第4章 祖父ノクティス
第4章 祖父ノクティス
学院を出たとき、空はもう夕方だった。
西の空が橙色に染まり、街の屋根の向こうに長い影を落としている。
エレナは石畳の道をゆっくり歩いていた。
頭の中で、さっきの言葉が何度も繰り返されている。
――私の下で働け。
ーー監察官補佐として。
「……なんで私なんだろ」
小さく呟く。
不合格にしておいて、実務に同行しろと言う。
意味がわからない。
しかも。
――アレクシス・ノクティス。
なぜ祖父の名前を知っていたのか。
エレナは立ち止まった。
深く息を吐く。
「……帰ろう」
祖父のところへ。
迷ったときは、いつもそうしてきた。
翌朝。
エレナは小さな駅のホームに立っていた。
王都から離れた、田舎の町。
列車はゆっくりと走り、やがて平原の中へ入っていく。
窓の外には、広い空があった。
王都の空よりも、ずっと大きい。
エレナはぼんやりと空を見上げる。
(おじいちゃん、なんて言うかな)
祖父、アレクシス・ノクティス。
かつて王国でも指折りの星読みだった人。
だが今は、田舎の隠居人だ。
昼過ぎ。
列車を降り、細い道を歩く。
丘の上に、小さな家があった。
石造りの古い家。
その横には、小さな観測塔が立っている。
祖父は領地の経営を父母に譲ると同時に、
住み慣れた領主館を離れて1人でここに住んでいる。
エレナは扉を叩いた。
「おじいちゃん」
中から声がする。
「開いてるぞ」
エレナは扉を押した。
部屋の中は、いつも通り本だらけだった。
古い星図。
紙束。
机の上には散らばった計算用紙。
そして、その中央に。
白髪の老人が座っていた。
細い体。
だが背筋はまっすぐだ。
アレクシス・ノクティス。
祖父は顔を上げた。
少し目を細める。
「エレナか」
「ただいま」
祖父はふっと笑った。
「今日は試験だったな、どうだった?」
エレナは鞄を置き、椅子に座る。
少し考えてから言った。
「落ちた」
祖父は眉を上げた。
「ほう」
驚いたような、そうでもないような声だった。
「理由は?」
「監察官が不合格にした」
祖父の手が止まる。
ペン先が紙の上で静止した。
「誰だ」
エレナは答えた。
「ルシアン・ヴェリオナ」
沈黙が落ちた。
祖父の表情が、ほんのわずかに変わる。
エレナはそれを見逃さなかった。
「知ってるの?」
祖父はすぐには答えなかった。
やがてペンを置く。
「……名前だけは」
曖昧な言い方だった。
エレナは腕を組む。
「それで
その監察官に呼び出された」
祖父の視線がエレナに戻る。
「ほう」
エレナは言葉を続けた。
「不合格にしたのは自分だって、
でも才能の問題じゃないって」
祖父は黙って聞いている。
エレナは少し息を吐いた。
「そのあと
「おじいちゃんの名前も出た」
祖父の瞳が細くなる。
「……ほう」
「それで
私の下で働けって」
部屋が静まり返った。外で風が鳴る。
祖父はしばらく動かなかった。
やがてゆっくりと立ち上がる。
窓の外を見て、
遠くの空を見上げる。
「監察官の補佐として」
エレナが付け加える。
祖父は小さく息を吐いた。
「……なるほど」
エレナは首をかしげる。
「なるほど?」
祖父は振り返った。
その目は、どこか遠いものを見ている。
「エレナ」
静かに言う。
「その男は」
一拍置く。
「優秀だ」
「え」
意外な言葉だった。
祖父は椅子に戻る。
「少なくとも」
「無能な監察官ではない」
エレナはすこし言い返したくて、腕を組んだ。
「でも冷たい」
祖父は少し笑った。
「監察官はだいたいそうだ」
「星読みの結果は、人の運命を変える。
優しいだけでは務まらん」
エレナは少し黙った。
祖父はエレナを見る。
「それで」
「お前はどうしたい」
エレナは天井を見上げる。
少し考えてから言った。
「……わからない」
正直な答えだった。
祖父は頷く。そしてゆっくりとため息とともに吐き出した。
「なら....一度行ってみろ」
エレナは祖父を見る。
祖父は静かに続けた。
「その男が」
「お前に何を見ているのか
確かめてこい」
窓の外では、夕方の星がひとつ光り始めていた。




