14話 話
「白璃。君の最近の行動は目に余るものがある。華香が、目障りだ、と言ってきてね」
灰崎が。それで今日はおとなしかったのか?それとも、さっきの兄さんのアレが決定打を下してしまったのか…ヤダな、また責任転嫁をしている。
「…はい」
「だから、私が君を引き取ろう。兄さんの子供だし、いつまでも一人で生きていくわけにはいかないだろう?家族の暖かさを知りなさい」
「はい…」
反論なんて、言えない。
言ってしまえばもっと状況が悪くなってしまうのがわかってしまったから。
そんな、簡単に引き取れないのでは、今は兄さんがいるから一人ではないのに、とかは口に出してはいけないのだろう。この男の前では、些細な問題と捉えられているはずだ。それに、ひき取られたところで家族の温かさなんてわかるはずがない。嫌われているのだから。
きっと、断れば断ったらで態度が豹変するだけなのだろうな。
だけど。
「あの、夏休みは、家に居させてもらえませんか。兄さんと、一緒に…いたいのです」
夏休みは…せっかく兄さんと会えたから。
「それは…どうかね、華香」
「ええぇ?クズの提案なんて聞く必要ないじゃない。目障りなのよ!?」
気が付けばバルコニーにいた灰崎に意見を叔父は求めた。
だから、嫌なんだ。無言で私を見る灰崎の目が迷うように動いた。少しだけ、期待してしまった。けれど、その期待はすぐに裏切られる。だって、灰崎が首を横に振るから。
「…」
やはり、ダメだったか。
そう…だよな。私の願いなど、叶わない。言うだけ無駄だったか。
パァンという音と共に頬に感じる鈍い痛み。勢いに負けて首が底を向く。痛い。
頬を抑えて、目の前に立った灰崎を見る。平手で、叩かれた。殴られるようなことはしていないはずなのに、どうして。
「白雅君と貴人様に、何がここであったのか言わないなら、いいんじゃない?本当はグーで殴りたかったんだから、感謝しなさいよね!」
清々した、と吐き捨てて灰崎はバルコニーから出ていき、叔父も慌てて後を追いかけ出て行った。
「白璃…?今の音は一体?」
「兄さん…」
頬が赤くなっているのを、見つけられないように顔をそらす。我ながら自然な動きだったと思う。
「白璃。頬が赤くなっているけど…クズに殴られたのか!?」
…遅かったらしい。見つかった。だから、どうしてクズだなんて言うんだ。兄さんが、そんなことを思う価値のある人たちじゃない。それに、私のほうが、よっぽどクズだ。
咄嗟に浮かんだ嘘を、つく。
「なんでもない。手すりに寄りかかってウトウトしていたら跡がついてしまっただけだ」
「…そう。ねぇ、独りで抱え込んじゃだめだよ?白璃。僕が居るよね?頼りないの?ずっと、独りにしていたから信用ないのかな…ごめんね白璃」
悲しそうに笑う兄さん。
違う。私は兄さんにこんな顔をさせたいわけじゃないのに。
どうして、ダメなのだろうか。私じゃ、ダメだっていうのか。
明るく聞こえるよう、無理をして弾んだ声を出す。笑顔も、浮かべる。こういう時は仕事をしてもいいんだぞ、表情筋。
「さっきね、叔父さんが私を夏休みが明けたら引き取るって、言ってくださったの」
「断ったよね?」
ごめんなさい、兄さん。すがるような貴方の目を、私は裏切る。
「ううん。兄さんの…迷惑になるといけないから。それに…断って、兄さんがやっと掴んだ夢を壊させるわけにはいかないよね」
「白璃!なんでそんなこと、するの!僕のことはどうでもいいの!?少し、意見を聞いてくれてもよかっただろ!そんなに、頼りない!?」
違う。違うんだよ兄さん。だって、断ったら傷つくのはきっと兄さんだ。私が言うことを聞かなかったら、アイツは、兄さんを傷つけようとしてくる。兄さんは、芸能人だから、ほんのわずかなスキャンダルが命取りになってしまうじゃないか。
「だって、私は…もう、誰かが傷つくのを見たくない」
「バカ白璃!」
兄さんの手が振りあがる。また、叩かれるのか。何の感傷もなく見つめた。痛いのは、嫌かな。
予想に反して、兄さんは私の頬を叩く寸前で止めた。ぱちくりと瞬きをして、首を傾げる。どうして、叩かないんだろう。
叩く代わりに、兄さんは抱きついてきた。
「兄さん?」
「叩けるわけがないだろ。大切な…妹なんだ」
「泣いて、いるのか?」
「違うよ」
「そう…」
では、兄さんの頬を伝う水滴は、雨、なのだな。
空は、依然として曇天のまま。
どうして、泣かせてしまうのだろう。
「困ったら、誰かに相談してよ。僕でも、それこそ不本意だけど風堂君でもいい」
「…困ったら」
「楽しい、夏休みにしようね。思い出を、たくさん…作ろう」
「…そう、だな」
最後の別れになるわけでもないのに。小さくうなずいた。
柔らかいものが頬に触れ、あぜんと兄さんを見上げる。今、のは…唇?
そんな私の反応を見ないで、兄さんは会場に戻っていく。しゃんとした後ろ姿を、目で追った。
でも。
ごめんなさい、兄さん。きっと私は誰にも相談をしない。巻き込むのが、怖いから。
そのまま手すりに寄りかかって1人空を見上げていると、後ろから目隠しをされた。急に暗くなった視界に、溜息をつく。そんな気分じゃないんだ。
「風堂貴人だろう。やめろ」
「ちぇ。全く…なんで白璃はわかんだよ」
風堂貴人はあっさりと手を放し、手すりから離れた私の前へ回り込んできた。
「…」
「え、無視!?」
うつむいて、風堂貴人の顔を見ないようにする。
「どうして…」
「ん?」
「どうして貴様は、私に関わろうとするのだ?」
「そりゃ…まぁ、あー…」
このまま、風堂貴人といてしまえば、巻き込んでしまうかもしれない。
それにコイツは、私のことに、やたらと首を突っ込みたがるから…なにか、しでかすだろう。そんな、確証のない予感がよぎった。
「あまり、私に関わらない方が…良い」
「なっ…んでだよ!?」
「…」
一方的に話をやめ、広間へ戻ろうとしたら腕を強く引っ張られ引き戻される。
「放せ!」
そしてそのまま強く、抱きしめられた。やめてほしくてもがく。でも、手は離れないどころか逆に抱きしめる力が増していく。苦しいくらいに、締め付けられる。
「何をする!」
「灰崎に、頬、叩かれたんだろ。偶然、見ちまったぜ。2対1なんて、卑怯だな」
下を向いていると、頬をつかまれた。強引に、上を向かされる。風堂貴人の、目が、心配するように見てきた。真摯な、目。
睨み付けてみる。全く動じない、風堂貴人。悔しい。私は、独りでいいのに。助けなんて、いらないのに。いらない、のに。
「なぜ…関わろうと、するのだ。良いことなど、何一つないのに。私は、普通の女の子に、なれないから…」
「それがどうした。俺は、白璃のそんなとこが、好きだ」
「私は、…大嫌いだ」
ゆっくりと、つむぐ。そうだ、嫌いなんだ。好き、だなんて言われて動揺しているわけじゃない。
風堂貴人が、ずっと嫌いだった。だって、こいつのせいで私はおかしくなる。そうだろう?こいつが、いなかったら…かまってこなかったら私はいつまでも一人でいられたんだ。
心なしか焦ったようで、頬から手が離された。それを機に、大きく一歩ドアのほうへ離れる。詰められることのなかった一歩分の空間が、妙に隙間を主張してきた。
「…なっ、なぁなぁ、それ、俺に言ってんの?」
「貴様のせいで、私が築いた壁は削り取られて、虚勢を張ることですら、難しくなっていっているだろう。今まで、ずっと、独りだったのだ。今更…信じられるわけがなかろう!」
「そうかよ」
不機嫌そうな声に、顔。
距離を詰められてた。開けた空間が消える。腕で顔を覆い隠すも、無理やり暴かれた。力のこもった腕に、奴の怒りを感じた。
ああ…私は、不器用だな。
どうして…怒らせることか、悲しませることしか、できないのだろう。
「全部、全部。諦めようと、決めたのに。誰ともかかわるつもりなど全くなかったのに。どんなに振り払っても貴様は、こちらへ近づいてくる」
風堂貴人の手の力がゆるんだので、下を向く。
どうしてといつも思う。どうして、私にかまうのか。放っておいてくれればいいのに。
「私は、独りで良いのに。寂しくなど、なかったのに。貴様が…」
「俺のせいかよ!?」
「ああ、そうだ貴様のせいだ。どうしてくれる!」
胸に湧いた言葉に表すことのできない、モヤモヤとした気持ちを風堂貴人へぶつける。原因がこいつなのだから、構わないよな。
「だって、なぁ?」
「だから、…大嫌いだ」
「え、困ったなぁ」
その割には困っているように見えないが。…やめろ、腕をつかむな!先ほどよりも力の弱まった手は、それでも振りほどけなかった。…貧弱?そんなわけないだろう。きっと、奴の力が強いだけなんだ。
「…」
「ま、いーじゃん?細かいことは気にすんなよ。さ、打ち上げに戻ろうぜ」
手を引かれ、私は再び広間へ戻ることとなった。解散まで、外にいようと思っていたのに。
ちらりと見えた空はいつのまにか快晴だった。




