…ほんとに白璃チャンが気にすることじゃねぇからな。お前、邪魔すんな」


二人同時に、なぜか私の頭へ手を伸ばしてきた。何をされるのかわからなくて身を固くして首をすくめると、二人の手がぶつかり合った。瞬間、にらみあいが始まる。

 なんだか、おかしくて自然と笑いが漏れた。さっき感じた、不安がどこかへ飛んで行ってくれたようでよかった。なんだか、風堂には助けられてばかりだ。精神面でも身体面でも。



 風堂の家に帰らせてもらうと、鈴音さんがニコニコと笑顔で待ち構えていた。


「白璃さん、あなたの部屋ができたのよ。バカ息子たちは放っといて、こっちへいらっしゃい」


え!?私の部屋って、どういうこと。なん、え?

いつの間に、部屋なんてできたの。なんで部屋作ったの。完全に居候をする体制が整えられてる…?


「は…」

「ちょ、待って!俺もついてくから!」

「あ、じゃー俺先風呂入らせてもらうぞ」


 鈴音さんに問答無用で手を引かれて風堂の部屋の前にある部屋へ行く。ここに部屋、あったのか。気付かなかった。工事とか、しないで作ったのか…って、それはないか。いつの間に、用意したのだろう。鈴音さんに対する謎がちょっと増えた。


「白璃さんの部屋は、貴人の部屋の正面。貴人、襲っちゃダメよ」

「お、おそ!?か、母さん!!」

「冗談よ。ほら、開けてみて」

「あ、はい」


 何と言ったらいいのかわからない気持ちでドアを開けた。ドキドキする、でもなくて申し訳ないでもなくて嬉しいでもない。なんだか、混ざり合った気分だ。

 鈴音さんの中で、私がこの部屋を使用するのはもう確定事項となっているのだろう。笑っているくせに笑っていない目が、中を見ろと促してきた。

覚悟を決めて、のぞいてみる。あくまで、のぞくだけ。だって、使うのはその…なんていえばいいのかな、わからないけど申し訳ないようなそうでないような。言葉にするのは難しい。


「っ…」


 天蓋つきの白いベッドが目に飛び込んでくた。ま、って…。次に、淡い水色のカーテン。白茶色の勉強机に本がたくさん入っている本棚も、置いてある。思わず、足を踏み出した。


「白璃きにいらな…って、うわ!これ、どうしたん!?一応言っとくけどさ母さん、白璃は17歳だぞ!」


固まった私の後ろから風堂が部屋を覗き込んだ、ひきつったような声を出して鈴音さんへ文句を言う。それに対して、鈴音さんは勝ち誇った顔をして返した。


「女の子は、いつまでもお姫様です。それに、白雅さんの意見も取り入れてみたの。どうかしら?」

「嬉しい…です」


昔、母さんたちが生きていたころの部屋と、そっくりで。

この風景を覚えていた人がいたことが、嬉しくて。

って、待って。兄さん、何をしているの。いつの間に鈴音さんと面識が…末恐ろしい。無論、2人ともが、だ。

これ、この部屋、本当に使ってもいいのかな。ずうずうしい、とか、言われない、のかな。


「よかったわ。それじゃあ、私は夕食の準備をしてくるわ。…貴人、2人きりになったからって襲わないように」

「なっ、母さんからかうな!!」


鈴音さんが部屋を出ていくと、静かになった気がする。そして、鈴音さんは最後まで風堂をからかうことを止めなかった。…楽しいんだろうな。なんとなくわからないでもない。


「白璃?気に入らないのか?」

「ちがっ、う。嬉しくて…」


突然の、プレゼント。

 もう二度と見られないだろうと思っていた、私の部屋が、目の前にある。そっくりそのまま再現されていた。写真でもあったんだろうか。それとも、兄さんが驚愕の記憶力でも発揮したんだろうか…前者だろうな。

このままでは、泣いてしまう。唇をかみしめてこらえる。みっともなく泣き崩れるわけにはいかないし、何よりも風堂の前で泣きたくない。


「泣きたいなら泣きゃいいだろ。我慢したってしょうがねぇぞ」

「…別に、泣きそうなわけでは」

「ふぅん、じゃあ…頬を伝ってるものはなんですかぁ?」


風堂は面白くなさそうに笑うと、私の頬を手で拭う。わざわざ見せつけるように目の前へ持ってこられた手は、湿っているようだった。だから何だ。気まり悪くて、目元をぬぐった。違うし、泣いてないし。


「…」

「で?」

「これ、は…泣いていないのだ」

「あーそーだなー」

「だからっ、…心配しなくて、良い!」

「ん」


本当に、そっくりで…それがたまらなく嬉しくて…。

ポンポンと黙って頭をなでてくる風堂のせいで、涙があふれて止まらない。風堂、のせいだ。あれほど、泣かないと決めたのに泣いてしまっているのは風堂のせいだから仕方ない。ボロボロとこぼれるしずくは、カーペットに落ちてまだら模様に染めていく。


「白璃、俺出て行こうか?」

「…あ…ああ」


 灰崎の血がとても怖かった。あの日のことが、今までの思い出が、浮かび上がってしまったから。

独りで生きようと思えば思うほど風堂に依存してしまっている気がした。そんなわけないじゃないか、と否定する声は小さい。知っているんだ、気づいているんだ。私の中で風堂の存在が大きくなっていく。

モヤモヤとする、この気持ちに気づいてしまえば、もう戻れなくなる。

それでもいいと思えるか?

自問自答をしてみるが、答えはわからなかった。



「本当は…」


私だって本当は、もっと、自分に素直になって、楽しいことをたくさんして恋をしてみたいと思っては、いる。

けれど。

そんなこと、できない。



 泣いたら、少し気分が良くなった。


「…どうせ、皆いなくなる」


あの、喪失感は怖い

胸にぽっかりと穴が…どんなことをしても埋められない穴ができてしまったようで、苦しくて。

長年、周りとの壁を築いていれば、崩れた時が恐ろしくなっても仕方がないだろう?


私だって…。


普通の女の子みたいに、好きな人のことでキャーキャー言って悩んで。


つまらないことで、泣いて笑ってみたかった。


両親からの愛が、もっと欲しかった。


でも、かなわないからあきらめたんだ。あきらめるのは早かったかもしれない、と思い直せた。

とりあえず、風堂へ「ありがとう」と伝えてみよう。

驚くかな、喜ぶかな。


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