五、 一寸先は崖
「――何がどうなってンだぁ!? 」
「……とりあえず落ち着きなよ……」
「……いや、風坊。お前はどうにかしてる! 何で……」
耳元では風が唸る。見えるのは広大な空と、黒い崖壁。
たまに白い綿毛を思わせる雲に入り、抜けながら、雷太は渾身の疑問を叫ぶ。
「――こんな上空に放り出されて冷静なんだよぉ!!」
どこからか老人の笑い声が聞こえてきた気がした。
「 ふべっ! 」
着地に失敗し、雷太は顔面で地面を受け止める。
しばらく、そのままぴくりとも動かなかったのだが……。
「……あ~の~ジジィ~ 」
のそりと身を起こす雷太。
雷太はぺぺっと口内に紛れ込んだ砂を吐き出す。
『下降』すること約一分。本来なら持前の頑丈さをもってしても、とうてい助からない高さから落下した。
それでもかすり傷ですんだのは、あわや地面に叩きつけられられようとしたのを、風太が機転を利かせ、衝撃は和らげたためだろう。
身体を見回しても、大量に舞い上がった砂埃を吸い込んだ以外、異常は見られない。
「ここは……?」
雷太の後方、自身は華麗に着地を決めながらも、風太はきょろきょろと周囲を見渡した。
「混沌山の麓じゃねぇの…? ――にしてもジジィ今に見てろ、俺様を怒らせたことを後悔させてやる!」
「…老師に向かって言うセリフ、ではないよ…」
風太はバツが悪そうに、衣服に付いた砂埃を払いながら言う。
「少し、僕たちも態度が過ぎたと思うし……」
「そーかもだけどよおっ! 俺はあのジジィを見損なった! だぁーくっそ、こんなことになるなら蔵の中の菓子類を全部食っとけばよかった」
本人がいたら額に青筋を浮かべそうなセリフつらつらと述べ始める。
そんな雷太をよそに風太は改めてゆっくり周囲を眺めた。
(ここが、地上か……)
思っていたよりも殺伐としている、そんな印象を受けながらもグルリとあたりを観察して――疑問符を浮かべた。
「……雷太…。ここが地上…?」
「おう、ってそうか。風坊は地上に来たことなかったか……ど~する? 俺が知っている限りで案内しようか?」
「…そうじゃなくて…なんか緑が……」
視界の端で不気味にうごめく、緑。意思を持つかのように渦巻き、周りを囲っている。
「へへん、驚いたか! 地上は植物豊富なんだよ~。特に畑で採れたての……」
「そうじゃ、なくて……」
風太は問答無用といった感に、雷太の顔を強引に周囲へ向けさせる。
負荷がかかった首からゴキッとか、そんな音がしたのはきっと気のせいだろう。
「うがぁっ! てめイキナリ……」
雷太が口をつぐんだ。
ようやく異変に気づき、驚きを通り越して呆然としているようだ。
「緑、確かに緑の、霧だよな…? いや、瘴気か…それもとんでもねー範囲の」
笑えねぇと彼はつぶやく。
それはそうだ、久しぶりに地上へ来てみたら瘴気で侵されていましたなんて…衝撃だろう。
地表は見渡す限りの緑、緑、緑。厚くたちこめた霧はすべてを包み込もうとするかのように重く。
禍々しいとはこのようなモノのことを言うのだと、雷太も風太もこのときに知った。
「 僕たちの周囲を除いて、空のほうまでびっしりだ…… 」
風太は上空を仰ぎながら言う。
「 ……何とかしろってことかな……」
考え込む風太とは別に、雷太は
「確か、近くに村があったよな…? 全員死に絶えてましたとかなってたら……」
自分で言っておきながらも、顔色をそうとわかるぐらい青く変化させていく。
「だよなぁ……これに乗じて妖魔なんて入ってきたら一溜まりも……」
言うや否や、雷太はばっと身をひるがえす。そのまま一直線に走り出した。
風太が気づいた時には、すべてが遅く。
「あ…、勝手に進んだら……霧で……」
「心配すんなよ! 俺が瘴気の毒程度でやられるかって」
「……違くて、足場が分から――」
「――ッのお! な、なんだ地面がいきなりっ、敵か!妖魔かぁ!」
額に手を当てて、風太はつぶやく。
「混沌山って、断崖絶壁にあると、老師が……」
「もっと早くいえよおおおぉぉぉぉ!!!」
――うわぁぁ~~~。
叫び声が遠ざかっていく。
風太は雷太がいた辺りの崖、その縁から覗き込み、底も見えないほどの高さであることを再確認する。
「…ほっとくのも、ありかな…?」
関わりたくないのが正直なところである。
――早くたすけぇろぉぉっっ!!
風太のつぶやきを聞いたかのように、とても遠くから響く声。
「……しょうがないなぁ…」
ため息をつき、風太は呼びかける。
本日、二度目だ。
『――風よ――』
そして、風太は、雷太の後を追い。
絶壁へ身を投げ出した。