49.過去との決別
「うふふっ……よくもまぁ、逃げ出さずに姿を見せたものね。それだけは褒めてあげてもよくってよ?」
「俺は逃げない。イグナーツとの戦いに逃げてたまるものか。ラルディ王女こそ、帰り支度をしなくていいの? 俺が彼に勝ったら、君は王国へ帰るしかないよね」
「そんなことはあなたごときに言われるまでも無い事よ。あなたが勝とうが負けようが、帰るのは当然なのだから。それに、たとえあなたが彼に勝てたとしても、わたくしが素直に言うことを聞くとでも思っているのかしらね? 相変わらず弱いままなのね。所詮、誰かの力を借りなければ勝てないのよ。アスティンは」
「そうかもしれないね。でも、それでも俺は負けないよ。イグナーツにも、君にも……」
ラルディに呼び出された場所は、レイバキアの外だった。詳しい場所は分からないけど、ラルディの後ろには彼女の生まれ故郷の王国があるらしく、王国を背にして俺と対峙している。
俺の近くにはハズナやルカニネがいない。姿は見えないけど気配は感じられる。きっとラルディも勘付いているに違いないんだ。そうじゃなきゃ、最初から俺の足元を凍らせているはずだから。
「キミは、僕を知っているんだよね。アスティン……何だか懐かしい響きがする。それに意志の強さが君から感じられるよ。僕を倒すための意志をね」
「俺はあなたをずっと探していたんです。こうして目の前にいることも未だに信じられないです。でも、会えました。そのあなたが俺と勝負を挑んでくれる。俺はそれに応えます。そして、決着を望みます」
「それは僕もだ。それじゃあ、ジュルツの騎士アスティン。決着をつけようか」
「フフ……イグナーツ。あなたの戦い、期待させてもらうわね」
「うん。終わったら僕は、キミに話したいことがあるんだ。だから見守って欲しい」
「ええ、それで構わないわ。あなたに助力なんて無用のようだし、あちらにも厄介な天敵がいるようだし、わたくしは大人しく待つことにするわ」
やはりヴァルキリーのふたりには気付いているみたいだ。魔法をかけてこないなら、俺も全力で挑める。兄騎士イグナーツ。彼と戦える日が来るなんて思わなかった。過去の呪縛からきっと救ってみせる。
「じゃあ、いいかな?」
「はい!」
互いに騎士の剣を抜き出し、利き手の右手でそれぞれ構えを見せた。互いに騎士の盾は持っていない。見合う時間が刻々と過ぎて行く中、仕掛けたのはアスティンからだった。
実戦から離れていたアスティン。それでも数日で感覚を取り戻し、鋭い切っ先が相手の頭上を捉えていた。アスティンの白刃はイグナーツを捉えていた。彼はそう思っていた。
「……え?」
まるで感触が無いと思っていたと同時に、アスティンの胴鎧にはイグナーツの剣がたたき込まれていた。思わず腰の辺りを手で押さえ、アスティンは数歩退いた。
「ぐ……な、何で」
「ウフフ……わたくしが魔法を使わずとも勝てそうね」
俺たちの戦いを大人しく見ているラルディ。彼女の口からは、イグナーツがしたことの意味が分かっているようだった。彼を斬った時まるで感触が無かった。魔法でもない。だけど、霧の中に迷い込んだような感覚を覚えた。俺は幻でも見ているのだろうか。でも、そんなはずはない。確かにここには彼がいる。
「よ、よかった……切れてはいないみたいだ」
銅鎧を剣でたたき込まれた。でも、致命的な場所に当たったわけじゃ無い。気を取り直して顔を上げ、彼の姿を見ようとした。だけど視界に彼の姿は無かった。
気付けば閃光が走っていて、光で視覚を遮られていた。こんなのは普通の騎士の出来ることじゃない。俺には勝ち目なんて無いじゃないか。イグナーツ……彼にはいつまでも追いつけなかったのだろうか。
「弱すぎる……そんな弱さで王女さま、守れない」
「へ?」
何も出来ずに動くことが出来なかった俺の近くには、ふたりのヴァルキリーが立っていた。これはやっぱり魔法の仕業だったというのだろうか。ラルデイが何かしているようには思えなかったのに。
「アスティン、たるんでるんじゃないの? まぁ、この霧は確かに彼女の仕業でもあるけどさ~それでも、霧に関係なくあの騎士の方が強いっぽいけどね」
「やっぱり魔法を使われていたんじゃないかぁ。それならルカニネもハズナも、ヴァルキリーとしての役割を果たしてくれないと困るよ」
「はぁ? こんな霧ごときのせいにされても困るんだけど? ウチらが動くのはあの王女が卑怯すぎる魔法を使った時だけだし。見張ってはいるけど、結局はキミが何とかしないと駄目でしょ?」
「い、いや、そうなんだけどさ」
「弱すぎる騎士……アスティン。どうして学習しないのか理解出来ない。相手の動きをよく見れば勝てる。それだけのこと。魔法以外で助ける気ない」
相変わらず俺には、風当たりが強いなぁ。唯一味方っぽいのはルカニネだけなのか。でもどうすればいいんだよ。霧はともかくとしても、イグナーツの動きが読めないなんて。
幻影でもないというのであれば、それに挑むだけなんだ。だけど、彼からは攻撃を仕掛けて来ない。どうしてなんだ。これじゃあ動きなんて捉えられないじゃないか。
こうなったらがむしゃらに突っ込むしかない。そもそも俺の敵は彼じゃなくて、ラルディなんだ。俺をずっと憎んで、追いかけて……ハヴェルでさえも消そうとしている王女。それなら、俺が向けるべき剣の行方は彼女の方かもしれない。これはもう卑怯と言われても、やってみるしかない。
「フフ……アスティンは無防備なわたくしに剣を向ける卑怯な騎士なのかしらね?」
「そ、そうかもしれないね。君を倒さないとみんなが安心出来ないんだ」
姿が見えているラルディに中段から剣を繰り出した。予想通り、彼女には剣が届かなかった。その代わり、彼が俺の剣をはじき返した。皮肉なことに、こうでもしないと彼と戦うことが出来ない。
これがかつてのイグナーツだったら、真正面から正々堂々と勝負を仕掛けていたのかもしれない。でも、今の彼はラルディ王女の騎士。普通の戦い方じゃきっと、攻撃が通用しないんだ。
「……ようやく学習した」
「そ、そうだね」
ふたりのヴァルキリーが、霧を払って視界を遮らせないといったことをしてくれない以上、俺は王女に刃を向けて彼を動かすしかないんだ。ここにルフィーナがいれば、そんな卑怯なことしては駄目なんて言われたかもしれないけど、彼女がいないからこそ出来る戦い方なんだ。
そうして俺は何度も、ラルディに剣を振りかざした。大振りであろうが、形の無い剣技であろうが、王女に向けて剣を振り続けた。
それを何度か繰り返していたら、ラルディが嫌気を出したのか辺りの霧が晴れだした。これまではっきりと姿を捉えられなかったイグナーツの姿を、はっきりと見ることが出来るようになった。
「アスティン。僕はラルディ王女の騎士。彼女のやり方に逆らうことなど出来なかった。でも、君はそのやり方で、僕を霧から引きずり出した。霧が晴れた以上、僕はキミに正面から挑む。騎士としての全力を」
イグナーツを守る為の霧だったのかは分からないけど、霧は晴れた。そして、今ははっきりと彼の姿を捉えることが出来ている。かつて何度も見たことのあるジュルツの騎士鎧。それを身に纏うイグナーツの姿を。
「はい! 俺も、あなたに本気で挑みます。そして、あなたを解放したいです」
俺の考えが正しければ、彼の強さは当時のまま。俺が背中を追いかけていた頃の強さのままなんだ。
「イグナーツ……俺の……僕の兄騎士。いまここで、あなたを過去から救い出してみせます」
彼は俺に正面から突っ込んできた。何の迷いも無しに正直に剣を上段の構えから振り下ろしてきた。俺も彼の気持ちに応えるように、剣をぶつけた。何度も押し合う剣のぶつかり合いは決着がつきそうにない。
剣以外の攻撃で彼に衝撃を与えるにはこれしかないと思った。たとえこれが騎士らしからぬ戦いだと言われても、俺はもう迷いを捨てることにした。シャンタルに教わった戦い方で、彼を夢から覚まさせたい。
上段においては、剣の押し合いが続いていた。彼はそれ以上のことをしてこない。その隙を突いて、俺は体当たりをすることにした。剣をぶつけながら、腰を少しずつ落として僅かな隙に体当たりをした。
意表をついた攻撃は功を奏し、彼は手にしていた剣を地面に落とした。そしてそのまま、地面に倒れ込んで、手を付けた。この体当たりが奇跡を起こしたのかは定かでないけど、彼は俺の名を口にした。
「アスティン、強くなったね。宿舎にいた頃はこうやって何度も僕に体当たりをしてきたよね。思い出すなぁ。小さい体の君が、僕に勝負を挑めるといったら体当たりくらいしかないからね」
「い、イグナーツお兄ちゃん?」
「うん? あれ? アスティン、いつの間に大人になったんだい? それにここはどこなのかな」
「ぼ、僕はお兄ちゃんに会いに来たんだ。何年も経っちゃったけど、お兄ちゃんに会いに……」
「そっか。僕も同じだよ。僕はずっと、夢を見ていたんだ。出口の無い霧の中をずっと進みながらね。でもまさか、アスティンが大きくなっているなんて驚いたなぁ。今はお姫様と一緒になったのかな?」
「うん」
「そっか、そっか! 良かったよ。これで僕も安心出来るなぁ」
思えば彼とは幼い頃に剣を交えたことなど無かった。それは俺自身がまだ子供だったから。そんな子供でも、体の大きな兄騎士たちに出来たことは体当たり。敵わなくとも、何度でも挑んでいた。その記憶が彼の中にあったのかもしれない。刃を向けては叶わなかった彼の記憶を、俺は取り戻すことが出来た。
「ウフフフ……そう、思い出してしまったのね。これであなたといる意味など無くなってしまったのかしらね……どうしようかしら。この場でアスティンもろとも……」
イグナーツがかつての記憶を取り戻したのを見て、王女ラルディは俺と彼を交互に見ながら嘲笑を浮かべている。喜んでばかりいられないみたいだ。
ヴァルキリーがいても、彼女の心は変えられないのだろうか。ルカニネたちに視線を合わせても、彼女たちは動く気配を見せてくれない。どうすればラルディを変えられるんだろうか。
そうして悩み続けていた俺を見ていた彼が、王女ラルディの元へ歩み寄ろうとしていた。記憶を戻したイグナーツはラルディのことをどうするつもりなのだろうか。俺も、ヴァルキリーのふたりも彼と彼女の動きを眺めるしかなかった。




