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第5章 嵐の前

第5章 嵐の前


その日、王都の空はどこまでも高かった。


雲ひとつない青空。

石造りの街は陽光に照らされ、広場には穏やかな人の声が満ちている。


こんな日に災害など来るはずがない。


 


――普通なら、そう思う。


占星府の塔の最上階。

観測室の窓は大きく開かれていた。


風が紙束を揺らす。


エレナは星図の上に身を乗り出していた。


 


「……おかしい」


小さく呟く。


 


紙には計算式と星の位置が書き込まれている。


だが、どうしても噛み合わない。




「この配置だと……」


 


彼女は窓の外を見上げた。


昼の空に星は見えない。

それでもエレナの頭の中では、星々の位置がはっきりと浮かんでいる。


 


火の星が東に寄り、

風の星が不自然に揺れている。


その組み合わせが意味するもの。


「嵐……?」




しかし、王都は内陸だ。大きな嵐は滅多に来ない。


エレナは計算を見直した。


 (でも……)


違和感が消えない。


その時だった。




「まだそこにいたのか」


低い声。


振り向くと、扉のところにルシアンが立っていた。


先ほど監察官補佐の件を了承する旨を伝え、


監察官室を辞しためようやく圧力から放たれたところだったので、体が驚いてびくりとする。


黒い監察官の外套。長い脚。

整った顔立ちは相変わらず冷たい。


だが窓から差し込む光が横顔を照らして、彫刻のように輪郭を際立たせていた。


エレナは圧を忘れ、思わず一瞬見とれる。


(……顔がいい)


 


そしてすぐに咳払いした。


「星を見てました」


 


「見ればわかる」


 


ルシアンは歩いてくる。


足音は静かだ。


 


机の上の星図を見下ろす。


 


「嵐か」


 


エレナは驚いた。


 


「わかるんですか?」


 


「この配置なら誰でも読む」


 


さらりと言う。


 


「ただし」


 


ルシアンは紙を指で軽く叩いた。


 


「王都に来るとは限らない」


 


「え?」


 


「星は嵐の存在を示すだけだ」


 


淡々と続ける。


 


「場所も規模も、人の動きで変わる」


 


エレナは目を瞬かせた。


 


「星は未来を示すんじゃ……」


 


「違う」


 


即答だった。


 


ルシアンの視線がエレナに向く。


 


その灰色の瞳は鋭い。


 


「星は未来を告げない」


 


静かな声。


 


「星は警告を出すだけだ」


 


観測室に風が吹き込む。


 


紙がぱらりとめくれた。


 


「嵐の可能性がある」


 


「それだけだ」


 


「起こるかどうかは、人間が決める」


 


エレナは黙った。


 


その言葉は、どこか祖父の言葉に似ていた。


 


ルシアンは窓の外を見る。


 


「だが」


 


少しだけ声が低くなる。


 


「この配置は嫌いだ」


 


「え?」


 


「風の星が揺れすぎている」


 


彼は机から紙を一枚取る。


 


さらさらと計算を書いた。


 


無駄のない筆跡。


 


「港だ」


 


短く言う。


 


「王都じゃない」


 


「南の港町」


 


エレナは目を見開いた。


 


「え……でも距離が」


 


「関係ない」


 


ルシアンは外套を翻した。


 


「行くぞ」


 


「え?」


 


「確認する」


 


エレナは慌てて立ち上がる。


 


「い、今からですか?」


 


「災害は待ってくれない」


 


その言葉には迷いがなかった。


 


観測塔の階段を降りる。


 


外へ出ると、さっきまでの青空がどこか違って見えた。


 


風が少し強い。


 


遠くの空に、薄い雲が伸びている。


 


ルシアンは空を見上げる。


 


髪が風に揺れた。その横顔は静かで、冷たくて、そしてどこか鋭い。




「覚えておけ」


低い声が言う。


 


「正確に読むことを至上とするのが


占星府の方針だが、


星読みは未来を当てる仕事じゃない」


 


彼は歩き出した。 


「未来を変える仕事だ」




エレナはその背中を見る。 


長い外套が風になびく。




(……この人)


 


胸の奥が少しだけ高鳴る。


冷たい監察官だと思っていた。


けれど初めて思う。


(この人、たぶん)


ただ冷たいだけじゃない。


 


むしろ。


 


誰よりも強く、未来を疑っている人だ。


そしてその時。




遠くの空で、

かすかに雷が鳴った。


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