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すべては紙のお導き~タラスの戦い異聞~  作者: 平井敦史


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2/3

タラス河畔の戦い

「で、俺っちたちはどこと戦うんです? 突厥《とっけつ》っすか、吐蕃《とばん》っすか?」


 促織《そくしょく》が樊《はん》さんに尋ねる。

 こいつ、いまだによくわかってねえのか。


「どちらでもない。大食《タージ》という国(アッバース朝イスラム帝国を指す)だ」


 そう、それそれ。

 たしか、伊斯蘭《イスラム》教って教えを奉じている連中の国で、最近できたばっかりらしい。

 石国《シャーシュ》(現在のタシケント)っていう小国を大唐《だいとう》に服属させようとしたら、大食《タージ》に泣きついて、それで大食《タージ》が相当な兵力を送り込んで来たのだそうだ。


 三月(旧暦)頃からずっと睨み合いが続いていて、いまや夏の盛りも過ぎかける頃だ。

 それにしても、この辺は本当に暑いな。長安《ちょうあん》の夏も大概暑いんだけど、それ以上だ。おまけに空気がカラカラで砂埃がひどい。

 左手の方には、天山《てんざん》山脈と呼ばれる山々が、雪を頂《いただ》いて連なっている。

 なんだか、つくづくすごいところに来てしまったなぁという思いが湧いてくる。


 俺たちの隊は、怛羅斯《タラス》という城に入り、杜環《とかん》という部隊長さんの指揮下に組み込まれた。

 軍全体を指揮するのは、安西《あんせい》節度使《せつどし》の高仙芝《こうせんし》という将軍だ。

 このお人は元々高句麗(こうくり)の出身だそうだが、若い頃から西域で軍を率いてこられた。


 四年ほど前、葱嶺《パミール》の地で小勃律《ギルギット》って小国が、大唐《だいとう》から離反して吐蕃《とばん》に付こうとしたことがあった。

 高《こう》将軍は兵を率いて葱嶺《パミール》に乗り込み、切り立った断崖絶壁を何十里(唐代の1里は約560m)も駆け下って奇襲をかけ、小勃律《ギルギット》を降伏させるという武勲を立てられた。


 こんな名将の下にいられるなら、大食《タージ》とやらも怖くないな、うん。


 怛羅斯《タラス》城に入って数日後、近くを流れる川のほとりで、俺たちは大食《タージ》軍と対峙した。


 まずは前に陣取った弓兵が矢を放ち、その後俺たち槍兵が戦うことになる。

 初めて突き刺した人間の肉の感触は、何とも言い難《がた》いものだった。


 兵力はどうも向こうの方がだいぶ多いようなのだが、甲冑は俺たち大唐《だいとう》軍のほうが整っている。

 その差だろうか、槍兵同士のぶつかり合いは、こちらに分があるようだった。


 結局、勝負はつかないまま日が暮れて、俺たちは城に引き揚げた。

 そして翌日も翌々日も同じような小競り合いが続いたのだが――。


 四日目、状況が変わった。最悪の形で。


 大唐《だいとう》軍のかなりの部分を占める騎兵は、天山《てんざん》山脈の麓で羊の群れを牧《ぼく》する騎馬の民、歌邏禄《カルルク》族という連中なのだが、これがいきなり裏切ったのだ。


 大唐《だいとう》軍の歩兵を守ってくれていたはずのやつらが、いきなり馬上から矢を射かけてくる。

 そして、事前に段取りが出来ていたのだろう。大食《タージ》軍が一気に攻め寄せてきて、俺たちは挟み撃ちに遭《あ》った。


「方円陣《ほうえんじん》を敷いて守りを固めろ! 逃げ出したところで、漢土《かんど》まで辿り着けやしないぞ!」


 杜《と》隊長が叫ぶ。

 まあ仰るとおりだな。

 こんな西域の果てで戦場から逃げ出したところで、長安《ちょうあん》まで逃げ延びるなんてのは無理な話だ。

 何が何でも敵を撃退するしかない。


 しかし、味方はどんどん討ち減らされていく。

 周りを完全に大食《タージ》兵に取り囲まれてしまい、ついには杜《と》隊長も抵抗を止めるよう俺たちに命じた。


「……兄《あに》い、生きてるかい?」


 俺と背中合わせで槍を構えたまま、促織《そくしょく》が聞いてきた。


「ああ、多分な……。あんまり自信は無いが」


 全身返り血にまみれ、深手《ふかで》こそないもののそこいらじゅう傷だらけ。

 自分が本当にまだ生きているのか、正直半信半疑だ。


 けど……、本当に投降するのか?

 言葉だって通じないような連中だぞ。

 結局殺されるのが関の山だろう。


 お嬢様、達者で暮らしていらっしゃるだろうか。

 脈絡も無く、ふとそんなことを思った。



 大食《タージ》に投降した俺たちの扱いは、意外なほど悪くなかった。

 大唐《だいとう》と商いをしていて漢語を話せる商人が通辞《つうじ》をやってくれて、言葉の問題もどうにかなった。


 待遇は悪くない、と言ったが、それには理由がある。

 大食《タージ》の連中は、捕虜になった大唐《だいとう》兵の中から、手に技術を持っている者を選別したのだ。

 薩末鞬《サマルカンド》という町に連れて来られた俺たちは、それぞれの技術に応じて職に就《つ》かされた。


「樊《はん》さん、あんた前職は画工だったのか?」


「……ああ。つまらないことで身を持ち崩して、兵隊なんぞやってたんだがな」


 へえ、知らなかったよ。

 他にも長安《ちょうあん》出身の劉《りゅう》って人なんかも、画工として職に就くことになったようだ。

 俺や促織《そくしょく》はもちろん紙漉《かみす》きをやることになった。俺たち以外にも三人ほど、紙漉き職人くずれがいた。

 あと他には、河東《かとう》出身の楽《がく》ってひとや呂《りょ》っていう人なんかが、機織《はたお》りの職に就《つ》いたと聞いている。

 それ以外にも色々いたようだが、あまり詳しい話は耳に入って来なかった。


 特に技術も持っていない連中は、奴隷として売られてしまったようだ。

 気の毒にな。


 杜《と》隊長なんかは、軍人として大食《タージ》軍に編入されたと聞いている。

 今回の戦《いくさ》で、遠征軍はほとんど全滅だったらしく、俺たちが生き延びることができたのは、あの人の的確な指揮のおかげっていうのもあるからな。

 すごく感謝しているし、大食《タージ》軍で出世なさることを祈ってるよ。


 ちなみに、高《こう》将軍は討ち死にすることなく逃げ延びたらしい。

 名将ってのもあてにならないもんだな。

 いや、あの死地を切り抜けることができたのは、やっぱり名将ってことなんだろうか。



 さて、紙漉《かみす》きをやることになった俺たちは、一箇所に集められ、伊斯蘭《イスラム》の教えに改宗させられた上で、所帯を持たされることとなった。


 俺の嫁にあてがわれたのは、阿尼斯《アニス》という名の女奴隷《ジャーリヤ》だ。

 歳は今年で十七。くしくもお嬢様と同い年だな。

 やや黄色味を帯びた薄茶色――いわゆる亜麻色《あまいろ》の髪に、茶色い瞳。少々痩せぎすだが可愛らしいアニスは、とても頭が良い娘《こ》で、しばらく一緒に暮らすうちに漢語も覚えてくれ、一方俺に大食《タージ》の言葉も教えてくれた。


 紙漉《かみす》きの仕事は、順調な滑り出しとはいかなかった。

 紙の原材料は、楮《こうぞ》や結香《みつまた》などの木の皮をほぐして、綿くずなんかを混ぜたものだ。

 あるいは、安価な紙だと竹の繊維を用いたりもする。


 が、ここ西域の地では、綿はともかく、紙の原料になる木が全然生えていない。竹すらない。

 代わりに使えそうなものを手当たり次第に試しちゃいるが、なかなか良い代用品が見つからない状況だ。


 そんなある日、促織《そくしょく》が我が家にやって来た。

 こいつも今は真面目に働いている。

 こっちには蟋蟀《こおろぎ》がいねぇからな、などと言っているが、俺同様に女奴隷《ジャーリヤ》を嫁にもらって身を固めたことも、一つの理由かもしれないな。


「どうぞ、旦那様」


 アニスが豆の湯《スープ》を持って来てくれた。

 この娘は料理も上手なんだ。

 小麦の餅《ナン》や羊の焼き肉(ケバブ)などの料理が所狭しと並べられている。


「すまないな、アニス」


 俺が礼を言うと、アニスはにっこりと微笑んだ。

 ちなみに彼女は、元は奴隷だったが今では自由の身だ。

 奴隷を解放してやると功徳《くどく》を積める、と伊斯蘭《イスラム》の教えにあるそうなので、早速実行に移したのだ。


「いやあ、兄《あに》いの嫁さんは本当に綺麗だねぇ」


 促織《そくしょく》が感心したように言う。


「お前の嫁さんだってなかなかのもんだろうが。てか、あんまりじろじろ見るなよ」


 アニスから聞いた話じゃ、伊斯蘭《イスラム》教徒の女は本来、肌や髪の毛を布で覆って、家族や夫以外の男には見せないものなのだそうだ。

 ここ薩末鞬《サマルカンド》あたりでは、そこまで厳しくはないものの、人の嫁さんをじろじろ見たりしたらぶん殴られても文句は言えない。

 促織《そくしょく》は、すまねえと頭を下げたが、アニスからは目を逸《そ》らしたまま、ふと呟いた。


「亜麻《あま》を使うってのは、どうだろうね、兄《あに》い」


 ん? 紙の原料の話か? アニスの髪の色を見て思いついたんだろうか。


「亜麻《あま》か……。悪くないかもな。いっちょう試してみるか」


 考えてみたら、ちょっと木の皮にこだわり過ぎていたかもしれない。

 楮《こうぞ》や結香《みつまた》の代わりになる木をあれこれ探し回ったが、このあたりに生えている木で適当なものは見つからなかった。


「何のお話ですか、旦那様?」


 アニスが怪訝そうに尋ねる。


「いや何、仕事が上手くいくかもしれないって話だ」


「そうですか。それは良《よ》うございました」


 アニスの笑顔を見ていると、何だか上手くいきそうな気がしてきたよ。

 早速明日試してみるとしよう。

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「秋の歴史2024」お題は「分水嶺」
『遼東の空に鷹は舞う~サルフの戦い顛末記~』
『すべては紙のお導き~タラスの戦い異聞~』本作です。
― 新着の感想 ―
何らかの専門知識に秀でていたり専門技術を会得したりしていると、いざという時に役立ちますね。 耶律楚材がチンギス・ハーンに見い出されたのも、天文学と占いの知識が物を言ったらしいですし。
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