何もしてくれなかったあなたが、今さらお気持ち表明されたところで
私は幼いときからずっと、王宮の端にある離宮で生きてきた。
父を殺して国王の座を奪った叔父が、私をここに閉じ込めているからだ。
一緒に暮らしているのは、折あらば「アミタ殿下は正統な王女でいらっしゃるのに、こんな扱いはあんまりです」と泣く乳母のヒーラだけ。
「今の国王陛下は権力欲にかられて聡明なる先王陛下を殺したのですわ。挙句の果てに王妃様を自分の妻にしてしまうなんて!なんと強欲で恐ろしいことでしょう」
そんなヒーラのつぶやきを聞きながら庭を散歩していると、ぐすぐすと泣き声が聞こえた。
「誰?」
はっとこちらを見たのは、金髪に青い目をした、まるで人形のようにきれいな顔をした男の子だった。
「あなたは誰?」
「ゴパル王の子、ダラム」
隣にある小さな国の王子で、政情不安のため、親から離れて一人でこの王宮に預けられているらしい。
「何歳なの?」
「八歳」
「私より一つ年下ね」
そんな会話から始まって、私たちは毎日一緒に遊ぶようになった。
遊び相手がいなかった私たちにとって、寂しさと退屈を埋めてくれる互いの存在は、これ以上なく貴重だったのだ。
あるとき、ダラムが故郷を想ってぼろぼろと泣いた。
「どうしてアミタは平気でいられるの?母上と離れて、こんなボロボロの離宮に閉じ込められて、平気なの?」
両親が揃っていたころの暮らしを忘れたことはない。あのころの暮らしに比べたら、今は地獄と言っていい。
けれど一日二回食事を運んでくれる下働きによれば、ここでの暮らしは、この国の民の暮らしに比べたらよほどいいそうだ。
《一日に二回も食事ができるのは、貴族の皆様だけです。それに民は寝るときは床に直接寝ます。両親ともいない孤児もたくさんおります》
私は閉じ込められながらも食事を与えられ、ベッドで寝られ、命を奪われずに生きている。
母も生きているし、私の命を守るために、夫を殺した男の妻になって耐え忍んでくれている。
生かされていることに、感謝しているくらいだ。
私がそう答えると、ダラムは涙を拭いた。
「…僕もアミタみたいに強くなる。強くなって、ゴパルの王になって、アミタを元の暮らしに戻してあげるから」
私はにこっと笑った。
「そうなったら、私は民が一日に二回ご飯を食べてベッドで寝られるようにしてあげたいな」
「…アミタは本当にかっこいいや」
◆
「またこの夢…」
十八歳になった私は、あのころよりずっと古く暗くなった離宮で目を覚ます。
この九年で、ダラムは国に帰り、母は叔父の子を出産するときに死んだ。ヒーラは故郷に帰され、食事は一日一回になり、シーツは自分で洗うようになった。
そしてこの九年、離宮の外でなにか聞きなれない音がするたびに、ダラムが助けに来てくれたのではないかと期待しては、なんでもなかったとわかって落胆することを繰り返した。
何度も期待しては裏切られることに疲れて、「国に帰ったダラムが、強くなって王になって、私を助けに来てくれる」という夢は、捨てたはずなのに…
「なんで今も夢に見るの」
身支度をしながら、まるで自分で自分を嘲笑っているかのような気分になったとき、大きな音がした。
「アミタ!」
隠れる暇もなく寝室の薄っぺらいドアが開き、叔父が姿を現す。手には剣。
「死ね!」
なぜいきなり。なぜ今さら。考える暇もなく、ただ剣から顔をそむけることしかできない。
痛みに備えるけれど、何も起きない。
「がっ」という声がして怖々目を開けると、叔父はささくれだった木の床に倒れていた。彼の身体の下に血が流れ、その上を王冠が転がって、赤く染まる。
叔父を見下ろしているのはダラム…ではなくて。
「王女殿下、ご無事ですか。お怪我はございませんか」
大柄な男が、私の前に跪いた。
「王女様の目の前でこのような殺生、申し訳ございません」
黒い髪に、赤い目。
首に奴隷の焼き印がある。この国に多い、奴隷出身の軍人だ。
「将軍のスレンと申します」
いかつい風貌のわりに優しい声の彼は、叔父に対してクーデターを起こしたのだと、淡々と説明する。
「そう…つまりあなたが新しい王になるのね。それで、私に妻になれと?」
「身分をわきまえぬことを申し上げているのは承知しておりますが…ええ」
奴隷軍人が王となるなら、権威が必要だ。臣下や民から慕われていた先王の娘を妻にすれば、手っ取り早い。叔父は私が彼の手に渡らぬよう、私を殺しに来たのだろう。
彼は頭を下げた。
「クーデターを起こした身で信じていただけないかもしれませんが、私はこの国を平和でよい国にしたいのです。ぜひ王女殿下のお力添えをいただきたく」
断ったら、殺されるのだろうか。
――死にたくない。
「わかったわ」
◆
「アミタ…!!」
ゴパルに戻っても、アミタのことを忘れたことはなかった。むしろ時間が経つほどに、彼女への想いは強くなった。
「早く彼女を迎えに行きたい…!」
「でも今はまだ…!もっと力をつけて、誰にも文句を言われることのない立場になったら…!!」
そうやって過ごしていた僕の耳に飛び込んできたのは、アミタが奴隷王スレンと結婚したという知らせだった。
クーデターを起こした将軍スレンが離宮に押し入り、アミタの目の前で王を斬り殺し、恐怖に震える彼女に結婚を迫り、そのまま即位したのだと。
「なんたる横暴…!すぐ助けに行かないと!」
僕は父に「アミタを奴隷王から奪い、結婚したい」と申し出た。
「だめだ」
「どうしてですか」
「小国の我が国には、彼の庇護が必要なんだ。逆らうことなんてできない」
「だけど、このままではアミタは…!」
もし僕のアミタが、奴隷の子を妊娠なんてさせられたら。
そう思うと居ても立ってもいられなくて、僕は父の反対を押し切って、アミタの国にやってきた。
新王の即位を祝うという名目で。
国のどこにでも新王の肖像画が掲げられて、民が奴隷王の誕生を祝っているのが気にくわない。
奴隷なんかに頭を下げなきゃいけないのも。
「ゴパルの王太子殿下はこの国に滞在していたことがあると聞いた」
「はい、国王陛下」
「アミタとも交流があったとか」
「お前ごときが、アミタの名を軽々しく呼ぶな」と言いたい。
「アミタも嫌な顔をしているだろう」と思ってちらりと目線を上げたら、アミタは「昔のことですよ、スレン」と奴隷に笑いかけていた。
僕のほうを見もせずに、奴隷の脚にたおやかに手を乗せて。
――どうしてだ、アミタ。
なんでそんな男に笑いかけるんだ。
僕を見てくれ。僕は約束通り、君を助けに来たんだ。
夜、アミタの部屋の扉を叩く。
「アミタ、助けに来たよ。一緒に逃げよう」
「何をおっしゃっているのですか、王太子殿下」
「何って、約束したじゃないか。強くなって、ゴパルの王になって、それで元の暮らしに戻してあげるって」
アミタはふっと笑った。僕はほっと安心するけれど、彼女の言葉は予想外のものだった。
「私はもう元の暮らしに戻っておりますよ、王太子殿下。夫のおかげで」
「あの男のおかげだって…!?」
「言葉にご注意を」
彼女の声が冷たく、目が厳しくなって、ぞくりと背中が凍る。
「国王である夫が、私を玉座の間に連れ帰ってくれたのです。そして民が一日に二回ご飯を食べてベッドで寝られる生活を叶えられるよう、力を貸してくれています」
「だめ…だめだ、違う、そんなの!」
アミタを救うのは僕だったはずだ。
誰よりも昔からアミタを愛していて、アミタのことを想い続けてきた僕のはずだ。
「僕の気持ちの大きさがわかるだろ、アミタ。八歳のときから君のことだけ好きなんだ。だから君は僕を選ぶべきだ。ずっとずっと一途に君を想い続けて、ついに君を助けに来た僕を!」
アミタは首を傾げた。
「今までなんの助けにもならなかったそのお気持ちの大きさに、今さらどんな価値が?」
「え…」
「あなたは私を想っていたとおっしゃいますが、想っていただけですよね?私を想いながら、ただ安全な場所で過ごしていただけ。そしてすべてが終わってから、会いに来ただけ」
「だけど、君の母上が亡くなったと聞いたときは、君の悲しみを想ってどれだけ涙したか…!」
アミタはまたふふっと笑った。
「今さらそんなことを聞かされたところで、少しの慰めにすらなりません。お使い一人寄越してくださらなかったのに」
何も、言い返せない。
彼女の母が亡くなったと知ったのが遅くて、今さら使いをやってもと思ったし、国内の平定に忙しい父上にお願いするのも気が引けて…
そんな言い訳しか浮かんでこないから。
「あなたが私を想って泣いていただけの期間に、夫は民のために命を賭してクーデターを起こし、憎い叔父を殺し、私を離宮から出してくれて、権力を与えてくれたのです。どちらを選ぶか、考えるまでもないのでは?」
待ってくれ、アミタ。
「権力のために、僕の愛を捨てたのか…?僕の愛はそんな簡単に捨てられるようなものだったのか!?君はそんな女だったのか…っ」
アミタはじっと僕を見つめる。
「待っていたのよ、ずっと。でもダラムは来なかったじゃない。来てくれたのはスレンだった」
「だけどあの奴隷は、権力のために君を…!」
アミタはすっと姿勢を正した。
「始まりはそうでしたわ。けれど、どんな始まり方からも、生み出そうと思えば、新しい愛は生まれてくるもの。何の助けにもならない古い愛に囚われてばかりでは、生きていけませんわ」
僕の愛も、僕の存在すらも、彼女にとってはもう、過去になっていた。
《今までなんの助けにもならなかったそのお気持ちの大きさに、今さらどんな価値が?》




