第10話 奇襲戦演習
【アルノルト視点】
訓練場を埋め尽くす兵士と、その最前列でニコニコと手を振るバルト卿の姿に、俺は眩暈を覚えた。
俺の心労をよそに、バルト卿は隊長のセラとリックを伴って、こちらへ進み出てきた。
「ようこそ、軍師アルノルト殿。今回から、わしも訓練に混ぜてもらってもよろしいかな?」
言うが早いか、バルト卿は貴族の作法に則り、腰を落として片足を下げ、うやうやしく右腕を差し出してきた。
もちろん、俺も元は貴族の端くれだ。同じ姿勢でその手を取り、応じる。
「これはこれは、ご丁寧にどうも。バルト卿は依頼主なのですから、訓練へのご参加は一向に構いません。……しかし、この人数が参加するとは、露ほども聞いておりませんでしたが?」
俺が兵たちの方へ視線をやると、先週とは打って変わって、全員が乱れなく整列していた。その視線は真剣で、熱意に満ちている。
「ははは、実はですな、アルノルト殿が考案されたという、この盤上演習が街で大流行してしまいましてな。何を隠そう、このわしもすっかりハマっておるところです。ハハハ!」
(確かに遊戯と言えばそうだが、本物の戦はもっと泥臭く、悲惨だ。……まあ、今回の訓練は、まさにその厳しさを教えるものだがな)
「分かりました。今回の演習は少々厳しいものですが、やりましょう。ところで、人数分の駒と盤は?」
「はい、それはもちろん! 街中の木工職人に総出で急遽作らせました! それと軍師殿には、わしからのささやかな感謝の印です」
バルト卿が指をパチンと鳴らすと、一人の兵士が紫の布に包まれた立派な木箱を運んできた。卿が蓋を開けると、そこには豪華な装飾が施された、見事な盤上演習セットが収められていた。
駒はただの木片ではない。歩兵は剣を構えた兵士の、騎兵は馬にまたがった騎士のミニチュアという、驚くべき作り込みだ。盤面も美しく磨き上げられている。
「おお、これは……! 自分の考案したものが、これほど立派な形になるとは……少し、感動しました。喜んで、頂戴いたします」
俺は箱を受け取ると、そのままブロックに手渡す。ブロックは巨体に似合わず、器用な手つきで布をかけ直し、大事そうに背嚢へしまった。
「それでは、今日の演習ルールを説明します!」
俺は声を張り上げ、新たなルールを四つ、兵士たちに伝えた。
一つ、駒には『向き』の概念があり、方向転換には一ターンを要すること。
二つ、今回は『奇襲』を想定し、奇襲側が必ず先手となること。
三つ、防御側は縦列陣形で盤の中央を進軍中、側面から奇襲を受ける状況から開始すること。
四つ、奇襲側が圧倒的に有利なため、決着がついたら必ず攻守交代してもう一戦行うこと。
「――以上だ!」
どよ、どよ、と兵たちの間に動揺が走った。先週のゲームをやり込んだ彼らには、このルールがいかに防御側にとって絶望的か、説明だけで理解できたのだろう。
「ひでぇルールだ。防御側は勝てねぇんじゃねえか、これ?」
「奇襲側なら楽勝だな」
「でも攻守交替するんだろ?」
「結局、一勝一敗で引き分けってことかよ」
俺はどよめく兵たちに向かって、パンパンと手を叩いた。
「では、まず皆の手本となるような戦いをしたい者はいるかな?」
俺が問いかけると、すぐさま手が上がった。
「では、わしがやろう」
「では僭越ながら、僕がお相手させていただきます」
名乗りを上げたのは、バルト卿とリックだった。せっかくなので、頂いたばかりの豪華な駒と盤で対戦してもらうことにする。
先手の奇襲側はバルト卿だ。
「ウワハハハハハ! これは愉快! 愉快ですな! 見る間にリックの兵が溶けていくわ!」
「くっ……! 粘れ、粘るんだ俺の部隊!」
リックは必死に駒の方向転換を行い、応戦しようと試みる。だが、初撃で受けた損害はあまりに大きく、態勢を立て直す前に盤面は蹂躙され、試合半ばで降参を宣言した。
「ハハハハハ! どうだ! クレアの領主の力、思い知ったか!」
「ええ、ええ、思い知りましたよ。……ですが、お忘れなく。攻守交替です、父上」
その言葉に、バルト卿はぐっと顔をしかめた。
(おっと、リックくんはバルト卿の御子息だったのか)
そして、攻守を交代して行われた第二戦も、結果は同じ。奇襲をかけたリックが圧勝した。
模範試合が終わると、兵士たちはそれぞれ二人一組になり、一斉に演習を開始した。あちこちで、歓声と悲鳴が上がる。
その中で、ただ一組だけ防御側が勝利していたが、話を聞けば、単にサイコロの出目が極端に良かっただけの幸運な勝利であった。
一通り試合が終わった頃、隊長のセラが俺の元へ詰め寄ってきた。
「奇襲が大事だってのは、よーく分かったよ。それじゃあ、軍師サマ。アンタなら、この状況をどう戦うんだい? アタシが奇襲側で相手をしてやる!」
俺は、うーん、と唸る。
「まあ、いいか。この答えは、本当は皆に自力で見つけてほしかったんだがな。よかろう、俺なりの回答を見せてやろう」
奇襲側セラ、防御側アルノルトで、最後の戦いが始まった。
セラは初手から猛攻を仕掛け、サイコロの目も良く、俺の部隊に大損害を与える。
だが、俺は方向転換も反撃もせず、ただひたすら、残った駒を盤の向こう側へと直進させたのだ。
やがて、俺の駒はすべて盤外へ出た。
「はい、俺の駒はすべて盤外へ離脱した。よって、戦闘終了だ」
「なっ! おい、ふざけるな! まともに戦え!」
激昂するセラとは対照的に、あっ、と声を上げた者たちがいた。バルト卿とリック親子だ。
「……これは……見事な、撤退戦だ」
「すごいです! あの状況から、部隊を半数以上も生還させた……!」
その言葉に、他の兵士たちも次々と気づいたようだった。そうだ、今までの戦いで、防御側の駒がこれほど生き残ったことは一度もなかったのだ!
「この演習は、最初から奇襲側の勝利が決まっている。防御側の目的は、勝つことじゃない。いかに被害を少なくして、生き残るか。兵を生かして次の戦いに備えることこそが、防御側の『勝利』なのさ」
俺の言葉に、セラは呆然と立ち尽くしていた。
「……こんなの、あたしには思いつけないよ」
今日も夕暮れとなり、訓練は終わった。
いつも以上にずっしりと重い給金と、お土産の数々をもらい、俺たちは上機嫌で家路についた。
「ふふっ、みなさん、きっと勉強になったでしょうね」
「んだ。オラも勉強になっただよ」
「ああ。美味そうなハムやベーコンももらったからな。帰ったら、早速焼いて食べよう」
少し雲のかかった夕日が、三人の影を長く、長く伸ばしていた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




