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若隠居軍師はのんびりスローライフを送りたい(送らせてもらえません)  作者: 塩野さち


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第5話 軍師アルノルト、再始動

【アルノルト視点】


 その日の早朝、というにはまだ早い未明の時刻だった。俺――アルノルトは、何かが焦げるような、ツンとした異臭で目を覚ました。


「……なんだ?」


 ただ事ではない気配を感じて小屋を飛び出すと、すでに『巨岩のブロック』が起きて、東の空を睨みつけていた。その方向の空が、不気味に赤く染まっている。


「旦那、クレアの街のほうが焼けてますぜ」

「ああ、そのようだな」


 クレアの街は、先日ブロックを雇った、この領地から一番近い街だ。物音に気づいたのか、リナも不安げな顔で小屋から出てきた。


「アルノルト様、ブロック様、どうされたのですか?」

「リナ、お前は小屋の中に隠れていろ。いいな、絶対に出てくるんじゃないぞ」


 明らかに、戦の臭いだった。血の焼ける匂い、油の燃える匂い、そして人々の恐怖と憎悪が混じり合った、戦場で嫌というほど嗅がされた悪臭だ。

 俺は覚悟を決め、ブロックに向き直った。


「ブロック、俺を乗せて走れるか?」

「お安い御用でさぁ!」


 返事を聞くや否や、俺は小屋に駆け込み、荷物の中から愛用の長剣を抜き放って腰に差す。ブロックは、先日街で買ったばかりの巨大な斧をその手に提げていた。

 俺がブロックの肩によじ登るのを待って、彼は未明の森をクレアの街へ向けて走り出した。


「旦那、どうやら街が野党に襲われているようですぜ!」

「まずいな、このままでは街の門が破られるぞ!」


 ブロックの肩の上から見ると、数十人の野党たちが巨大な丸太を破城槌のように使い、街の正門に叩きつけ続けているのが見えた。丸太が激突するたびに、門がミシミシと悲鳴のような音を立てている。


「ブロック! 城門を守るぞ! できるか?」

「お安い御用でぇ!」


 俺たちは森を抜け、そのまま野党たちの側面に突入した。予期せぬ方向からの乱入者に、野党たちの間に激しい混乱が走る。


「ぬうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ブロックの咆哮が轟く。彼が振るった斧が一閃すると、破城槌を抱えていた屈強な男たちが、丸太ごとまとめて胴を断ち切られて絶命した。

 俺とブロックが城門の前に仁王立ちになる。俺は腹の底にぐっと力を込め、肺に目一杯の空気を吸い込んだ。


「――弓兵! 今が好機(なり)、斉射!」


 丹田に力を込めた声が、戦場に響き渡る。

 その一喝に、壁の上で混乱していたクレアの街の弓兵たちが統率を取り戻し、次々と野党に向けて矢を放ち始めた。敵の陣形がみるみる乱れていく。俺はこの好機を逃さなかった。


「守備兵! 敵の陣形が崩れた! 門を開け放ち、突撃せよ!」


 ギギギギギ、と音を立てて門が開かれる。中から現れた衛兵たちがハルバードを構え、野党へ向けて突撃していく。俺もブロックの肩から飛び降りると、衛兵たちに混じって敵軍へと斬り込んでいった。

 ブロックの戦い方が『剛』ならば、俺の剣は『柔』だ。敵の鎧の隙間を正確に見抜き、急所である首筋へと静かに剣を突き立てる。


 戦況は明らかにこちらに傾いていたが、野党たちも必死に抵抗を続けていた。その中心に、一際大きな体躯の男がいた。立派な両刃の戦斧を振り回し、兵士たちをなぎ倒している。あれが賊の首魁(しゅかい)だろう。


「てめえら、ひるむな! たった二人の乱入者に何をやっている!」


 首魁が味方を鼓舞するが、その目は明らかにブロックを捉えていた。やがて彼は決心したように、ブロックへと真っ直ぐに突進してきた。


「でくの坊がぁ! その首もらうぞ!」


 渾身の力で振り下ろされる戦斧。しかしブロックはそれを避けもせず、自らの大斧の柄でがしりと受け止めた。キィン、と甲高い音を立て、賊の戦斧に大きなヒビが入る。


「なっ……!?」


 愕然とする首魁に、ブロックはただ静かに、巨大な斧を振り上げた。そして――振り下ろす。

 それはもはや斬撃というより、ただの『落下』に近かった。しかし、圧倒的な質量を持つ鉄塊は、首魁の兜も鎧も、その下の肉体も骨も、まるでバターを切るかのようにたやすく両断した。


『グシャリ』と鈍い音が響く。


 賊の首領だったものは、声もなく崩れ落ちた。


 夜が明ける頃には、敵軍は総崩れとなっていた。


「皆の者、勝どきを上げよ! クレアの街の勝利だ!」


 俺の号令に、兵たちが雄叫びを上げる。


「うおおおおおおおっ!」


 勝利の歓声が落ち着くと、戦場の跡が朝日の中に晒される。野党たちが放棄していった荷馬車には、略奪品であろう食料や武具、そして軍資金と思しき木箱が積まれていた。

 開拓の資金としては、喉から手が出るほど欲しいものだ。一瞬、俺の心に欲が芽生える。


(……いや、駄目だ)


 戦後処理に関われば、必ず素性が割れる。面倒はごめんだ。危機は去ったのだから、このまま誰にも気づかれずにずらかるのが最善手だ。

 俺がそっとその場を離れようとした、その時だった。がしり、と一人の女衛兵に腕を掴まれた。


「あなた様が、指示を出しておられたのですね。此度の勝利、あなた様のおかげです。どうか、領主の館までおいでください」


(くっ、しまった! これだから、軍を抜けて隠居したというのに!)


 俺は思わず、昇り始めた朝日を呪ってしまう。

 勝手に呪われてしまった朝日は、抗議の意を示すかのように、赤く空を染めていた。

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