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サンプル

 日曜日の午後、昼を少し過ぎた時間。一人の少女が喫茶店の前にたっていた。

 パッと見はデートの待ち合わせにも見えよう。だが彼女に浮き足立つ様子もなく、待ち焦がれるような素振りも見せない。ガラス張りの壁に映る自分の姿が目に入るが、さも興味無さそうにちらりと見るだけ。

 その小柄な少女、黄川田千夏がキャリアーと判明してから一週間が過ぎた。ここ最近はベクターやキャリアーの出現も無く平和な日々を過ごしている。両親は以前と同じように接してくれているが、姉からは避けられている。化け物と罵られる事が無いだけましだが、やはり寂しくもあった。

 だが彼女の態度も理解はしている。キャリアーである事を自覚したせいか、この身体が人間とは違うのをこの数日で嫌と言う程知らされた。

 まずは目と耳だ。街中を歩くだけで見えなかった世界、聞こえなかった声が感じられる。

 そして味覚。今の千夏は肉食を好む傾向にある。魚や野菜が美味しくない、肉、特に生肉に欲求が向く。更に小動物や虫にさえ。

 確かに自覚してから人間とかけ離れた者に急速に変わっている。趣向、身体能力、全てが人間の常識と違うのだ。誰もが不気味と感じるであろう。

 だが悪い事ばかりではない。飛べる、それがこの身体で唯一喜ばしい点だ。

 誰もが憧れる自力の飛行。飛行機では感じれない身体に直接吹き付ける風。夜の空中散歩は、心の支えとも言えよう。

 だからか、物足りなかった。


「…………もっと遠くまで飛んでみたいな」


 そんな言葉が溢れる。明るい日中を飛ぶ気にはなれないが、人目を気にせずビルの無い広い空を飛びたい。月と星の下を全力で。

 ふと街に建ち並ぶ高層マンションやビルが目に入る。


「意外と邪魔なんだなぁ。けど、どっちにしろ駄目だし」


 当然、今の千夏は行動を監視されている。夜の散歩も、本来は極力出ないよう言われているのだ。

 千夏はため息をつきながら周りを見渡す。目が、耳が、今まで知覚できなかったものを知らせてくる。まるでこの街が自分の手の内にあるような錯覚さえ感じる。

 そしてもう一度空を見上げる。

 明るい。こんな日の下でなく、月の綺麗な夜、街を見下ろしながら人目を気にせずに飛んでみたい。全力で。

 そんな事を考えていた時だ。


「…………あ」


 ふと何かに気付き振り向く。そこには一人の少年がこちらに駆け寄って来るのが見える。

 その少年を知っている。卓也だ。


「ごめん、待った?」


「大丈夫。ちょっと前に来た所だから」


 そう言いながら千夏は微笑む。


「なんだかデートみたいだね。私、男の子とこうやって待ち合わせするの初めて」


「周りからはそう見えるかもな。実際違うけど。病院に行くだけだからなぁ」


「う、うーん。デリカシーが無いと言うか、変に意識されずに助かると言うか……」


 苦笑する千夏に卓也は困ったように頭を掻く。

 今日二人が待ち合わせていた理由、それは卓也の言った通り病院に行く為だ。検査ではなく、サンプル採取をしに。

 二人の身体は今や世界中の研究機関が喉から手が出る程欲しい。本来なら、拘束され研究施設に幽閉されてもおかしくないのだ。

 だが博幸はそれを良しとはせず、卓也達の日常を守る事を優先した。人として今までと同じ生活を出来るよう取り計らってくれたのだ。

 勿論タダではない。そんな貴重な者を独占するだなんて周りが許さないだろう。

 そこで提案されたのがサンプルの提供。二人の身体の一部を外部へ渡す事になったのだ。

 これは先月、卓也が周知されてから行われており、彼は今日の採取も初めてではない。だが千夏は初めてだ。多少なり不安はある。


「うーん、でもサンプル採取ってなんだか痛そう」


「そういや黄川田さんは初めてか」


「うん。どんな事したの?」


「えっと……」


 卓也は歩きながら空を見上げ思い出す。天気は快晴、雲一つ無い青空だ。しかし卓也の顔は明るいとは言えない。


「血は当たり前だろ。…………普通の人だと死んでるくらい採られたな。あと変身前と後の皮膚とか……採れるものは手当たり次第って感じだな」


「うわぁ……」


 強靭な生命力のおかげで問題は無いのは解っている。それでも千夏の不安を煽るのには充分だ。


「指を数本切り落とした事もあるし。一分くらいで生えてきたけど」


「…………」


 絶句する千夏にしまったと焦る。


「あ、でも麻酔はしてくれたし。そこは配慮してくれたよ」


「…………なんだか嫌な予感するなぁ」


 それでも安心には遠く、千夏は暗く項垂れる。


「翼片方切り落とされたりするのかな? フクロウの手羽先だなんて……」


「あー……」


 卓也はある事を思い出し口を閉ざす。


(俺の時も手足一本丸ごととか要求されてたからな。黄川田さんもありえそうだな)


 肩を落とす千夏にこれ以上脅かせるのは良くない。卓也は余計な事は言うまいと視線を反らす。


「ま、まあ……変な要求は院長先生が断ってくれてるし。そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「そうだよね。先生のおかげで今まで通りの生活が出来るんだから、少しくらい無茶なお願いも聞かないと」


「そうそう」


 そう思えば幾何か気が楽だ。この病気を治す為と考えれば苦ではない。


「俺達にも配慮してくれるんだし、知らない場所や研究所に監禁されるよりましさ。黄川田さんにもそんな酷い事しないって」


「…………」


 千夏は急に立ち止まり卓也を見上げる。そして……


「千夏」


「ん?」


「千夏で良いよ。私も卓也君って呼ぶね」


「あ、ああ。俺も構わないけど……」


 少々予想外の申し出に驚く。


「二葉ちゃんとは普通に名前で呼んでたから、平気かなって思ったんだけど。もしかして嫌だった?」


「そんな事はないけどさ。俺、基本的に名字で呼んでるし、二葉達は双子だから名前呼びなだけでさ。ちょっと驚いてるだけ」


「確かに双子だとどっちかわからなくなっちゃうよね」


「だけど俺は嫌な訳じゃないから、どう呼んでも構わないよ」


 そう言うと千夏は嬉しそうに微笑み、目蓋を少しばかり開く。黒い黒曜石のような目、人のそれとは違う黒一色の目が卓也を見つめる。


「良かった。卓也君とは同じ病気の仲間だし、仲良くしたいなって思ってて」


「俺もまあ……こうやって共有できる人がいるのは心強いかな」


 何故だろうか。こうもまっすぐ向き合われると少し気恥ずかしい。

 だがそれ以上に千夏がこんな事を言い出したのが意外だった。


「けど黄川田……千夏っておとなしいと言うか、こんな風にグイグイ来ないイメージだったから」


「よく言われる。けど人並みにはコミュ力はあるよ。流石に二葉ちゃんには劣るけどね」


「あいつはぶっ飛んでるだけだ。人懐っこいと言うか、距離感が無いと言うか……。それに振り回されてる一馬も大変だろうな」


 面倒見の良い彼はいつも二葉に振り回され、彼女の面倒を見ている。その光景を思い浮かべるだけで笑みが溢れそうだ。


「本当、あの二人って仲良いよね。前からあんな感じだったの?」


「ああ。ずっと変わらないよ」


「そっかぁ……。ちょっと羨ましいかも」


 そう呟く千夏の顔色は雲っている。その理由は卓也も知っている。先日話していた姉とのすれ違いだ。

 独りっ子の卓也には未知の悩み。そして家族からの拒絶は想像もつかないような痛みなのだろう。


「……なあ、千夏のお姉さんってどんな人なんだ?」


 不意にそんな疑問が浮かんだ。ほんの少しだが、姉という存在に興味が沸いたのだ。


「お姉ちゃんは……三つ上の大学生でね。法律の勉強をしてるの」


 姉の事を話し始めると、千夏の表情は次第に明るくなってゆく。


「すっごく頭良くってね、優しいんだ」


「自慢の姉って感じか?」


「うん」


 連れて卓也も微笑む。


「そうか……」


 そうしていると二人は病院に到着した。日曜日である今日は当然休診日。開いているのは緊急外来窓口と面会だけ、そのせいか平日より酷く殺風景に見える。まるでホラーゲームの世界のような不気味ささえ感じるくらいだ。

 卓也達は正面からではなく建物の裏側、そこにひっそりと取り付けられた職員用の裏口に向かう。

 当然そこにも誰もいない。とても静かな場所。聞こえるのは風の音だけだ。

 扉はオートロック式で、IDカードで解錠するように機械が横に設置されている。卓也はそこにパスケースをかざす。

 ピッと小さな音が鳴り、鍵が開けられる。


「んじゃあ行きますか……ん?」


 扉を開けて中に入ろうとしたその時、卓也は不意に視線を感じ後ろを振り向く。


「どうしたの?」


「…………いや、気のせいだった」


 病院の屏、更に先には民家があるだけ。屏も高く誰かがいたとしても姿はお互いに見えはしない。

 卓也は深く考えず、千夏と共にそのまま院内へと歩き出すのだった。

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