九、 化け物退治 丑 前
「――俺が雷太。んで、そこでメンドクサそーな顔してるのが風坊」
「風太、だってば……」
「とりえず、あんたらの事を教えてくれ」
雷太の言葉に、神妙にうなずく一人の兵士。
先ほどまでひどく動揺を浮かべていたが、ようやく落ち着きを取り戻していた。
「……われらは、王都の近衛第十九隊だ。……訳あり、東方の異民族のもとへ赴くところだった……」
「王都… 」
雷太が考え込むように表情を変えたのを見て、兵士は頷いた。
「……そうだ。なぜ近衛である我々が動いたのかは言えないが、深刻な事態が起こっていることは分かるだろう? 」
雷太は無言であった。兵士はそれを肯定と受け取り、話を続ける。
「王都を出て、ひと月もたったころだったか…奇妙な霧が出始めてな。最初のころこそ特に害をなさなかったのだが……」
しだいに隊の中から変調を訴える者が出てきたらしい。
一人、二人と日増しにその人数は増していき……。
「ついには隊の全員が、かくいう私も奇妙な病に冒されていた」
当然、隊の足取りは鈍り、当初見込んでいた食料も底をつき始める。
隊の頭は、予定していた道を大幅にそらしての、食糧の確保を決断したらしい。
近衛たちは辺境の村へと、足先を向けた。
「そうしたら、アレがいたのだ……」
そこは洞窟だったという。
黒い口を開き、禍々(まがまが)しい闇を抱え込んだ。地底へ延びる道が永遠と続く、魔の穴。
彼らは気づいてしまった。緑の霧がこの洞窟から吐き出されている事実に。
そして―――、
「洞窟に踏み込んだ先からは、全く覚えていない……気づくと、この地にいた……」
兵士はつらそうに顔を伏せた。
彼らが操られていたという事実は、すでに風太が話している。
近衛ともなれば、彼らには誇りがあるのだろう。先ほどからか細い声で、王への謝罪を口にしている。
「……なあ、風坊」
そんな中、雷太は心底困ったように、風太を振り返る。
「――王都って、どこだ? 」
「さあ……」
その発言に、兵士はおろか、村人たちも驚愕の表情を張り付けた。
その反応をうかがうに、有名な国? らしい。
「お、おまえら…、王都を知らないだと!? この地に住むなら、当然王の施しを受けたはず、なのにどうしてその様な口がきけるっ」
「いや、だってなー。知らないものは知らないし……。だいたい、俺たちはそんなものもらった覚えもないしな~」
別にこの村に住んでいるわけではないし。なにより、浮世離れしていた二人である。地上のできごとには疎い。
なおも咬みつくように言い募る兵士に、見かねた店主たちが前に出る。
「おい、てめえ。黙ってりゃなんだぁ、王、王とうるせえ。どこの王が辺境の俺たちに施しをしてくださった、てぇ?」
「お前ら王都の人間は税だけ絞りとって、何もしていないじゃあないか! 」
「仕方なく稼ぎの分を何割か納めてやってるのに。しまいには、税が滞納しているだなんだ言いに来やがって。こちとらあの霧で作物も十分にとれねえんだよ、ふざけんじゃねえ! 」
「――そ、それは、私に言われても困る! だいたい自らの食事をも削って王に献身するのが、この地に生きる者の正しい姿ではないのか! 」
「言いやがったな兵士風情が! 」
場は、ともすれば暴力沙汰にでもなると思われるほど、騒がしくなった。
(――また……)
風太はその不穏な空気の中に、かすかな瘴気の存在を感じ取る。
先ほど、この辺りの瘴気はすべて消滅した。にもかかわらず、しだいに濃く、場を染めていく瘴気。
おそらく、先ほど兵士が言っていた洞窟。
そこに『アレ』が潜み、瘴気を振りまいている。
目で見えるほど濃くなる緑の霧。だが、村人のだれもその異変に気づかない。
むしろ、瘴気がその存在を浮き彫りにしていくのにつれ、兵と村人の論争も、激しさを増していく。
瘴気の毒に充てられているのだ。
(雷太……)
風太は目で、さっさとここから立ち去ろうと訴えかける。
(おう、分かってる……)
頷く雷太を確認して、風太はそっと後ずさりを……、
「つまりだ! この霧をなんとかすればいいわけだろ! 」
勢い余って、転びそうになった。
「それなら、俺たちがなんとかしてやる! 」
「にーちゃん達、気持はありがてえが……これは俺らの問題だ……」
「そういっても、兵士を倒したのは俺らだぜ~。巻き込むもなにも、今更関係ないって」
確かな正論に、店主を含んだ村人たちは沈黙する。
雷太が起こした雷を目撃しているだけあり、危険だからと止める者はいない。
「だ、だが。この霧はあの洞窟から出ているのだぞ! おそらくあそこにいるのは信じられないような化け物だ!
いまだに信じられないが…お前たちが操られていた我々を止めてくれたのだとしても、化け物相手では……」
乗っ取られ、記憶のない兵士だけが、自らの恐怖を伝えようと必死になっていた。
「まあまあ、確かにあんたの疑問はもっともだけど、化け物相手に俺達が負けるわけないって」
なんてったって、俺たちは……。
(――まさか……あほ雷太めっ)
風太の内心の叫びにも気付かず。
雷太は、決定打になる一言を、ためらいもなく、惜しみもなく周囲へ暴露する。
「仙人|(見習い)だからなっ! 」
――とりあえず、後で一発なぐろうと心に決めた。
転・転・転・転・転・転
「なあ、風坊……」
「………」
「いや、ほんの出来心だったわけですよ…」
「………」
現在彼らは『風』に乗り、上空を移動中であった。雷太の耳元には冷たい風がびしびしと打ちつけられ、足元は常に宙に浮き、遠くまで広がる砂漠がよく見える。
この先のことを考えると、冷や汗が流れた。
彼らの目的地はもちろん噂の洞窟である。
「あ~、この分だともうすぐ着くな…」
ちらりと風太のほうをうかがう。
返事は返らない。
雷太の仙人宣言に、村人たちはどよめき。
次の瞬間、店主を除いた全員が、一斉にひれ伏した。
『どうか、どうかこの村をお救いください! 仙人様! 』
『あなた様の手で、奇跡を。再び奇跡を! 』
『人間を侮る馬鹿な化け物など、蹴散らしてやってください! 』
その勢いは留まることを知らず。名乗り上げた雷太はもちろん、離れていた風太も囲まれてしまう。
『ど、どうしたんだよ。いきなり……』
村人のあまりの変貌ぶりに、たじろぐ雷太。
その肩にポンと、手が置かれた。
『……頼んだ! お前らなら出来るっ! ようし、餞別を持ってこい! 』
店主だった。
あっという間に村の中から、薬草やら、調味料やらが運びだされてくる。
『お~い。いったいどういう……』
雷太は知らなかった。
地上において仙人という存在が絶対であることに。
知らなかった。仙人は出来るだけ利用すべし、なんて暗黙の了解があることを。
確かに仙人が地上へ降りてくるのは、大半が善行を積むためである。
仙人へ尊敬の念を抱いてはいる地上の人間が、こう考えても不思議はない。
――色々押しつけられる、便利屋。(ついでに風太は知っていた)
拝み倒されて、化け物討伐を承った雷太は、釈然としない気分で旅路に就くこととなった。
ともすれば、爆発しそうな風太とともに……。
(怖いな~。着いたらいきなり放り出されましたとかなったら、どうしよ……)
内心ひやりとする雷太をよそに、前方、山の中腹にポカリと口をあける洞窟が見えてきた。
風太は風に命令を送り、ゆっくりと彼らを運ばせる。
思ったよりも大きいほどの穴。覗き見えるほど近づいてもその底は測れない。
確かなのは、瘴気がその穴から噴き出していること。煙が湧き上がるように、次々と。緑の霧は空へ放たれていく。
「…ひどいな……」
ここへきて初めて風太が口を開く。
「…こんなに強い気配なのに、なんで気付かなかったんだろう…」
瘴気とともに湧き上がる、アレの気配。洞窟の奥深くから、肌で感じられるほどの威圧感が、二人へ吹き付けている。
「……え~と。風太さん、風太さん。…今さらですが、怒っていたりしませんかい…? 」
「なに言ってるのさ、雷太……」
さわやかな笑みを浮かべた風太が振り返る。
「かつてないほど怒り心頭だよ…」
あちゃ~と。雷太は頭を抱えた。脳内では反省文を絶賛作成中である。
(このままじゃ落とされるよな、確実に…)
ちらりと足元をみた。地上までは遥かに遠く、落下したら無事では済まないだろう。
「雷太…覚悟はできた……?」
ゴゴゴ――と、風太の背に黒いオーラが見えた気がした。笑顔も相混じり、その迫力は一押しである。
(どうする、どうするよ。やっぱ本気だ。ほらだんだん黒いオーラが濃く……)
「って、まて! 後ろっ!!」
「――っ、ちっ」
(し、舌打ちっ!?)
瞬時に風を操り、雷太たちは後方へ飛ぶ。
そこへ、肌をかすめる鋭い牙。風太がさらに後方へ退き、風に身を任せるだけの雷太がそれを見た。
ともすれば龍を想起させるような、長く、鱗におおわれた体躯。黒光りする身体からは、いくつもの鋭い骨のようなものが突き出ている。
グワリと、あぎとが迫った。
さらに五十歩の間隔だけ、後方へ空を滑る。
ここにきて、ようやく敵は止まった。
雷太たちはまじまじと敵の姿をみる。
目の前に牛の頭が浮かんでいた。といっても、ただ一般の牛であるはずもなく……。
開かれた口には、ずらりと並んだ鋭い歯。開かれた口だけで、雷太の伸長を軽くしのぐ。
巨大な頭より後ろからは、硬質そうな毛で覆われている。毛が途切れたあたりから鱗が広がり、長い胴体へとつながっていた。
その胴体はといえば、途中から洞窟の中に入り込んでいた。洞窟の奥にはうごめく影がのぞき見える。
「でかっ。こんなでかい妖魔、初めて見る……」
「そうなんだ……。妖魔全般こんなに大きいのかと思った」
「――いや、それないから。小さけりゃあ虫ぐらいの奴もいるぞ」
雷太、風太が、それぞれの感想を述べる中。
牛頭は、閉ざしていた眼を、ぎょろりと開く。
『忌々シイ人間ドモメ。我ヲココノ主ト心得テノ狼藉カ』
「雷太…。牛ってしゃべるんだね……」
「妖魔だからなぁ…」
『人間。余程ノ命知ラズト見エル…其レニコノ気配……』
妖魔は、うっすらと目を細めた。
そこに浮かんだのは――憎悪。
『ソウカ。恥知ラズナ神ノ遣いメ…。』
雷太と風太は顔を見合わせる。
「仙人だとばれたみたいだね」
「…なんかなぁ。いや~な予感がするんだよな…」
妖魔は、そのあぎとを耳元まで開き。
――咆哮。
空が震え、周囲が揺らぐ。
風太がとっさに風で防がなかったら、鼓膜が破れたであろう叫び。
『其ノ汚ラワシイ姿…我ガ喰ロウテヤルワァッ! 』
妖魔はその頭を前に突き出す。乱れた風が周囲をうねった。
「――っ」
後方へよけても、牛頭の妖魔は前に繰り出す。
ならばと横に避け、雷太を反対方向に飛ばした風太へ、蛇腹が襲いかかった。
「なあ風坊! なんかあいつ、お前のことばっかり狙ってないか!! 」
妖魔の攻撃のさなか、雷太が叫ぶ。
先ほどから振るわれる妖魔の頭は、たしかに風太の方へ向かっているように思われる。
「なんかしたのかよっ! 」
「知らないって! 」
言いつつ雷太と合流する風太。
すかさずその腕をつかんだ。
「……風坊、まさかと思うが…」
「援護はするから、よろしく……」
「いやいやいや! あれは無理! というかさっきのまだ根に持ってるんじゃ……」
「――誰も許すとは言ってないけど? 」
腕に力が加わった。
「――風よ、誘え――」
「ちょ、風坊っ」
ドウっと風が駆け抜け、雷太は吹き飛ばされる。
そのまま、風に乗せられ、あっというまに妖魔の目の前へ。
毒々しい紅の眼と、視線が合う。
「……あ、はは。冗談にならんつうのっ!」
妖魔は自身に近づく雷太の存在を認め、グワリと口を開いた。
「たんまたんまっ、ストップ~~~!! 」
――バクン。
「……あ、喰われた」
――あれ? バトルは……?