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「これに見覚えがあるだろう?」
画面に映し出されたのは緑色の水溜まり。卓也も見たベクターの亡骸だ。
「はい……」
少しだが気分が落ち着いてきた。考えても落ち込むだけと言い聞かし思考を切り替える。
「これはベクターやキャリアー、発症者の死体だ。何故このような姿になると思う?」
「……死んだからじゃ?」
人と違った存在である怪人の死体が残らないのは珍しくない。溶けるのもあれば、灰として消えたり、元となった物や別の物に変化するのもある。
だがそれはテレビでの話だ。現実でどうなるかは解らない以上、フィクションに当て嵌めるしかない。
「おしいね。正確にはウイルスが死滅し肉体を維持出来なくなって死んだからだ」
「肉体の維持?」
普通ならばウイルスがいなくなれば病気は治った事になる。となると、ベクターやキャリアーはウイルスの存在が生命維持に必用のようだ。
「発症者の身体はウイルスによって維持されている。自分の家のようにね」
パソコンから手を離し背もたれに身体を預ける。
「ウイルスは人体の外では生きていけない。だからウイルスは発症者の身体に規格外の再生能力を与え守る。おかげで銃くらいでは処理しきれず、捕獲も困難な現状だ」
博幸はため息をつきながら肩を落とす。
「逆を言えば、ウイルスを処理すれば自壊する。そしてウイルスに対抗する物質……」
視線を美咲の方へと向け、彼女もそれに気付き背筋を伸ばして姿勢を正す。
「つまり抗体だ。更に抗体を利用、発症者対策として開発されたのがアサルト・キュア。それを使えるグローバーが発症者に対抗する手段なんだよ」
再びパソコンを操作すると美咲の姿が映し出される。その姿は卓也と対峙した時の、赤い装甲の付いた白いコート姿だった。
成る程と心の中で頷く。怪人の唯一の対抗手段がヒーロー。そんな構図と同じなのだ。
ああ、納得出来る自分が笑える。物語の設定のような出来事をすんなり理解出来るだなんて、あまりにも滑稽だ。
しかし卓也はある事に気付く。
自分が倒したベクターも溶けていた。抗体により融解するのなら、自分も抗体を持っているのでは? そういえば美咲がそんな事を言ってたのを思い出す。
「そういえば俺にも抗体が……え?」
違和感がある。矛盾しているのだ。
「そう、そこが一番の疑問点なんだよ。卓也君はどう見てもキャリアーだ。なのに、何故か抗体を有している」
ウイルスを保菌し、怪人に変貌するのがベクターやキャリアーといった発症者。逆にウイルスの代わりに抗体を持つのがグローバー。
つまり……
「君はキャリアーでありグローバーでもある存在なのだ。そんな症例は聞いた事が無い」
「…………はぁ」
何がなんだか解らない。相対する存在を同時に内包するなんて、矛盾が人の型をしているようだ。
「それで、俺はどうすれば?」
状況は解った。だからこそ自分の身の振り方、求められる事を知りたい。
そんな卓也の言葉に博幸は優しく微笑む。
「君を調べさせてもらう。卓也君の考える、本当の治療法を探る手掛かりになるかもしれないからね」
当然だ。卓也は貴重な存在、かつ重要なサンプル。治療法の手掛かりになるはずだ。
「それと、発症者はグローバーを探知する能力がある。彼らからすれば抗体は猛毒、命を狙われる以上君も保護させてもらう」
「へ、保護?」
予想外の展開にすっとんきょうな声が出てしまう。
「…………あの、キャリアーとかって抗体が無いとダメなんですよね?」
「丸焼きにするとか、他に方法が無い訳ではないがね……。感染リスクが高く、後処理が困難なんだ」
「私達グローバーは感染しない上、普通の人より身体能力も圧倒的に上。だから私達が対応しているの」
ふと朝美咲が言っていた事を思い出す。喧嘩が強い、その理由は鍛えているだけでなくグローバーとしての身体能力もあるからだったのだ。
しかしそれよりも今は自分の事だ。
「俺も戦わなくて……良いんですか? いや、俺としてはこっちの方が助かるんですが……」
その問いに博幸は一瞬目を丸くするが、大きく口を開けて笑い出した。
「アッハハハハ! 成る程、そうだね。いや、私も解るさ。力を手に入れたら、それを貸すよう頼まれるのはよくあるからね。解るぞ、男の子なら憧れのシチュエーションだ。私も同じ立場なら期待するよ。十代だったらね」
見透かされた。ああ、確かに憧れはする。こんなの、まるで物語みたいだ。
偶然巻き込まれ、力を得て、力を知る組織が現れたのだ。危険に身を置きたくないと思っていても、こんな漫画やアニメのような展開に期待するに決まっている。
そんな自分の考えにハッとしたように目を見開き、すぐに俯いてしまう。
発症者の事を考えると気分は良くない。そしてそんな考えをした自分に嫌悪感を感じる。
「………………俺、どうなるんですか?」
不安げな小さな声。
よく考えればキャリアーは人間、生者として扱われていない。保護とは名ばかりで、実験動物扱いや監禁される可能性もある。自分の見えない未来に、卓也の心は揺れていた。
本当に恐ろしいのは人間、だなんて言葉があるくらいだ。いざとなれば力ずくでと身構える。
「心配はしないでほしい。少なくとも君に危害は加えない事を約束しよう」
「藤岡君が何もしなければね」
にこやかに答える博幸と違い、美咲は不機嫌そうに外方を向く。
彼女の気持ちも解らなくはない。美咲とは考え方が違う、信念も経歴も。何より安全を確保する必用があるのだから、百パーセントの信頼が無い卓也に対する言葉に刺があるのも納得出来る。
「解りました」
もう迷わない。受け入れよう現実を。この病を治す為に協力するのが一番だ。その為に今ここにいるのだと納得させる。
承諾した事に博幸は微笑みながら頷く。
「そうしてくれるとありがたいよ。では早速問診からだ」
そう言うと何処からともなく端末機を取り出す。そして機関銃の如く質問を投げ掛けた。
質問する博幸の顔は妙に明るく、少しだけ楽しんでいるようにも見える。
「最近誰かに噛み付かれたり引っ掻かれたりしたかな? 勿論逆にしたりは? 君の血に誰か触れたりは? 献血は?」
「えっと……無いです」
その圧倒するような質問にたじろぐ。食らい付くような貪欲さに満ちていた。
「ではキスや性行為は?」
「…………かっ……彼女いないんで」
何故ここまで聞かれなければならないのか。恥ずかしさに顔が赤くなる。
そんな卓也とは裏腹に、博幸は一層嬉しそうな顔をした。
「重畳、重畳。となると感染の危険性があるのはご家族だけか。これなら手早く済みそうだ」
「っ!」
家族の事を思い出し青ざめる。自分が感染していたのならば、家族もその危険が高い事い。よく考えると、今までの質問も全て感染経路の事だった。
背筋が凍るような気分だ。万が一両親が感染していたらと思うと胸が締め付けられるように苦しい。
「あの……」
「ご家族の事かい?」
「はい」
声に力が無い。不安に押し潰されそうになる。
いや、まだ二人が感染したとは決まった訳ではない。今の自分では両親の無事を祈る事しか出来ないのがもどかしいが、感染していないのを信じるしかない。
「私からは適切な対応をするとしか言えないな」
「………………」
言葉が出ない。彼の言葉の意味を察すれば、万が一の未来は想像に容易い。
感染していない、グローバーとなる。そんな可能性を信じるのが一番だ。
「さてと。次の検査……の前にご家族に連絡をしないと。夜中に申し訳ないが、早急に対応しなければならないからね」
博幸は部屋の角にいた男性を呼ぶ。そして思い出したように美咲の方を向いた。
「美咲君ももう少しだけ頼むよ」
「問題ありません」
まだ夜は長い。これからどんな事をされるのか、どんな未来が待っているのか。それは誰にも解らない。