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見切り

「あ、ああ……」


 眼下に広がる水面。身体は宙を浮き景色だけが動く。両肩を捕まれ、飛んでいる何者かに拐われている姿が見えている。


(何何何!?)


 クラスメートに睨まれたかと思えば、見た事の無い怪物に教われる。そして自分の奇行。千夏のキャパシティを超えた状況に、頭は混乱し理解が追い付かない。

 ただ、この意味不明な現状を卓也は知っていると感じた。きっと関係者なのだろう、それだけは確信している。

 少しずつだが落ち着きを取り戻すと、心中で何かが震える。非日常、物語の中のような世界へと足を踏み入れた。今まで漫画の中でしか見れなかった、決して体験出来ない世界。それが今まさにここにあるのだ。

 しかしそのワクワクするような気持ちはすぐに潰える。

 千夏を捕らえていたプテラノドン型キャリアーが急上昇したかと思うと、彼女を地面に投げ捨てたのだ。


「そうら、落ちろ!」


 落ちていく身体、迫る地上に身動き出来ない状況。十メートルはあろう高さからまっ逆さま、重力に逆らえぬ彼女は落ち……地面に叩き付けられてしまう。

 感じたのは全身を襲う衝撃、それに一歩遅れて激しい痛みが駆け巡る。


「カハ……」


 痛い痛い痛い痛い痛い。神経が、脳が、その痛みに悲鳴を上げ彼女の意識に流れてゆく。

 一瞬でもこの状況を喜んだ自分を呪った。自分のような一般人が、漫画やアニメのような非日常に足を踏み入れたらどうなるか、考えるまでもない。ただ蹂躙される名も無きモブ、それが自分なのだ。

 だが痛みに悶絶しながらも、身体の自由は失ってはいなかった。


「痛い……けど、動ける?」


 手足の感覚はある、力も入れられる。ふらつきながらも立ち上がり、息を整える。

 骨の一本くらい折れても不思議じゃない。普通なら動く事も儘ならないだろう。もしかしたら、雑草がクッションにでもなったのだろうか。

 身体の中で何かが蠢いてるような感覚があるが、痛いだけで死ぬよりかはましだ。そして何よりも、動けるなら逃げる選択肢が残されている。


「とにかく逃げなきゃ」


 余計な事を考えている暇は無い。痛みに耐えながら、必死に身体に鞭打ち歩き出す。

 千夏は気付いていなかった。自身の怪我は決して軽くはなかった事、その傷が、知らない間に入っていた骨のひびが既に()()()()()事を。

 勿論逃げようとする千夏をキャリアーは不思議がりつつも、見逃したりはしない。


「あれ? 動けんの?」


 翼をはためかせ、空から異形の怪物が降り立つ。


「普通なら死なずとも、骨やって動けないはずなんだけどなぁ。ま、いっか」


 髑髏のような口を打ち鳴らし笑っている。その不気味な風貌に背筋がゾッとした。

 ただ姿が恐ろしいだけじゃない。もっと、その内側にある人ではない部分が表に滲み出ている。


「精々楽しませろよ。逃げて、苦しんで、泣いて、悲鳴を聴かせてよぉ……な?」


「嫌……何で……」 


 恐い、嫌だ、来るな、心ではそう叫ぶが身体は違った。何故だろう、身震いすらせず足はしっかりと地面を踏み締めている。

 頭では恐れていても、身体がその恐怖を打ち払う。そのせいか、頭は冷静さを取り戻していく。


「……どうして私を?」


 だからこそ疑問が浮かぶ。この怪物の目的な何なのだ、何故自分が狙われているのかと。ただこれだけははっきりしている、自分は誰かに恨みを買うような事はしていない。こんな事をされる筋合いは無い。

 しかしその言葉は逆効果だった。キャリアーはあからさまに不機嫌そうに舌打ちをする。


「お前さ、誰の許可でしゃべってんの? キモいゴミカスのくせにさ。いいか、お前が言って良い言葉はなぁ……」


 全身で感じられる怒気、そして初めて触れる殺意に千夏は息を飲む。


「命乞いと断末魔だけなんだよォォォォォォォォォ!!」


 翼を羽ばたかせ浮かび上がり突撃。両腕の嘴で千夏を串刺しにしようと襲い掛かる。

 速い、今まで見てきた何よりも。そのせいか、彼女の中には『諦める』選択肢が思い浮かぶ。


「チッ……」


 だがキャリアーはそれを良しとは思わない。もっと怯えろ、死の恐怖に泣き叫び、惨めに命乞いをする姿が見たい。

 だから一撃で殺しはしない。徹底的に痛め付けてやる。

 そんな歪んだ感情を抱く程、彼にとって千夏の存在は許せないのだ。


「まずは腕から!」


 足は後だ。情けなく逃げ回ってもらわなければつまらない。

 嘴を真っ直ぐ突き出す。肩を突き刺し、抉ろうとした。

 だが……


「なっ!?」


「…………へ?」


 二人の顔に驚愕の表情が浮かぶ。千夏が避けたのだ。それも紙一重のタイミングで、無意識の内に動いていた。

 一番驚いているのは彼女だ。運動は苦手な自分が動けるだなんて思ってもいない。避けられるなんてあり得ないと。

 だが身体は動いた、風のように迫る一撃が見えていた。


「運の良いやつ。まっ、もっと逃げて楽しませろよ!」


 そんな千夏の動きに驚きつつも、キャリアーは余裕の笑みを崩さない。再び翼を広げ襲い掛かる。

 命の危機は変わらない。それなのに千夏の心には諦めより妙に高揚してゆくのがわかる。迫り来る凶器、それは恐れる物ではなくなっていた。

 動きが見えるのだ。身を反らし再び避ける。身体が動き、目が敵を捉えていた。


「チッ!」


 まただ。二度も掠りすらしない事に苛立ち舌打ちする。

 そんなキャリアーと違い、千夏の心は、感情は高まってゆく。


(火事場の馬鹿力っていうのかな? 私、こんなに動けるだなんて)


 自分の身体ではないみたいだ。まるでゲームをしてるように、身体が本来の能力以上に動かせられる。これなら逃げられると、その期待が千夏を突き動かし走り出す。


「逃がすか!」


 一目散に逃げる千夏を追い掛け、大きく翼を羽ばたかせる。

 もう遊びは終わりだ、調子に乗るのも今の内。これ以上避けられるのも癪だと、次は足に狙いを定めた。


「なっ?」


 逃げる千夏がこちらに振り向く。その視線にキャリアーは背筋が凍りつく。

 横目で見るような動きではない。ほんの一瞬だが、彼女の顔がこちらを向いたのだ。

 首を百八十度回転させて。




 卓也と美咲は橋の上をひたすら走る。車がすれ違うも、気にしている時間は無い。

 その途中、美咲がおもむろに話し掛ける。


「拐われたって事はまず感染しているでしょうね。一応言っておくけど、覚悟はしておいてね」


 美咲はあくまで千夏が人間として拐われたと思っていた。当然、卓也は違うという事を知っているせいか即座に否定する。


「違う。あいつは黄川田さんをグローバーって呼んでいた」


「何ですって?」


 驚きつつも足を止めず、卓也も首を縦に振る。


「感染じゃなくて殺す為にか。無事……と言うより、生きていれば良いけど」


 忌々しそうにため息を溢す。

 感染者の五パーセント程度しか発生しないので、グローバーは貴重なのだ。人類の剣、その一員の確保は優先すべき事である。


「とにかく黄川田さんの保護を最優先。あと……キャリアーは捕獲して。私が手足を切り落とすから、藤岡君は蔦で拘束して」


「ああ」


 卓也は力無く返事をする。彼は別の事を考えていたからだ。黄川田千夏は本当にグローバーなのだろうかと。

 確かにキャリアーは抗体を感知する能力がたり、グローバーを見分ける事が出来た。更に人間形態でも他の生物の性質を発現している。卓也が光合成をし、水分しか口にしないのもそのせいだ。一方でグローバーは身体能力以外は人間と変わらない。

 しかし卓也は千夏の奇行を見てしまった。ハムスターを丸呑みする光景を。

 だがこれである仮説が考えられる。


(もしかして、黄川田さんは俺と同じ?)


 そう、抗体を持つキャリアーなのかもしれないと。

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