9.ルフィーナとシャンタル:後編
カンラートへの想いを再び募らせていたわたし。王女と言う立場も忘れ、ただ無意味に時だけが過ぎるのを気にすることなく過ごしていた。9歳のヴァルキリー候補である女の子に倒された、愛するアスティン。
本来なら彼を看病しながら、ずっと傍にいてあげたいと思っていたはずなのに、どうしてわたしは未だに旅を共にし過ぎた彼のことを想い続けているのだろう。
そんなわたしに気付いたヴァルティア。お姉さまとしての心を忘れ、今はわたしを戒めるためにヴァルキリーとして対峙している。アスティンを想い続けたヴァルティア、そしてカンラートを愛しく想い続けるわたしはいつか必ず、ヴァルティアとこうなると思っていた。
アスティンと一緒にいた彼女とカンラートと一緒にいたわたしとで、きっといずれ戦うことになるのだろうと心の中で感じていた。これはきっと、互いの想いをぶつけなければいけない戦いなのだわ。
「ヴァルティア……あなたはカンラートを愛しているのかしら?」
「お前はどうなのだ? ルフィーナよ。長年離れていたアスティンと再会し、婚姻を果たしたお前は幸せではないのか? かつて我が憧れた王女の強さをどこかに捨て、過去の想い人……カンラートに心が囚われているのは何故だ!」
「アスティンを愛しているわ! それは嘘でもないことよ。それでも想いの強さはそう簡単には消えないものよ。あなたもそうでしょう?」
「フ……我がまだアスティンのことを想っているとでも? 我の想いはすでに奴では無い。我が強く想うのはルフィーナ、王女であるお前だけだ! 姉と妹、かつては姫だった絆を結んだというのに、何故お前はいつまでも過去にしがみついている? そこまでの想いならなぜ、カンラートを我から奪わなかった?」
ヴァルティアからカンラートを奪って、誰が幸せになると言うの? そんなのは望まぬ未来よ。
「奪った所で始まらないわ。それは子供だったわたしでも理解していたことよ。それに、わたしにはアスティンがいたもの。彼のことを想い続けたことが何よりだわ」
「……お前のアスティンへの想いは幼き頃から止まったままだ。再会し、共に過ごす時間が長くなろうとも、ルフィーナの心が追いついておらぬことは我の目からは、はっきりと見えていた。だからカンラートへの愛しさの方が優っているのだ」
「そ、そんなことはないわ! わたしはアスティンを……彼のことを――」
わたしの言葉を遮り、ヴァルティアはわたしを地面に倒した。痛みを感じる……これは体の痛み? ううん、これはきっと心の痛み。
「痛いだろう? お前はレイリィアルの王に頬を叩かれたと聞いているが、それよりも痛いはずだ。我……わたしにルフィーナの想いをぶつけてこい! そうして本気でかかってくれば自ずと見えてくるはずだ。お前自身の心が……」
ヴァルティアに敵う筈も無いことは承知の上で、わたしはなりふり構わず会得した体術を何度も繰り出そうとした。彼女はその度にわたしを容赦なく地面に倒し続けた。ヴァルティアはわたしからの攻撃にびくともしない。子を授かり、子育てする身であっても、彼女は強かった。
何度向かってもその場から動かされることのないヴァルティアと、何度挑んでも空回るわたし。きっと、これ自体に意味を持たない。これは彼女とわたしの想いの強さそのものなんだ。わたしはきっと、あやふやな想いを残したままでアスティンも想っている。
「はぁはぁはぁ……あなたには最初から勝てるわけが無かったのよ。分かっていたけれど、心のどこかで諦めていなかったのだわ」
「……諦める必要なぞ無い。そして忘れることも無い。ただ、その想いをすぐ傍にいるあいつに注いでやってくれ。わたしの影を追い求めたアスティンは、わたしではなくルフィーナ。お前だけを選んだのだ。お前がカンラートを愛しているのは知っている。それでも、アスティンにはそれ以上の気持ちを注いで欲しい。それがわたしの願いだ。ルフィーナ王女、手荒で無礼な真似を申し訳なかった」
誰が見ても、何度も地面に倒されたわたしの全身は土で汚れ、所々は痛みを伴う程の痣が見えている。戦っていたのはわたし自身。傷はわたしに跳ね返って来ただけ。それを気付かせる為だけに、彼女はわたしをけしかけた。無礼な振る舞いを承知の上で……
「ヴァルキリーシャンタル! あなたの気持ちと願い、確かに受け取ったわ。ですが、王女であるわたくしにした振る舞いへの罪への覚悟は、おありかしら?」
「……あぁ。承知の上でしたことだ」
今回の事は全てわたしが全部悪いことだった。そしてその答えをわたしに出させるためにしたことは当人同士、よく分かっている。それでも、城の庭で王女を傷つけたヴァルキリーには皆の前で処遇を示さなければならないほど、すでに何人かの兵士、近衛騎士たちがこの場に駆けつけていた。それゆえに、あえて言葉を出さなければならなかった。
「ルフィーナ様、何事でございますか! そのお体の傷、まさか……」
「セラ。わたしは平気よ。少し、転んだだけだわ」
「し、しかし……」
傷と汚れだらけの王女と、傷も汚れも無いヴァルキリー。誰が見ても明らかに分かることだった。無礼な行ないをしたヴァルキリーへの処遇は、王であるわたしが下さなければならない。だからわたしは――
「ヴァルキリーシャンタル。わたくしはあなたを……」
「……」
「何事か! ルフィーナ、それにヴァルティア? ここで何をしている……む? ルフィーナのその傷、まさかヴァルティアにか?」
「……あぁ。我がしたことだ」
「皆の者! ここは騎士団長カンラートが預かった。皆は持ち場に戻れ! 此度の処遇は今この場で、王女が下されるだろう。皆は変わらず、国を護れ。以上だ!」
カンラートの言葉で、城の兵と近衛騎士たちはそれぞれの持ち場に戻って行く。きっと彼はわたしと彼女の様子で分かったのだわ。
「フ……カンラート。貴様も我を処する為に来たか?」
「バシーーン!!」
「――っ!? な、何をする!」
ヴァルティアの言葉ですぐに手を振り上げ、彼女はカンラートに頬を叩かれていた。そしてわたしも……カンラートに頬を叩かれた。
「カ、カンラート……」
「二人とも、痛いだろう? 何があったかは聞かぬ。皆にはただの姉妹喧嘩とだけ伝えておく。だが、騒ぎを起こしたことは事実だ。故に俺はお前たちに罰を与えたまで。必要だった戦いだったのだろう? ルフィーナとヴァルティアにとって」
「フ、まさか貴様に救われるとな。カンラート、後は任せた。ルフィーナ、後でまたゆっくり……な」
「ええそうね、お姉さま。今度は落ち着いた気持ちでお話が出来るわ。ありがとう」
ヴァルティアは、わたしとカンラートを残して城へ戻って行った。
「ルフィーナ。そのな、お前が俺を想っていることはだいぶ前から知っているのだ。そしてそのことを俺は拒んでもいない。だが、現実は変えようがないのだ。俺を巡っての戦いだったのだろう?」
「ふふっ……お兄様ってば、自意識過剰なのね」
「いや、ずっと考えていた。お前は俺と初めて出会った時から俺のことを好きだったはずだ。俺もお前も囚われの身となった時から、愛しさを感じるようになっていたのだからな。だが俺にはあいつが、お前にはアスティンがいる。決められた相手がいるのだ。俺もお前を想っているのは確かだ。それでもどうか、分かってくれないか? 想いを消すことは無い。お前も俺を忘れる必要は無い。だからせめて、俺はルフィーナに誓おう」
わたしはすでにヴァルティアお姉さまとの戦いで、カンラートへの想いを落ち着かせていた。それなのに、カンラートはわたしに誓いを、誓いの……
「――!? カ、カンラート?」
「ルフィーナと共になることは出来ぬ。せめてコレを以って、誓わせてくれ。お前をいつでも想っていると……それで構わぬか?」
落ち着いた気持ちを滾らせる口づけをカンラートはしてきた。これでは収まりがつかなくなる……そう思いながら、わたしもカンラートへ口づけを返した、その時だった。
「ル、ルフィーナ……と、カンラート? な、何をして、いるの? ど、どうしてそんな……そのキスを」
「ア、アスティンか。こ、これはだな……」
「え? ふ、ふたりは仲のいい兄妹関係じゃ、ない……の?」
アスティン……彼に見られてしまうなんて。これもわたし自身の贖いなのね。
「アスティン、何を心配しているのかしら? 今の口付けは、わたくしへ一生逆らわない誓いの口付けなの。カンラートはわたくしに絶対服従するという誓いを約束したの。だからこその行動に過ぎないわ! そうでしょう? カンラート」
「絶対服従……あ、あぁそうだ。俺は団長ではあるが、ルフィーナ王女には絶対逆らえぬ存在だ。そういうことなのだ。アスティン、要らぬ心配をかけさせてしまったな。すまぬ」
「そ、そっか~大変なんだね、カンラートも」
「ふっ、お前もだろう? お、俺は戻るぞ。ではな、ルフィーナ」
「ええ」
怪我が治りきっていないにも関わらず、外の様子に気付いたアスティン。わたしを気遣って外に出て来てくれたのね。ヴァルティアからの想い、カンラートからの想いでわたしは気付かされた。
王女として、夫として大事なひとがすぐ目の前にいるのに、見えなくして逃げていたのね。わたしにはずっと想い続けていたこの人がいると言うのに。アスティン、大事なひと。今までごめんね、あなたから逃げていたわたしを許して……。
「アスティン!! わ、わたし……」
「わっ!? ど、どうしたの? った、いたたた……」
「まだ痛むのに、わたしの為にごめんね、アスティン。好きよ、大好き――」
「俺も大好きだよ、ルフィーナちゃん。だから、泣かないで。キミの傍にずっといるから」
大好きなアスティンと婚姻をしたわたし。それなのに、いつまでも過去を引きずっていたわたし。大事なひとが傍にいたのに、ずっと彼から逃げていた。
王女になってから日が浅いとはいえ、覚悟と強さに欠けていた。心に隙を作らせたのはわたし自身。もう、迷っては駄目なんだ。こんなにも愛おしいひとが傍にいてくれるのに、いつまでも弱さを見せていては国も彼も不安を持ってしまう。もう、迷うのをやめるわ。
「アスティン。わたし、決めたわ!」
「え? な、何を?」
「アスティンはずっとわたしの傍に居なきゃ駄目なの! だから、あなたの怪我が治ったら隣国へ一緒に行くわ。わたし、あなたと一緒ならどこにでも行けるもの。アスティンもそうよね?」
「わがままなルフィーナちゃん。それでも俺はキミさえいてくれれば何もいらないよ。キミが嫌な事は俺が、俺がキミを守るよ!」
「――アスティン」
ようやく気付いた、わたしの気持ち。彼がいたからこそわたしは王女で在り続けられていたんだ。カンラートへの想いは消えないけれど、もう迷わない。
弱さをいつまでも出していたわたしは今日を以って終わらせる。そして、アスティンの回復を待ってルフィーナ王女は、騎士アスティンの傍で動き出すわ! アスティンごめんなさい、ありがとう。愛してるわ。