表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Title.1 使命  作者: エス
7/9

脱絶対的

 今日は気が向いたからもう少し書きたいと思う。が、新しくアイスコーヒーを頼もうと列にならんでいたら何を書きたいかなんて忘れてしまった。そして、自分はいつまでこのエッセイを書き続けることが出来るだろうかということを考えていた。恐らくずっとは続かない。自分の書きたいことが尽きた時、その時がエッセイの投稿を止める潮時だと思う。そしてその時はそんなに遠くないんじゃないかと感じた時、自分の未熟さを知ったし、自分の端を感じた。やはり私はこの領域の端をもっと広げたい。ここで、何を書きたいと思っていたのかを思い出した―。


 何が絶対的に正しいかなんて恐らく存在しない。いや、いまはまだ存在しないだけか。まだ存在しないのだから、絶対的に正しいものとして盲信することは愚かなことだと思う。愚かというよりも、私からすれば勿体ない。もし私がそんな盲信状態にいることを知ったら無意味な時間を過ごしてしまったと感じるに違いない。だから、敢えて愚かという暴言を投げつけたい。


 ヒトラー、ポルポトや毛沢東など大虐殺を行った指導者をみんな知っているだろう。私からすると彼らの存在は時代に合っていなかっただけだと思う。国を爆発的に成長させるには高い理想を持った指導者の下に均質化された労働力を捧げる集団がいる状態が望ましい。彼らはそれに気づき、実行したのだろう。しかし、彼らの手法は時代の先を行っていた。だから彼らは否定されているのだ。人を殺すということが悪とされている時代なのだから当然彼らは悪とみなされ、間違っているとされるだろう。重要なのは、時代に合っていないから彼らはその時代において悪とみなされたのだ。絶対的な悪ではない。時代が時代ならば至極当然の正しい行為となり得るだろう。何が正しいかということも同じだ。だからこそ、今という時代を見定め、この時代においては何が最も正しいだろうかという謙虚な姿勢でいることが重要だと思う。その時その時を臨機応変に対応し、その時の最善を尽くす。そして、一歩一歩着実に時代を進め、絶対的な正しさを手に入れようじゃないか。何度も言う。今、絶対的な正しさを求めるべきでない。求めたところでそれは現実化できない。だが、絶対的な正しさが何であるかという思考を張り巡らせることはできるかもしれない。求めるのではなく、理想状態を考えるということだ。そしてそのイメージはおそらく全人類に共通するだろう。皆既に分かっているのだ。どんな世界が理想なんて皆分かってるだろう?だったらそれが今の時代に合わないことぐらいわかるだろう。分かってくれ。そして今を少しでも理想状態に近づけるよう、生きようじゃないか。そこに使命を見出したなら、そいつは運がいい。だが全員ができることだ。たかが運に支配されるなんてつまらない。自分の領域の端を感じたのなら、少しそれを広げるだけでいい。それだけで運なんてものからの支配は脱却できる。端を感じれることが運なら、どうしようか。そうだな、なら、みんなが端を感じられる、そういう時代を創るだけだ。やはり世界は前途洋々である。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ