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Title.1 使命  作者: エス
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個の視点

 朝8時前、おもむろに文字を打つ。昨日はドライブで鎌倉に行き、今日もドライブ。最近、自動車を運転したいという欲が沸き上がっており、それを満たす。だがなぜか一人でドライブというわけにはいかない。友人とドライブ。セットでこそ私にとっての価値があるのだろう。


 私は孤独が嫌いだ。これはすべての人間に当てはまるとは思わない。し、当てはまる必要性もない。そんな私がなぜだか孤独と闘おうという意思を持った自分を感じる。これはポジティブだからとかそういう感覚ではない。自分の知覚領域を広げたいのだと思う。それ故に孤独になるのなら、本質的には私は孤独を望んでいるのか、そんなことを考えながら、使命についての思考に移る―。


 私の存在意味は宇宙的視点に立つと失われる。これは、宇宙にあるいはこの現実世界に支配されていることを意味する。マスタスレイブ系を考えた時、マスタはスレイブが行う仕事に価値を求めるだけであって、スレイブが何者でどんな考えを持っているかは本質的にどうでもよい。では、改めて私の存在意味を考えると、宇宙的視点に立つことから脱却し、“己の視点”を持つことが存在意味を考えるベースとなることに気づく。これは即ち、自己の存在意味を自己で定義するのと同義である。そして自己で定義された存在意味は使命へと昇華する。ここで、私という単語から己というより一般化された単語に遷移したことに気づいた。


 では、私が定義した存在意味はなんであったか、いやその前に私の視点を明らかにした方が賢明か。私という人間は田舎で生まれ育ち、自然に恵まれた環境で育った。家の近所には年齢関係なく友人と言えるものがおり、よく一緒になって遊んだものだ。だが時には家で一人模倣遊びをすることもあった。車移動の時は会話をあまりせず、外の景色を眺めながら遠くの山は過ぎ去るのが遅く感じるのに、近くの白線はすぐに目の前を過ぎ去ることに疑問を感じたり、妄想を張り巡らせていたりしていたのを覚えている。そして、高校時代にはよくわからない拘束感をわき目に、早く卒業したいものだと考えていた気がする。そのころは宇宙的視点で物事を捉えており、高校という狭い世界が鉄の檻に見えていたのかもしれない。このように私は視野を広げることを欲している人間であると理解できる。これが私の“己の視点”だと思う。つまり、私は自分の視野を広げることに人生を捧げる、これこそが私の存在意味であり使命への出発点なのだ。


 使命は自己中心的な思考の末に生まれる。使命は“己の視点”と世界をリンクさせることで生まれる。自分という人間が求めることを理解し、自分という個をどうすればコミュニティに接続させることができるかを考える。抽象から具体に文章を変化させたところで手を止めよう。

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