七、 虚兵の挙兵
――緑の霧がたちこめていた。
広がるのは荒涼とした大地。時折、駆け抜ける風が砂をさらい、霧を渦巻かせる。
霧は大地へ少しずつ、少しずつ。染み込み、病ませていく。
生きとし生けるもの、すべてに注ぐ汚れ。
岩肌をのぞかせる大地は、静まり返っていた。
そこへ、足音が立つ。
一つ、一つ。
一つは二つに、二つは三つへ増殖し、重なり合い、やがて一つの群れをつくりだす。
――甲冑をまとった、兵の一隊であった。
その足取りは、おぼつかなく、不規則。
本来は白の輝きを放っていただろう甲冑は、黒ずみ欠けている。
眼は濁り、腕はだらりと下げられ、それでも兵たちは歩き続ける。
ただ、主の命に従い。
(ユケ、ユケ、ユケ、ユケ)
彼らは気づかない、彼らに囁き続けるものがいることに。
彼らは疑問を感じない、こうして辺境の村へ向かっていることに。
(ユケ、ゆけ、行け)
呼びかけはさらに強く、彼らのわずかに残った思考すら奪ってゆく。
声は誘い、彼らはそれに従って赴く。
――その周りには、黒ぐろしい霧が、厚く取りまいていた。
「それじゃあな、おやじ! うまい酒だった! 」
日も高く空に輝く昼の事、雷太と風太は店の前にいた。
雷太の酔いがようやく冷め、今しがた旅立つ準備が整ったところである。
「また来いよ! 今度はもっといい酒でも用意しておいてやるからなぁ! 」
「本当か! くぅ~、おやじ。あんたってやっぱり最高だ! 」
ひしっと、二人の間で熱い握手が交わされる。その瞬間二人には固き友情が芽生えたのだろう、雷太と店主の眼は今生の別れをするかのように潤んでいる。
「つらい旅路になるだろうが、がんばってくれ!
「ああ、おやじもな! 大丈夫さ、きっと客は来るようになるって! 」
「おお、ありがとうよ。 にーちゃん達の成功を祈ってるぜ! 」
風太は目の前で行われている人間ドラマに、一つ溜息をつく。
「…いつ、出発するの? 」
店主との別れはまだまだ終わらない。
「いや~、いい親父だった……」
ようやく村を出て、瘴気が漂う道を歩くこと半刻。
雷太は事あるごとに店主の話を持ち出していた。
「ここのところ、大人といったらジジィしか相手にしてなかったからな…あんな気前のいい人がいるなんて、しばらく忘れていたぜ~」
上機嫌で歩みを進める雷太、その足取りは軽い。
対する風太は内心うんざりしながら、それに応じる。
「よかったね…」
「おうよ、ていうかなんだろうなぁ、あの酒。うますぎて俺、まったく歯止めが利かなくなったぞ…」
味を思い出したのか、雷太はうっとりと呟く。
「あ、ヤベ。また飲みたくなってきた…」
風太は、足を止めた。そのままくるりと後方の雷太を振り返る――無表情で。
「え、ナニ? あ、いや~、何でそんなに怖い顔をしているのかね風坊よ」
「………」
「もしかして怒りました? ――怒りましたね、はいすんません! 昨日何したか知らないけど、俺が悪かったですもう言いません! 」
雷太は無言の重圧に耐えかね、大げさなほどに平伏する。
風太は上からその姿を見下ろし……ついに口を開く。
「…雷太……店主にちゃんとお金払った? 」
「…へ…? 」
内容を聞いた瞬間、どっと肩の力を抜く雷太。顔には冷や汗が伝っていた。
「なんだ、そんなこと心配してたのかよ! オレ、謝り損じゃん。風坊よそこまで俺が信頼できないのか! 」
「…そうか、ごめん。僕も思い込みが過ぎてたかもしれない」
風太も安心して、ほっと息をつく。自分も考えすぎたなと反省の意を浮かべて。
「そうだぞー、疑いすぎだっつうのー………まああれだ――」
「……? 」
「(酒の代金を)払ってない……」
沈黙が深い溝となり、二人の間に横たわった。
「…………雷太……? 」
にこやかに、破壊的な笑顔で風太は聞き直す。
「あ、ははは――ゴメンナサイ」
とりあえず、その頭に正義の鉄槌が振り下ろされたのは……言うまでもない。
店主は上機嫌に後片付けをしていた。
思い出すのは、昼間に送り出した二人組のこと。
どちらも少年と言って差し支えのない年齢であった。
片や、見ていて気分が良なるほどの大酒のみ。もう一方は冷静沈着で、どこか大人びた少年であった。
しばらく見ていれば、あの雷太と呼ばれていた少年が我が道を行くのを、風太という少年が必死に補っている構図ができあがる。
なんにしても、面白い客だった。
同時に、店主は表情を曇らせた。
旅の最中らしいが難儀なことだと思う。
世は乱世である。王都の方へ行くほど、村や、街の荒れ方は悲惨なものと聞く。
それに加えて、湧きだした霧である。
今年の作物はどこも致命的な痛手を受けただろう。
不安は人の心を乱すものだ。それだけで王都などには悪しき輩が増える。
「…最近じゃ、妖魔まで姿を現すようになったってらしいなぁ」
つくづく、彼らの行く末が案じられた。
散らかされた十の酒つぼを拾い、一息入れようとした矢先である。
「――斗秀さん! 」
店に若者が飛び込んできた。その慌てようからただならぬ事態を感じ取った、店主――斗秀は眉をひそめる。
「どうしたんだ? そんなに慌ててよ……」
「大変なんですっ! 西の方から、大勢の兵士がっ! 」
「なにっ、」
驚いた拍子に、店主は一つ酒つぼを落としてしまう。
重々しい、陶器の割れる音が、店内にこだました。
多くの村男たちが家を飛び出し、西へ集っていた。女子供は固く閉ざされた部屋の中、恐る恐る様子をうかがう。
「驚いたなぁ、こりゃ……」
斗秀のつぶやきがぽつりと、その場にいる者達の心情を代弁していた。
蛇行しながら村へ伸びる道、途中から緑の霧で染められたそこを、フラリ、フラリと、まるで亡者のように突き進む兵士たち。
異常な様子を見せる十数人ほどが、この村へ向かっている。
「おいっ、止まれぇ! おめえら、何用でこの村に来やがった!」
斗秀は自らを鼓舞するように兵へ呼びかける。が、案の定返答はない。
「ど、どうしますかねぇ……」
斗秀の隣にいた若者が震えながら問う。
斗秀は一つ間をおき、店から持ってきた肉たたき用の棍棒を担ぎなおした。
「きまってんだろう、返事がねえなら容赦もいらねぇ……」
「ひぃ~、やっぱそうなります? でもあれ、王の兵士ですよ、それを攻撃したら……」
「知らねえな、村に手を出そうとする奴らが悪い。それにどうみたってありゃ正気じゃねえだろ?」
斗秀は、腹からあらん限りの声を絞り出す。
「てめえらぁっ! 行くぜぇ! 」
――おおっ!!!
「お、おー……ムリですよ、やめましょうよぉ……」
たじろぐ若者を除いた村人たちは、果敢にも村を飛び出し、霧の中へと入って行く。
斗秀を除いた彼らには、武の心得などない。
それでも、彼らがこうして敵へ挑めるのは斗秀の存在があったからこそ。
兵士は、ついにその手に獲物を従え、ゆっくりと振りかぶる。
「ハッ、そんなものあたる訳がねえだろうがっ! 」
斗秀はそんな兵の一人に向かって、棍棒を振り下ろした――
兵はその身体へ、昏倒するであろう一撃をくらう。
だが、それだけだった。
表情が落とされた顔は、無表情のまま、痛みによって歪むことはなかった。
むしろ、振りおろした棍棒を抱え込み、斗秀の動きを封じにかかる。
そうこうしている内に、周辺の兵士たちが纏わりつき、斗秀は全く動けなくなってしまう。
他の村人たちも同じ手法で、次々に動きが取り押さえられていく。
――なんだっていうんだ、こいつらっ!
斗秀は内心叫びだしたいのをこらえ、必死に兵たちをなぎ倒そうと試みた。
本来であれば、兵の五人程度、斗秀であればやすやすと振り払ってしまうところ。
しかし、この兵士たち。動きは遅いくせに、兵士たちの腕力は恐ろしいほどに強い。
「斗秀さん!! 」
若者の声に視線を向けると、こちらに駆け寄ろうとしているのが目に入る。
「馬鹿野郎が! さっさと逃げろっ! 」
どなり声をあげた斗秀の前で、兵士はのろりと剣を引き上げていく。
――やられるっ!!
斗秀は覚悟を決めて、歯を食いしばった。
世の中には天の采配という言葉が存在している。
時には思わぬ人物と再開を果たすこともあるし、時に悲劇的な運命を、一変させることもある。
この世界には神がいる。
それがもし運命を定めて、人へ与えている張本人だとしたら。
神はよっぽど、偶然とやらを好むのだろう。
「ひとお~つ、この世に悪があーるかぁーぎりー」
突如として、強風が巻き起こる。
兵士たちは一人残らず地に倒され、村人は――宙を舞った。
混沌山付近では風は非常に強い。
だが、村人全員を吹き飛ばす風というのは、自然では起こりえないことだろう。
斗秀や村の男集は、村の敷地内まで吹き飛ばされ、放られた。
斗秀をふくめる全員は地面に叩きつけられ、何が起こったのか分からないままに気絶する者もいる始末。
そうでない者も、状況を把握できずに、目の前の光景に目を見張るばかりであった。
「いよし、次! 風坊いけぇっ! 」
「…はぁ、…二つ、忘れるべからず正義の存在 」
村への道を挟むようにして伸びる崖。その上に二つの、小柄な人影があった。
「みぃーつっ、ぶっちゃけ正義とかどうでもいいけど、飯屋を傷つける奴は許せねぇええ!」
ついでにこの場合、飯屋というのは斗秀の事であろう。
「はいはい、四つ、滅してあげます悪の人」
「それが俺達! 風雷坊っ!! 」
日が傾き始めた辺境の村にて、
世をかきまわす二人が、名乗りをあげた。
いよいよ盛り上がってまいりました。