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8話 力の本質

「ご契約にはこちらの書類をご記入いただいて……」

 

 スマホショップの店内。

 店員がテーブルの上に書類を差し出した。その文字の羅列にラナスオルは眉をひそめると、迷うことなくシードに押しやった。

 

「……やれやれ。こういうものは君がやるべきだろう」

 

 細かいことはしたくない、とまるで顔に書かれているようだ。

 

 シードはため息をつき、店員を見据えると小さく呪文を呟く。

 魔法にかかった店員の目が虚ろに染まり「問題ありませんね」と抑揚のない声で告げると、手続きを簡略化し始めた。

 

 ラナスオルは不満げに目を細めながら、ディスプレイに映る無数の端末を見て首をかしげていた。

 

 

   * * *

 

 

 シードの幻術で生み出された日本の通貨と、店員への精神操作の魔術を駆使し、二人はようやく一台のスマホを手に入れた。

 

 店を出たラナスオルの手には、「アイポォーン」と書かれた紙袋がぶら下がっていた。

 

「まさか、スマホを買うのにあんな複雑な契約の過程があるとは。まるで何かの儀式のようだったよ。君の魔術で店の者を欺けなければ、どうにもならなかった。不本意だが……今回だけは君の力に感謝しよう」

 

 彼女は苦々しげに言いながら、袋の中身をちらりと確認する。店でのやり取りは思った以上に手間取り、外はすっかり夜の帷が降りていた。

 

 シードは冷静にラナスオルを一瞥しながら答える。

 

「あなたとの戦いに比べれば、造作もないことですよ」

 

 彼は歩きながら紙袋を持つ彼女に目を向け、続けた。

 

「……それで、あなたの創造の力で、魔力を動力源とする同様の品を創り出すことは可能ですか?」

 

 ラナスオルは短くため息をつき、紙袋の中身を手に取りながら呟いた。

 

「細かい作業は苦手だと言っただろう。時間はかかる」

 

 彼女はスマホを指先で軽くなぞってみた。

 見たこともない不思議な質感。精霊の息吹も、魔力の脈動も感じられない、ただの無機物のようだ。

 

 そして少しだけ思案するような素振りを見せると、紫色の瞳でシードを見つめて言葉を続けた。

 

「……それにしても、君の魔術の才は、私がこれまで会った誰よりも優れている。君がその力を、破壊や殺戮ではなく誰かのために使えていれば、私たちは対立せずにすんだのかもしれない。そうは思わないかね?」

 

 ラナスオルがシードを粛清したのは、彼の禁忌が人々の命を蝕み、世界を恐怖に陥れたからだ。ラナスを守護する使命を持つ女神として、彼の行為を見過ごすことはできない。

 だが、もし違う形で出会えていたら――そんな僅かな期待が彼女の胸の奥に燻った。

 

 一瞬、空気が張り詰める。

 

 ややあって、シードは歩みを止めた。

 ラナスオルの期待を裏切るかのような冷ややかな銀色の瞳で受け止めながら、彼は静かに答える。

 

「……誰かのために?」

 

 彼は少し目を伏せ、自らの両手を見つめる。

 その指先に漂う僅かな魔力の残滓には、これまで無数の命を奪い、数え切れない絶望を生み出してきた痕跡が深く染み付いていた

 

「力はただの道具に過ぎない。誰かのために使おうと、自らの目的のために使おうと、それは力そのものの本質を変えるわけではない」

 

 シードの言葉には感情の起伏はなく、あくまで事実を述べているかのようだった。

 孤独と虚無に囚われ続けた彼にとって、他者など力を得るための踏み台でしかなかったのだ。

 

「それに、僕がこの力をどう使おうと、あなたと対立する運命は変わらなかったはずです」

 

 彼はラナスオルを冷たい銀の瞳で射抜き、淡々と言葉を続ける。

 

「あなたはラナスの女神として使命を全うしようとする存在であり、僕はそれに抗う存在として生まれたのだから」

 

 その冷徹な言葉に、ラナスオルは僅かに眉をひそめた。しかし、返すべき言葉は見つからなかった。

 分厚い拒絶の壁で隔てられ、微かな希望すら届かない感覚。

 

(私たちは……本当に殺し合うしかないのか)

 

 ラナスオルは拳を強く握りしめた。

 彼の言うことは正しい。使命を負う女神と、それに抗うことを選んだ死霊術師。

 交わるはずのない二人が、奇跡的に同じ道を歩いているだけなのかもしれない。

 

 ラナスオルは小さく笑う。

 それは諦めとも、ほんの僅かな希望とも取れる微かな笑みだった。 

 

 夜の街は相変わらず喧騒に満ちていたが、二人の間には深い静寂が漂っていた。

 

「……そうだな……私がそう信じたいから、こんなことを言ってしまったのかもしれない」

 

 ラナスオルは夜風に揺れる長い白髪をそっと押さえ、星の瞬く空を見上げて呟いた。

 シードの瞳に映るその横顔は、普段の威厳ある女神のものというより、未知の世界に迷い込んだ一人の人間の女性のようだった。

 

「だが……つい先程まで殺し合っていた私たちが、今はこうして並んでいる……なぜだか、不思議と悪い気分ではない。異世界に来たことで、私も少し疲れているのだろうか……」

 

 どこか不安と穏やかさを漂わせるラナスオル。ラナスでは決して見せることのなかったその無防備な姿に、シードは僅かに目を細めた。

 

「あなたが疲れているのは事実でしょう。異世界という未知の環境に身を置けば、神といえども消耗するのは当然のことです」

 

 彼の言葉は理知的で冷静だが、いつもより柔らかさが含まれているように見えた。

 それが気の迷いなのか、あるいは一瞬の錯覚なのかは、シード自身にもわからなかった。

 

 彼は周囲を見渡し、ふと近くのビルの看板を指差した。

 

「あの『ホテル』と書かれた施設は、旅人が一夜を過ごすための場所のようです」

 

「なるほど。宿泊場所というわけか」

 

 ラナスオルは頷き、二人はその建物へ足を運んだ。

 

 

   * * *

 

 

 自動ドアが無音で開き、柔らかな照明が照らすロビーへと進んでいく。

 カウンターの奥では、フロントスタッフが愛想のいい笑顔を浮かべている。 

 

 しかし、スタッフを視界に捉えた瞬間、シードは迷いなく短く呪文を呟いた。

 すると、フロントスタッフの目が虚ろになり、焦点がどこにも定まらなくなる。

 

「ラナスオル様に、シード・セルアシア・クロウディート様ですね……」

 

 スタッフは抑揚のない声でそう告げると、すぐにカードキーを準備する。その滑らかな手つきはまるで操り人形のようだ。

 

 ラナスオルはその様子を見て思わず息を飲んだ。

 シードは何事もなかったかのようにキーを受け取り、スタッフに一礼する。

 その一連の動作が、あまりにも自然で恐ろしく映った。

 

「ラナスオル? どうかしたのですか」

 

 黙って立ち尽くしているラナスオルにシードが冷ややかな目を向けた。

 彼の銀色の瞳には、一切の罪悪感すら漂っていない。

 彼女は小さく首を振り、言葉を返す。

 

「いや……なんでもない」

 

(末恐ろしい男だ……本当に)

 

 心中でそう呟きつつ、彼女は廊下を進む足を早めた。

 

 

   * * *

 

 

 二人が部屋に足を踏み入れると、広々とした空間が目に飛び込んできた。

 

 柔らかなベッドが二つ並び、窓際には夜景を眺めるための椅子とテーブルが配置されている。

 ラナスオルは靴を脱ぎ、つま先でカーペットを踏んでみる。

 そのふかふかとした感触に思わず満足げに目を細めた。

 

「ふむ……確かにここなら落ち着けそうだ」

 

 窓の外には無数の星。その下には街の光が散りばめられ、異世界の夜景が瞬いていた。

 シードは部屋の隅に立ったまま静かに室内を見渡す。

 

「あなたが落ち着いている間、僕はこの世界の構造についてさらに探るとしましょう」

 

 彼はそこまで言うと、一呼吸置いた。

 そして諭すような口調で続ける。

 

「ただし、忘れないでください。今は一時的に休戦していますが、僕たちが完全に相容れることはない。これは、状況がもたらした一時の猶予に過ぎません」

 

 その声にはいつもの冷徹さが戻っていた。

 ラナスオルは窓際に立ったまま、紫の瞳を細めて夜景を見つめつつ答える。

 

「ああ、わかっているさ」

 

 すると、シードはわずかに頷きながら背を向け、淡々と告げる。

 

「では、休むといい。僕がいる限り、あなたに危害が及ぶことはありません」

 

 そう言い残すと、彼は隣の部屋へと向かいその姿を消した。

 

 静謐な室内に、扉が閉まる音だけが響いた。

 ラナスオルはベッドに腰掛け、窓越しに広がる異世界の夜景を眺め続けていた。

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