第21話 八面伏兵の計
【軍師アルノルト視点】
『アストリア歴 千二百三十一年 十二月五日 昼 晴れ』
丘の上から、三騎の馬が必死にこちらへ向かってくるのが見えた。
間違いない。シルヴァンと、バルト卿、そして息子のリック君だ。彼らの背後からは、十数騎を優に超える追手の騎馬隊が砂塵を上げて迫っている。
私は、彼らの忠臣である従者二人が脱落したのを、丘の上から静かに見ていた。計算通りとはいえ、救えなかった命があるという事実は、どうにも後味が悪い。
やがて、息も絶え絶えの三騎が、私の立つ丘へと駆け込んできた。
「アルノルト殿! なぜ、貴殿一人しかおらんのだ!?」
バルト卿が叫ぶ。無理もない。この丘には、『緋色の剣』の旗が一本、風にたなびいているだけで、二百人はいるはずの傭兵の姿はどこにもない。空っぽの陣だ。
だが、それでいい。
追手の騎馬隊は、丘の麓で急停止した。彼らの目に映っているのは、丘の上に立つ謎の男一人と、歴戦で知られる『緋色の剣』の旗。そして、姿は見えずとも、丘の向こうや左右の森に潜んでいるであろう、大軍の気配だ。
数瞬の逡巡の後、追手の隊長らしき男が叫んだ。
「罠だ! 退け! 散れ!」
その号令一下、追手の兵士たちは蜘蛛の子を散らすように、バラバラの方向へ逃げ始めた。こちらの陣が空だとは、最後まで気づかなかったらしい。
だが、その判断は、あまりに遅すぎた。
「もしかして、アルノルト……お前の兵は、すべて伏せてあるのか?」
シルヴァンが、息を整えながら尋ねてくる。
「そうだ、シルヴァン。あの追手たちを中心に、八方向すべてに兵を伏せてある。完全な、包囲殲滅陣だ。……だがあの従者たちには、悪いことをした。それだけが、心残りだ」
リックが革袋の水をがぶ飲みしながら、俺を睨みつけた。
「あの者たちの仇を、どうか、とってください」
「うむ……遺族には……決して、不自由はさせん……」
バルト卿が、涙声で呟いた。
『アストリア歴 千二百三十一年 十二月五日 昼 晴れ 北方向の街道、森のそば』
【ロザリア視点】
アタイは、森の茂みの中で静かに息を潜めていた。
アルノルトの奴に指示された、絶好の待ち伏せポイントだ。アタイの周りには、選りすぐりの団員が二十人ほど。
やがて、一騎の馬が、こちらに向かって猛然と駆けてくる。鎧の作りからして、隊長クラスの男だろう。
(来たねぇ……!)
敵が、アタイたちの目の前を通り過ぎる、まさにその瞬間。
木々の間に張っていたロープを、団員たちが一斉に引き絞る!
「なっ!?」
馬の脚がロープに絡まり、派手に転倒する。だが、敵将は並の腕ではなかった。落馬する寸前、鞍の上で体を翻すと、猫のようにしなやかに地面に着地してみせたのだ。
「我は、王国軍第一騎馬部隊隊長、ベルトラン也! 卑怯者どもめ、姿を見せよ!」
「へえ、なかなか強そうなのがいるじゃないか」
アタイは、右手にレイピア、左手にマインゴーシュという細身の剣を二本構え、茂みから姿を現した。
「その髪、その二刀流……! お前は、もしや『クリムゾンソード』のロザリアかっ!」
「へえ、アタイも有名になったもんだねぇ」
「ふっ、追撃は失敗したが、お前の首を持ち帰ればお釣りがくる。いざ尋常に勝負!」
「……うるさいねぇ」
シュッ、と風を切る音だけを残し、アタイとベルトランがすれ違う。
アタイは、奴が振り下ろす剣を左の剣で軽く受け流しながら、右手の剣で、がら空きになった首筋を正確にひと突き。
「……がはっ」
短い悲鳴と共に、ベルトランの体から血が噴き出し、どう、と地面に倒れた。勝負は、一合もたなかった。
今頃、他の七方向でも、クレアの街の兵やアタイの団員たちが、逃げ惑う鼠を狩っているはずだ。
「アルノルト……相変わらず、おっかない策を考えるねぇ……」
そう呟いたアタイの背中を、快感にも似たゾクゾクっとしたものが走り抜けていった。
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