第8話 訓練は遊びから入る
【アルノルト視点】
クレアの街での初訓練を翌週に控え、俺は小屋の前で小さなナイフを手に、木の板を削っていた。
平らにならした盤面に升目を引き、指先ほどの大きさに切り分けた木片には「歩兵」「騎兵」といった文字を焼き付けて駒にする。サイコロも粘土を固めて作った手製のものだ。
「あら、アルノルト様、何を作っておいでですの?」
洗濯物を干し終えたリナが、不思議そうに俺の手元を覗き込んできた。
「ああ、これは訓練で使う教材さ。まあ、ただのゲームだがな」
俺がそう言って笑うと、リナはますます首を傾げていた。
その傍らで、ブロックは「ちと、肉とってくるだ」と言い残し、巨大な斧を担いで森の奥へと消えていった。
そして一週間後、俺たちは約束通りクレアの街へ来ていた。もちろん、リナとブロックも一緒だ。
街の外れ、街道の隅に、訓練場とは名ばかりのただの広場と、日除けの小屋が用意されていた。
そこに集められた二十人ほどの兵士たちは、整列するでもなく、思い思いに話し込んでいる。
「あーあ、訓練なんてダリィよなー」
「そうだな、俺、このあとデートがあるんだ」
「お前なんかフラれちまえ!」
どうやら、規律という概念はあまりないらしい。
そんな兵たちの様子に隊長のセラがこめかみを押さえていたが、やがて意を決して一歩前に出た。
「これより、軍師アルノルト殿による練兵を開始する! 各々気合を入れ、整列せよ!」
兵士たちは渋々といった様子で、こちらに注目する。だが、その中にも数人、目に闘志を宿している者たちがいた。先日の戦いで、俺の指揮を間近で見ていた者たちだろう。
「あー、諸君、そんなに畏まらなくていいぞ。訓練といっても、今日は簡単な遊びだ。審判は俺が務める。これから二人一組でゲームをしてもらうんだが、まずは手本として、セラ隊長と……そこの君にやってもらおう」
俺は、やる気に満ちた顔つきの少年兵に指をさした。
「君、名前は?」
「はいっ! リックと申します!」
こうして、世にも奇妙な訓練が開始された。
「今回は、平原で二つの軍勢が同数で正面からぶつかるという、簡単な状況でゲームをしてみよう。まあもっとも、実際の戦では同数なんて、まずあり得ないけどな」
俺が軽口をたたくと、兵たちの間から「へっへっへ」という乾いた笑いがこぼれた。
「それぞれ、自分の番に全ての駒を一度だけ動かして、敵を全滅させたら勝ちだ。まあもっとも、本当に全滅するまで戦う軍なんて、これまたあり得ないがな」
今度は「はっはっは」と、先ほどより大きな笑い声が響いた。兵たちの表情から、少しずつ険が取れていく。
「あと、ハッキリ言って、このゲームは先手有利だ。先に攻撃できるからな。どうする、セラ隊長にリック君。どっちが先手になる?」
するとセラは、ふっ、と不敵な笑みを浮かべた。
「リック、お前に先手を譲ってやろうではないか!」
「よ、よろしいのですか!? では、お言葉に甘えさせていただきます!」
地面に置かれた盤を挟んで、二人が駒を並べる。
ゲームは各駒に兵数が割り当てられており、攻撃のたびにサイコロを振って、出た目に応じて相手の兵数を減らしていく。兵数の記録は、脇に置いた紙に書き込んでいく仕組みだ。
最初は、互いに歩兵を前進させ、正面からぶつけ合うだけの単調な展開だった。やる気のなかった兵たちも、いつの間にか盤上の戦いに引き込まれ、固唾をのんで見守っている。
戦局が動いたのは、中盤だった。
「おおっ!」
誰かが声を上げた。リックから見て右翼で衝突していた騎兵隊が、ついにセラの左翼騎兵を撃破したのだ。
「いけぇ、リック!」
「隊長、しっかり!」
兵たちの間で、ヒューッと口笛が上がる。
リックの右翼騎兵は、その機動力を活かしてがら空きになったセラの左翼を駆け上がると、そのまま背後に回り込み、中央の歩兵隊に襲いかかった。
「おっと、ここでこのゲームの重要ルールだ。背後からの攻撃は、与える損害が三倍になる。ちなみに側面からは二倍だ。計算できない者のために、損害表も用意してあるぞ」
「なっ! ひ、卑怯な!」
「ふっふっふ、セラ隊長。戦いに卑怯もなにもありませんよ」
俺の解説に、セラが素で悔しそうな声を上げる。外野からも「そうだそうだ!」「リック、やっちまえ!」と声が飛ぶ。
勝敗は、言うまでもなくリックの圧勝に終わった。
「やったー!」
その場で飛び上がって喜ぶリックの隣で、セラは「くっ……!」と半泣きになって震えている。
俺はパン、と手を叩いた。
「さて、次にこのゲームをやってみたい者はいるか?」
その瞬間、その場にいた兵士全員が、ザッと手を上げた。
もちろん、セラとリックも雪辱戦とばかりに手を上げている。そしてなぜか、兵士ではないリナとブロックまで、興味津々といった顔で手を上げていた。
「よーし、それじゃあ、トーナメント戦といくか!」
こうして、熱の入った机上訓練は夕刻まで続いた。
あれだけ統率のなかった兵士たちが、帰る頃にはなぜか綺麗に整列し、俺たちを見送っていた。ゲームを通して、彼らの間に不思議な一体感が生まれたようだ。
別れ際、俺はセラに盤と駒のセットを渡した。
「これは置いていこう。同じ物を街の木工職人にいくつか作らせてくれ。これは俺の手作りだからな。いかんせん、出来が悪い」
「はっ、お任せください! 軍師アルノルト殿!」
俺たちは今日の講義料と、お土産に美味い酒まで持たされ、上機嫌で我が家への帰路につくのであった。
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