十、 化け物退治 丑 後
「……完全に食べられたなぁ……」
風太は独り語散る。
妖魔は、ギロリと風太へ眼を向けた。
「次ハ己ダ。積年ノ恨ミ……罪ヲ思イ知ルガイイ……」
再び口が開く、歯の間からうごめく舌が垣間見えた。
風太は肩をすくめる。
「――恨み、ね。勝手な妄想で、人を罪人扱いしないでくれるかな……」
その瞬間、妖魔は怒気を露わにする。
「黙レ! 言イ逃レハ出来ヌッ! 己ノ姿、其ノ忌々シイ風、我ガ忘レルト思ッタカ!」
どうやら、誰かと間違われているようである。それも、この妖魔が深い恨みを持つ誰かと……道理で先ほどから狙われているわけだ。
風太は深々と溜息をつく。
「……いや、知らないし。それ僕ではな……」
風太は口をつぐんだ。
懸念事項が、脳裏をよぎる。
――『風』…?
「……もしかして、十年前のことを言ってる? 」
妖魔は再び吠えた。先ほどよりも強い、憎しみが込められた叫び。
案の定、肯定だろう。
あちゃ~と。風太は額を押さえる。
心当たりがあった。
下手をすればここに妖魔がいることも、瘴気が満ち溢れている現状も、
元凶は……。
「地ニ落チロ!」
妖魔の全身に生えた突起が、黒と緑色が混じった不穏な色を帯び始めた。全身から濃い霧が立ち上り、周囲には深い瘴気が満ちる。
開かれた口には、多大な力が集まっていく。
風を全身にまとわりつかせ、妖魔の瘴気を防ぐ。
「もしかしたら、僕のせいかもしれないからさ…言っておくけど……」
過ぎたことは忘れたほうがいいと思うよ?
風に命じて、後ろへ上昇。なるべく妖魔から距離を置く。
「無駄ダ。逃ガサヌ」妖魔は吐き出した濃厚な瘴気を使い、風太の行く先を遮った。
ある程度であれば、やすやすと浄化できる瘴気。しかし、それほど濃いものであれば、風をもってしても浄化には時間がかかる。
おそらく、身動きのできない間に仕留めという魂胆だろうが……。
びくん、と。妖魔が震えた。吹き上げていた瘴気が途絶え、心なしか苦しそうに吠える。
「――逃げるなんてとんでもない。ここには相棒がいるし……」
――グオオオォォッ!!
妖魔は大きく体を揺さぶると、叫ぶ。
その口から、何かが地面へ吐き出された。
すかさず風太は、風を送った。ふわりと、『それ』は地面にぶつかるまえに風が支えられる。
「――きったねっ! ぺっぺ。風坊よくもやってくれたな、ほんとに死ぬかとっ」
ばちりと、その身から稲妻が走った。
妖魔の体内でもありったけの電撃を放出していたのか、雷太は呼吸を整える。
「しかも俺のこと忘れてただろ! 風坊アンドそこの妖魔!! 」
「………………………そんなことないけど」
「なんだその沈黙は!! 」
そんなに怖かった(それとも汚かった?)のか、雷太の文句は次々に風太へ押し寄せた。
風太は感電の恐れのない空中から、どうどうと雷太をなだめる。
仲つむまじい様子を見せる二人。
そこへ黒い影が迫る。
「おわっと、あぶねっ」
雷太がひらりと跳んで、しなる妖魔の尾を避けた。
「もう復活したのかよ!! 」
身の内から雷撃を食らった妖魔は、多少ぐらつく程度の影響しか受けていなかったのか、唸りを上げながら首をもたげる。
「へん、上等だぁ! 腹の中に入れられた分、きっかり返すからな!! 」
「雷太…楽しんでない?」
「勝負は楽しむ、これが俺の信条だ! 」
その身を駆ける稲妻は、より強く、強く、周囲へ飛び散る。
「そういや、ちゃんと挨拶してなかったよな。聞いて驚けそこな妖魔! 」
雷太は嬉々として、自らに課せられた号を名乗る。
「俺の名前は『雷太子』。二つ名は天駆ける稲妻を抱く者だ! よーく覚えておけっ!! 」
バチリと、ひときわ響く音と共に、雷太は白の雷を纏った。
「許さぬ……」
妖魔は牙をむき出し、ぎらつく眼差しで二人を射抜いた。
結・結・結・結・結
地上の雷太が動いた。
稲妻を掌に集め、妖魔へ駆ける。
妖魔は蛇腹をくねらせ、四方を囲んで雷太の周りからその動きを封じにかかる。
――グオオォォ。
頭を大地へ振り下ろす。雷太は隙間を見出し、跳んだ。
妖魔の頭は地面にめり込み、ズドンと重々しい音と、砂塵が舞い上がった。
雷太は空中で瞬時に体制を整え、腕に宿した力を限界までため込む。
周囲の空気が熱せられ、電気を帯びた。そこらかしこで火花が散る。
妖魔の身体にも無数の稲妻が這った。
牛頭がその身を起こした、その時。
「いっくぜ~」
合わせた手の間で収縮する力、それを前へ突き出す。
「――稲妻よ、雷撃っ!―― 」
一気に解き放った。
雷太から離れた力は、一瞬にして空中へ浮かびあがり、光り輝く球となる。
その表面にさざ波が立ち。
内部から無数の雷が地へ降り注いだ。
狙いは妖魔。
「効カンッ!」
すべての雷が妖魔へ殺到する。
しかし、牛頭は身に受ける雷など全く意に介さない様子で、せせら笑った。
「人間ガ高貴ナル我ニ害ヲ与フナド……」
「げ~、全然効いてねえ」
雷太は跳躍から降下。地面に降り立ち、妖魔と対峙する。
「どうしよかな~……」
考え込む雷太に、蛇腹が打ちつけられる。
再び跳躍してかわし、距離を稼いだ。
「なぁ風坊! あいつに弱点とかねえのか!? それと、まだ―――」
迫る妖魔の頭を避け、上空に浮かぶ風太へ問いかける。
『―――今探してる…どうせ攻撃が効かないなら逃げててよ…』
「言われないでも逃げるって、よっ」
風に乗ってきた声に応え、背後より現れた蛇腹に片手をつけ、勢いのまま空中で一回転。
後方へ逃れる。
ためしに、手で触れたところから電気を流してみるのだが、まったく効かず。
「やっぱ、直接でもダメか……一体どんな構造してるんだ? 」
自身が持っている『力』の強さを自覚しているだけに、雷太は首をひねる。
ともすれば、はるか遠くにいる獅子だって即倒させる、雷。人間には力を押さえて使用するのだが、この妖魔に対しては最初から全力で挑んでいる。
妖魔の攻撃事態は単調、それほど速いとも言い難い。
それでも雷が効かないとすれば、先に倒れるのはこちらのほう。
「お~い、風ぼ~う。まだかぁ~? なんなら攻撃交代してくれ~」
『うるさい。無能は黙る』
わずかに苛立ちをみせる声が降る。
しかしそれは相手の方も同様だったようで……。
「虫ケラガ、チョコマカト」
妖魔の身体から、再び黒と緑の霧が噴き出した。
雷太の身は、風太が瘴気を寄せ付けないようにしている。
瘴気の毒に充てられる心配はないが…いくつもの作業を並行して行って風太の負担が大きい。
(仕掛けるしかない、か…)
「風坊! 今から特攻するけど、とりあえず気にしないでくれ!! 」
『…了解、さすがに疲れた……』
「いよ~し、突っ! 」
周囲をめぐる風に押されて、雷太は駆ける。
あちこちに横たえられた蛇腹へ、跳んだ。
すとんと、鱗の整列した丸太のような背に足をつけ、上部―――牛の頭へ向かって走る。
「何ヲ…小癪ナ…」
妖魔は胴体をうねらせ、振り落とそうとする。
雷太は持前の勘で胴から胴へ飛び移っていく。
「待ってましたぁ!!」
ひときわ大きいうねりに合わせ、勢いよく跳躍。妖魔の首元に生える毛にまとわりついた。
「どうだっ」
「虫ケラガァァッ」
牛頭はしきりに頭を揺さぶり、振り払おうとする。
雷太は、硬質で滑る毛を必死につかみ、ついでのように稲妻を流す。
「―――グッ」
(―――!! 今っ!)
反応が、あったような……。
『―――見つけた!』
風が相棒の声を伝えてくれた。
―――妖魔の弱点、それは……。
「いっくぜぇ~。せぇのっ! 」
腕を軸にして、牛頭の平たくなった鼻の上へ立つ。
瞬時に稲妻を掌に宿し。
「必殺! 眼つぶしっ!!」
強烈な光を放つ球体を、放った。
―――オオオォォォオオオオッ! グオオオオォォ!!
耳をつんざくような悲鳴が挙がり、妖魔は所かまわず頭をぶつけ始める。
『―――雷太!!』
「ああ! 上げてくれ風坊!! 」
宙に放り出された雷太を風が包み込む。風は勢いよく上へ吹きあがり、宙に浮かぶ風太と同じ高度まで持ち上げた。
「準備は――っ」
「出来てるよ、あとは雷太がへたれてなければ完璧だけど……」
「だぁ~れが、へたれだ! 俺はもち、大丈夫だ!! 」
「貴様ラァァッ、ヨクモ、ヨグモォォッ」
下から身を伸ばして迫る妖魔。目が見えていないにも関わらず、怒りで歪んだ顔を筆頭として一直線に向かってくる。(匂いだろうか?)
「それじゃあ―――」
「ああ! 妖魔殿はご退場だ!!」
「―――稲妻よ、応えよ―――」
雷太の呼びかけに応じて、周囲は熱を帯びる。
仙術、というのだそうだ。
特定の自然物、動物などに呼びかけ、力を得る。常人には手にできない、自然と『対話』をする神より与えられた奇跡の力。
バチリバチリと宙をすべり、稲妻が雷太に宿っていく。
ひとしきり雷の収集が終わり、ぼんやりと白いオーラが立ちこめ始めたところで、風太も言葉を発す。
「―――風よ、誘え―――」
彼らの周囲を風が渦巻く。ぐるぐるとぐるぐると、終わらない螺旋が続く。
「無駄ダ、我ノ怒リヲ防ゲルト思ウタカア!! 」
牛頭は長い胴を駆使し、風太たちの前に頭を持ち上げる。
「噛み砕イテクレル!! 」
牛頭の口が蛇のように首元まで裂け、渦巻く風ごと飲み込もうとする。
「―――雷雲を、いざなえ―――」
閉じようとした口はしかし、飛び散った火花によって退けられた。
「ナニ!? 」
妖魔は見る。渦巻く風が次第に、霧とは違う黒色へ染まっていき、雷を帯びるその様を。
「……之ハ、雷雲カ。シカシ其ノ程度デ」
「へえ……よ~く見てみろよ。お前が相手にしているのは『その程度』で済むモノか? 」
黒い風の中から雷太の声が響く。
それに合わせて。妖魔の頭上、さらに上空で低くこだまする音。
妖魔は、天を仰いだ。
浮かんでたのは黒々と、ひしめく雲。時折稲妻が顔をのぞかせ、唸りを上げる。地平線の向こうにまで及ぶ、黒い雲軍。
「さっき、ここの主だとか言ってたよな? ――その割にはずいぶん自然物に嫌われているみたいだが…? 」
「グッ、マサカ……」
ここへきて、初めて妖魔に焦りが浮かんだ。
自身が侮ってきた、人間。せいぜい操る価値しかないと思っていた虫けら。
妖魔は十年前と似たような感覚を覚える。
「又シテモ、己ニ……」
二度目の敗北が、つきつけられようとしていた。
「―――集まったみたいだ」
「よっしゃ、がんばりますか!! 」
「くれぐれも僕まで感電させないように…」
「……あ~。努力します」
「―――稲妻よ、集まれ―――」
響く声に呼応し、上空の雲を稲妻が駆ける。
妖魔の頭上に、多大な力が集まり、空気を熱す。
やがてそれは一つの、巨大な輪郭を作り上げていった。
天に浮かんだ、光輝く剣。
妖魔は本能に近い部分で危険を感じ取り、身をひるがえした。
蛇行しながら、住み家である洞窟へ。
大方、結界でも張るつもりであろうが。
「―――貫けっ!!―――」
稲妻は、怒涛のごとく宙を駆け。
地を這う牛の頭を、貫いた。
―――グオオオォォォ。
妖魔の悲鳴は大地にこだまし、やがて消えた。
ゆっくりと高度を下げ、地へ足がついたところで、取り巻く風を霧散さる。
「いよっしゃ! 討伐成功っ!! 」
地上へ戻ったとたん、雷太は、いつものごとくガッツポーズを決める。
「成功っ、じゃなくてさ……。雷太、とどめを刺さなかったわけ? 」
舌を出し、完全に伸びている妖魔は、かすかに体を痙攣させている。
「いつか、また害になると思うけど…?」
「う~ん。いやそうなんだけどさぁ……」
―――殺したらそれまでじゃん?
「元には戻らない、しな……」
「……まあ、別に困るのは僕たちじゃないし。とやかく言う気はないけど……」
(老師が聞いたら、一喝されるんだろうな……)
「―――呼んだかの? 」
二人はびくりと、背を震わせた。
声は背後から。
(ふ、風太……)
(うん。気のせい、気のせい……)
「何をしておるかお主ら! 師に尻を向けるとは無礼もはなはだしいぞ!!」
(ふ、風太。こらえてくれ!!)
(ごめん、ムリ。…老師は苦手なんだ……)
(しょうがねえ。 せえのっ、で行くぞ! せ~え~のぉ~)
二人同時にぎこちない様子で、恐る恐る振り返る。
そこには、巨大な老師の生首が浮いていた。
プロローグを終わらせようとしたら長くなった……。
二つに分けます。
そして、前話より思ふ。
牛の憎々しげな顔って…どんな顔なんだろう?