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1話 無の底

「ここは……無……」


 シードは目を閉じ、静寂の中に自らを沈めた。

 

 あまりにも深く、あまりにも冷たい、空虚そのものの空間。

 心臓の鼓動が遠ざかり、血の温もりも失われていく。

 ここでは時間さえも止まり、ただ「思考」だけがかろうじて残されていた。 


 これが彼の選んだ結末だった。力を追い求め、数多の命を奪い、女神にまで刃を向けた。

 その果てに待ち受けていたのは、「無」の底で迎える完全な終焉。

 ここではいかなる魔術も、いかなる知恵も無力だった。


 ラナスの世界で見た光景が、次第に色を失っていく。

 命を奪った者たちの顔も、死闘の中で味わった激しい痛みも、記憶の彼方へと薄れ、やがて消えた。

 

 冷たい暗闇が彼を包み込み、最後に残された感覚さえ奪おうとしていた。


「これでいい……」


 自らを責めることもなく、かといって後悔することもなく、彼は静かに終わりを受け入れようとしていた。

 

 彼はずっと、孤独と虚無に囚われていた。

 ラナスにおいて、多くの人間が彼を滅ぼそうと立ち向かってきたが、誰もその命を奪うことは出来なかった。

 

 ただ、力の極地へ至る。それ以外の生き方を見つけられない。

 力も才能も持っていた。努力も惜しまなかった。

 

 だが、彼を取り巻く人間は、それを利用しようとする者しかいなかった――血の繋がった家族でさえ。


 愛された記憶はなく、理解されたこともない。

 人の温もりなど最初から与えられなかった。


 何のために生きているのか。

 何の目的で、無意味な命が続くのか。


 ――彼には答えは見つからなかった。


 もしかすると、自身を終わらせてくれる存在を探し求めていたのかもしれない。

 だからこそ、女神ラナスオルとの戦いは彼にとって救済だった。

 もし全力でぶつかり合った先に死があるならば、それは彼にとって一つの「答え」になり得た。


 そして今、ようやく辿り着いた終焉。

 

 死霊術師である彼にとって「死」も「無」も魂の必然的な移行でしかなく、そこになんの感情も湧かなかった。

 

(これで全てが終わる……)


 ――そう思った瞬間だった。


 何もなかったはずの空間に、ぼんやりと光が差し込むような気配を感じた。

 微かな波紋が広がり、闇が一瞬だけ震えたように感じた。

 

 目を閉じていたはずの彼は、気がつくと再び銀色の瞳を開いていた。

 目の前に広がる光景に、彼は言葉を失う。


 灰色の空の下、密集して立ち並ぶ無機質な高層建築物。

 空を切るように伸びる赤い巨大な鉄の柱。

 地を這うように動く無数の箱型の機械。

 

 その間を行き交う膨大な数の人間たち。


「これは……何だ?」


 シードは眉をひそめ、頭を巡らせた。そこはラナスではない。かつて知ったどの場所とも異なる、まるで異質な世界のようだった。


「僕は……夢でも見ているのか?」


 自問してみても答えは出ない。しかし、彼にはそれがただの夢だとは思えなかった。なぜだかは分からない。

 ただ、直感的にその景色がどこか現実に近いものであるように感じられたのだ。


 その時、不意に彼の手が動いた。まるで無意識に導かれるように、その光景へと手を伸ばす。

 その行動に自らの意思が介在していたかどうか、彼自身にも分からなかった。ただ、不思議と抗う気は起きなかった。


 手が触れた瞬間、彼の意識はまるで水流に引き込まれるように、その光景の中へと落ちていった。

 感覚が途切れ、思考が断ち切られる。

 

 彼が最後に目にしたのは、広がる街並みとひしめき合う人々の姿だった。


 そして、すべては暗転した。

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