第6章 嵐の分岐
港町に着いたとき、空の色はすでに変わっていた。
昼間の青は消え、灰色の雲が低く垂れ込めている。
海の色も暗い。重たい鉛のような波が、岸壁にぶつかっていた。
潮の匂いを含んだ風が強く吹く。
エレナは思わず空を見上げた。
「……ほんとに来る」
遠くの雲の奥で、かすかに光が走った。
雷だ。
ルシアンは迷いなく港の方へ歩いていく。
長い外套が風に翻る。
「船はまだ出ているな」
低く言った。
エレナはぎょっとした。
「え、ちょっと待ってください」
「なんだ」
「監察官って……」
言いにくそうに言う。
「もっとこう……」
「塔の上で星見てる仕事じゃないんですか?」
ルシアンは一瞬だけエレナを見た。
「それは占星府の学者だ」
淡々と答える。
「監察官は違う」
そして港を指さした。
「星読みが現実で何を起こすか」
「それを確認するのが仕事だ」
さらりと言って歩き出す。
エレナはぽかんとした。
(え)
(最高位の占星術師だよねこの人)
(なんで現場来てるの、確認するにしても方法としては報告させての把握だよね、普通そうよね)
普通、占星術師は安全な塔の中で星を読む。
災害が起きれば、現場に行くのは役人や兵士だ。
だが。ルシアンはすでに岸壁に立っていた。
海を見ている。
風がさらに強くなる。
漁師たちが空を見上げ始めていた。
「嵐か……?」
「まだ大丈夫だろ」
そんな声が聞こえる。
ルシアンは静かに言った。
「違う」
声は大きくない。
だが不思議と周囲に届いた。
「あと一刻で来る」
港がざわつく。
「船を戻せ 今すぐだ」
漁師の一人が眉をひそめた。
「誰だあんた」
ルシアンは外套の留め具を外す。
黒い紋章が現れた。
占星府監察官の印。
空気が変わる。
「……監察官」
誰かが呟いた。
ルシアンは短く言う。
「船を港の内側に入れろ」
「大きい船は東の湾へ」
「この岸壁は危ない」
その時だった。
エレナの頭の中に、先ほどの星の星の配置が浮かぶ。
風の星。
水の星。
そして。その先の分岐。
エレナは息をのんだ。
「待って!」
思わず叫ぶ。
ルシアンが振り向く。
エレナは必死に言った。
「東の湾、危ないです!」
「え?」
「もし船が全部そっちに集まると……」
彼女は空を指さした。
「風が回ります!」
ルシアンの目が細くなる。
「回る?」
エレナは早口になる。
「今の星の流れだと、嵐は最初西から来ます」
「でも港の船の動きで風が乱れると」
「途中で流れが変わる」
頭の中で、未来の線が分かれていく。
一つは。
船が東の湾に集まり、
突風で岸に叩きつけられる未来。
もう一つは。
船を分散させて被害を減らす未来。
エレナは息を吸った。
「三つに分けてください!」
「え?」
「船を!」必死に言う。
「東、西、沖!」
「そうすれば風が散ります!」
港の人々が困惑する。
ルシアンは一瞬だけエレナを見た。
ほんの数秒。
そして。すぐに振り向いた。
「船を三方向に分散」
迷いなく言う。
「東湾は三隻まで」
「残りは沖へ出せ」
「岸壁は空けろ」
指示は短く、鋭い。
漁師たちは顔を見合わせた。
だが監察官の声には、妙な説得力があった。
「急げ!」
誰かが叫ぶ。
船が動き始め、ロープが外される。
空が光った。
稲妻の次の瞬間、轟音が響く。
風が吹き荒れた。
嵐だ。
海が暴れ狂う。
大波が岸壁にぶつかる。
エレナは思わず息をのんだ。
(本当に来た)
もし船が密集していたら。
確実にぶつかり合っていた。
だが。
船は三方向に散っている。
波は荒いが衝突は起きない。
嵐はしばらく暴れたあと、ゆっくりと遠ざかっていった。
港に静けさが戻る。
漁師の一人が言った。
「助かったな……」
誰かがルシアンを見る。
「監察官のおかげだ」
だがルシアンは首を振った。
「違う」
そしてエレナを見る。
「こいつだ」
エレナは目を瞬いた。
「え」
ルシアンは淡々と言う。
「未来の分岐を読んだ」
「普通の星読みにはできない」
エレナは固まる。
周囲の視線が集まる。
ルシアンは続けた。
「星は警告しか出さない」
静かな声。
「だが
人間の行動で未来は変わる」
そしてエレナを見る。
「お前はその分岐を読む」
少しだけ目を細めた。
「面白い能力だ」
エレナは顔が熱くなるのを感じた。
その時。
風が少し吹いた。
雲の隙間から、夕方の光が海を照らす。
ルシアンは空を見上げた。
「……外れてはいなかったな」と小さく呟く。
エレナは思う。
この人はたぶん。
未来を当てたいわけじゃない。
未来を変えたいんだ。
星に従うためじゃなく。
星に抗うために。




